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特に目新しいものは無いが、「世間の抵抗を恐れて削除したり修正したりしない」というのは面白い。ひとつひとつの完成度にこだわらず、多作する、というのも面白い。




17年02月02日 09時00分00秒

2週間に1冊のペースで本を書いた巨匠アイザック・アシモフによる書き続けるための6つのこと

By chris

SF作家のの巨匠として知られるアイザック・アシモフ氏は、2週間で1冊の小説を書き上げるというペースを25年間も保ち続け、約500冊もの著書を手がけました。そのアシモフ氏が自身の人生について綴った本「It’s Been a Good Life」を隅から隅まで読んだというチャーリー・チューさんが、同書から本を書き続ける6つのコツをピックアップして公開しています。

Isaac Asimov: How to Never Run Out of Ideas Again – Personal Growth – Medium
https://medium.com/personal-growth/isaac-asimov-how-to-never-run-out-of-ideas-again-b7bf8e09cc91

◆1:学習し続ける
SF作家として知られるアシモフ氏ですが、コロンビア大学で化学の博士号を修得した経験を持ち、物理学や考古学などの論文や本なども手がけています。アシモフ氏は「It’s Been a Good Life」内で「学校で学んだ経験や知識があるから多くのジャンルの本を執筆することができた。それがなかったら不可能だっただろう」と、執筆における学習の重要性を語っています。

By barnyz

また、アシモフ氏は書くだけでなく多くの本を読み、その経験について「むさぼるように読んだ雑多な読書は、指導の欠如の結果として私に消えないしるしを残した。このおかげで私の興味は20の異なる方向へ喚起され、そこから得たものは頭に残っている。私は、神話や聖書、シェイクスピア、歴史、化学などについての本を書いてきた」と言及。本を書き続けるには、多くのジャンルの本を読み、そこからかき立てられた自分の興味心に従い、自分自身への投資(学習)をやめないということです。

◆2:作業に詰まっても戦わない
多くの本を書いたアシモフ氏でさえも、アイデアが思い浮かばず詰まってしまうことがあり、「SF作品を書いているときは、書くことが嫌になり言葉が思い浮かばないことがある」と話しています。

By English106

しかし、経験を積むことで作業に詰まったときの独自の解決法を構築。この解決法についてアシモフ氏は「(作業に詰まったとき)私は白紙の紙を見つめるようなことはしない。アイデアが空っぽの頭を抱えて何日も悩むようなこともしない。その代わりに、書くことから離れて他の仕事をやってみる。他の仕事に疲れを感じ始めたら、もう一度詰まっていた作業に戻ってみる。こうすると前は書けなかったことが簡単に書けたりするものだ」と話しています。

◆3:抵抗に注意
起業家や作家、アーティストなどクリエイティブな仕事に従事する人は、アイデアを世に送り出すことに恐れを抱いているとのこと。世界中に自分のアイデアを見せることで、大きな批判を浴びるのが怖いという人がいるのは当然です。アシモフ氏は他人からの批判を「抵抗」と例えていて、「普通の作家は書きつつも、不安に襲われることに縛られています。だから、文章を短くしたり、変えようとしたりしながらさまざまな自己表現方法を試行します。しかし、私が知っている限り、この抵抗を恐れて行う削除や修正に満足することは決してありません」と解説。つまり、自分の書いたことが否定される恐怖に襲われても、それに屈してはいけないいうことです。

◆4:基準を低くする
アシモフ氏は完璧主義に対して反対の立場を貫いており、「始めから完璧なものを作ろうとするのは大きな間違いだ」と説いています。毎回最高なものを書こうとする必要はなく、自分の創造性を信じて書くことが大事。失敗し、もがき苦しむのを経験してこそ、後の成功につながります。

◆5:もっと多くの本を書く
アシモフ氏は、完璧主義に対抗する手段として、多くの本を書きまくることが必要と主張しています。失敗について悩む暇がないほどに書くことで、例え失敗しても精神的なダメージをそこまで負わなくなるそうです。

By blueskyjunction photography

◆6:アイデアの生み出し方
アシモフ氏の友人の1人が「どうこからアイデアを得ているのか?」とアシモフ氏に聞いたところ、「自分自身を殺したくなるまで考えに考え抜く。素晴らしいアイデアを思いつくのが簡単だと思っているのかい?」と返答されたとのこと。また、「It’s Been a Good Life」には、「昨晩は寝られなかったので、横になりながら書くことを一晩中考えていた。悲しいパートを考えていたときには思わず涙したくらいだ。これは素晴らしい夜だった」と話しています。アイデアを生み出す作業は、アシモフ氏にとっても簡単な作業ではなかったようです。

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少し頭の体操として、今から未来の時代に起こる科学上の発明発見や社会の変化を空想してみる。それを今後200年の年表にする。

2020年代:癌の完全な治療法が確立される。大恐慌が起こる。
2030年代:気象コントロール技術が進展する。資本家糾弾運動が激化する。
2040年代:エネルギーの90%が太陽エネルギーに代わり、安価になる。
2050年代:人体の人工臓器交換技術が安価になる。新しい資本主義が提唱される。
2060年代:自動車の全面的自動運転化が開始される。世界宗教者会議が開かれる。
2070年代:老化速度緩和の方法が確立される。全宗教の和解が宣言される。
2080年代:海上都市の建設が進行する。「新国連」が発足する。
2090年代:「世界憲法」が発布され、世界共通法律ができる。
2100年代:全世界的に「基本生活保障」が社会経済の基本とされる。
2110年代:「資本主義は終わった」という宣言が「新国連」から宣言される。
2120年代:アフリカの大開発が行われ、世界の牧場となる。
2130年代:人類の自然的平均寿命が100歳となる。(自殺者を除く)
2140年代:火星開発プロジェクトが始まる。
2150年代:火星移住第一陣が火星に移住する。
2160年代:人工授精が全受精の90%以上となる。
2170年代:脳移植が一般化する。
2180年代
2190年代
2200年代
2210年代
2230年代


とりあえず、思いつきを並べただけだが、後で追加したり変更したりすることにする。
案外、誰も知らない基礎的な法律知識。





38: ドラゴンスープレックス(愛知県)@\(^o^)/ [KR] 2017/01/29(日) 23:38:51.83 ID:W/Zjs81f0
あ、これアカンやつだ

労働基準法
 (賠償予定の禁止)
 第十六条  使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、
         又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

「四条通り週末com」というブログから転載。
ハインラインの短編に、ギャングみたいな顔の男性科学者とセクシー女優みたいな見かけの女性科学者が出てくる話があるが、この2人のキャラだけは今でも記憶に残っている。もちろん、女性科学者はマリリン・モンローのイメージで、男の科学者はリチャード・ウィドマークか、ハンフリー・ボガード、まあ、後者だろう。このキャラ設定は、今考えても秀逸だと思う。
だが、たいていの映画テレビドラマ監督は、「それらしい風貌」の俳優を使うのである。
壇蜜も、女性科学者か高級官僚か総理大臣候補の政治家の役に使ってみたらどうか。
なお、壇蜜の「地球防衛未亡人」は、なかなかの出来の作品で、観て損は無い。アホSFが好きな人なら喜ぶ内容である。





      

久米宏への壇蜜の返しが上手すぎて思わず唸った話

芸能

松本です。

 

週末は嫁の母が我が家に遊びに来てくれていました。

嫁の母が来ると、娘が嫁の母にくっつきっぱなしで若干寂しいのですが、娘の面倒をそれはもう見てくれるので、かなり大助かりです。洗濯や風呂掃除と娘をお風呂に入れるのは僕がやりますが、それ以外は大体やってくれます。ご飯も美味しいですし。

 

今日は嫁は出かけて、僕と娘と嫁の母で昼ご飯を食べに行きました。その帰りに散歩していて娘は寝ました。嫁の母はその間に実家に帰ったのですが、娘が起きたときの反発が今から恐ろしいです。とりあえずなだめるために、ファミマのドーナツ買ってきました。

今日の一曲
スネイルランプは「マインドユアステップ」の一発屋と思われることが多いですが、実はそれ以降の曲の方が僕は素晴らしいと思います。特に、この曲。単なるJスカのスケールを超えた名曲です。スネイルランプは別段好きじゃない僕も、この曲だけは大好きでよくカラオケで歌います。

久米宏への壇蜜の返しが上手すぎて思わず唸った話

いつものように、何気なくヤフーニュースを見ていると、壇蜜の記事が出ていたので、見てみました。内容は久米宏とやってる番組の宣伝みたいな記事でした。

ちなみにこの番組です。

 

本の話でトークする流れで、牛窪さんという作家の「恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚」という本に触れ、最近の若者の恋愛観みたいなものを題材に二人で話していた内容です。

 

なんでもかんでも割り勘にするんだねー、みたいな会話から久米宏が僕と君がラブホに行ったらどっちが払う?という質問を壇蜜にしたようです。

 

この質問って、普通の社会人なら絶対セクハラだと言われてしまう質問ですが、ここまで直接的ではないにせよ、男ならそれに似たようなことを聞いたことあると思うんですよ。俺とあいつならどっちがいい、みたいなね。かなりぬる〜く言うとこんな感じじゃないですか。

 

しかしまぁ、質問としては大した質問ではないですよね。壇蜜が「そりゃ久米さんでしょ〜」みたいな感じで答えれば、多分報道もされないような。色々と答えようでは話も広がりそうですし、久米宏は壇蜜を試したつもりがあったのかもしれませんが。

 

それに対して、そんなことありますかねぇ、と交わしつつ、壇蜜の最終的な回答はこうでした。

 

 

「文春が払うと思います」

 

 

これ、すごくないですか。正直、よく100点満点の答えだね、なんて言うことはありますが、これ100点を超えてると思うんですよ。相手を極端にたてて変な空気にするわけでもなく、自分を大きく見せるわけでもなく、それでいて質問のクオリティを格段に上げる回答だと思います。

 

言うまでもなく、最近の芸能ニュースに絡めた回答です。私があなたと行くとすれば、それはハニートラップよ、とほのめかしています。うまく皮肉っているというか、それでいて牽制しているようにも聞こえるし、マスコミを喜ばせる要素もありますし。番宣ですから、それが大前提ですからね。

 

久米宏自身も「面白いこと言うねぇ・・・」と言ったそうですが、僕も正直感心したというか、やっぱ壇蜜は普通のセクシーさを売ってるタレントじゃないな、という感想を抱きました。頭の回転の早さが半端じゃない。こんな風に返せる女性タレントは他にはいないと思います。

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壇蜜から溢れ出る知的さは何なのか

僕は以前から思っていたんですが、壇蜜からはセクシーさよりも、知的さを強く感じるのです。知的さと言っても色々ありますが、壇蜜は日本女性的な知的さというか、なんとなく、淑女という単語がまず浮かびます。

 

まぁ、あんだけ雑誌でヌードを出していて淑女というのは、多分きっと間違った表現なんだとは思うんですが、うまく表現できないのです。こんな時に壇蜜がいれば!ぴったり合う言葉を教えてくれるのに!やばい、すでに僕自身壇蜜の虜です。多分、久米宏もこんな感じなんじゃないでしょうか。

 

でも、それと同時に思うことは、すごくもったいないなーと思うのです。もっとテレビや雑誌や色んなメディアに出て、色々発言してもいいと思うのですよ。素材的には。それがなんか色々なしがらみがあるのか、あまり出てないですよね。もったいないなぁと思うんです。

 

壇蜜が最初に出て来たとき、その経歴が取り上げられたことがありました。元々は葬儀場で働いていたとか、よく見ました。Wikipediaには芸名にあたる“壇蜜”は自ら仏教を基に考えたもので、「壇」は仏壇を、「蜜」はお供え物を意味していると書いています。ここらへんからも普通じゃないな、と思いますね。

 

男性からは割と支持されてる気がするんですが、女性からはどうなんでしょう。こういう知的な面を押し出せば、好かれるんでしょうかね。もしかしたら、鼻につくやつ!と思われるんでしょうか。そこらへんが女性タレントの難しいところですねぇ。

 

とりあえず、この番組はちょっと見てみたいと思います。また感想書こうかな。

 大好評のシリーズですが、これが文春文庫というのも面白いですね

「分裂勘違い君劇場別館」から転載。
貨幣経済だけが経済ではない、という視点は目から鱗である。この現代においてすら、貨幣経済は全国を完全に支配しているわけではないようだ。ある意味、行き詰まりになった資本主義を、新しいフェイズに導く道が、ここにあるのかもしれない。
貨幣を使わない経済というのは、貨幣が無くても生存が保障されている、という点で「原始的ベーシックインカム」と考えればいいのではないか。田舎には最初からベーシックインカムがある、ということだ。インカムを「収入」ではなく「生存資源」と考えればいい。ベーシックインカムは難しいとか不可能だと考えず、こうした「現物支給」の方向から考えていくわけである。
こうした「原始共産主義」的コミュニティでは、他者とのコミュニケーションが濃密になり、それが嫌だ、という人は多いと思う。だが、そうしたマイナス面(ともプラスとも言えるが)を最小限にするような、新しい経済社会システムを作ることは可能なような気がする。

(以下引用)

2006-08-01

ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました 18:50 ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いましたを含むブックマーク ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いましたのブックマークコメントAdd Starcolombonitinotrb-esmomu0124terapona-know


これは、ネタじゃないです。


ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました。

明後日、あのテレビで映っていた田舎に帰省するそうです。


あの特集では、見慣れた近所の風景がたくさん写されたそうです。

また、知り合いがたくさんテレビに映ったそうです。


で、典型的ワーキングプアとして紹介された田舎でテイラーをやってるおじいちゃんですが、もともと、田舎の人は、あんな店では、あまりお金を使わないそうです。


なんでも、あそこらへんは、田沢湖あたりの観光地の商売で、観光地としての田沢湖から、客足が遠のいたので、店が苦しくなったんだそうです。

田沢湖は、周辺のスキー場なんかも客足が遠のいており、観光地全体の集客力が落ちていますが、それは、単に一つの観光地の商品的魅力がなくなったり、バブルがはじけたりという話であって、「田舎が貧乏になった」ということとは、別の話だろ、ということです。*1


また、米の値段が安くなって、生活が苦しくなった農家については、「そんなことは、ずいぶん昔から、経験的に分かっており、苦しくなっていく状況に対して、なんの手も打たないまま、苦しい苦しい言っているだけのマヌケではない。より高く売れる有機農業に切り替えたり、新しい作物、新しい売り方を工夫して切り抜けてきている農家も多い。いくら田舎者だからって、そういうことにまで知恵が回らないわけもなければ、何の創意工夫もしないほど愚かな人なんていない。それどころか、田舎者は、やたらと寄り集まって、寄ると触ると情報交換して、どこか一つの農家が上手いことやるやり方を見つけると、それがあっという間に、噂で広まって、次々に同じやり方をする農家が増えていく。」という論調でした。(←Web2.0がどうの集合知がどうのというが、田舎は昔から2.0なんじゃないか?とか思った)


でも、統計を見ると、田舎の人たちの年収は少ないじゃないか、とつっこむと、「田舎の経済は、現金で動いてないから、そんな統計で生活の豊かさを計るな」という話。

はあ?貨幣経済には違いないだろ?というと、そうではないとのこと。


田舎では、野菜は、庭に植わってるやつを引っこ抜いてくるか、あるいは、雪の下に埋めておいた野菜を掘り出してくるか、でかい樽につけておいた野菜や魚(はたはたとか)をとってきて、そのまま食事を作る。


東京の人間が、子供を保育園に預けるところを、じいちゃん、ばあちゃんが面倒を見てくれる。

また、近所との物々交換的なやりとりが行われていて、ちょっとした家や車の修理を格安でやってもらうかわりに、とれた野菜を届けたり、力仕事を手伝ったりし合うのだそうだ。


そもそも、東京の人間のように、「モノに遊ばれるような遊び」をしない(侮蔑口調)、ということらしい。テーマパークに行こうにも、テーマパークなど無いし、ショッピングを楽しもうにも、ろくな店がない。(追記:もちろん、ショッピングモールはあると言っていた。アメリカの地方の低所得者層が利用するような、という自嘲気味の注釈付きだったけど。たしか、ウォルマートの主要顧客はアメリカの田舎の低所得層だという話を聞いたことがある。それでミッションステートメントが毎日低価格なんだな)

もちろん、マクドナルドなど、クソ安い店は、利用されるが、とにかく、使う現金を徹底的に抑えようとする。(ちなみに、田舎のマクドナルドは、東京の窮屈でせせこましいマクドナルドよりも、店内が広々と余裕のある作りになっていて、快適なのだそうだ。値段は同じなのに。)


もちろん、現金は必要だが、現金は、極力使わないようにするのが当たり前だし、わずかな現金しかなくても、生活が苦しいという感じはないという。自分たちが貧乏だとは、思ってないらしい。


というか、実際、東京よりも、食い物は、ずっとうまいし(そいつは、トマトが大好きだが、東京のトマトは、メタメタしていて不味くて食えないという)、風が運んできた香りや湿度で、そちらの方の山や畑の様子が、いま、どんなかんじになっているか伝わってくる。


そもそも、四季の変化というが、季節は、四つどころか、もっとずっとたくさんの、複雑で楽しい、さまざまな季節の変化があり、それらの季節の変化と山菜や木の実などの楽しみがあるという。


また、田舎モノは、いっつもみんなと一緒にいて、みんなと一緒にテレビを見て、人間関係が濃密だから、東京みたいに寂しくならないらしい。(←オイラはなんかmixiを連想した)


現金が少ないから貧乏だ、というのは、現金がないと生活が苦しくなる東京者の発想に過ぎないという話だ。

実際に暮らしてみれば分かるが、田舎暮らしが性に合っている人間は、東京よりずっと現金収入の少ない田舎の方が、はるかに豊かに快適に暮らせるという。実際、東京で暮らしていた彼の妹は、あの番組で写されていた田舎に帰って、結婚する予定だという。現実に、東京の生活を知りながら、田舎の生活の方が、豊かで快適だと判断し、それを選ぶ人間がいるのだ。


でも、なぜか自殺者が多いらしい。

濃密な人間関係は、うまくいっているときは最高だけど、もつれると地獄だからか?

その辺をつっこむのを忘れたオイラは、つっこんでおけばよかったとちょっと後悔したのだけれども。


いずれにしても、統計と動画編集を用いて、「田舎では、構造的な問題で、働く貧困層が広がっている」「それらワーキングプアの人たちは、米の価格暴落などの構造的問題に対し、なすすべもなく転落していっている」というストーリーを作り出したNHK特集に疑問符がつく話である。


確かに、働いており、現金もないし、構造的問題も起きている、というところまでは、正しいのだが、そもそも東京のような完全に近い貨幣経済ではないから「現金がない」ということはそれがそのまま「貧困」ではないし、「構造的問題が起きている」からといって、別に「なすすべがない」わけでもないのだ。


そもそも、保育園に子供を預けるかわりに、じいちゃん、ばあちゃんに子供の面倒を見てもらうことなどの、物々交換的な目に見えない経済流通や、庭や近所の山や畑や川でとれる恵みを金額換算したら、田舎の経済規模や、平均年収は、実際よりも、はるかに大きくなるはずだ。


庭で完熟したトマトを、もいできて、それをすぐ切って食卓に並べられる贅沢さを東京で味わおうとしたら、いったいいくらになるだろうか?

厳選された超高級有機野菜しか使わない一流レストランで出るサラダの味に匹敵するのではないだろうか?


実際、私は、彼の実家から毎年送られてくる、イブリガッコ(スモークされたたくわんみたいなもの)や、はたはたの漬け物のおすそわけをもらって食べている。

それを食べると、ほかほか弁当や、コンビニ弁当のまずさに鬱な気分になるほどだ。


たしかに、これらの話は、彼一人からの伝聞にすぎず、その話をどこまで信用していいものか、僕自身は、判断がつきかねている。

しかし、田舎と都会、ほんとうに貧しい生活を送っているのは、いったいどちらなのか、分かりやすいテレビ番組のように、すぱっと割り切った答えが、そう簡単に出せる問題だとも思えなくなってきたのもまた、事実なのだ。

*1:あのおじいちゃんの店って、そんなに田沢湖に近かったのかどうか、僕は裏をとってないので、彼の話がほんとかどうかは、ぼくは知らない。

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