第四章 ユダヤ教と旧約聖書
ユダヤ教は、言うまでもなく、ユダヤ民族の民族宗教である。従って、その神はユダヤの神であって、その事は旧約聖書の中で繰り返し明言されている。この神は当然ながら他の民族の神々をすべて拒否し、のみならず他の神々を信ずる部族を滅ぼせと命令している。もちろん、他の部族のすべてではないにせよ、敵対する部族がある場合には、その部族の全てを殲滅せよ、と命令するのである。こうした徹底性が、ユダヤ教の特質であり、このユダヤ教的性格のままでユダヤ教が世界宗教になることが不可能だったことは自明である。
ユダヤ教は、地中海東岸の地方に住む民族の中から生まれた宗教で、その思想の特徴は「神との契約」にある。つまり、ユダヤ民族は神との契約によって選民となったということだ。この契約は双務的なものであり、ユダヤ民族は、神の与えた法と、預言者を通じて任意に与えられる神の言葉に完全に従わねばならない。その代わり、神は世界をユダヤの民に支配させるというものだ。ただし、ここで言う世界は、地中海地方一帯程度のイメージだったと思われる。(世界の創造主たる神と民族の神の矛盾については後記)
旧約聖書以外にも、ユダヤ教の聖典はあるし、むしろ他の聖典(タルムード等)の方が重視されていると言う人もいるが、旧約聖書を読むだけでも、ユダヤ教の根本は分かる。
旧約聖書は創世記から始まるが、これは地中海地方の伝説の集成であり、たとえば大洪水の話などはメソポタミア地方の神話にほとんど同じものがあるそうだ。とにかく、ユダヤ教の特質は、世界が一人の神によって作られたとしたところにある。そして、そのように世界全体を作ったはずの神でありながら、その神はユダヤ民族のことしか頭の中にないこと、他の民族に対してはむしろ敵対的な神であること、ユダヤ民族の危機に際してはその神はほとんど無力であること(そうした際に預言者が言う言葉は、「民の神への不信のためにそうなったのだ」という言い訳が常である。)などの特徴がある。
例の、バベルの塔の話の前に、「世界は一つの言葉を使っていた」とあり、バベルの塔を建てて天に至ろうとする人類の野望を妨げるために、神が人々の言葉を様々な言語に変え、彼らを世界中に分散させたとあるから、神は人類全体の神であったはずだ。だが、その話の後、急に、神がアブラムという男に命じて、父祖の地(カルデアのウルという所)を去って約束の地に行け、と命じる。そこを将来のユダヤ民族のための土地にしようというわけだ。旧約聖書では、このアブラム(後にアブラハムと改名)がユダヤ民族の祖となっている。このあたりから、全世界の神がなぜかユダヤの神になってしまうわけだ。
アブラハムは、お前の息子を神への生贄にせよという神の理不尽な命令に対して従順に従ったという「信仰心」のためにユダヤの祖となったとされている。つまり、ユダヤ民族とは、我が身可愛さのため(かどうかは知らないが、そのようにしか見えない)に息子を殺そうとした男の子孫であるようだ。ついでながら、旧約聖書の基本精神の一つは、子供は父のために犠牲にしてもよいという思想(家父長思想)である。たとえばソドムとゴモラを神が破滅させた際に、神の使いを守るために、ロトが自分の二人の娘(処女の保証付き)を暴徒の手に引き渡して自由にさせる、つまり強姦させるという記述がある。これに類した話は他にも沢山あったはずだ。もちろん、これは父のためにではなく、「神のために」子を犠牲にしたということだが、ではなぜ神のために子供を犠牲にするのかと言えば、結局は自分のためである。父と神の同一視が旧約聖書の特徴だとも言える。
ユダヤ教は、神の権威をバックにして家父長の権威維持を図った思想という側面がある。実際、「父の祝福」や「父の呪い」の持つ神聖さや威力は、神のそれと相似である。それはまるで、戦前の日本の父親が、家庭の小天皇であったのとそっくりだ。旧約聖書では、父の命令だというだけで、どのような理不尽な命令も絶対的なものとされるのである。
ユダヤ教の神が、人類全体の創造者でありながら、なぜユダヤ民族だけの神になったのかという、その根拠、つまり、なぜアブラハムが選ばれたのかという理由は旧約聖書の中では述べられない。吾が子イサクを神への生贄に差し出したのは、これは最後の試験のようなものであり、アブラハムを最初に選んだ理由ではない。その前に、神はなぜかアブラハムを選んで約束の地に行かせているのである。
取りあえず、エホバは人類の神から、ユダヤの神という立場に成り下がった。だが、この神はけっしてユダヤ民族を助けたりはしない。せいぜい、ジェリコの戦いという他部族との戦いの時に、ラッパの音で城壁を破壊する「奇跡」を見せたくらいである。(もちろん、ラッパを合図に、中に潜入していたスパイが城門を開けたことの比喩に決まっているが。)他部族と戦うか戦わないかという選択の理由も神は明確には示さない。他部族との戦いを命じる時には、ただ「彼らは神の目の前に悪しかりき」というあいまいな根拠しか述べられないし、その戦いでユダヤ民族が敗れた場合は、今度はユダヤの民は「神の目の前に悪しかりき」と言われるだけだ。神への不信心のためにユダヤ民族は罰されたのだという言い訳である。神とは、まことに便利な口実だ。ここから分かるのは、ユダヤの神とは、ユダヤの指導者層が自分の部族を支配するための装置でしかなかったのだろうということだ。
つまり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのである。
だからどうだと言うことではない。ヴォルテールも言うように、神がいなければ、作る必要がある、という考え方もできる。問題は、神が善用されるか、悪用されるかということだけだ。文明の初期には神や仏への信仰は社会秩序の維持に役立ってきた。はたして現代ではどうか。キリスト教国家アメリカは果たして、世界にとって善の存在か。そして、ユダヤ教国家イスラエルはどうか。
第五章 ユダヤ教の起源
ユダヤ人、あるいはイスラエルの民、あるいはヘブライ人は紀元前2000年頃に現在のイスラエル地方、つまり聖地エルサレムのあるあたりに移住してきた民族である。
紀元前1700年ごろから1300年ごろまで、ユダヤ民族はエジプトに定住し、そこの二級市民もしくは奴隷階級となる。なぜ、わざわざ他国の奴隷になるために移住したのかは不明だが、おそらく旱魃などの大きな自然災害があったのだろう。旧約聖書の記述によれば、ユダヤ人のヨセフという男が様々な苦難の果てにエジプトの宰相となり、その縁で彼の元の家族をエジプトに呼んだということになっている。つまり、最初から奴隷であったわけでもないようだ。だが、最初は70人程度だったユダヤ人たちが、本来のエジプト人たちを圧倒するほどに数が増えたので、エジプトのファラオ(王)がそれを怖れて彼らを奴隷の境遇に落としたと書かれている。
さらに、ファラオ(またはパロ)は、ユダヤ人が出産する時には、それが男の子なら殺せと産婆に命ずるが、産婆たちの中には、それを守らない者もいた。そうして命を救われた男の子の一人がモーゼである。彼は偶然にもパロの娘に育てられることになるが、やがて自分がユダヤ人であることを知って、自分の民族をこのエジプトでの奴隷的境遇から救い出すことを決意する。これが、旧約聖書出エジプト記の大筋である。
さて、ここで面白いのは、モーゼと「十戒」の話である。
モーゼがユダヤの民を率いて、シナイ山の麓まで来た時、ユダヤの民は長旅に疲れ、不満が溜まっていた。その状況を察知したモーゼは、一人でシナイ山に登り、「十戒」とその他の神の掟を持ち帰るのである。
言うまでもなく、それらの掟はモーゼの創作である。(これは聖書研究家にとっては常識だろう。)その掟の具体性といったら、割礼から家畜の取り扱いに至る細々としたものであり、神様が、そんなに具体的に指示などするわけもない。その例は次のようなものだ。
ユダヤ教の食事のタブーは一部の人には知られているが、たとえば、兎、豚は穢れたものなので、食ってもいけないし、死骸に触ってもいけない。水に棲む動物でヒレや鱗の無いものは食っても触れてもいけない。したがって、鰻、蟹、エビ、イカ、タコの類は駄目。昆虫では蝗などは食っていいが、その他の昆虫は駄目、などなど。食物以外のその他の細かな規則は、これもモーゼがエホバから直接に聞いたという体裁で申命記に出ている。
モーゼは、神と直接に語れるということを口実としてユダヤ民族の指導者として君臨してきたのである。その率いてきた集団の秩序が崩壊しようとしたから、彼は「神の掟」を創作する必要性を感じ、シナイ山に登ったわけだ。その時、モーゼに反抗的だった連中3000人が後にモーゼによって殺されているが、その反抗グループのリーダー格であったアロンは、なぜか咎めを受けていない。このあたりには明らかに「政治的取り引き」がある。(「民数紀略」第二十章には、ずいぶん経って後にアロンがモーゼに山で殺されたのではないかと疑われる記述がある。モーゼが山に登ると、ろくなことはない。)また、「汝殺す無かれ」という戒めは、モーゼの殺人に見られる通り、「神への反抗ならたとえ同胞であっても殺してよい」という保留によって、「実用的」なものになっている。たとえば、安息日に薪1本だかを拾った男の処置をどうするか、ということで長老たちの判断がつかなかった時、モーゼは「神に問い尋ねて」、男を石で打ち殺せ、という決定を下している。石で打ち殺すとは、皆で石を投げて、殺すという処刑方法だ。これは、たとえ薪1本でも、「神の定めた掟」を破ったから、死刑相当なのである。「神の定めた掟」の持つ厳しさが分かるだろう。そして、掟を破ることが神への反抗と見なされることで、集団の秩序が維持しやすくなったのも当然である。
アロンの場合には重罪でも許し(神への反抗という点では、アロンの罪も重罪である)、政治的な重要性の無い相手の場合には死刑にする、というのは法の実施におけるダブルスタンダードだが、このことは、この宗教規則があくまでも集団の規制のための規則であり、実は神への信仰とは無関係なものであったことを示していると言えるだろう。すなわち、法や掟は、「人間が人間を支配するために」作られたものであり、宗教(神という存在)はそれに利用されたということである。
モーゼは旅の途中で死ぬが、その後のユダヤの指導者ヨシュアは、カナンの地の先住部族を次から次へと皆殺しにし、その土地を奪ってユダヤ人のものとする。これが神の「約束の地」である。約束の地なら、神が平和的にユダヤ人のために取っておけば良さそうなものだが、他部族を殲滅して奪ったものでも、神が彼らに約束したのなら、その略奪行為は許されるという理屈らしい。ついでながら、カナンの地の近くまで来た時点でのイスラエル(ユダヤ)の民はおよそ60万人である。これだけの数の人間が大移動をしたのは、それだけでも確かに奇跡的ではあるが、食料などを持ってエジプトを出たはずはないから、当然ながらその間に無数の略奪行為があったに決まっている。書かれざる歴史だ。
引用するのも面倒だが、他部族に対する戦い方、あるいは略奪の指令の一例を挙げよう。民数紀略第三十一章
「モーゼすなわち彼らに言いけるは、『汝らは婦女どもをことごとく生かしおきしや。見よ、是らの者はバラムの謀計によりイスラエルの人々をしてベオルの事においてエホバに罪を犯さしめ、遂にエホバの会衆の中に疫病おこるに至らしめたり。されば、この子等のうちの男の子をことごとく殺し、また男と寝て男知れる女をことごとく殺せ。ただし、未だ男と寝て男知れる事あらざる女の子はこれを汝らのために生かしおくべし。云々』」
ついでに、その略奪品の例
「その略取物すなわち軍人たちが奪い獲たる物の残余(神への供物の残余)は羊67万5000、牛7万2000、驢馬6万1000、人3万2000、是未だ男と寝て男知れる事あらざる女なり。」
その処分は、神への供物にそれぞれの50分の1を取った後、戦に出た者に略奪品の半分を与え、残りを戦に出なかった者で分けるというような感じである。
エリコ(ジェリコ)の戦いの前に、エホバがモーゼに言った(とされている)言葉。
「汝らヨルダンを渡りてカナンの地に入る時は、その地に住める民をことごとく汝らの前より追い払い、その石の像(すなわち、彼らの信仰する偶像)をことごとく壊し、……その地の民を追い払って其処に住むべし。……されど汝らもしその地に住める民を汝らの前より追い払わずば、汝が残し置くところの者、……汝らを悩まさん。且つまた我は彼らに為さんと思いし事を汝らに為さん。」
つまり、敵を殲滅せよ。そうしないと、神がお前たちを殲滅するぞ、ということをモーゼは彼の率いる民に神の言葉として言ったわけだ。
ユダヤ教の基本部分は、こうしてエジプト脱出とその後の40年以上もの放浪の間に作られたと推定できるが、もちろん、その大半は、ユダヤの民族宗教を元にしてモーゼが「神の掟」を追加したものだ。つまり、宗教の伝説的部分は伝承を利用し、規則部分はモーゼの創作というわけである。
数回に分けて載せる。
イエスと「キリスト教」(キリスト教の政治的歴史)
概説
最初に中心思想を述べておく。
イエス・キリストと呼ばれた男、ナザレのイエスは、ユダヤ教を改革しようとして当時のユダヤ教指導者たちの手で始末された男である。その思想は当時の厳格な儀式典礼主義のユダヤ教を批判し、より精神的なものにしようとするものであった。
キリストは神の子ではなく、その死後に布教のために神格化された人物である。教会によってキリストの教えも変質した。その過程がここで論ずる事柄の中心であるが、それにはユダヤ教との関連、そしてローマ帝国との関連が重要である。
現在の「キリスト教」の土台は、キリストの死後100年の間に、その教えを元にして形成された。新約聖書の中にある四福音書の中の、キリストの言葉そのものが、純粋なキリストの教えであり、それ以外の記述、たとえば様々な「奇跡」は、キリストの神格化のために、記述者が付加したものである。たとえばキリストの「死後の復活」も伝道のための作り話である。そうした不合理性を除去した後に残るものが真に重要な「キリストの教え」である。(ドイツのブルトマンの「聖書の非神話化」の主張も同じ趣旨だろう。)
キリスト教はさらに「キリスト教(あるいはユダヤ教)」という一神教をローマ帝国の国教に採用しようと考えたローマの手によって変質させられた。つまり、現在の「キリスト教」は、「ローマ化したキリスト教」であり、その土台を作ったのはパウロである。パウロは熱心なユダヤ教徒であり、最初はキリスト教徒を迫害していたが、ローマからの指令によって(?)「新キリスト教」オルグ活動家となった人物である。この人物とローマ帝国の力によってキリスト教の世界宗教への道が開かれた。ローマがユダヤ教ではなくキリスト教を選んだのは、民族宗教色が強すぎるユダヤ教よりも、精神性や内面性を重視するキリスト教のほうが、ローマ人も含めて他民族を折伏し、吸収するのに向いていたからである。大事なのは、「一神教」の持つ「絶対性」であった。あるいはマルクス用語で言う「歴史的必然」と言ってもいい。つまり、「最初から正義はこちらにあり、勝利は約束されている」とする思想だ。なぜなら、他の宗教の神々が「世界内存在」であるのに、一神教は世界そのものを作った神であるから正義と勝利は保証され約束されているのである。(そうした超越神、創造主という存在と、この世の悪の存在の矛盾は、とりあえず無視すれば良い。)
キリスト教がローマ・キリスト教(国教化以前のこの段階ではローマンカソリックとはまだ言わないほうがいい。)となった頃に、キリストの教えがアレンジされ、福音書も作られた。ローマ教会によってそれまでのキリスト伝承が整理され、正典(カノン)と外典が区別された。本来のキリストの教えが正典と外典のどちらにあるかはわからないが、外典を一般大衆が目にする機会はほとんど失われ、「キリスト教」批判の契機も失われた。
ローマ・キリスト教がローマンカソリックとなっていく過程で、さらにユダヤ教への退化が生じ、現在の「キリスト教」に近づいていった。さらに、様々な教父たちによってキリストの母の神格化や三位一体説、原罪説などが加わり、ローマンカソリックという異様な「キリスト教」が出来上がった。その異様さは、かつてイエス・キリストが憎んだ「因習的ユダヤ教」とそっくりである。その因習的な部分とローマンカソリックの腐敗した上層部への反撥が宗教改革を生んだ。しかし、その新教もまた「聖書」に依拠する限りは、キリスト本来の教えと一致することはありえなかった。キリストの教えを純粋化するには、聖書中のキリストの発言のみを抽出する必要があったのである。もちろん、それすらも記述者によって歪められたものではあるが、それでもその教えの革命性は明らかである。
結論的に言えば、世間で言う「キリスト教」は、「キリストの教え」では無い、ということだ。キリスト本来の教えは、共産主義に近いほどに、この世の富と栄華を否定する思想であるから、資本主義社会とは両立できない思想である。その資本主義の牙城のアメリカが「キリスト教」国家であるなら、それは「キリストの教え」とは別のキリスト教でしかない。同様に、「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬をさし出せ」という、許しと寛容の教えがあの残虐な十字軍と両立するはずはない。そこには、ユダヤ教独特のダブルスタンダードの思想、つまり、「自分の民族に対しては倫理を守れ、だが、異民族に対してはあらゆる悪が許される」という選民思想がある。ユダヤ民族を白人種に変えれば、これが西欧国家や西欧人種の気風でもあることは、近世近代現代の歴史に明らかである。
「キリスト教」は、西欧人の考えの土台である。したがって、その思想がキリスト本来の思想といかに異なるものであるかを西欧人たちが知れば、(つまり、自分たちがキリスト教だと信じていたのは実は変装したユダヤ教であることを知れば、)彼らが自らを反省し、あるいは西欧の貪欲によって破滅しかかっているこの世界が救済される可能性への道が開かれるかもしれない。そのためにも、この論が書かれる必要性があると私は信じる。
あらかじめ言っておくが、この論への批判は、その本質的部分への批判のみに願いたい。つまり、現在の「キリスト教」は、はたして聖書の中のキリストの言葉と一致しているかどうかということだ。その点での反論はおそらく不可能だろう。現在の「キリスト教」社会ほど非キリスト教的な社会も存在しないだろうからだ。それ以外の部分は、遥かな過去の時代についての推測にしかすぎない。歴史そのものが、勝者の歴史でしかない以上、後世の人間にできることは、歴史的記述について合理的判断を心がけることだけだ。もともといい加減なものでしかない歴史的記述や資料の細部の取り扱いにいちいち文句をつけられるのは御免である。
2008年11月23日記
第一章 旧約聖書と新約聖書
まず、聖書をどう捉えるかだが、簡単に言えば、旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、新約聖書だけがキリスト教(「キリスト教」すなわち、後の変質したキリスト教とは区別する。)の聖典である。ただし、キリスト自身は実は自分がキリスト教という新しい教えを教えているつもりはなく、腐敗したユダヤ教を改革しようという「宗派内改革者」のつもりであった。だから、彼の教えの中には旧約聖書からの引用が無数にある。
しかし、彼自身のそうした意識とは裏腹に、彼の教えは旧来のユダヤ教とは水と油ほどにも違っていた。その最大の点は、「神」の性格である。「旧約」の中の神には、キリスト教の神のような愛と寛容の性格は無い。狭量で、怒りっぽく、残酷で不合理な性格の神だ。一言で言えば、困った性格の神様だが、では、キリスト教の神が正しいかと言うと、これもキリストがそう空想しただけのことだからどちらが正しいとも言えない。
「旧約」の中には、果たしてこれは一神教かと疑わせる記述などもあるが、とりあえず、ここではユダヤ教もキリスト教も一神教だという前提で話を進めていく。
第二章 キリストという呼称について
キリストとは救世主の意味であり、個人名ではない。個人名としてはイエスまたは、その出生地名と共に、ナザレのイエスと言う。英語読みならジーザスだ。
ではキリスト、つまり救世主とは何か。現在の人々が想像するような、世界全体の救済者のことではない。これは、イエスの十字架上の刑死の後、イエスこそが「キリスト」であったという考えが広まり、それが世界全体の救済者というイメージになったのである。イエスの生きていた当時の「キリスト」とは、ユダヤ民族の救済者ということである。だから、イエスの裁判では「キリスト誇称」が彼の最大の罪とされたのである。
ではなぜユダヤ民族を「救済する」必要があったのか。それは、ユダヤがローマ帝国の支配下にあったからである。それ以前にもエジプトでの奴隷的生存やバビロン捕囚の時期があり、ユダヤ民族は民族として独立できていた期間が短く、常に、他民族の圧迫の下にあったので、彼らにはいつの日かユダヤ民族を救い出し、「この世の王国」を打ち立てる人物が現れるという期待と信仰があった。
注意したいのは、「この世の王国」とは現実の国家であり、精神的なものではなかったという点だ。イエスにキリストであることを期待した人々は、彼がローマへの反抗の指導者、つまり独立運動の指導者か革命家であることを期待したのである。
第三章 当時の社会状況
イエスが生まれたのは紀元前4年(紀元前7年という説もある)だと言われている。ADとは「キリスト紀元」、キリスト誕生を紀元とすることだから「イエスはイエス・キリストが生まれる4年前(BC4年)に生まれた」ことになる。では、この両者は別人か? もちろん、同一人物である。後世の歴史家の計算間違いで、こういうナンセンスが生じただけのことだ。歴史的「事実」など、その程度のものである。
その当時、ユダヤ民族は地中海と死海の間にある狭い土地に生息していて、他の周辺民族と同様にローマの支配を受けていた。手元に資料が無いのだが、シーザーの養子で、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破ってローマの支配者になったオクタビアヌスの頃かと思われる。ユダヤの王がヘロデ、ローマから派遣されたユダヤ総督がピラトである。このあたりは、キリスト教映画などでの有名人物だ。
当時のユダヤ教は大きく分けて三つに分かれる。
まず、サドカイ派。これはユダヤ教の支配層であり、宗教的特権階級である。貴族や大土地所有者が多く、ローマに対しては妥協的態度を取っていた。(このあたりの記述は小坂井澄『キリスト教2000年の謎』を参考にしている。)
次に、パリサイ派(ファリサイ派)。学究派と言っていい。ユダヤ教を学問的に研究する姿勢に偏向していたため、イエスの批判は主としてこのグループに向けられた。つまり、「口では信仰を言うが、信仰を実践しない偽善者」というのが新約聖書での「パリサイ人」の定義である。ただし、小坂井氏の指摘にもある通り、イエスを殺させたのはパリサイ派ではなく、サドカイ派である。つまり、イエスはその革命的宗教思想の故に保守思想の一派に憎まれ殺されたのであった。イエスの思想自体にはパリサイ派との共通性も多い。
そして、エッセネ派。内面的信仰を重視する一派で、清貧と禁欲性をその特徴とする。イエスはおそらくこのエッセネ派の一人と見ていいだろう。ただし、気質的にエッセネ派であるというだけで、その集団に帰属していたということではない。前世紀中盤に発見された「死海文書」は初期のキリスト教徒迫害を逃れて隠れ住んだ、エッセネ派の残した文書と思われる。とすれば、それは福音書よりも本来のキリスト教の思想に近いものである可能性が高い。(この「死海文書」はバチカンによって秘匿され続けている。)
追記:たまたま記事を読み返して、「実存的投機」は「実存的投企」の誤りではないか、と気がついた。まあ、もともと実存主義に興味は無いから(元記事につられて)こういう誤りをしたのだが、「投企」にしてもいい訳語だとは思わない。「実存的投身」が一番適切だろう。
竹熊健太郎《一直線》
評論脳と創作脳は違う。作家にも自己批評能力は必要だが、それは「創作的自己批評」なのであって、評論家的自己批評をしてしまうと、創作は出来ない。創作には実存的投機というか、実存的バンジージャンプが必要である。昔、山田詠美さんに話を聞いた時は「馬鹿と思われてもいい覚悟」と言っていた。
有名作曲家の曲で、あまり知られていない名曲をこそ紹介してほしいのだが、そういうスレッドは見た記憶がない。
14
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※記事内の曲はプレイリストにしてまとめてあります(記事下)。BGMにでもどうぞ。
皆に聴いてほしい順に貼っていくので、作曲家や作品の時代は順不同だゾ
https://www.youtube.com/watch?v=BHBNatCoYTA
ムソルグスキー ボリス・ゴドゥノフ
実在したロシア皇帝の栄華と没落を描いた、大河ドラマがお好きな方ならきっとお気に召すであろう雄渾な歴史劇
版はいろいろあるが、ここで貼ったのは作曲家が本来想定していた1869年版(初稿版)だゾ
アバドがこの作品を偏愛し、スカラ座でもコヴェントガーデンでもヴィーン国立歌劇場でも取り上げたのは有名な話だゾ
引用元: このクラシック音楽を聴け!厳選20曲を貼っていくゾ
ショスタコーヴィチ 交響曲第13番
ムツェンスク郡のマクベス夫人と並んで、ショスタコーヴィチの問題作として有名な作品
第一楽章の「インターナショナルなんて鳴り響かない、ユダヤ人を迫害する輩がこの世から消え失せる筈もないから!」にこめられた、
ショスタコーヴィチ作品の醍醐味である社会風刺・体制批判を味わって、どうぞ
クレバノフ 交響曲第3番
ショスタコーヴィチよりも早く、バビ・ヤールにまつわる曲(交響曲第1番)を書いた事で知られるウクライナの作曲家の作品
ポの糞雑魚なめくじな語学力では、作曲家と作品についてはウィキペディア以上の情報を得られなかったが、この作品にもみられるモダンな作風が災いして、不遇な人生を歩んだようだゾ
かわいそう(こなみかん)
ストヤノフ 交響曲第1番
ポの糞雑魚なめくじな語学力では、ストヤノフがブルガリア国民楽派の大家であった事、交響曲を2曲書いた事、この曲は1962年作曲と言う事位しかわからなかったが、ブルガリアがいかに豊かな音楽を育む土壌であったかよく分かる曲だゾ
シャリーノ 私の裏切りの瞳
それまで新ウィーン学派くらいしか聴いてこなかった無学なポが、真の意味で前衛音楽を真剣に聴くようになった思い出の曲だゾ
全曲盤でなくて申し訳ないが、どこを切り取っても美しい、前衛音楽はメロディがないと批判する手合いにこの曲を聴かせてやりたい(迫真)
細川俊夫 夢を織る
シャリーノやデュサパン(今回は貼らないが)と並ぶ「キレイ系」の前衛音楽作曲家だゾ
細川氏の作品はラヴェルのように精密で、豊かな感性を備えていて、聴き惚れるゾ
藤倉大 レア・グラヴィティ
下手に伝統や慣習に囚われないのが幸いしたのか、日本人で前衛音楽を書く人の作品はどれもすぐれたものが多いのだが、藤倉氏は細川氏と並んで、もっともっと有名になってよい作曲家だゾ
ブーレーズのある作品を「どこを切り取っても美しい」と評価していた藤倉氏、彼の作品もどこを切り取ってもふつくしい……(二度目)
リゲティ グラン・マカーブル
ゲポポの歌が突出して有名だが、オペラとしてもよい作品なので、一度聴いてほしいゾ
芸術としてのオペラ、娯楽としてのオペラ、両方の要素を備えた教科書のような作品だゾ
デュティユー 弦楽四重奏曲「夜はかくのごとく」
デュティユーは自伝によると弦楽四重奏曲をもう一曲作る予定だったそうだが、
それが実現せぬまま天に召されてしまって本当に残念だゾ
我々は決して多いとは言えないデュティユー作品を、
もっと大切に奏で、聴かないといけない(戒め)
シェーンベルク 狂ったピエロ
前衛音楽の旗手であったシェーンベルクを忘れるわけにはいかないゾ
人間の声の限界に挑んだこの作品、あまりにも難しく演奏機会に恵まれないのは本当残念だゾ
アイヴズ 交響曲第2番
アイヴズは面白いと思えばどんなジャンルも、
どんな技法も取り込んだ珍しい作曲家であり、
その結果作風がカオスすぎて敬遠されているのがまこと残念だゾ
この曲など一度聴けば虜になると思うゾ
ステマで申し訳ないが、ポの地元のオーケストラが9月の定期でこの曲を取り上げるので、
興味がおありの御仁は広島まで来て、どうぞ
ドーヴァーの浜辺
バーバーはアイヴズよりは素直な作風なので、アメリカ音楽を初めて聴かれるという方にはこちらを薦めるゾ
シベリウス 岸辺の樅の木の下で
グリーグやキルピネンほどではないとはいえ、
シベリウスは歌曲もたくさん書いたにも係らず、
交響曲や協奏曲ほどには演奏されないのは悲しい話だゾ
グリーグ 山の娘
グリーグの歌曲は爽やかで清々しく、夏に聴くにはぴったりだゾ
北欧の連作歌曲集は意外なほど少ないが、その中で4番を張れる作品だゾ
貴志康一 かごかき
貴志は若くして亡くなってしまったのが本当に残念だゾ
あんな貴公子然とした美男から、このような愉快な曲が出てくるのはまこと不思議だゾ
ブリテン ねじの回転
ブリテンのオペラの中で、最もコンパクトで、それでいてブリテンの美質がすべて詰まった奇跡のような作品
編成が災いして、この傑作が母国以外ではなかなか上演されないのが残念だゾ
バルトーク 青ひげ公の城
バルトークは何故オペラをこの1曲しか書かなかったんだ、訴訟
バルトークと言う人がいかに尋常でない聡明さを備えていたかよく分かる、恐ろしい曲だゾ
ザレンプスキ ピアノ五重奏曲
リストに捧げられ、彼も初演を買って出たというこの曲を聴けばザレンプスキが不世出の作曲家であった事は一目瞭然だゾ
長生きしていればどんなに素晴らしい作品を残してくれた事か……
トルドラ ヴァイオリンとピアノのための6つのソネットより露のソネット
フランクのソナタがお好きな方は絶対この曲も好きになると思うゾ
知られていないだけで、スペインにはこのような素敵な曲が沢山眠っているのだと思うゾ
シューベルト ミサ曲第6番
皆ご覧になって下さってありがとう
シューベルト兄貴に〆てもらうゾ
シューベルトの宗教音楽はミサ曲第2番とドイツミサ曲がアマチュア合唱団で取り上げられる位で、晩年の大作であるこの作品が顧みられないのはもったいない話だゾ
シューベルトのあらゆる魅力がぎっしりと詰まった「美味しい」作品だゾ
第四十一章 誕生と死
春が終わり、爽やかな初夏の風が吹き始める頃、ミルドレッドは子供を産んだ。赤銅色の髪をした可愛い男の子である。
ライオネルに約束した通り、フリードはその子にライオネルという名を付けた。
ライオネルはすくすくと成長し、丈夫な子供に育っていった。
ライオネルが五歳になった時、フリードとミルドレッドの良き友人であり、ライオネルにとっては優しい祖父の役割をしていたジグムントが死んだ。彼は自分の一生に満足し、穏やかに、眠るように死んでいったのである。その晩年を「家族」と一緒に過ごせたのは、彼にとってはもっとも嬉しい事だっただろう。
フリードは、自分にとって大きな道しるべとなり、生きる手助けを与えてくれたこの恩人を、家に近い日当たりのいい丘に埋め、墓標を立てた。十字架ではなく、名前を彫った石の墓標である。ミルドレッドが簡単な字の読み書きができたので、字は彼女が書いた。
家族三人だけの暮らしは静かで平和に過ぎていった。
フリードはライオネルに弓を教え、獲物を取る事を教えた。
ミルドレッドは、読み書きと剣を教えた。
そして、ライオネルが十歳になった時、この地方を襲った流行り病に感染して、ミルドレッドは死んだ。彼女は、村に買出しに行った時にこの病気にかかり、それはフリードとライオネルにも伝染したが、この二人は辛くも生き延びたのである。
彼女を葬った後、フリードはしばらくは悲嘆にくれ、何も手につかない状態だったが、やがて、この思い出多い山小屋で暮らす事に耐え切れず、ライオネルとともにこの山を出ることにした。
フリードは今では三十歳になっており、当時としてはけっして若くはなかったが、そのがっしりと逞しい体にはいささかの衰えも無かった。
そして、ライオネルの方は、しなやかな体の中に、野山の活動で鍛えられた頑健さを潜ませ、輝く瞳を持った美しい少年に成長していた。
顔の下半分を黒々とした髭に覆われ、肩幅広く鋭い眼差しのフリードと、細身でしなやかな体つきのライオネルの二人は、弓を肩に掛け、剣を腰に下げて、山を下りていった。
第四十二章 再び風の中へ
その頃ローラン国は、フリードの弟ヴァジルを殺して王位を簒奪したエドモンがずっと治めていたが、最初の頃の、人気取りのための寛大な施策は一年で終わり、後はいつも通りの過酷な政治が行われていた。
エルマニア国でもフランシア国でも事情は同じであり、庶民の苦しい生活の上に王侯貴族の贅沢で放恣な生活が行なわれていたのである。そして、庶民の大半は、その事に何の疑いも持たず、したがって、改善の夢も希望も持たなかった。精神的には、彼らの多くは動物レベルにあったと言ってよい。ルソーという偉人が出て、この不平等の状態に気づかせるのは、まだ八百年も後の話である。驚くべき事は、その八百年もの間、人々の暮らしがほとんど変わらなかった事ではないだろうか。つまり、現在の状態から利益を得ている人間が権力の座にあるかぎり、世の中の進歩や改善はない。保守主義とは常に「所有に伴う心的傾向」であり、既存秩序の保護、すなわち既存上位階級の利益擁護でしかないのである。
長い目で見れば、庶民生活全体の底上げが行なわれることで、社会全体の生活水準は上昇するのだが、大抵の場合、上の者は下の者から物を取り上げる事で自分たちの生活の向上を図ろうとする。抑圧された人間が、自分たちの地位や待遇の向上を求めるのは、当然であるばかりでなく、未来の人間のためでもある。現在の不平等や不公平、不正義に対する不満申し立てが圧殺されることは、実は世の中全体の進歩が圧殺されることでもあるのだ。もっとも、だからといって完全に平等な社会が共産主義などによって実現可能かどうかは、別問題である。完全平等社会そのものも、それが理想的状態かどうかは分からない。ただ、生まれや身分などによる機会の不平等などの、理不尽な不平等や不公正は、あってはならないのである。現在の日本や欧米諸国が身分社会でないなどと、誰に言えるだろう。
ともあれ、社会を変えるのは、庶民の意識であり、その点では、思想家の役割は大きい。ただし、庶民には手の届かない、学術的な高級な哲学などはまた、一部の物好きのためのものでしかない。むしろ、大衆音楽や小説や漫画など庶民に密着したメディアの中の思想のほうが、現実を変える力になりうるのではないだろうか。
フリードとライオネルは、ローラン国とフランシア国の境い目にある平坦な山脈からローラン国の側に出たのであるが、山を下りてすぐにある、フリードが以前に見たあの死滅した村には、人々が住みつき、ほそぼそと生活していた。だが、その貧しい汚い身なりや、沈鬱な顔を見れば、その生活の苦しさは一目で分かる。
この村をフリードたちはすぐに通り過ぎ、次の村に向かったが、ここもまた同じような貧しい村であった。
こうして、フリード達は、一月ほど旅を続けた。その間に見た光景は、悲惨と貧しさだけであった。
「お父さん、どうして皆こんなに貧しいの」
ライオネルは、フリードに尋ねた。
フリードは、この問いに、すぐには答えられなかった。その一部の理由は分かっている。百姓の収穫の半分近くが、領主に取り上げられているからだ。だが、それだけではない。そもそも、収穫そのものが、あまりに少ないのだ。
フリードは、考え考え、息子にそう言った。
「じゃあ、どうして収穫を増やせないの」
「畑が少ないからだ」
「だって、土地はこんなにあるよ。手を付けていない土地がたくさんあるじゃないか」
「あれは、畑にはならない土地なのだ。木の根が広がり、石ころだらけで、地味も痩せている。あれを畑にするには大変な手間が必要なのだ」
「でも、やれば畑にできるんでしょう?」
「そうだな。だが、人々は、自分の畑を耕すのに精一杯で、そんな余裕などないのだ」
「手が空いてる人はいないの?」
「たくさんいる。だが、そういう人々は貴族といって、自分たちは働かない人たちなんだ」
「そんなのおかしいよ」
「そうだな。だが、この世の中はそんなものなのだ。貴族は剣を持っていて、人々はそれに逆らう事はできない。逆らえば殺されるからな」
「ぼくたちも剣は持っているよ。でも、貴族じゃないんだろう?」
「まあな」
フリードは、自分の過去をライオネルに話した事はなかった。話せば、本当なら国王の息子として栄耀栄華を極めた人生を送れたはずが、只の猟師の息子になっている事をおそらく不満に思い、父親を恨むだろうと考えたからである。
「ぼくが国王なら、人々がみんな幸福に暮らせるような政治を行なうのになあ」
無邪気に言う息子の言葉に、フリードは過去の自分を振り返り、恥ずかしく思った。
「お前は、本当にそう思うか?」
フリードは真面目な顔で息子を見下ろした。
「勿論です」
「そうか。なら、国王になるがいい」
「まさか。そんなこと、できるわけありません」
「なぜできないと分かる。それなら、お前の言葉は本気ではないことになる。お前が本当に人々の事を考えるなら、そのために努力するがいい。国王になれるかどうか、やってみなくては分かるまい」
フリードは、実は自分も一度はローラン国とエルマニア国の国王だったのだと言いたい気持ちを抑えた。
「人間はな、自分が何者になろうと思うかで、何者になるかは決まるんだ。だが、その人間だけがいくら偉くなっても、周りの人々を幸福にしないのなら、そんな人間は偉くならないほうがいい」
フリードは、言いながら、果たして自分は周囲の人間を幸福にしただろうかと考えた。その時、脳裏に浮かび上がってきたのは、死んだジャンヌと、行方知れずのアリーの面影だった。
(俺は、あの女たちを幸福にできなかった。国王でいた間、俺はあいつらに目もくれず、他の女たちを次から次へと漁っていただけだった。まして、国の人々の事など考えたこともなかった)
フリードは心の中で、ジャンヌとアリーに謝った。
そして、この時、フリードの心には、ある決心が生まれた。ローラン国の国王エドモンを倒して、再びローラン国の国王になろうという決心である。ただし、それは自分のためではなく、人々を不幸から救うためだ。前には、敵を倒す口実として言った事を、今度は本気で実行するのだ。
かつては、偶然の歯車が噛みあって、幸運にもローラン国とエルマニア国を手に入れることができた。二度も同じような偶然に恵まれることは難しいだろう。しかし、今度は、人々全体の幸福のために戦うのである。そのためなら、自分が死んでも悔いはない。
自分のためなら、山の中で猟師としてひっそりと生きていく事に不満はない。しかし、この世の不平等と人々の不幸にはっきりと気づいた以上は、それを無視することはできない。フリードはそういう人間であった。
エドモンは弟ヴァジルの仇ではあるが、フリードはその敵討ちをしようという気は無かった。ヴァジルが殺された一因は、彼の悪政にあり、自業自得である。しかし、そのエドモンもまたこのように悪政を行なっているなら、それを倒すべきだ。
フリードは、そのように考えた。
ライオネルは、何かを考えながら、彼の傍を歩いている。フリードはその息子に優しく語りかけた。
「昔、東洋のある国で、一人の奴隷が、国王の御幸を見て、『ああ、男に生まれた以上は、あのような身分になってみたいものだ』と言ったそうだ。すると、周りの奴隷たちは、『ただの奴隷が、何を夢のような事を言っている』、と馬鹿にした。すると、その男は『小さな鳥どもには、大きな鳥の考えなど分からないのだ』、と言ったという」
ライオネルは、興味深そうな顔で、それを聞いて、尋ねた。
「それで、その男はどうなったの?」
「さあな。そこまでは知らない。だが、お前がもしも大きな鳥なら、風に乗ってどこまでも飛んで行くがいい。人間は、志が大事なのだ。何かをやろうというその意思があれば、きっとどこまでも飛んで行けるだろう」
ライオネルは、父親の逞しい体を見上げて、頷いた。
フリードは、青空を見上げた。そこには、風の中を飛んで行く一羽の鳥の姿があった。
「風の中の鳥」完