第十九章 弟との再会
フリードが故郷のムルドの村に着いたのは、パーリャを出てから二週間後だった。前にムルドからパーリャまで行った時にくらべると、随分早い。前の時には当てもなくぶらぶら歩いただけだし、途中で山賊に囚われた娘たちと関わったため、長くかかったのである。
ムルドの村は、残暑の厳しい中、ひっそりと静まり、周りの木々で鳴くセミの声だけがやかましく響いていた。
村の広場には子供たちが数人遊んでいたが、彼らはフリードの姿を見て驚いて家の中に隠れてしまった。この立派な騎士姿の男が自分たちの知っているフリードだとは気づかなかったのである。
フリードは自分の家に行ってみた。
村の家の中では一番大きくて頑丈に作られた家だが、只の百姓家である。家の中に鶏や山羊まで飼っていて、中は藁と家畜の匂いがする。
「お父さん! 僕です、フリードです」
薄暗い家の中には誰もいないようであったが、家の裏庭の方から誰かが入ってきた。
「誰だ? この家に何の用だ」
その男が弟のヴァジルである事をフリードはすぐに見て取った。
「ヴァジル! 僕だよ、フリードだ」
その男は、薄暗い中でしばらくフリードを注視していたが、やがてつかつかとフリードの所に歩み寄った。
フリードは弟を抱きしめようと両手を上げた。
しかし、男はいきなり拳を振り上げて、フリードを殴りつけ、フリードを地面に打ち倒した。
「ヴァジル、何をする!」
フリードは殴られた顔を押さえて叫んだ。
「訳は自分の胸に聞け。お前の為にお父さんもお母さんも国王の兵士に殺されたんだぞ」
フリードは呆然となった。村を脱出した時からある程度予想していた事ではあったが、まさか本当にそうなるとは思っていなかったのである。
「そうか……。お父さんもお母さんも死んだのか。お前はどうして助かった?」
「俺が狩りに出ている間に兵士たちは来たんだ。お父さんとお母さんを殺し、村の財産をすべて奪い、若い娘たちを犯し、兵士たちは去って行った。この村の人間は、今は皆、生きる気力も失っている」
「しかし、お父さんは、国王の命令を受ける気は無かった。いずれにしても、獲物の半分を年貢に取られてはこの村の者は生きていけん」
「だが、お前が国王の兵士を殺さなければ、お父さんが報復に殺される事も無かった。みんなお前のせいだ」
「よし、分かった。その罪は認めよう。だが、こんな言い合いをしていて何になる。俺とお前が争って何になる。悪いのは国王だろう。なぜ、国王を倒そうと思わないのだ」
「馬鹿な事を言うな。鎧を着た千名もの兵士に、どうして立ち向かえるというのだ。皆殺しにされるのが落ちだ」
「では、ここで飢え死にするのを待つのか。いくら獲物を取ったところで、みんな王に横取りされるだけではないか。それでも戦わないのか。それでも男か!」
ヴァジルは、フリードの言葉に黙り込んだ。もともと血の気の多いヴァジルには、男らしくないという非難は一番応えるのである。
やがてヴァジルは口を開いた。
「もしもお前が国王を倒すために戦うというのなら、お前を許そう、フリード。俺達で父と母の仇を取るのだ」
ヴァジルの差し出した手をフリードは握りしめた。
それまで家の玄関で二人の様子を怖々眺めていたフリードの連れの娘たちが、二人が和解したらしいのに安心して、家の中に入って来た。
ヴァジルは娘たちにびっくりして、フリードを問うように見た。
「俺の連れの娘たちだ」
フリードはヴァジルに娘たちを紹介した。
「まあ、ハンサムな人。お兄さんもいい男だけど、こっちが可愛いわ」
実際、ヴァジルは村中の娘の誰よりもきれいな顔をしていると評判の少年だったのだが、本人はそう言われるのを嫌がっていたのである。
しかし、そう言われたヴァジルは怒るどころか、顔を赤くしてもじもじしている。なにしろ、村では見たことがないほど可愛い娘たちだったからである。
フリードが戻って来たという噂を聞いて、村の者たちがやがて集まってきた。中にはヴァジルと同じように、村の受けた災難をフリードのせいにして怒っている者もいたが、大半は昔からのフリードの仲間や友人、先輩たちであり、フリードに対して暖かい友情と愛情を持っていた。彼らはその夜、フリードたちを迎える宴会を開いてくれたのであった。
宴会の席で、フリードは国王軍と戦うという考えを皆の前で述べた。
大半の者は、ヴァジルと同様、最初はその考えに否定的であったが、このままではこの冬を越す事も難しい、ということ、また娘や女房や姉妹を国王軍の兵士たちに犯された恨みが彼らに、フリードの考えに耳を傾けさせた。
「俺はやるぜ。他の者が厭だと言っても、俺はフリードの軍に入る。こんな貧乏暮らしにはもううんざりだ。まるで虫けらの暮らしじゃねえか。いくら働いても、みんな上の人間に取り上げられるばかりだ。死んだっていいさ。ここにいたって惨めに死んでいくだけじゃねえか」
若者の一人が立ち上がって叫んだ。他の若者たちも「そうだ、そうだ」と同調する。
年寄りや家族持ちはさすがに首を横に振って不賛成の様子だったが、その場にいた人間のうち、フリードの軍に参加すると決めた者は十二人いた。中には、家族持ちのくせに、フリードの軍に入ることを申し出る者もいる。
「俺は戦で稼いで、この村に帰ってくるぜ。その間はお前達だけで何とかして食っていってくれ」
その男は女房に向かってそう言ったが、女房は夫の胸を叩いて、馬鹿なことはやめろと泣き叫んでいる。
フリードは懐から金の入った袋を出して、その中から金貨五枚を取りだし、その女房に与えた。
「この金で、亭主が帰るまで食っていけるだろう。それで我慢してくれ」
周りの者たちは目の玉が飛び出るような顔で、その金貨を眺めていた。金貨一枚は、およそこの村の人間の半年分の収入に当たる。
フリードは、徴兵に応じた者たちにそれぞれ金貨五枚ずつを与え、彼らはそれを自分の家族に渡した。それを見て、徴兵に応じる者がさらに十名増えた。結局、村の働き盛りの男のおよそ三分の二が徴兵に応じたのである。
第二十章 戦いの決意
村での募兵活動を終えてフリードたちはフランシアに戻った。来た時はフリードとティモシーの二名に途中で拾った三人の娘の五人だったが、今は二十七名の大所帯である。馬は二頭しかいないから、旅も来た時よりは遅い。
彼らがパーリャに戻ったのは、もう秋も深まった頃であった。そして、彼らが戻るとほとんど同時に、エルマニア国がレヌール河を渡ってフランシアとの国境のアルーザ地方を侵略したという情報がパーリャにもたらされた。
パーリャ郊外のアキムの別荘に着いたフリードは、ジグムントたちとの再会の喜びもそこそこに、戦への対応についてライオネルと話し合った。
「おそらく、エルマニア国は、アルーザからローヌを通ってパーリャに向かうでしょう。エルマニア軍の進軍速度が通常通りなら、最初の大きな戦いは、二週間から半月後、戦場はローヌかカロになります。問題は、ローラン国がどう出るかですが、フリード殿は、フランシアと同盟を結ぶようにローラン国王を説得できるでしょうか」
「その事だが、実は……」
ライオネルに向かってフリードは、実は自分はローラン国の貴族ではなく、むしろローラン国王に恨みを持つ庶民の人間である事を打ち明けた。
あっけに取られた顔のライオネルは、彼には珍しく大笑いした。
「そうですか。本当の所、あなたの振る舞いには貴族らしい所がないな、とは思っていたのですが、やはりそうでしたか。だが、そんな事はかまいません。今の世の中は、力のある人間が腕でのし上がれる時代です。我々は、戦に勝って、これから貴族になればいいのです」
笑いをやめて真面目な顔になり、ライオネルは、ならば話は簡単だ、まず我々だけでローラン国を攻め落とそう、と言った。
「もちろん、ローラン国がいくら小国でも、千人以上の軍隊を相手に戦うのは簡単ではありませんが、エルマニア国を相手に戦うよりはましでしょう。我々がのし上がるためには、どうせどこかで冒険をしなければなりません。その相手として、ローラン国は手頃です」
「しかし、百人足らずで一国を相手に戦えるかな」
「我々の百人は、普通の軍隊の二百人に相当します。これは自惚れではなく、そのように鍛えてきたのですし、また、私には大敵を打ち破る秘策があります」
ライオネルの力強い言葉にフリードは頷いた。
いよいよ、父や母の仇、ローラン国王と戦うのだ、と思うと、フリードの胸の中には熱く沸き立ってくるものがあった。
第十七章 戦争講義
マリアが皇太子妃になったことで、アキムは王室の後ろ盾を得た事になったわけで、フリードたちにこれ以上資金援助をする理由はなくなったが、アキムは用心深い性格であり、フリードたちを自分たち家族の護衛のための私兵として維持しておこうと考えていた。アキムはパーリャの近くに自分の別荘や地所を持っていたが、フリードたちをそこに住まわせて兵の訓練などを行わせていた。
赤毛のミルドレッドの亭主、ライオネルも、今はフリードたちの所に身を寄せていた。病み上がりのやつれた顔ではあったが、礼儀正しくフリードたちに挨拶するその姿は、やはりその辺の粗暴な浮浪騎士たちとは趣が違う。
彼はフリードの求めに応じて、一般兵士たちの訓練指導に当たってくれた。ジグムントやフリードを前に、訓練の意図や要領を説明するライオネルの言葉を聞いて、フリードは強い感銘を受けた。なるほど、ミルドレッドが彼を優れた軍学者だと言っていたことが頷ける、合理的な考えであり、理路整然とした説明である。
古代ギリシアの戦闘隊形から、マケドニア、ローマ、カルタゴの戦い方まで、彼は熟知しており、それぞれの戦闘の勝因、敗因を彼はフリードたちに説明した。
「もちろん、これは現実の戦闘を後で分析したものであり、実際の戦闘では、不可抗力に近い偶然が戦闘を左右することもありますが、その中でも一般性のある戦闘の原則を導き出すことはできると思います……」
他の騎士や兵士たちがローダンやジラルダンの指揮の下で訓練を行っている間、フリードはジグムントの指導で自分も剣の訓練をし、あるいは涼しい木陰でライオネルの軍学の講義を聴いた。
芝草の上に小石や木切れを並べての兵棋演習である。それを見ているだけで、フリードの目には、はるか古代のギリシアやローマの戦いが目に浮かび、血が沸き立つような愉快な気分になる。
「戦闘の一般的原則とは?」
ジグムントが聞いた。
「多を以て少に当たらせるのが必勝の原則です」
ライオネルの言葉にジグムントは、何だ、つまらんという顔をした。ライオネルは微笑を浮かべて言葉を続けた。
「ただし、多とか少とか言うのは、ただ数だけの事ではありません。武器の性能や、兵士個々の能力により、一人で二人三人、十人二十人に相当する者もいます。戦闘訓練の一つの目的はそのように兵士を強化することです。また、見かけの上では多数でも、実際の戦闘に参加していない兵士が多ければ、それは多数ではありません。たとえば、ファランクスと呼ばれる古代ローマの密集隊形の内部は、そうした遊休兵士になっているということで、私は評価しないのです。実際の戦闘に参加しているのは、ファランクスの外縁部だけですから」
「しかし、ローマは当時最強の軍隊で、連戦連勝だったではないか」
フリードが訊ねた。ライオネルは軽く頷いて答える。
「いや、幾つかの戦いでは敗れています。が、確かに強い軍隊でした。それには幾つかの理由があります。まず、他の国の兵士たちは、戦利品を得る事以外には大きな目的もなく、国王の命令のためにしぶしぶ戦ったのに対し、ローマ人は自分たちの国が軍事国家であることを承知し、領土拡張がそのまま自分たちの生活のためになるのだという意識で戦ったという事。彼らにとって戦争は生計のための中心的な仕事だったのです。また、彼らは死を恐れないような精神を幼い頃から鍛えられ、剣闘士たちの戦いを常に見ていることで、血に慣れ、剣技を熟知していました。彼らの勝利は、戦闘隊形とは関係のないものです」
「我々の兵士をローマの兵士のようにできるだろうか」
フリードの言葉に、ライオネルは少し考えた。
「半分は可能でしょう。彼らには、古代ローマ人のような勇猛さはありません。しかし、目標や報酬を適切に与えることで、戦闘での働きが自分たちのためである、という強い動機を与えることはできます。それだけでも他の戦闘集団よりは上に行けるでしょう。後は、個々の兵士の武芸の技能や武器の性能、実際の戦闘での指揮如何によるでしょう。この点に関しては、武器にせよ、作戦にせよ、いろいろと工夫改良の余地はあります」
「では、実際の戦闘の指揮について教えてくれ」
ライオネルは頷いて、戦闘指揮のポイントについての講義を始めた。
こうして、フリードはライオネルから学んで、まだ実戦経験の無い将としては稀なくらいに戦争の知識を得ていったが、それらはまだ机上の空論かもしれないという不安は残っていた。
一方、剣の実技の方は、もともと優れた運動能力と反射神経を持っており、狩人としての実践的な勘もあったため、短い期間で格段の上達を示し、今では師匠のジグムントに肩を並べる腕前になっていた。このことは、軍隊を統率する上で重要な、兵の尊敬を集める一つの要素にもなったのである。
第十八章 故郷への旅
フリードたちの集めた兵士は三十人を超えたが、まだまだ不十分である。山賊を働く程度なら十分だが、戦では何千人という敵が相手だ。
フリードは、ふと思いついて、一度故郷の村に帰ることにした。故郷の村の男たちを兵士にしようと思ったのである。彼の村の男たちは皆、弓の名人である。弓兵隊を作れば大きな働きができる、とフリードは考えたのであった。
フリードは従者として、新たに仲間になったばかりのティモシーという少年だけを連れてパーリャを離れた。ジグムントは老齢であり、長旅はきついだろうから、今回の旅に同行させるのは遠慮したのである。他の部下たちには訓練がある。
ティモシーは孤児で、浮浪者であったが、自ら傭兵隊の兵士に応募してきたのである。年ははっきりしないが、おそらく十四、五だろう。痩せっぽちでそばかすのある、目の大きな少年だ。ミルドレッドよりも濃い赤毛で、周りからは「人参小僧」と呼ばれている。しかし、陽気で屈託ない性格をしており、フリードは彼が気に入っていた。
フリードと一緒の旅は、生まれてこのかたずっと腹を減らして暮らしていたティモシーにとっては大名旅行であり、金にも食い物にも何の心配もいらない旅である。彼はフリードの従者になったことに有頂天になっていた。
「いやあ、旅がこんなにいいものだとは思いもしなかった。といっても、腹を減らしていたんでは周りの景色も見えやしないから、旅にもよりけりだけどな」
お喋りなティモシーは一人でしゃべりまくり、フリードの旅のつれづれを慰める。口の重いフリードはそれに答えるわけではないが、誰かの声がそばにあるというのはいいものである。
二人はやがてローラン国に近い国境に来た。このあたりは、前にフリードとジグムントが山賊を退治し、その囚われの娘達を救った所に近い。
フリードはふと、道端の麦畑の中に立って彼を眺めている娘に気が付いた。娘も、彼が気が付いたのを知って、頭を下げる。
どこかで見たような娘だな、と思ったフリードは、その娘が、彼がかつて山賊の手から救った娘の一人であることを思い出した。
「やあ、あんたは、もしかして……」
フリードが自分を思い出した事を知って、娘は嬉しそうな顔になった。
「やっぱりあのお武家さんだ。思い出してくれたんだね」
娘は畑仕事をやめて、フリードの側に来た。
「久しぶりだね。どこへ行くところなのかね」
田舎くさい口調で尋ねる娘に、フリードは答える。
「ちょっとローラン国に用があってな」
「そうかい……」
娘は何か言いたげな様子で少し黙ったが、やがて思い切って口を開いた。
「実は、お願いがあるんだ」
「何だい。言ってごらん」
「私を、連れて行ってくれないかい」
「えっ?」
フリードは驚いて娘の顔を見た。娘は真剣な顔である。
「実は、家に帰ってからというもの、山賊の女になっていた娘だということで村の者に嘲けられるし、家族にも辛く当たられるんだよ。こんな事なら、山賊の女のままでいた方が良かったくらいだ。私だけじゃないよ。あの時一緒に帰った娘はみんなそうさ」
「そうだったのか。ひどい話だな。それはかえって済まない事をした」
娘は頭を振った。
「あんたが悪いんじゃないよ。みんなあんたには感謝している。でも、今の暮らしは苦しくて、いっそ死んじまいたいくらいなんだ」
「よし、わかった。お前だけじゃなく、お前と同じ気持ちの娘はみんな連れていこう。村に帰って一緒に行く者を連れておいで」
娘は飛び上がって喜び、村の方へ小走りに駆けて行った。
やがて戻ってきた娘は、他に二人の娘を連れていた。
「ミランダにトプシーだよ。私はアデル」
最初の娘がそう紹介した。
フリードが娘たちを眺めると、娘たちはくすぐったそうにくすくす笑った。三人とも、なかなかの器量よしである。山賊たちが自分たちの女として残しておいただけのことはある。フリードは、若い男であるから、三人の豊満な体に思わず唾を飲み込んだ。
ティモシーは、思わぬ旅の道連れが出来たことに内心喜んでいたが、そこは男性優位主義の昔の子供であるから、表面では「女なんて」という顔で三人を無視している。
三人の娘は、家に帰ってからの抑圧された生活から解放されて、嬉しげである。道々三人でずっとお喋りのしっぱなしで、そのためティモシーの方は口を開く暇も無く、面白くなさそうだが、三人は、自分より年下のからかいやすい相手を放っておくわけはない。三人はティモシーにあれこれ話しかけ、その身の上やら何やらをすっかり聞き出した後は、ティモシーは三人にいいようにからかわれるばかりであった。
そして、夜になると、三人は当然のようにフリードを自分たちの寝場所に招いた。フリードとしても、夜には若い体を持て余している身であり、この誘いを断るわけはない。次々に三人の相手をしても大丈夫なほど、彼の体は元気で逞しかった。
「お前も、相手をしてもらったらどうだ」
焚き火の傍で、所在なげにしているティモシーを見て気の毒に思ったフリードは、娘たちの所から戻ると、彼にそう勧めたが、ティモシーは頭を振るだけである。女をまだ知らない彼は、女に怯えていたのである。
だが、数日後の夜には、彼も思いきって娘の一人に相手をして貰って男になった。しかし、どうやら、不首尾に終わったらしく、後でそれを無遠慮にからかわれ、心に傷を受けた模様である。世の中には、こういうついていない男もいるものである。
こうして、フリードの故郷への旅は、思いがけない付録までついた満足すべきものになったのであった。
第十五章 赤毛のミルドレッド
フリードたちが私兵を集めていることは、宮廷にも聞こえているらしく、宮廷の騎士の中から賭け試合に挑戦してくる者もいた。しかし、いずれもローダンとアルフォンスの前に敗れ、フリードやジグムントが相手をするまでもなかった。ジラルダンの方は、最初から武芸には自信が無いと言っていたので、もっぱら交渉役を引き受けていたが、口の上手いジラルダンはフリードたちにとって、仲間を集めるのに非常に役に立つ存在だった。
賭け試合を始めて二週間のうちに彼らに挑戦してきた男の数は三十五人で、そのうち二十人が仲間になり、ある程度の戦力はできてきた。しかし、まだ一小隊程度であり、戦で大きな働きを見せられるほどではない。
その二十人の中でも特に目立ったのは、ミルドレッドという男装の女である。歳は二十代後半の年増だが、剣の達人で、ローダンとアルフォンスの二人を初めて破ったのがこの女であった。
長い赤毛の髪を後ろで束ね、鎧は肩当てと胸当てだけの軽装備であるが、胸当てを外すと大きな胸が衣服を突き破らんばかりに突き出し、周りの男たちの鼻の下を伸ばさせた。しかし、剣の技は、電光石火であり、ローダン、アルフォンスともにわずか数合で打ち破られた。
「だらしない男たちだね。これなら、五人どころか十人だって相手になってやるよ」
美人だが、気の強そうな顔に嘲笑を浮かべ、女はそう言い放った。
「そうかな。今ならわしに勝てるかな、ミルドレッド」
控え室代わりの天幕の中から出てきたジグムントが、女に声を掛けた。
「先生! ジグムント先生、なぜこんな所に」
女は、顔をぱっと明るくしてジグムントに駆け寄った。
フリードは驚いてこの二人が抱き合うのを眺めていた。
「どうだ、ミルドレッド、わしとも戦うか?」
ジグムントの言葉に、ミルドレッドは頭を振った。
「まさか、恩ある先生と戦うなんて。確か、兵士を集めているとか。先生がここにいらっしゃるなら、私もお供しますわ」
「そうか。それは良かった。正直、わしの力も昔のままではない。今のお前なら、わし以上かもしれぬ。お前と戦わずに済んで良かったわい。それで、お前は今は一人なのか」
「いいえ。連れ合いがいますが、今、病気で伏せっております。実は、今日ここに来たのも、亭主の薬代を稼ごうと思ってですわ」
「ほほう、それはそれは。なら、フリードに言って、少し支度金を多めに出させよう」
ジグムントに言われるまでもなく、フリードは同情心が強い男である。金貨五枚を出して、高価な薬を買う費用としてやった。
「有り難うございます。これで、亭主のライオネルも、きっと良くなるでしょう」
ライオネルという名前を聞いて、フリードは驚いた。あの、前々から気に掛かっていた男の名前である。ジグムントも驚いたようである。
「ライオネルというと、エデールのイヴリン公の騎士長を勤めていた男か?」
「そうです。先生、ご存じなのですか」
「名前だけは聞いておる。大した男らしいではないか」
「ええ、武芸に通じているだけではなく、立派な軍学者です。彼を大将か参謀にすれば、どんな戦でも勝ちますわ」
「ほほう、そうなのか。それは、是非とも欲しい男じゃな。ところで、ライオネルはお前の何人目の男じゃ?」
ミルドレッドは顔をぽっと赤らめた。
「五人目……かしら」
「前の男たちと比べてどうじゃ」
「みんなそれぞれにいい男たちでしたわ。そりゃあ、酒飲みもいたし、乱暴者もいましたが、みんな私には優しくしてくれました。でも、ライオネルが一番です」
「あの方の腕も一番かな」
ミルドレッドは、ますます顔を赤くした。
「悪くはありませんわ。でも、私を女にした先生は忘れられません」
「そ、そうか。しかし、わしは亭主持ちの女とは寝んことにしておる」
「あら、私だって、ライオネルを裏切る気はありませんわ。でも、今でも先生は好き」
ミルドレッドの言葉に、珍しくジグムントはたじたじとなっている。
「私の亭主はみんな早死にすることになっているみたいですから、いつも亭主が生きているうちに次の亭主候補は見つけておくことにしていますの」
「やれやれ、強い女じゃ。だが、そうでもなければ、この世の中、女一人で生きてはいけまい。わしのような年寄りよりも、なるべく若いのを見つけておいた方がよかろう」
「私は、強い男にしか引かれないの。歳は関係ありませんわ」
ミルドレッドはジグムントにウィンクをして、金貨五枚を手に去って行った。
「やれやれ。凄い胸をした女になりおって。あれが、あの泣き虫だったミルドレッドとは思えんの」
「ジグムントのことを先生と呼んでいましたが?」
フリードの言葉に、ジグムントは遠い昔を思い出すような目になった。
「そうじゃ。あの子は孤児でな。わしが十二歳から十四歳まで育てたのじゃ。剣の技も、すべてわしが仕込んだ。ほっそりとした、実に、可愛らしい娘じゃった。で、わしはそんな気は無かったが、或る晩、ふとあの子が寝ている姿を見て、つい魔がさしてな。……それから半年と経たぬうちにまた戦になって、それきりあの子とは別れたままじゃった。それからどんな人生を送ってきたやら。今では、別人のように逞しい女になりおったわい」
フリードは、あのミルドレッドという女の美貌に心引かれていただけに、彼女の初穂を頂いたというジグムントを羨ましく思ったが、彼女が自分たちの仲間になるということに、少しばかり心が浮き立つような思いもあった。
第十六章 王女ジャンヌ
そうするうちに、思いがけない出来事があった。フリードたちが寄宿している商人アキムの娘マリアが皇太子に見染められ、皇太子妃に迎えられたのである。あっという間に話はまとまり、二週間後に婚儀が行われることになった。
(このあたりの強引な展開に、文句のある方もおられようが、昔にはこの手の玉の輿話は無数にあるのであり、貴族や王家が結婚話に家柄をうるさく言い出すのは、後の時代のことである、ということにしておこう。)
マリア本人は気が進まないようだったが、なにしろ結婚に際しては両親の意思が絶対だった時代である。マリアは自分の意思を告げることなど最初から考えてもいなかった。
その代わりというのでもないが、結婚が決まってから二週間の間、マリアはジグムントとフリードの寝室を毎晩のように訪れ、快楽の限りを尽くしたのであった。皇太子はいい面の皮だが、この世では、人に知られない事は存在しないのも同じなのである。ジグムントとフリードは、これが最後とばかり、未来の皇太子妃の体を貪るように味わった。
婚儀は三日間に渡って盛大に行われた。
花嫁衣装を着けたマリアは神々しいほどに美しく、清純そのものであった。その体に十数人の男の印が刻み込まれているなど、宴会の客の誰一人想像もしていなかっただろう。
宴会には、アキム側の縁者として、フリードとジグムントも参列させて貰った。
その席でフリードは電撃的な恋に陥った。
相手は皇太子の妹、国王の三女のジャンヌである。上の二人もそれぞれに美しかったが、ジャンヌの美しさは際だっていた。花嫁のマリアさえ、ジャンヌには劣る、とフリードは思った。歳は十五、六歳くらいだろうか。まだ少女のようだが、山奥の白百合のように清く白い肌に、薔薇のような小さく赤い唇。長い睫に縁取られた大きなエメラルドのような瞳。ウェーブのかかった見事なブロンドの豊かな髪。マリアに比べると気が強そうで、少しお転婆な感じがしたが、見た感じは宝石細工の人形であり、可愛らしさという点では、まさに神の作った傑作である。
王女は長々しい婚礼の儀式に退屈して、小さくあくびをし、それを手で隠した。その仕草さえ、フリードには可愛らしく思えた。恋をすると、そういうものである。
皇太子の方は、国王によく似た間抜け面の青年であり、悪い顔立ちではないが、どことなく締まりがない顔つきの男だ。美しい花嫁を得たことでにたついているので、なおさら間抜けに見える。
宴会の途中で退席して王宮の外に出たフリードは、夜空の星を見上げながら、いつの日か王女ジャンヌを手に入れてやる、と心に誓ったのであった。
このフリードの決心を笑う人間は、この世のあり方というものをあまりに大げさに考えているのである。男と女の間で決定的な要素は一つしかない。それは、相手が手を伸ばせば届く範囲にいるかどうかという事だけである。いかに優れた男女でも、物理的に離れた場所にいては結ばれるはずはない。男も女も手近な異性と結びつくしかないのである。身分などは、男女の間では何の障害にもならない。この事は、明治時代ごろのゴシップの一つのパターンが、貴族の令嬢が、お抱えの車夫や馬丁と関係を結んで駆け落ちをした、という話であったことからもわかる。マリー・アントワネットなども、亭主が性的に無能だったため、手近な召使いの少年やら陪臣やらと平気で肉体関係を結んでいたということが当時のゴシップにある。「ベルサイユの薔薇」のフェルゼン以外にも、マリー・アントワネットと寝た男は多かったようなのである。女の身近にいるという事がいかに大事かが分かろうというものだ。皇太子妃が護衛か誰かとくっついたという現代ヨーロッパの某王国の醜聞(これが醜聞では無く、ロマンス扱いされ、皇太子妃が非難されないところがまさしく現代だが)などを聞いても、男と女はまずは身近な相手とくっつくものであることが分かる。要するに、絶世の美男であるよりも、尼僧院か女学校の醜い庭番の老人のほうが、その気になれば女に恵まれる機会は多いということである。これは、美女を得たければ芸能界か水商売の道に入るのが良く、金を得たければ銀行や株屋など、金のある場所に行くのが一番だということでもある。ただし、それで満足が得られるかどうかは本人の性格次第であるが。
身分不相応な望みなどというものは、この世には存在しない。問題は、その望みに至るまでの労力とその目標が釣り合うかどうかだけであり、現代人の大半は、そうした計算を最初で行って、さっさと自分の希望を諦めるのである。それが賢いことなのか、愚かなことなのかは一概には決め難い。大きな望みを達するには、時には犯罪すれすれの行為が必要になる事もあるのだから、安全な道を選ぶのも、決して悪いというわけではない。
第十三章 兵士集め
パーリャの町は、戦の気配は少しもなく、平和そのものである。町とは言っても、王宮を中心とする中央部分に貴族たちの邸宅が並んでいる以外は、現在の東欧あたりの田舎町と変わる事はない。牛や馬が町の目抜き通りを悠々と歩き、その後ろには干し草や肥料を積んだ荷車が従っている、という有様だ。町の周辺部は農地が大半を占めているのである。騎士の時代とはいえ、彼らも日常的に鎧兜を着ているわけではなく、腰に剣を下げただけの平服で歩いている。町の通りに目立つのは、乞食と物売り、それに無数の野良犬である。乞食の大半は不具者か病気持ちで、灰色の頭巾やマントで顔や体を包んでいる。
フリードとジグムントは、「七人の侍」の「侍スカウト」場面よろしく、強そうな騎士、役に立ちそうな騎士、兵士を捜してパーリャの町を歩いてみたが、やがて一軒の酒場に入った。庶民以外の暇な人間、腰に剣を下げた人間が昼間からいる所は、大体酒場だと相場が決まっているのである。
フリードとジグムントは、のんびりとビールを飲みながら、酒場に出入りする男たちを眺めていた。客の大半は国王の騎士や町の無頼漢である。あちこちのテーブルで、そういった連中が骨付きのマトンやピクルスなどを囓りながら喉にビールを流し込んでいる。そのうちにお定まりの喧嘩が起こり、剣が抜かれ、誰かが血を流して運ばれる。
それらの男達の中で、フリードが目を留めた男がいた。毎日昼頃に、この店にやってきて食事をしてビールを一杯飲んで帰るだけの男である。他の男たちとはほとんど話もしないが、他の連中が彼に黙礼する所を見ると、一目置かれているらしい事が分かる。
「あの男の名前は?」
フリードは、他の男に、その寡黙な男の名を尋ねた。
「ライオネルさ。このあたりでは有名な男だよ。エデール州のイヴリン公に仕えた騎士長だが、主人の勘気に触れて、放浪の騎士になっている。いい奴だが、真面目すぎるのが玉に瑕だな。博打もせんし、酒もあまり飲まんし、女遊びもせんようだ」
その男は、アルフォンスという肥大漢で、横幅がフリードの二倍はあり、絶えず片手には骨付き肉、片手には陶製のビールジョッキを持っている男である。
「彼のことを良く知っているようだな」
「まあな。わしもイヴリン公の所でしばらく仕えていたのだ。ひどい癇癪持ちの殿様でな。やたらに家来に鞭打ちをする奴だった。わしも三度ほど鞭打ちの刑を食らったよ」
「なぜ、あんた方は国王の騎士にならんのだ? あんたは相当の力持ちに見えるが」
「まあ、力の強さでは、わしにかなう者はこのフランシアにはいないだろうな。だが、わしには望みがある。いい主人に仕えたいという望みさ。そして、いずれは、できれば小さな荘園の領主にでもなってのんびりと暮らしたい、という望みだ。それが駄目なら、こういう酒場の主人でもいいがな。国王の騎士になると、戦でこき使われるばかりで、出世の望みは無い。領地はすべて貴族か国王の縁者の物になるだけだ。それに、騎士長のシモンは、評判の悪い男だ。手下の人間を手荒く扱うばかりでなく、彼の部下で優れた人間は皆、彼に妬まれて殺されるか追放されている」
「なら、どうして他の州の領主に仕えない」
「他の州の領主にも、いい評判の者はいない。ここだけの話だが、いっそエルマニア国の騎士になろうかとわしは思っているのだよ」
フリードは驚いて相手の顔を見た。その巨大な髭面は、無邪気ににこにこ笑っている。
「おいおい、そんな事を他人に聞かれたらどうする」
「なあに、このあたりの騎士の中で、わしにかなうものはいないさ。わしは自分を正当に評価してくれるなら、仕える国がどこだろうと構わん。なにもフランシアに義理はない」
正直な男だが、こうも内心をあけっぴろげに他人に話すようでは、重大な秘密は共にできないな、とフリードは考えた。
「あんたは正直な男のようだから、こちらも正直に話そう。実は、まもなくエルマニア国との戦がある。それで、僕たちは傭兵隊を作っているのだが、あんたもその仲間にならんか」
「傭兵隊か」
アルフォンスは、小首をかしげて言った。
「確かに、戦の時に傭兵隊を雇う諸侯は多いが、傭兵隊は、戦が済めば用済みだ。出世は望めないなあ」
「正式な家来になっても、よほどの事がないと出世などできんさ。傭兵は気楽なものだ。戦の時以外まで主人に縛られるよりずっといいさ」
「それもそうだな。なってもいいが、給料はいくら払う」
「週に十シルでどうだ。戦の時は、一回の会戦ごとに小型金貨五枚」
「……悪くない。実のところ、金が底をつきかかっている。賭け試合をするか、強盗でも働くかと思案していた所だ」
「そうか、なら、支度金に、もう十シルやろう」
「有り難い。あんたの名前は?」
「フリード」
「そうか、若いのにしっかりした男だ。あんたの部下になろう。俺はアルフォンス」
「知ってるよ」
他のテーブルにいたジグムントの方も、話がまとまったらしく、二人の男を連れてフリードの所にやってきた。
「フリード殿、紹介いたそう。こちらが我々の仲間になったローダン殿とジラルダン殿だ」
ジグムントは、わざと丁寧な口調でフリードに言った。傭兵隊を作るとなれば、上下の秩序が必要になる。部下にフリードを尊敬させておかないと、命令ができない。そのために、姑息な手段だが、フリードはローラン国の貴族の子弟だという事にしようと二人の間で話がまとまっていた。
ローダンは、三十歳くらいで、背丈はフリードほど高くはないが肩幅はフリードよりあり、鉄の棒を入れたようにがっしりとした背中や腰をしている。かなりの怪力の持ち主だな、とフリードは見て取った。顔は穏やかそうで、好感が持てる。
一方のジラルダンという男は、歳はまだ二十代前半くらいで、腰には剣を下げてはいるが、形だけの口髭を生やした可愛い顔をし、ほっそりとした優男である。しかも着ている服ときたら、派手な赤服である。こちらはローダンの付録か、とフリードは考えた。
フリードは二人と短い会話を交わし、とりあえずフリードたちは三人の仲間を得たのであった。
第十四章 賭け試合
パーリャの町の、王宮の前の広場は市内の目抜き通りでもあり、広場を囲むように多くの商店が並んでいる。商店とは言っても、その大半は露店に毛が生えたくらいの小屋である。その中で、マリアの父アキムの店は辺りを圧倒する大きなものだった。
扱っている品は、貴族や王族の為の武具や装飾品で、目の玉が飛び出るほどの値段の物ばかりである。その中で、フリードの目を引いた品が一つあった。
それは一振りの剣である。造りは地味で古風な物だったが、その佇まいに心を引かれ、フリードはアキムに頼んでその剣を手に取らせて貰った。
鞘から剣を抜くと、錆止めに油の塗られた刀身は、薄青く光っている。当時の剣はほとんどが両刃の直刀だったが、これは東洋風に湾曲した片刃の刀である。突くよりは斬る事を主眼とした刀だ。おそらく、ビザンチン帝国の近辺から渡ってきた物だろう。刃は厚手で、重さを軽減するために刀身の中心線に溝が掘られ、拳二つ分の握りの下には、重さの釣り合いを取るために玉がついている。どちらかといえば無骨な感じの剣である。
「いい剣だな。これなら、鎧に当たっても刃こぼれしないだろう」
そばでフリードの様子を見ていたジグムントが声を掛けた。
「刃こぼれどころか、鎧でも叩き斬ることができますよ」
アキムが笑いながら言った。
「馬鹿を言え。そんな剣は、この世に存在しない」
「まあ、それが本当かどうかは分かりませんがね。私にこれを売った男は、そう言っていました。何でも、普通の剣と違って、中に軟鉄の芯を入れ、その外側を鋼で何重にもくるんで叩き上げた物らしいです。だから、滅多なことでは折れませんよ」
「そいつは珍しい代物だな。で、幾らだ」
ジグムントの言葉に、アキムは首を傾げた。
「まあ、五百金といったところですかね」
「おいおい、そいつは馬鹿げた値段だぜ。剣の相場は、金貨五枚から十枚といったところだ」
「私の所で扱う品で、百金以下の品はありませんよ。だが、そいつはフリードさんに差し上げましょう。ずいぶんお気に入りのようだから」
フリードは、アキムの言葉に大喜びした。この剣が無闇に気に入って、手放し難く思っていたからである。
「わしは、こいつが欲しいな」
ジグムントは図々しく、傍にあった戦斧を手にとって言った。斧と言っても、短い槍の先に小さな斧の刃を付け、その後ろにハンマーのついた物で、槍、斧、ハンマーの三つの働きができるものだ。つまり、先端の槍で刺す、ハンマーで殴る、斧で斬るという欲張りな機能を持った戦の道具だ。通常の戦斧と違って、持つ部分が、後ろに行くに従って太くなり、重心バランスが工夫されて、持ち易く、握り易く、手からすっぽ抜けないような工夫がしてある。全体の重さを考えて、戦斧本体は固い木で出来ているが、その周りに鉄のバンドが張られていて、相手の剣などで切られたりしないようになっている。
「いいですよ。そいつは安いです。二百金ですが、もちろん只で差し上げます」
フリードとジグムントは、お返しに、自分たちの持っていた予備の武器や防具をアキムに渡そうと申し出たが、アキムは笑って首を横に振った。
「武器は、あなたたちの方が、これからいくらでも必要になるでしょう。頑張って、もっと兵士を増やしてください。たった五人では、戦には出られませんよ」
(後の話で、この武器が意味を持ってくるなどと思わないで頂きたい。これは、作者の武器に対する偏愛が書かせた意味のない描写であり、話とのつながりは無いのだから。)
アキムに言われるまでもなく、フリードとジグムントは毎日のように兵士を物色していたが、これはという人物にはなかなか会えなかった。
フリードは、エデール州のイヴリン公に仕えていたというライオネルという騎士に心を引かれていた。彼の寡黙な態度や真面目そうな顔が、信頼できそうに思えたのである。
しかし、酒場でアルフォンスに彼の話を聞いた時以来、ライオネルは姿を見せなくなっていた。いったいどうしたのだろう、とフリードは心に掛かっていたが、とりあえず彼の事は忘れて、他の兵士候補者を探すことにした。フリードは自分の部隊を烏合の衆にするつもりは無かった。兵士の数は少なくても、一騎当千の強者を集めれば、大部隊に匹敵する。そういう部隊を作りたかった。しかし、そんな勇者、強豪がそのへんにごろごろしているわけではない。
「こいつは一工夫しなけりゃあならんな。このままではいつまで経っても兵士が集まらん」
ジグムントがフリードに言った。
「賭け試合をやりましょう。それで、力のある騎士を見つけるのです」
フリードの言葉に、ジグムントは頷いた。
「そいつはいい考えだ。だが、誰が相手をする」
「我々五人が、交替でやるのです。賞金は、五百金」
「そいつは、大金だな。大型金貨でも五十枚か。アキムから貰った金の半分だ。百金でも十分だろう」
「いや、これくらいでないと、評判にはなりません。パーリャ近辺の強豪を呼び寄せるためです」
「だが、負けたら只取られだぞ」
「仕方がないでしょう」
ジグムントは、改めてフリードを見直すような顔つきになった。こいつは、自分よりも、将としての器かもしれんと思ったのである。普通の人間なら一生かかっても使い切れないような千金もの大金を手にして、その半分を危険な賭けに使おうというのは、相当な度胸である。
「よし、分かった。ただし、一人を相手に五百金ではなく、我々五人全員を倒せば五百金ということにしよう」
「それで挑戦する者が出てくるでしょうか」
「出てくるさ。強い騎士というものは、自惚れも強いものだ。自分は十人力、百人力くらいのつもりでいる。また、それくらいでないと、戦で死に物狂いの働きはできんものだ」
こうして、王宮前の広場に立て札が立てられた。それには、フリードの言ったように、勇者五人を倒した者には五百金を与える、と書いてあった。
フリードたち五人は、その立て札の前に並んで仁王立ちし、凄んだ顔をしている。町の人々は、このイヴェントに大喜びで、この話は町中の噂になった。
翌日には早速向こう気の強い騎士が挑戦してきたが、これは最初の相手であるローダンに簡単に負かされた。
試合は、危険を最小限に押さえるために、木製の武器に限るという決まりで行われたが、木の模擬刀でも、当たれば骨折する可能性は高い。
ローダンは、力任せに殴りかかる相手の騎士の攻撃を二、三度、刀で受けると、攻撃をして体勢の崩れた相手の脇腹に木剣を叩き込んだ。
そこで試合は終わりである。腹を押さえてうずくまる挑戦者を赤服のジラルダンが横に連れていって介抱し、傭兵隊への加入を勧める。取りあえず、部隊の中核を成すくらいの最小限の人員を確保しておこうという考えである。
「いやあ、あんたは強い。相手が悪かった。あのローダンは、なにしろ、戦で挙げた首級が百以上という歴戦の強者だ。だが、あそこにいるアルフォンスやジグムントやフリードはもっと強いぞ。こんな強い連中の下にいれば、戦も楽だ。まず、負け戦にはならん。とはいえ、戦は武力だけではない。あんたのような勇気のある男なら、立派な働きができる。どうだ、我々の仲間にならんか。仲間になれば、週に十シル、戦の時には、戦場に出るだけで金貨五枚を支払うぞ」
「金貨五枚!」
普通の人間にとっては、金貨五枚は大金である。
「そうだ。もちろん、戦で勝った相手の馬や武具や防具を分捕るのは勝手だからな。一戦あれば、それだけで一財産できる。それに、俺達には夢がある。それはな、いつか俺達の国を作る夢だ。どこかの国を手に入れて、それぞれ荘園領主になって暮らそうという夢だ。もちろん、戦のことだから、中には途中で死ぬ者も出るだろう。だが、どうせ短い一生だ。思い切り好きなように暴れ回ってみようじゃないか。うまく生き残れば、それこそ満足この上ない余生が送れる。男なら、やってみようぜ」
ジラルダンの言葉に、相手は目を輝かせて頷いた。
こうして、フリードたちの仲間は次第に増えていった。
第十一章 アクシデント
昼食を終えて道を歩き始めた三人は、前方から来る乗馬の一団に気づいた。
その五人の一団は、狐狩りをしている貴族の子弟らしいとフリードはすぐに見て取った。中で最もきらびやかな服装をしているのが貴族で、後はその家来だろう。
彼らはフリードたちの前で馬を止めた。
「おい、お前らはどこの者だ。ここはカロヴィング家の領地だ。余所者が、無断で通行する事は許されぬ」
五人の中の中心らしい、へちまのような顔をし、口髭を生やした若者が横柄な口調で言った。その間も、彼の目は好色そうにマリアをじろじろ眺めている。
「怪しい奴らだ。エルマニア国の廻し者かも知れません」
家来のむさくるしい顔の髭男が言った。
「殺してしまいましょう」
「いや、わしはその娘が気に入った。下女に使おう。その娘を置いていけばここを通る事を許そう」
若者の言葉にフリードが答える前に、ジグムントが大声で答えた。
「断る。どうせ女を慰み物にするつもりじゃろう」
「この老いぼれめ。大人しく渡せば無事に済むものを。かまわん。こいつらを斬り殺せ」
若者の言葉で、家来たちは馬から下りてフリードたちに歩み寄った。
まだ馬に乗っているフリードとジグムントは、顔を見合わせ、頷き合った。
ジグムントの手が腰の剣に触れたかと思うと、あっという間に、自分の馬を貴族の若者の馬に走り寄せ、その首を切り飛ばした。若者の首は、ころころと道に転がり、きょとんとした顔をして止まった。
「こいつら、若君を殺したぞ!」
家来たちは、思いがけない事態に、悲鳴のような声を上げた。
「斬れ、斬れ! 斬り殺せ」
もう一人が叫んで、剣を抜いてフリードの馬に走り寄った。
フリードは剣を抜いて、馬上からその男の肩に斬りつけた。男は、「うわっ」と叫んで倒れた。
その間に、ジグムントはもう二人倒している。
残った一人は、馬に飛び乗ってこの場から逃げようとした。フリードは馬の横腹に結びつけてあった弓を取り、逃げていく男に向かって矢を射た。矢は男の背中に突き立ち、男は馬から転落する。
ジグムントは、地面に転がっている四つの体を調べて、注意深く剣で息の根を止めた。
「わしらが下手人だと知られてはまずいからの」
目をそむけるマリアに向かって、弁解するようにジグムントは言う。
「金目の物は持ってないようだ。剣と馬と服くらいじゃ。さて、しかしこいつらの持ち物を売るとわしらが下手人だと分かってしまう。もったいないが、捨てていくことにしよう」
「これは何ですかね」
フリードが、主人らしい若者の懐を探って、一枚の封書を取りだした。
「手紙のようだな。しかし、わしは字が読めん」
「僕もです」
フリードとジグムントは、困ったように顔を見合わせた。
「私が読めますわ」
マリアの言葉に、フリードはその手紙を彼女に渡した。
マリアは、その紙を広げ、読み上げた。
「前に申し上げた通り、いざという時に我が方のためにお働き頂ければ、アストーリャ、モントーリャ、エデール三郡の領主任命を確かにお約束申し上げる。この手紙は、他言無用のこと。
ジルード殿へ。H」
マリアが読み上げるのを聞いて、フリードとジグムントは再び顔を見合わせたが、今度は驚きのためであった。
「これは、裏切りの約束のようだな。このカロヴィング家は、王家の縁戚だが、それが国王を裏切ろうとしておるようだ」
「どうしましょうか」
「放っておくさ。これを王に知らせたところで、信じては貰えまい。我々がこのカロヴィングの馬鹿息子を殺した罪に問われるだけだろう。それよりも、いよいよ戦が近いようだな。我々が名を上げる好機かもしれん」
「それにしても、この男は、なぜこの手紙を廃棄せずに持っていたのですかね」
「戦が終わった後で、約束の履行を迫るためだろう。口約束で相手を裏切らせて、事が終わると約束を反故にするのは、戦ではよくあることだ」
「もしかして、わざわざ手紙に書いたのは、もしもこの手紙が国王の手に渡ったら、フランシア国に内紛が起こるかもしれないと期待してですかね」
ジグムントは、ほほう、という顔でフリードを見た。
「お主、なかなか賢いな。おそらくそうだろう。Hというのは、エルマニア国の国王ヘンリックだろうが、つまり、エルマニア国にとっては、どっちに転んでも損はないわけだ」
フリードは、自分の身近に、国家的事件が起こっていることに、胸が高鳴るのを覚えた。そのため、マリアとの事で鬱屈していた心が、だいぶ軽くなるように感じたのであった。
第十二章 マリアの家
「カロヴィング家というのは、どんな家なのですか」
フリードはジグムントに聞いた。
「今のフランシア王、マルタンのメロリング家の縁戚で、このカロ州を納めている領主だ。カロ伯と呼ばれている」
「それがエルマニア国と内応して国王を裏切ろうとしているわけですね」
「まあな。カロは首都パーリャに近いから、ここからパーリャに侵攻されたら、危険ではあるな」
「で、我々はこれからどうします」
「まあ、マリアを両親の元に送り届けてから考えることにしよう」
ジグムントの言葉に、フリードは頷いた。
彼らがフランシアの首都パーリャに着いたのは、それから五日後だった。フリードがローラン国の家を出てからは、もう二月近くなっている。季節は夏の盛りであった。緯度の高いフランシアだが、夏はさすがに暑い。日差しを避けて木の陰で休んでいる間に街道を往来する人々の様子を眺めると、心なしかローラン国よりは、人々の身なりも洒落て洗練されているように思える。
「さすがにパーリャはにぎやかだな。まだ町に入る前から、このように人通りが多い」
田舎者のフリードは、感心して独り言を言った。山賊の砦から持ち出した服を着て、貴族風の格好はしているものの、その格好が板についていない感じで、きまりが悪い。ジグムントとマリアの方は見慣れた風景らしく、平然と周りの行き来を眺めている。
マリアの家は、パーリャの中心街にあった。大きな石造りの商家である。看板には「アキムの店」とだけ書いてある。もっとも、ほとんどが文盲であるこの時代、その看板の字を読める人間は一部の貴族と僧侶くらいのものだが。
中に入ると、広い店内は、美術館の展示場のように、様々な品が整然と並んでいる。客らしい数人の貴族の男女が、あちこちに佇んでそれらの品物を眺めて話をしている。
宝石や美術品や武具を扱う店のようだな、とフリードは見て取った。
マリアと両親の再会は、想像通りお涙頂戴物だったが、マリアの父のアキムは、なぜマリアが、自分の迎えにやった手代とではなく、妙な老人や若者と一緒なのか、疑問に思ったようであった。
「こちらの方々は? ジャンはどうしたのだ」
「実は、帰る途中で山賊に襲われて、ジャンは殺されてしまいました。この方たちが山賊から私を救って下さったのです」
マリアは言いにくそうに言った。言った事は嘘ではないが、山賊に捕らえられてからの話に大幅な省略があるのは、仕方のないところだろう。
「それはそれは、娘が大変なお世話になりました。お礼は後ほどの事にして、まずは内でごゆるりと旅の疲れを癒してください」
アキムは、自らフリードたちを自宅に案内した。
こちらの方も、かなり大きな三階建ての邸宅である。
「シモーヌや、この方々を上客用の客間にご案内して、精一杯お世話して差し上げなさい。大事なお客様だから、粗相の無いようにな」
アキムは、ちょっと意地悪そうだがきれいな顔をした女中に、そう命じた。
「はい、旦那様」
シモーヌと呼ばれた女中は、つんと澄ました顔でお辞儀をして、フリードたちをそれぞれの部屋に案内した。
フリードは、これまで、このような豪華な部屋は見たことがなかった。
部屋の壁は檜の鏡板で、表面には何か塗料が塗られて光沢を放っている。窓は、この当時の事だから、庇の下に、ガラスの代わりに、油を塗って光を透すようにした布が張られ、天井から床まで届く綴れ織りのカーテンがその両脇に掛かっている。部屋の中央には紗の蚊帳のかかったベッドがある。ベッドの木は黒檀か紫檀らしい。ヨーロッパに産する木ではないから、おそらくわざわざアフリカから取り寄せた物だろう。
隣の小部屋が風呂場になっていて、これにも驚かされる。部屋毎に風呂場がついているのは初めて見たのである。
フリードはゆっくり風呂に入って、体の疲れを癒した。夏だから水風呂だが、道中の埃と汗を流すと、爽快そのものである。
夕食は食堂で行われたが、三十人ほど座れる長テーブルの一方にアキムとその妻のサラ、マリアとジグムント、フリードの五人が固まるように座り、それに給仕が三人、女中が三人ついた。
「それで、あなた方はこれからどうなさるおつもりですか」
長い旅の話でひとしきり会話がはずんだ後、食後のリキュールを飲みながら、アキムがフリードたちに訊ねた。
「まもなく戦が始まりそうなので、それに参戦するつもりです」
フリードは答えた。
「しかし、失礼だが、あなた方は貴族ではないでしょう。ならば、一兵卒として参戦なさるのですか?」
アキムの言葉に、フリードとジグムントは顔を見合わせた。この事は、彼らも悩んでいた問題だった。
「もしも、よろしければ、傭兵隊をお作りになってはいかがですか。資金は私がお出ししますよ」
アキムは微笑を湛えて言った。
「しかし、そんなご迷惑をおかけするわけにはいきません」
フリードの言葉を手でアキムは押しとどめた。
「いやいや、あなたがたは、マリアの恩人であるばかりでなく、人柄も、武芸の腕の方も素晴らしいようだ。たった二人で、十人以上もの山賊を退治したのですからな。その腕を見込んで金を出すのです。どうせ、この国がエルマニア国との戦いに負ければ、私らの財産は、保証されないでしょう。その時、あなた方が私たちを護ってくれるなら、こんな心強い事はない。そのための金なら、少しも惜しくはありませんよ」
「そいつは嬉しい話だ。フリード、この話を受けなきゃあ罰が当たるぞ」
ジグムントは、フリードに言った。
「分かりました。有り難くお引き受けします」
「では、明日からでも私兵の募集をしてください。ぐずぐずしてはいられませんからね」
アキムは、執事に命じて、金箱から金の入った皮袋を二つ持って来させた。
「ここに、大型金貨で百枚あります。銀貨に崩せば、一万シルにはなります。これだけあれば、百人くらいの兵隊は雇えるでしょう。足りなければ、また私に言ってください」
フリードは、小さなメロンほどの大きさの、そのずっしりとした金袋を受け取った。これほどの金額を手にするのは、もちろん初めてである。
「もちろん、その金で飲み食いなさろうが、どのように使おうが、あなた方の勝手です。要は、あなた方がこの金を使って、のし上がる事です。あなた方が出世すれば、私たちにとってもいい事でしょうからね」
アキムは鷹揚な笑顔で言った。おそらく、彼の財政から言えば、この程度の金ははした金であるのだろう。
その晩は、フリードは思いがけなく手に入れた大金の事ですっかりいい気持ちになってぐっすり休んだが、一方のジグムントの方には、夜中にこっそりとマリアが忍んできて、こちらもフリード以上にいい気持ちで一夜を過ごしたのであった。