上手く書けば、「Yの悲劇」並みの名作長編小説にもできそうなアイデアだ。死者の書いたものが利用されるという点では、「Yの悲劇」と共通か。(まあ、有名な作品だから、今さらネタバレを非難されることはないだろうし、これだけのヒントでこの名作を読む気がなくなる推理小説愛好家はいないだろう。)
「用意された一着」とは将棋用語らしい。ある局面になるように布石を打ち、その局面が来ると、「用意された一着」を打つわけである。「嵌め手」というものもあるようだが、それと同じかどうかは分からない。「嵌め手」は卑怯な手段だとして「坊ちゃん」では非難されているが、現実にはどうなのだろうか。
第六章 イエスという「人物」
イエスは大工ヨセフとその妻マリアの子として生まれたが、どうやらヨセフはイエスの父ではなかったらしく、おそらく他の男によって妊娠していたマリアをヨセフがそのまま妻にしたものと思われる。その結果、多分、イエスへのヨセフの対応はよそよそしいものになっていただろうし、他の兄弟との待遇も違っていたと思われる。そのことが、イエスの「自分は神の子である」という妄想を育てたと思われる。イエスが神の子などでないことは、彼の家族の誰もが(特にマリアには)わかっていたことである。後にイエスが故郷に帰った時の、家族に対するイエスのよそよそしい態度から、彼の家族関係が伺える。
イエスがまだ群集に話しておられた時、その母と兄弟たちが、イエスに話そうと思って外に立っていた。そこで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「私の母とは誰のことか。私の兄弟とは誰のことか」。そして、弟子たちの方に手をさしのべて言われた、「ごらんなさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。天にいます私の父のみこころを行う者は誰でも私の兄弟、また姉妹、また母なのである」。
また、イエスが十二歳の時に、エルサレムに両親とともに巡礼して、神殿に一人で行き、教師たちと話をしていると、両親が彼を探しに来て、どうしてこんな所にいたのだと聞くと、イエスが「どうして私を探していたのですか。私が自分の父の家にいることをご存知なかったのですか」と答えたが、両親、つまりヨセフとマリアはその意味がわからなかったと、ルカによる福音書第二章にある。これはおかしな話であり、ヨセフはともかく、マリアは懐妊したとき、自分が神の子を産むと聖霊から告げられているはずなのに、イエスのこの言葉の意味が分からなかったとは、つまり、マリアへの受胎告知は無かったというのが事実だということになる。
ともあれ、イエスは自分が神の子だという妄想を抱いて成長した。そして、この妄想は実に珍しい思想を彼の中にもたらした。それは、自分が神であるならば、人に何を望むかというテーマである。これまでの宗教は、すべて、人が神に対してどうあるべきかという観点から考えられた思想である。だが、イエスの思想は、神の子である自分は、神と人とをどう結びつけるかというテーマで考えられたのである。ここが、キリスト教のユニークさである。その答えは、なぜ自分がこの世に生まれたかという疑問の解答でもあった。
神が、人間の女を母胎としてその子供を地上に送り込むとしたら、その目的は一つしかない。それは、人間と神とを結びつけるため、つまりアブラハムと神との契約以上に重要な契約のため、すなわち、人間を天国に招くためであるに違いない。つまり、自分、イエスは明らかにキリストであり、メシアなのである。人々はこの自分を経由することによってのみ、神へ至るのである。これがイエスの思想の基本である。そして、キリスト教の土台となった思想である。なぜエホバ教ではなくてキリスト教と言うのか。それは、キリストの教えだからだ。エホバは教えを与える存在ではない。隠れた神である。その神の真実を人々に教えるために自分はこの世に生まれた、とイエスは考えたのだろう。
そのように考えた時に、彼にとってユダヤの教父たちの存在は憎むべきものとなった。彼らは、何の資格があって、人々に知ったようなことを言うのか。何の権威があって神への導きをするのか。その資格と権威があるのは、神の子である自分だけのはずだ。
神の子である彼にとって、地上の栄華や富が問題にならないのは当然である。生まれつきの貧しさは、彼に貧しさのネガを宗教的にポジに変える思想を考えさせた。それは、地上の栄華や富は天国では無意味になるという思想である。それどころか、天国に入るのに有害ですらある。なぜなら、富も栄華もその持ち主を傲慢にし、神に対する謙虚さを失わせるからである。したがって、「心の貧しきものは幸いである。天国は彼らのものである。」(マタイによる福音書第五章)となる。これは、本来は、「貧しきものは幸いである」だったらしい。また、「富める者が天国に入るのは駱駝が針の穴を通るよりも難しい」とも言っている。ある金持ちの青年には、その持っている財産の半分を貧しい人々に与えなさいとも言っている。これらは、イエスの思想がエッセネ派的な清貧を良しとし、金持ち連中を嫌悪していた事を示している。ほとんど、共産主義に近いくらいの心情である。(そのキリスト教が、なぜ資本主義国アメリカの、金持ち層である共和党の宗教になりえるのか、不思議な話だが。あるいは、彼らは自分では聖書すら読まないような連中なのかもしれない。)
このようなイエスの教えは、貧しい人々を中心に、広く信仰されるようになった。彼は徴税人とか娼婦のように他人から蔑まれている人々をも差別せず、神への真実の信仰があれば、誰でも天国に行けると教えた。また、ユダヤ教の煩瑣な戒律を否定し、戒律が有効かどうかは、それを行う時の精神の真実さにあると言った。形式的に戒律を守ることは、神の目にはまったく無意味なことなのだと教えた。
これらのすべての教えは、既成のユダヤ教(特に裕福な連中)の立場からは、まったく憎むべきものだった。そこで、ユダヤの教父たちはイエスを殺そうと考えた。それは、資本主義国の富裕層が共産主義者を目の仇にするのとまったく同一である。
イエスの言葉の中で、自分のことをしばしば「人の子」と呼んでいることに注意したい。これは言うまでもなく「ヨセフという人物の子」ではなく、「人間の子」の意味である。そして、彼は又、神が自分の父であるという意味のことをしばしば言っている。すなわち、彼は自分を「神が、マリアという人間の腹を借りて生ませた子供」であると見なしていたのである。イエス・キリストを信仰するかどうかは、彼を神の子とみなすか、それとも只の人間とみなすかどうかである。しかし、彼が神の子であるかどうかに関わらず、思想家としての彼が、孔子やソクラテスや釈迦と並ぶ人類の教師であることに疑問は無い。キリストの神格化は逆に、彼の思想の意味するものを見えなくすることにつながっている。その顕れが、キリストの思想が捻じ曲げられた、ローマンカソリックなどの「キリスト教」という奇形の思想であり、それらの「キリスト教」は西欧人種の精神をいびつなものとしてきたのである。たとえばドストエフスキーは偉大な作家だが、彼のキリスト教理解は分析によるものではなく、信仰によるものであるから、彼の作品におけるキリスト教を普通の人間が理解するのは難しい。いや、不可能だろう。つまり、理屈ぬきの事柄を理屈で理解しようとするのは不可能なのである。たとえば、信仰的人間は、彼の頭上に広がる一面の星空を見ただけで、神の存在を信じるかもしれない。だが、分析的人間にはそのような理解の仕方はできないのである。だから、私のこの論文は、単に、非信仰的人間が聖書を見れば、どのような事実があったと推定できるかという話である。それは信仰自体の価値を否定するものではない。私はむしろ、論理をこそ冷ややかに見ている人間である。論理など、論理の扱える範囲の問題しか扱えないものだと。
(パソコン不調のため、ここで中止しておく。)
第四章 ユダヤ教と旧約聖書
ユダヤ教は、言うまでもなく、ユダヤ民族の民族宗教である。従って、その神はユダヤの神であって、その事は旧約聖書の中で繰り返し明言されている。この神は当然ながら他の民族の神々をすべて拒否し、のみならず他の神々を信ずる部族を滅ぼせと命令している。もちろん、他の部族のすべてではないにせよ、敵対する部族がある場合には、その部族の全てを殲滅せよ、と命令するのである。こうした徹底性が、ユダヤ教の特質であり、このユダヤ教的性格のままでユダヤ教が世界宗教になることが不可能だったことは自明である。
ユダヤ教は、地中海東岸の地方に住む民族の中から生まれた宗教で、その思想の特徴は「神との契約」にある。つまり、ユダヤ民族は神との契約によって選民となったということだ。この契約は双務的なものであり、ユダヤ民族は、神の与えた法と、預言者を通じて任意に与えられる神の言葉に完全に従わねばならない。その代わり、神は世界をユダヤの民に支配させるというものだ。ただし、ここで言う世界は、地中海地方一帯程度のイメージだったと思われる。(世界の創造主たる神と民族の神の矛盾については後記)
旧約聖書以外にも、ユダヤ教の聖典はあるし、むしろ他の聖典(タルムード等)の方が重視されていると言う人もいるが、旧約聖書を読むだけでも、ユダヤ教の根本は分かる。
旧約聖書は創世記から始まるが、これは地中海地方の伝説の集成であり、たとえば大洪水の話などはメソポタミア地方の神話にほとんど同じものがあるそうだ。とにかく、ユダヤ教の特質は、世界が一人の神によって作られたとしたところにある。そして、そのように世界全体を作ったはずの神でありながら、その神はユダヤ民族のことしか頭の中にないこと、他の民族に対してはむしろ敵対的な神であること、ユダヤ民族の危機に際してはその神はほとんど無力であること(そうした際に預言者が言う言葉は、「民の神への不信のためにそうなったのだ」という言い訳が常である。)などの特徴がある。
例の、バベルの塔の話の前に、「世界は一つの言葉を使っていた」とあり、バベルの塔を建てて天に至ろうとする人類の野望を妨げるために、神が人々の言葉を様々な言語に変え、彼らを世界中に分散させたとあるから、神は人類全体の神であったはずだ。だが、その話の後、急に、神がアブラムという男に命じて、父祖の地(カルデアのウルという所)を去って約束の地に行け、と命じる。そこを将来のユダヤ民族のための土地にしようというわけだ。旧約聖書では、このアブラム(後にアブラハムと改名)がユダヤ民族の祖となっている。このあたりから、全世界の神がなぜかユダヤの神になってしまうわけだ。
アブラハムは、お前の息子を神への生贄にせよという神の理不尽な命令に対して従順に従ったという「信仰心」のためにユダヤの祖となったとされている。つまり、ユダヤ民族とは、我が身可愛さのため(かどうかは知らないが、そのようにしか見えない)に息子を殺そうとした男の子孫であるようだ。ついでながら、旧約聖書の基本精神の一つは、子供は父のために犠牲にしてもよいという思想(家父長思想)である。たとえばソドムとゴモラを神が破滅させた際に、神の使いを守るために、ロトが自分の二人の娘(処女の保証付き)を暴徒の手に引き渡して自由にさせる、つまり強姦させるという記述がある。これに類した話は他にも沢山あったはずだ。もちろん、これは父のためにではなく、「神のために」子を犠牲にしたということだが、ではなぜ神のために子供を犠牲にするのかと言えば、結局は自分のためである。父と神の同一視が旧約聖書の特徴だとも言える。
ユダヤ教は、神の権威をバックにして家父長の権威維持を図った思想という側面がある。実際、「父の祝福」や「父の呪い」の持つ神聖さや威力は、神のそれと相似である。それはまるで、戦前の日本の父親が、家庭の小天皇であったのとそっくりだ。旧約聖書では、父の命令だというだけで、どのような理不尽な命令も絶対的なものとされるのである。
ユダヤ教の神が、人類全体の創造者でありながら、なぜユダヤ民族だけの神になったのかという、その根拠、つまり、なぜアブラハムが選ばれたのかという理由は旧約聖書の中では述べられない。吾が子イサクを神への生贄に差し出したのは、これは最後の試験のようなものであり、アブラハムを最初に選んだ理由ではない。その前に、神はなぜかアブラハムを選んで約束の地に行かせているのである。
取りあえず、エホバは人類の神から、ユダヤの神という立場に成り下がった。だが、この神はけっしてユダヤ民族を助けたりはしない。せいぜい、ジェリコの戦いという他部族との戦いの時に、ラッパの音で城壁を破壊する「奇跡」を見せたくらいである。(もちろん、ラッパを合図に、中に潜入していたスパイが城門を開けたことの比喩に決まっているが。)他部族と戦うか戦わないかという選択の理由も神は明確には示さない。他部族との戦いを命じる時には、ただ「彼らは神の目の前に悪しかりき」というあいまいな根拠しか述べられないし、その戦いでユダヤ民族が敗れた場合は、今度はユダヤの民は「神の目の前に悪しかりき」と言われるだけだ。神への不信心のためにユダヤ民族は罰されたのだという言い訳である。神とは、まことに便利な口実だ。ここから分かるのは、ユダヤの神とは、ユダヤの指導者層が自分の部族を支配するための装置でしかなかったのだろうということだ。
つまり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのである。
だからどうだと言うことではない。ヴォルテールも言うように、神がいなければ、作る必要がある、という考え方もできる。問題は、神が善用されるか、悪用されるかということだけだ。文明の初期には神や仏への信仰は社会秩序の維持に役立ってきた。はたして現代ではどうか。キリスト教国家アメリカは果たして、世界にとって善の存在か。そして、ユダヤ教国家イスラエルはどうか。
第五章 ユダヤ教の起源
ユダヤ人、あるいはイスラエルの民、あるいはヘブライ人は紀元前2000年頃に現在のイスラエル地方、つまり聖地エルサレムのあるあたりに移住してきた民族である。
紀元前1700年ごろから1300年ごろまで、ユダヤ民族はエジプトに定住し、そこの二級市民もしくは奴隷階級となる。なぜ、わざわざ他国の奴隷になるために移住したのかは不明だが、おそらく旱魃などの大きな自然災害があったのだろう。旧約聖書の記述によれば、ユダヤ人のヨセフという男が様々な苦難の果てにエジプトの宰相となり、その縁で彼の元の家族をエジプトに呼んだということになっている。つまり、最初から奴隷であったわけでもないようだ。だが、最初は70人程度だったユダヤ人たちが、本来のエジプト人たちを圧倒するほどに数が増えたので、エジプトのファラオ(王)がそれを怖れて彼らを奴隷の境遇に落としたと書かれている。
さらに、ファラオ(またはパロ)は、ユダヤ人が出産する時には、それが男の子なら殺せと産婆に命ずるが、産婆たちの中には、それを守らない者もいた。そうして命を救われた男の子の一人がモーゼである。彼は偶然にもパロの娘に育てられることになるが、やがて自分がユダヤ人であることを知って、自分の民族をこのエジプトでの奴隷的境遇から救い出すことを決意する。これが、旧約聖書出エジプト記の大筋である。
さて、ここで面白いのは、モーゼと「十戒」の話である。
モーゼがユダヤの民を率いて、シナイ山の麓まで来た時、ユダヤの民は長旅に疲れ、不満が溜まっていた。その状況を察知したモーゼは、一人でシナイ山に登り、「十戒」とその他の神の掟を持ち帰るのである。
言うまでもなく、それらの掟はモーゼの創作である。(これは聖書研究家にとっては常識だろう。)その掟の具体性といったら、割礼から家畜の取り扱いに至る細々としたものであり、神様が、そんなに具体的に指示などするわけもない。その例は次のようなものだ。
ユダヤ教の食事のタブーは一部の人には知られているが、たとえば、兎、豚は穢れたものなので、食ってもいけないし、死骸に触ってもいけない。水に棲む動物でヒレや鱗の無いものは食っても触れてもいけない。したがって、鰻、蟹、エビ、イカ、タコの類は駄目。昆虫では蝗などは食っていいが、その他の昆虫は駄目、などなど。食物以外のその他の細かな規則は、これもモーゼがエホバから直接に聞いたという体裁で申命記に出ている。
モーゼは、神と直接に語れるということを口実としてユダヤ民族の指導者として君臨してきたのである。その率いてきた集団の秩序が崩壊しようとしたから、彼は「神の掟」を創作する必要性を感じ、シナイ山に登ったわけだ。その時、モーゼに反抗的だった連中3000人が後にモーゼによって殺されているが、その反抗グループのリーダー格であったアロンは、なぜか咎めを受けていない。このあたりには明らかに「政治的取り引き」がある。(「民数紀略」第二十章には、ずいぶん経って後にアロンがモーゼに山で殺されたのではないかと疑われる記述がある。モーゼが山に登ると、ろくなことはない。)また、「汝殺す無かれ」という戒めは、モーゼの殺人に見られる通り、「神への反抗ならたとえ同胞であっても殺してよい」という保留によって、「実用的」なものになっている。たとえば、安息日に薪1本だかを拾った男の処置をどうするか、ということで長老たちの判断がつかなかった時、モーゼは「神に問い尋ねて」、男を石で打ち殺せ、という決定を下している。石で打ち殺すとは、皆で石を投げて、殺すという処刑方法だ。これは、たとえ薪1本でも、「神の定めた掟」を破ったから、死刑相当なのである。「神の定めた掟」の持つ厳しさが分かるだろう。そして、掟を破ることが神への反抗と見なされることで、集団の秩序が維持しやすくなったのも当然である。
アロンの場合には重罪でも許し(神への反抗という点では、アロンの罪も重罪である)、政治的な重要性の無い相手の場合には死刑にする、というのは法の実施におけるダブルスタンダードだが、このことは、この宗教規則があくまでも集団の規制のための規則であり、実は神への信仰とは無関係なものであったことを示していると言えるだろう。すなわち、法や掟は、「人間が人間を支配するために」作られたものであり、宗教(神という存在)はそれに利用されたということである。
モーゼは旅の途中で死ぬが、その後のユダヤの指導者ヨシュアは、カナンの地の先住部族を次から次へと皆殺しにし、その土地を奪ってユダヤ人のものとする。これが神の「約束の地」である。約束の地なら、神が平和的にユダヤ人のために取っておけば良さそうなものだが、他部族を殲滅して奪ったものでも、神が彼らに約束したのなら、その略奪行為は許されるという理屈らしい。ついでながら、カナンの地の近くまで来た時点でのイスラエル(ユダヤ)の民はおよそ60万人である。これだけの数の人間が大移動をしたのは、それだけでも確かに奇跡的ではあるが、食料などを持ってエジプトを出たはずはないから、当然ながらその間に無数の略奪行為があったに決まっている。書かれざる歴史だ。
引用するのも面倒だが、他部族に対する戦い方、あるいは略奪の指令の一例を挙げよう。民数紀略第三十一章
「モーゼすなわち彼らに言いけるは、『汝らは婦女どもをことごとく生かしおきしや。見よ、是らの者はバラムの謀計によりイスラエルの人々をしてベオルの事においてエホバに罪を犯さしめ、遂にエホバの会衆の中に疫病おこるに至らしめたり。されば、この子等のうちの男の子をことごとく殺し、また男と寝て男知れる女をことごとく殺せ。ただし、未だ男と寝て男知れる事あらざる女の子はこれを汝らのために生かしおくべし。云々』」
ついでに、その略奪品の例
「その略取物すなわち軍人たちが奪い獲たる物の残余(神への供物の残余)は羊67万5000、牛7万2000、驢馬6万1000、人3万2000、是未だ男と寝て男知れる事あらざる女なり。」
その処分は、神への供物にそれぞれの50分の1を取った後、戦に出た者に略奪品の半分を与え、残りを戦に出なかった者で分けるというような感じである。
エリコ(ジェリコ)の戦いの前に、エホバがモーゼに言った(とされている)言葉。
「汝らヨルダンを渡りてカナンの地に入る時は、その地に住める民をことごとく汝らの前より追い払い、その石の像(すなわち、彼らの信仰する偶像)をことごとく壊し、……その地の民を追い払って其処に住むべし。……されど汝らもしその地に住める民を汝らの前より追い払わずば、汝が残し置くところの者、……汝らを悩まさん。且つまた我は彼らに為さんと思いし事を汝らに為さん。」
つまり、敵を殲滅せよ。そうしないと、神がお前たちを殲滅するぞ、ということをモーゼは彼の率いる民に神の言葉として言ったわけだ。
ユダヤ教の基本部分は、こうしてエジプト脱出とその後の40年以上もの放浪の間に作られたと推定できるが、もちろん、その大半は、ユダヤの民族宗教を元にしてモーゼが「神の掟」を追加したものだ。つまり、宗教の伝説的部分は伝承を利用し、規則部分はモーゼの創作というわけである。
数回に分けて載せる。
イエスと「キリスト教」(キリスト教の政治的歴史)
概説
最初に中心思想を述べておく。
イエス・キリストと呼ばれた男、ナザレのイエスは、ユダヤ教を改革しようとして当時のユダヤ教指導者たちの手で始末された男である。その思想は当時の厳格な儀式典礼主義のユダヤ教を批判し、より精神的なものにしようとするものであった。
キリストは神の子ではなく、その死後に布教のために神格化された人物である。教会によってキリストの教えも変質した。その過程がここで論ずる事柄の中心であるが、それにはユダヤ教との関連、そしてローマ帝国との関連が重要である。
現在の「キリスト教」の土台は、キリストの死後100年の間に、その教えを元にして形成された。新約聖書の中にある四福音書の中の、キリストの言葉そのものが、純粋なキリストの教えであり、それ以外の記述、たとえば様々な「奇跡」は、キリストの神格化のために、記述者が付加したものである。たとえばキリストの「死後の復活」も伝道のための作り話である。そうした不合理性を除去した後に残るものが真に重要な「キリストの教え」である。(ドイツのブルトマンの「聖書の非神話化」の主張も同じ趣旨だろう。)
キリスト教はさらに「キリスト教(あるいはユダヤ教)」という一神教をローマ帝国の国教に採用しようと考えたローマの手によって変質させられた。つまり、現在の「キリスト教」は、「ローマ化したキリスト教」であり、その土台を作ったのはパウロである。パウロは熱心なユダヤ教徒であり、最初はキリスト教徒を迫害していたが、ローマからの指令によって(?)「新キリスト教」オルグ活動家となった人物である。この人物とローマ帝国の力によってキリスト教の世界宗教への道が開かれた。ローマがユダヤ教ではなくキリスト教を選んだのは、民族宗教色が強すぎるユダヤ教よりも、精神性や内面性を重視するキリスト教のほうが、ローマ人も含めて他民族を折伏し、吸収するのに向いていたからである。大事なのは、「一神教」の持つ「絶対性」であった。あるいはマルクス用語で言う「歴史的必然」と言ってもいい。つまり、「最初から正義はこちらにあり、勝利は約束されている」とする思想だ。なぜなら、他の宗教の神々が「世界内存在」であるのに、一神教は世界そのものを作った神であるから正義と勝利は保証され約束されているのである。(そうした超越神、創造主という存在と、この世の悪の存在の矛盾は、とりあえず無視すれば良い。)
キリスト教がローマ・キリスト教(国教化以前のこの段階ではローマンカソリックとはまだ言わないほうがいい。)となった頃に、キリストの教えがアレンジされ、福音書も作られた。ローマ教会によってそれまでのキリスト伝承が整理され、正典(カノン)と外典が区別された。本来のキリストの教えが正典と外典のどちらにあるかはわからないが、外典を一般大衆が目にする機会はほとんど失われ、「キリスト教」批判の契機も失われた。
ローマ・キリスト教がローマンカソリックとなっていく過程で、さらにユダヤ教への退化が生じ、現在の「キリスト教」に近づいていった。さらに、様々な教父たちによってキリストの母の神格化や三位一体説、原罪説などが加わり、ローマンカソリックという異様な「キリスト教」が出来上がった。その異様さは、かつてイエス・キリストが憎んだ「因習的ユダヤ教」とそっくりである。その因習的な部分とローマンカソリックの腐敗した上層部への反撥が宗教改革を生んだ。しかし、その新教もまた「聖書」に依拠する限りは、キリスト本来の教えと一致することはありえなかった。キリストの教えを純粋化するには、聖書中のキリストの発言のみを抽出する必要があったのである。もちろん、それすらも記述者によって歪められたものではあるが、それでもその教えの革命性は明らかである。
結論的に言えば、世間で言う「キリスト教」は、「キリストの教え」では無い、ということだ。キリスト本来の教えは、共産主義に近いほどに、この世の富と栄華を否定する思想であるから、資本主義社会とは両立できない思想である。その資本主義の牙城のアメリカが「キリスト教」国家であるなら、それは「キリストの教え」とは別のキリスト教でしかない。同様に、「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬をさし出せ」という、許しと寛容の教えがあの残虐な十字軍と両立するはずはない。そこには、ユダヤ教独特のダブルスタンダードの思想、つまり、「自分の民族に対しては倫理を守れ、だが、異民族に対してはあらゆる悪が許される」という選民思想がある。ユダヤ民族を白人種に変えれば、これが西欧国家や西欧人種の気風でもあることは、近世近代現代の歴史に明らかである。
「キリスト教」は、西欧人の考えの土台である。したがって、その思想がキリスト本来の思想といかに異なるものであるかを西欧人たちが知れば、(つまり、自分たちがキリスト教だと信じていたのは実は変装したユダヤ教であることを知れば、)彼らが自らを反省し、あるいは西欧の貪欲によって破滅しかかっているこの世界が救済される可能性への道が開かれるかもしれない。そのためにも、この論が書かれる必要性があると私は信じる。
あらかじめ言っておくが、この論への批判は、その本質的部分への批判のみに願いたい。つまり、現在の「キリスト教」は、はたして聖書の中のキリストの言葉と一致しているかどうかということだ。その点での反論はおそらく不可能だろう。現在の「キリスト教」社会ほど非キリスト教的な社会も存在しないだろうからだ。それ以外の部分は、遥かな過去の時代についての推測にしかすぎない。歴史そのものが、勝者の歴史でしかない以上、後世の人間にできることは、歴史的記述について合理的判断を心がけることだけだ。もともといい加減なものでしかない歴史的記述や資料の細部の取り扱いにいちいち文句をつけられるのは御免である。
2008年11月23日記
第一章 旧約聖書と新約聖書
まず、聖書をどう捉えるかだが、簡単に言えば、旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、新約聖書だけがキリスト教(「キリスト教」すなわち、後の変質したキリスト教とは区別する。)の聖典である。ただし、キリスト自身は実は自分がキリスト教という新しい教えを教えているつもりはなく、腐敗したユダヤ教を改革しようという「宗派内改革者」のつもりであった。だから、彼の教えの中には旧約聖書からの引用が無数にある。
しかし、彼自身のそうした意識とは裏腹に、彼の教えは旧来のユダヤ教とは水と油ほどにも違っていた。その最大の点は、「神」の性格である。「旧約」の中の神には、キリスト教の神のような愛と寛容の性格は無い。狭量で、怒りっぽく、残酷で不合理な性格の神だ。一言で言えば、困った性格の神様だが、では、キリスト教の神が正しいかと言うと、これもキリストがそう空想しただけのことだからどちらが正しいとも言えない。
「旧約」の中には、果たしてこれは一神教かと疑わせる記述などもあるが、とりあえず、ここではユダヤ教もキリスト教も一神教だという前提で話を進めていく。
第二章 キリストという呼称について
キリストとは救世主の意味であり、個人名ではない。個人名としてはイエスまたは、その出生地名と共に、ナザレのイエスと言う。英語読みならジーザスだ。
ではキリスト、つまり救世主とは何か。現在の人々が想像するような、世界全体の救済者のことではない。これは、イエスの十字架上の刑死の後、イエスこそが「キリスト」であったという考えが広まり、それが世界全体の救済者というイメージになったのである。イエスの生きていた当時の「キリスト」とは、ユダヤ民族の救済者ということである。だから、イエスの裁判では「キリスト誇称」が彼の最大の罪とされたのである。
ではなぜユダヤ民族を「救済する」必要があったのか。それは、ユダヤがローマ帝国の支配下にあったからである。それ以前にもエジプトでの奴隷的生存やバビロン捕囚の時期があり、ユダヤ民族は民族として独立できていた期間が短く、常に、他民族の圧迫の下にあったので、彼らにはいつの日かユダヤ民族を救い出し、「この世の王国」を打ち立てる人物が現れるという期待と信仰があった。
注意したいのは、「この世の王国」とは現実の国家であり、精神的なものではなかったという点だ。イエスにキリストであることを期待した人々は、彼がローマへの反抗の指導者、つまり独立運動の指導者か革命家であることを期待したのである。
第三章 当時の社会状況
イエスが生まれたのは紀元前4年(紀元前7年という説もある)だと言われている。ADとは「キリスト紀元」、キリスト誕生を紀元とすることだから「イエスはイエス・キリストが生まれる4年前(BC4年)に生まれた」ことになる。では、この両者は別人か? もちろん、同一人物である。後世の歴史家の計算間違いで、こういうナンセンスが生じただけのことだ。歴史的「事実」など、その程度のものである。
その当時、ユダヤ民族は地中海と死海の間にある狭い土地に生息していて、他の周辺民族と同様にローマの支配を受けていた。手元に資料が無いのだが、シーザーの養子で、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破ってローマの支配者になったオクタビアヌスの頃かと思われる。ユダヤの王がヘロデ、ローマから派遣されたユダヤ総督がピラトである。このあたりは、キリスト教映画などでの有名人物だ。
当時のユダヤ教は大きく分けて三つに分かれる。
まず、サドカイ派。これはユダヤ教の支配層であり、宗教的特権階級である。貴族や大土地所有者が多く、ローマに対しては妥協的態度を取っていた。(このあたりの記述は小坂井澄『キリスト教2000年の謎』を参考にしている。)
次に、パリサイ派(ファリサイ派)。学究派と言っていい。ユダヤ教を学問的に研究する姿勢に偏向していたため、イエスの批判は主としてこのグループに向けられた。つまり、「口では信仰を言うが、信仰を実践しない偽善者」というのが新約聖書での「パリサイ人」の定義である。ただし、小坂井氏の指摘にもある通り、イエスを殺させたのはパリサイ派ではなく、サドカイ派である。つまり、イエスはその革命的宗教思想の故に保守思想の一派に憎まれ殺されたのであった。イエスの思想自体にはパリサイ派との共通性も多い。
そして、エッセネ派。内面的信仰を重視する一派で、清貧と禁欲性をその特徴とする。イエスはおそらくこのエッセネ派の一人と見ていいだろう。ただし、気質的にエッセネ派であるというだけで、その集団に帰属していたということではない。前世紀中盤に発見された「死海文書」は初期のキリスト教徒迫害を逃れて隠れ住んだ、エッセネ派の残した文書と思われる。とすれば、それは福音書よりも本来のキリスト教の思想に近いものである可能性が高い。(この「死海文書」はバチカンによって秘匿され続けている。)
追記:たまたま記事を読み返して、「実存的投機」は「実存的投企」の誤りではないか、と気がついた。まあ、もともと実存主義に興味は無いから(元記事につられて)こういう誤りをしたのだが、「投企」にしてもいい訳語だとは思わない。「実存的投身」が一番適切だろう。
竹熊健太郎《一直線》
評論脳と創作脳は違う。作家にも自己批評能力は必要だが、それは「創作的自己批評」なのであって、評論家的自己批評をしてしまうと、創作は出来ない。創作には実存的投機というか、実存的バンジージャンプが必要である。昔、山田詠美さんに話を聞いた時は「馬鹿と思われてもいい覚悟」と言っていた。