第十六章 グエン一座
盗賊たちの歓待を受けた翌朝、グエンたちはフロス・フェリたちに別れを告げて彼らの野営地を離れた。
「もしも、あんたたちが一騒動起こしたくなったら、この森に来るがよい。力を貸すぜ」
フロス・フェリはニヤリと笑いながらグエンに片目をつぶってみせた。
「ああ、世話になった。このお礼はそのうちさせてもらう。では、さらばだ」
「ああ、また会おう。多分、また会えるさ。俺の予感は当たるんだ」
フロス・フェリは片手を上げて別れを告げた。
「さて、国境は越えたが、これからが難しいかもしれん。ランザロートまでは200ピロほどだと言ったな?」
「ええ、国境からそのくらいのはずです」
「ふむ。その間に関所が幾つかあると考えたほうがいいだろう。問題は、タイラス国王が俺たちを歓迎するかどうかだ」
「と言うと?」
「俺たちを捕まえて縛り上げ、ユラリアかサントネージュに送るということもありうるということだ」
「まさか。タイラス王妃のエメラルド様は、サントネージュ王妃の妹君ですよ?」
「だが、国王はべつにサントネージュの縁者ではないだろう。俺がタイラス国王なら、ユラリアから強く言われたら、そうするかもしれん。ユラリアを敵に回したくないならな」
フォックスは考え込んだ。
「では、どうすればいいと?」
「分からんな。一番いいのは、しばらくランザロート近辺に潜んで、タイラス宮廷の状況を調べることだ。幸いに、俺たちの素性はまだ知られてはいない。まあ、俺のこの目立つ頭が少々邪魔になるが……」
「いっその事、旅芸人のふりでもしますか」
「旅芸人?」
「そうです。旅芸人なら、そのような頭もわざとやっていると思われますから」
「なるほど。それは気づかなかった。俺はこの頭を隠すことばかり考えていたが、逆にこの頭を隠れ蓑にするわけか。面白い」
「でも、芸人が一人では、寂しいですね。私には何も芸がないので」
「あのう」
とおそるおそる声をかけたのはソフィであった。
「私、歌が歌えます。ダンも」
「へえ、そうなんだ。お足が貰えるくらい上手ならいいけど」
「お母さまはよく僕たちを、世界で一番歌が上手だとほめてくれたよ」
フォックスはグエンの方を見て苦笑いをした。母親のひいき目の言葉を、この子供たちは信じて疑わないのである。
「じゃあ、何か歌ってみてくれる? 幸い、人里や関所は遠いようだから」
ソフィはダンと目くばせをした。
「じゃあ、『バラとナイチンゲール』を」
ソフィのきれいな高音が、まるで銀の鈴を鳴らすように流れ出した。天使の声が空の高みに昇っていく。それにダンの子供らしいあどけない高音が唱和する。
グエンとフォックスはあっけにとられながら聴きほれた。これほど美しく、胸を打たれる歌を聞いたのはフォックスにとっては生まれて初めてであった。なつかしく、悲しく、そして嬉しいような寂しいような、明るく透明な歌声であった。
「まあ、何て素敵な歌なの! こんなにきれいな歌声を聞いたのは初めてよ」
歌が終わるとフォックスは思わず手を叩いて言った。
「これなら、十分に出し物になる。で、俺とお前は、剣劇でもやろう」
「剣劇ですか?」
「そうだ。ソフィとダンがお姫様と王子さまで、お前はそれを助ける剣士だ。俺が悪役をやって、お前と剣劇をするのだ」
「面白そうですね。ちょっとやってみますか」
「ああ、まずは、その辺の木の枝で木剣を作ろう。真剣でやってもいいが、わざと芝居くさくしたほうがいいだろう」
グエンは軽く剣を振って、頭上の木の枝を斬り落とした。それが地上に落ちる前にもう一度剣が動いて、枝の先も切られ、棒きれになる。
同じ要領で棒きれをもう一本作る。細かい木の枝も切りはらう。長さ1マートルほどの棒きれが2本できた。
「やってみよう。最初はお前が斬りかかってこい。俺がそれを受けたり、よけたりしよう」
「いきますよ」
どうせ自分が本気で打ちかかっても、相手がそれをよけるのは造作もないと分かっているので、フォックスには気が楽である。
何度か打ち込んでみて、改めてグエンの剣の技量が自分とは桁違いであることを実感する。「だめです、グエンがあまりにうますぎて、私の下手さが見物人にばれます」
「そうか。じゃあ、もう少しおおげさにやろう。本気で殴ってもいいぞ。棒で殴られたぐらいなら俺は平気だ」
今度は、先ほどのようにわずか一寸ほどで体をかわすのではなく、おおげさに飛び下がったり、飛び上がったりして木剣をよけると、逆に迫力とユーモラスさが出る。それを見てソフィとダンは歓声を上げて大喜びである。なるほど、芝居とはこういうものか、とグエンもフォックスも悟るところがあった。
時にはグエンが反撃に出るが、もちろんフォックスの体に当たる寸前で剣は止める。しかし、見ている方には、フォックスが相手の剣を軽くさばいたように見える。
「真剣でやったら、すごい出し物になるでしょうけどねえ」
「いや、それはまずいだろう。俺たちの正体を隠すのが目的なのだから、べつにそれほど客受けを考えなくてよい」
「グエンの頭はそのままでやるの?」
ダンが聞いた。
「お面をかぶればいいじゃない」
「まあな。それもいいが、お面を作る材料がない」
「人里に出たら、芝居衣装や小道具を作る材料を探してみましょう」
「私はグエンの頭はそのままでもいいと思うわ。どうせお芝居だとみんな思っているのだから、かえってその頭は好都合よ」
ソフィの言葉にフォックスも「そうね」と同意した。
「俺は、怪物の役でもいいぞ」
「あら、そんなつもりじゃないの。お芝居なんだから、奇抜なほうがいいと思うのよ。その頭は、それだけで観客をびっくりさせるわ」
「ふむ、そうだろうな。客を喜ばせるにこしたことはない。では、俺は剣ではなく、棍棒か何かを持とう」
「それもいいわね。で、お願いなんだけど、上半身は裸でやるのはいやかしら?」
フォックスの言葉にグエンは少し考えた。
「できるだけ人間離れしていたほうがいいということだな。まあ、かまわんさ」
「そうじゃなくて、グエンのその素晴らしい体は、それだけで立派な出し物になるのよ。それを服で隠すのはもったいないと思うの」
「まあ、どんな案でも試してみるさ。では、そろそろ行こうか。腹もへってきたし、昼食をするのにいい場所でも探そう」
この章は、話の中心から逸れるので、後で削除する可能性があるが、書いたものを消すのももったいないから載せておく。アベンチュラは、副主人公格で登場する予定の人物だが、彼に関する話はまったく考えていないのである。
(第十五章 アベンチュラ)
トゥーランの東から南にかけては海に面しているが、その東南部にある港町のシノーラは商業船と漁船の両方が集まるにぎやかな街で、どちらかというと商業船の出入りが多かった。商業船とは、いうまでもなく貿易船で、各地の物産を交易するための船だが、旅客なども乗せたりする。今も、停泊している帆船が十隻ほどある。
その船の一つから下りてきたのは、かなり背の高いたくましい男で、赤銅色に日焼けし、顔じゅう鬚だらけなので年齢は分からない。赤毛の長い髪もぼさぼさで、赤毛のライオンといった風貌である。上半身は素肌にチョッキだけで裸に近く、ズボンも水夫風だが、水夫ではない証拠が、その腰に帯びた剣である。鞘に入っていても、水夫などが持つ剣でないことはわかる。まあ、もともと水夫は剣ではなくナイフを腰帯に挿すのが普通だが。
眩しい日差しに目を細めて、彼は船のタラップを降りてきた。タラップと言っても粗末な梯子だ。それを軽々とした足取りで、下を一度も見ずに降りてきたところは、やはり水夫のようにも見える。肩に、長い棒に結んだ信玄袋のような袋をかついでいるが、腰の剣は別としておそらく彼の全財産がその中に入っているのだろう。
「ウオゥ、半月ぶりの陸地だ。気持ちがいいなあ!」
地面に降り立つと、彼は無邪気な歓声をあげた。
港に集まる人足や商人の群れを掻き分けて、彼は居酒屋へ直行する。
「酒だ、酒だ、酒をくれえ!」
大声で怒鳴ると、店員が慌てて持ってきた酒杯を一息であける。
「うまいっ! どんどん持って来い!」
陽気な大声に酒場の客たちはもの珍しげに彼を見るが、男の無邪気な喜び方に、誰もが微笑を浮かべている。
「お兄さん、どこから来た?」
彼の前に腰を下ろしたのは、近くの席で飲んでいた男で、年齢は30歳くらいだろうか、黒髪で口髭を生やした洒落た感じの男である。身なりは騎士階級の人間のようだ。
「俺か? ファルカタからだ。知っているか?」
「ああ、インドラの西の港町だな。俺も行ったことはある。暑くて弱ったな。象牙やダイヤや翡翠をそこで仕入れて、高く売ったものだ」
「あんたは商人か?」
「まあ、そんなものだ」
「そうだ、と言わないところを見ると、本物の商人じゃないな」
「いろんな事をしているからな。あんたはシノーラに滞在するつもりか?」
「いや、生まれ故郷に帰るつもりだ。タイラスへな」
「タイラスか。タイラスのどこだ?」
「ランザロートだ」
「ほほう、首都か。あんた、貴族だな?」
「こんな汚い格好の貴族かい?」
「話し方で分かるさ。それに、その腰の剣でな」
「これか。これは俺の命から2番目に大事な剣だ。先祖代々の遺産でな。まあ、俺にはこれしか財産は無いんだが」
「あんた、腕が立ちそうだな」
「まあ、弱くはないと思う」
「どうだい、俺もこれから旅に出ようと思っていたんだが、一緒に旅をしないか? 俺の名はキャリバンだ。」
「いいだろう。俺はアベンチュラだ。よろしく」
「よし、そうと決まれば、ここの勘定は俺のおごりだ」
「すまんな。俺は飲むぜ?」
「大丈夫だ。今のところは、俺の懐は温かい」
「最初に言っておくが、おごられたからと言って、遠慮はしないぜ。まあ確かに、今の俺は懐が寂しいから、あんたがおごってくれるのは嬉しいがな」
「もちろんだ。遠慮は無しだ」
「よし、おい、給仕、酒をどんどん持って来い。それと食い物もだ」
二人の前にはあっと言う間に、酒壺と食い物が並んだ。鉄串に刺して焼いた羊の焼肉や、鍋で炒めた野菜、それに魚の燻製などだ。酒はヤシの果汁を発酵させて作ったヤシ酒のほか、果実酒が何種類かある。
二人は酒と食い物を交互に口に運び、すっかりいい機嫌になった。
第十三章 フロス・フェリの野望
グエンたちが寝ている間も酒宴は続き、その話題は当然あの虎の頭の男のことである。しかし、フロス・フェリは何か他の事を考えているらしく、他の連中の話には上の空だった。
「どうしたんだい?」
アンバーが聞いた。
「いや、何な。あの子供たちのことだ」
他の者たちには聞かれないように、低い声で答える。
「ありゃあ、おそらくサントネージュの姫君と王子様だな」
「へえ、なるほど、そう言えば、数日前にサントネージュの王宮が陥落したという噂が伝わってきたねえ。王子と姫は一緒に死んだとも、脱出したとも言われていたけど、確かに、あれほどきれいで品のいい子供たちは、貴族にも滅多にいないね。……、で、どうするつもり? まさかユラリアに売り渡すつもりじゃないだろうね?」
「べつにサントネージュに恩義は無いが、ユラリア、トゥーラン、タイラスを含めた四つの中では一番善政が敷かれていた国だ。その中で最悪のユラリアに味方しちゃあ、俺の人気に関わるな」
「どうせ山賊なんだから、人気はどうでもいいだろうけど、見るからにいい子供たちだから、敵の手には渡したくないねえ」
「まあな。それに、ここが考えどころなんだが、あいつらがここに来たのは、俺たちにとって、もしかしたら途轍もない幸運になるかもしれねえ」
「まあ、考えていることは想像つくよ。あの連中を神輿にかついで、サントネージュ再興の軍勢を作ろうとでも言うんだろう? でも、簡単なことじゃないよ。山賊仕事と戦とはまったくべつだからね」
「それは承知の上だ。だがな、もしもこれが成功したら、お前、一気に公爵伯爵さまも夢じゃないぜ」
「反対はしないよ。でも、緑の森の盗賊は今、全部で11人だけだし、これから知り合いを集めてもせいぜい20人くらいだろう? とてもじゃないけど、軍隊にはなりゃあしないよ」
「まあ、見ていろ、物事には勢いってものがある。その勢いを作れば、今は10人程度でも、それが100人1000人にふくらむさ。それに、実はとてつもない隠し玉もある」
「何だい?」
「アベンチュラの事だよ」
「ああ、あいつか。今頃どうしているかねえ」
「旅から旅の風来坊をやってるだろうよ。だが、俺の睨んだところでは、あいつはタイラスの貴族の息子だ。あいつの持っている剣は、そんじょそこらの騎士が持てるような物じゃないぜ」
「なぜタイラスだと?」
「言葉つきだな。軽いタイラス訛りがあった」
「ふうん。でも、多分貴族社会が嫌で、風来坊になった人間なんだろ? 好んで貴族のいざこざに巻き込まれることがあるかね」
「そりゃあ、話してみないと分からん。だが、面白い勝負じゃないか。運命という奴は、こういう好機をつかむか見逃すかで決まるものさ」
「占ってやろうか?」
「いや、やめとく。占いって奴は嫌いだ。俺は自分の手で運命を切り開きたいんだ。運命に操られるのは御免だ」
「それにしても、ここにはいないアベンチュラを当てにするんだから、占いよりももっと雲を掴むような話だね。まあ、夢は寝てから見るもんさ。私はおいしい酒とおいしい御馳走があれば世の中はそれで十分だと思うがねえ」
「そうでない奴もいるさ。お前の妹のモーリオンもその一人じゃねえか」
「あの子は小さい頃から私とは違っていたからね。あいつも起きていて夢を見る人間さね。ご苦労なこった」
第十四章 ランザロート
グエンがフロス・フェリに「ランザロート」という町の名を言ったのは、そこがタイラスの首都で、フォックスたちはそこに向っていると聞いていたからである。「薔薇色の大地」という言葉から生まれたのが町の名前で、確かにこの町が存在する一帯は薔薇色の土からできていたが、オリーブとオレンジとブドウ以外にはあまり作物が無く、地味が肥えているとは言えなかった。地味が痩せていることはタイラスという国全体に言えることで、タイラスは周辺の国々に比べても、やや貧しい国だった。西のサントネージュは肥沃な土地に恵まれて、農業が栄えており、北のユラリアには森林資源や鉱物資源が多い。また南のトゥーランはエーデル川の下流域に当たり、ここも肥沃な平野が広がっている上に、多くの漁港にも恵まれている。
昔はタイラスを治める国王たちは自国の貧しさから脱するためにしばしば他国の富を求めて、土地を接する国々への侵略を繰り返したものだが、10年戦争と呼ばれる長い戦争の後、ユラリア・タイラス・トゥーラン・サントネージュの四カ国が和平条約を結び、この12年の間、平和が続いていたのである。それが破れたのが、ユラリアによるサントネージュ侵略だった。
和平戦略の一環として、この四カ国の間には政略結婚も幾つか行われていたので、この平和はまだしばらく続くかと思われていたのだが、縁戚関係の無いユラリアとサントネージュの縁談が不成立になり、その怒りに任せてユラリアが一気にサントネージュを攻め滅ぼしたわけだが、その直接の原因は第四王位継承者、アルト・ナルシスの陰謀にあった。王を暗殺し、ユラリアから政権を預かる形でサントネージュの王位に彼が就くというのが、あらかじめの約束であったが、もちろんユラリアはその約束など反古にするつもりだし、アルト・ナルシスもそれくらいは読んでいた。だが、平和の眠りが終われば、戦乱の中で自分が王位に就く機会はいくらでもあるというのがアルト・ナルシスの考えだった。
「たとえ、失敗に終わっても、その方が面白いじゃないか」
夜の闇の中で、ランプを灯したテーブルに頬杖をついて、彼は夢想に耽る。その瞳には他人の命を平気で賭け事のチップにできる人間の深淵がある。
フォックスたちがタイラスの首都ランザロートに行くことの予想は彼にはついていた。この国に安全な場所の無い彼らは叔母のエメラルドを頼っていくしかないはずだ。だが、タイラス国王はユラリアの縁者でもある。
早馬の密使を送り、彼らが王宮に来たらすぐに身柄を拘束するようにとナルシスは伝言してあった。ユラリア侵攻軍を指揮するセザールとグレゴリオからも同様の伝言が行っているだろうと予測はついているが、同じ内容なのだから問題は無い。
「あわれなサファイア姫、ダイヤ王子よ、お前たちは自分を待ち受ける罠の中に、自分から飛び込んでいくのだ」
ナルシスの瞳に嗜虐的な笑いの色が浮かんだ。
第十二章 緑の森の盗賊たち
「地面に伏せろ!」
グエンは焚き火に革袋の水をかけて消し、消し残った数本を川に放り込むと、他の者たちに指示した。
地面に伏せると、彼らに近づく者は夜空を背景にすることになり、姿が見える。
あたりは漆黒の闇に見えたが、地面に伏せた態勢からだと、案外と背景との違いが見える。それに、目が闇に慣れ始めてきた。
相手の数は3名、とグエンは数えた。大人の男が3名だ。べつに忍び足ではなく、普通の足取りで近づいてくる。殺気は無いようだが、グエンは用心深く見守った。
「おおい、そこの方たち。俺たちは敵じゃない。まあ、まともな人間でもないが」
のんびりとした調子で、相手のうちの一人が奇妙なことを言った。
「緑の森の盗賊団というのが俺たちの名だが、貧しい者や弱い者からは奪わないのが俺たちだ」
「緑の森の盗賊団?」
フォックスが呟いた。
「知っているのか?」
「ええ。タイラス、トゥーラン、サントネージュの三つの国の国境近くに住んでいる盗賊団です。今言ったように、金持ちや貴族からしか金は奪わないのですが……」
「しかし、お前たちも貴族ではあるわけだな」
「はい。どうしましょう」
「まあ、あいつらの話を聞いてみるさ。こちらの正体は明かすこともあるまい」
グエンは立ち上がった。
闇の中でも相手を威圧するようなその巨体に、彼らに近づいた3人は驚いたようだ。
「俺たちは、国境破りをしてきた者だ。だが、お前たちも盗賊なら、俺たちの仲間のようなものだろう。俺たちをお客として扱うか? それとも獲物として扱うか?」
グエンは淡々と言った。怯えてもいないし、激してもいない、その声に、相手は予想が狂ったようである。
「ほほう、なかなかの豪傑のようだな。そういう男は大歓迎だ。我々の宿に案内しよう」
3人の中の兄貴分らしい年配の男が言った。
「俺の名は、フロス・フェリ、緑の森の盗賊団の頭だ」
「俺はグエン、後は俺の家族だ」
「サントネージュから来たようだな。とすると、亡命貴族か」
「貴族というほどではないが、ユラリアによる残党狩りから逃れてきた」
「そうか。まあ、俺たちについて来い。悪いようにはせん」
フロス・フェリと名乗った男は、くるりと後ろを向いて歩き出した。他の二人もそれに続く。
グエンは後ろの三人に頷いてみせて、フロス・フェリたちの後から歩き出した。
森の茂みの中を歩くのは昼間でも厄介だが、まして夜の闇の中だと、前に行く者の跡をしばしば見失いそうになる。しかし、グエンの鋭い聴覚は、前を行く者たちの居場所を常に把握していたから、足弱な子供たちが追い付くのを待ちながらでも、行く先を見失うことは無かった。
やがて森の中の空き地に出た。それは、周りを木々に囲まれた草の原であった。ここでは穏やかな初夏の夜風が草や木々の匂いを運び、上空に空いた空間には三日月と星空が見えている。そして、この空き地には天幕が10ほど張られ、その中央では焚き火が焚かれていた。焚き火を囲んで、7,8名ほどの男たちが座っている。手には土器の酒杯をそれぞれに持っているようだ。
「お頭が帰ってきたぜ」
「お帰り、お頭!」
口々に声が上がる。
「獲物は無かったが、客人を連れてきた」
フロス・フェリの言葉に、その仲間たちは彼の後ろから近づいて来るグエン一行を見る。闇の中であるから、その姿はすぐには分らない。
しかし、焚き火の明かりの中にグエンの全貌が現れた時、フロス・フェリも含めて盗賊たちから一斉にどよめきの声が上がった。
身の丈2マートルという、滅多にない身長にも驚くが、それよりも、その広い肩幅と、さらにその上にある虎の頭は、度胸のある盗賊たちにも、ある畏怖の気持ちを起こさせた。
「お、お前、何者だ」
「仮面をかぶっているんだろう?」
盗賊たちは口ぐちに言う。
「だが、すげえ体だな。酒樽モンマスよりもでけえや」
「おい、モンマス、あいつに勝てるか?」
盗賊の一人に声をかけられたのは、こちらも身の丈2マートルに近い大男だが、逆三角形の筋肉質の体をしたグエンとは違って、かなりの肥満体の男だ。だが、固肥りの体で、力強い感じである。
「虎と戦ったことは無いが、まあ、得物を持って戦うなら、勝てんことはないだろう」
モンマスは、髭面をグエンに向けて値踏みするように見て、そううそぶく。
「そう焚きつけるな。こちらはお客さんだからな。まあ、こちらへ来な」
フロス・フェリは焚き火の上座らしい席に座ると、グエンに声をかけた。
焚き火の中に浮かび上がったフロス・フェリの姿は、年齢は40前後と見えた。長身でたくましい肩をし、角張った顔形に黒く長い髪、黒い口髭を生やしている。快活そうな明るいブルーの目をしているのだが、夜の今は、その色合いまでは他人にはわからない。
かついでいた弓と、腰の剣は、今は体の傍に置いてある。
グエンはフロス・フェリが示した座席に腰を下ろし、その側にフォックスと子供たちも座った。
「これはまあ、きれいなお姉ちゃんだ。あんたの奥さんかい?」
「まあな」
グエンの返答に、フォックスは一瞬微妙な表情になったが、そう質問した盗賊に笑顔を向けて頷いた。
「まだ若いのに、大きな子供がいるんだな」
「ああ。こう見えてもこの女はもう40近いんだ」
グエンはそうとぼけたが、フォックスはむっとした。
ソフィとダンは、今の役割を必死で理解した。
「お父ちゃん、お腹空いた」
ダンが言った。
「ああ、そうか。どうかこの子たちに何かやってくれないか」
「おお、これは気が利かなくてすまなかった。おい、チャルコ、そのシチューと鹿の焼肉を子供たちに出してやれ」
「へい」
フロス・フェリの命令に、盗賊の中の下っ端らしい若者が従う。
錫で出来た皿にシチューを入れて、子供たちに与える。
「あんたたちはその辺のものを勝手に食べてくれ」
「かたじけない」
グエンは言って、腰のナイフを抜き、焚き火の側の焼き串に刺さっている、でかい鹿の焼肉を大きく切り取る。
まず、フォックスに手渡し、次に自分の分を取る。
「塩もあるぞ。それに、キノコ入りのソースもな」
「ほう、これは御馳走だ。山賊というのはいい暮らしだな」
「それなりの危険はあるがな。まあ、土地に縛られた百姓の暮らしよりはいい。どうだ、お前たちも仲間に入らんか?」
「申し出は嬉しいが、タイラスのランザロートに女房の親戚がいて、そこを訪ねる予定なのだ。まあ、行ってみて歓迎されないようなら、その時は考えてみよう」
「女房持ちじゃあ、この山犬たちの間で奥さんの身が危ないよ」
背後の影からそう声がかかった。
闇の中から現われたのは、年の頃は20代後半くらいの女で、浅黒い肌に放浪民特有の派手な重ね着をしている。首の周りの大きな首飾りが目立つ。
「アンバー姉さん、俺たちにだって仁義はあるぜ。仲間の女房など寝取るものか」
山賊の一人が不平そうに抗議する。
「わかったもんかね。お前はモーリオンのことであやうくジャスパーと殺し合うところだったじゃないか」
「まあ、あれは、モーリオンが俺とジャスパーに二股かけていたからだ。ジャスパーとはもう仲直りしたからいいじゃないか」
「それに、モーリオンはもうとっくにここにはいない人間だ。昔のことはいい」
フロス・フェリがとりなすように言う。
アンバーと呼ばれた女は、グエンとフロス・フェリの間に割り込むように座った。
「へえ、その頭、本物かい?」
「ああ、そのようだ。外すことはできぬ。この牙もすべて本物だ」
「珍しいねえ。名前は?」
「グエンだ」
「聞いたことが無いねえ。私は、あちこちの国に行ったことがあるけど、あんたのような虎の頭の人間の話は聞いたことが無い。もちろん、神話のミノタウロスやセイレーンなど、人と動物が合体した生き物の話はあるけど、あれはまあ、伝説だからねえ。ちょっと触っていいかい?」
許可を待たず、アンバーはグエンの顔に触れた。遠慮なくその皮膚を引っ張り、唇をめくって牙を確認する。
「本当だ。この頭は本物の虎の頭だよ。奥さん、虎とキスするのはどんな気持ちだい?」
「ま、まあ、慣れてしまったから」
「言っちゃあ悪いけど、よく結婚する気になったねえ。まあ、頼もしいと言えば、これほど頼もしい男もいないだろうけどね。私が見た感じでは、この人は、相当の勇者だね」
「ええ。この上無い勇者です」
「お話の途中だが、子供たちは疲れて眠そうだ。この子たちを寝かせる場所はあるかな?」
グエンが口を挟んだ。これ以上会話が続くと、余計な詮索をされると思ったからだ。
「アンバーの天幕を貸してやれ。アンバーは俺の天幕に来ればいい」
「ああ、いいよ。四人寝るくらいの広さはあるから」
「有難い。では、途中で退出するのは失礼だが、俺たちはもう寝かせて貰おう。俺も女房も少々疲れているのでな」
アンバーの天幕に入るとグエンはまずフォックスに謝った。
「先ほどは済まなかった。女房ということにしておいたほうが、山賊たちもあんたに手を出しにくいだろうと思ったのでな」
「いい考えだったわ。でも、私はまだ24ですから」
「40近いと言ったのも、あいつらのあんたへの興味を無くさせるための方便だ」
「多分そうだとは思いましたが、私、そんなにふけて見えます?」
「いや、若々しいと思う」
「なら、いいです。これからは、私は38歳で通します」
「済まんな」
グエンとフォックスの会話を興味深げに聞いていたダンが言った。
「フォックスとグエンは結婚するの?」
「いや、これはお芝居だ。我々の身を守るためのな」
「グエンとフォックスが僕たちのお父さんお母さんだなんて、何だか変な気分だな」
「ダン、これはお芝居ではなく、本当にそうなのだと思って行動するのですよ」
ソフィが姉さんらしく教える。
「はあい」
「じゃあ、もう寝ましょうか」
奥にダン、その次にソフィ、その次にフォックスが横になり、入口の側にグエンがその巨体を横たえると、天幕がほぼ一杯になった。
やがて天幕の中に寝息の音が立ち始める。グエンも眠ったが、彼は寝ていても、かすかな気配で目を覚ますことができることをすでに自覚していたので、就寝中に敵に襲われることは心配していなかった。
第十一章 渡河
目指すタイラスで先のような会話がなされているとは知らず、グエンとフォックスは、いかにして国境を突破するかの相談をしていた。
グエンは、そのまま関所を突破すればいいという意見だったが、フォックスはそれほど能天気な作戦は取りたくなかった。いくらグエンが抜群の武勇の持ち主でも、100名近くの兵士がいるという国境の砦のそばの関所を大人二人だけで突破できるとは思えない。大人二人とは言っても、実際に敵に当たれるのはグエンだけだろう。フォックスは、せいぜい子供二人を守るくらいだ。
「それでいい。お前が子供たちを守っていてくれれば、敵は俺一人で何とかする」
フォックスの言葉にグエンは笑い顔のような表情でそう言った。虎の顔そのものだのに、なぜかそれが笑い顔に見えるのは、グエンの顔を他の者たちが見慣れて、微妙な表情の区別がつくようになってきたからだろうか。
グエンの話し方も、ずいぶんまともになってきている。これまでのような、ブツブツと切るような話し方ではなくなっている。流暢でこそないが、普通に口の重い人間程度の話し方になっている。
フォックスの話では、ここから国境までは、おそらくあと1日の距離だろうということだ。もちろん、彼女もここに来たのは初めてであるが、少し前に通った分かれ道の道標に国境まで20ピロとあったのである。
風に混じる水の音をグエンの鋭い聴覚は聞きつけた。
「近くに川があるな。水の匂いもする」
グエンは空気の匂いをかいだ。
「エーデル川ですね。では、すぐに国境です」
「この道をそのまま進めば、どうしても関所を通ることになるが、俺としても無駄に人を殺したくはないから、ほかの場所から川を渡れないか、探してみよう」
グエンは口では言わなかったが、タイラス国を通過する際に、あまり人目につかないほうがいいのではないかという気もしていたのである。兵士たちと大立ち回りをして国境を突破しては、自分たちの所在を多くの人に知られてしまう。兵士の100人程度を相手にするのに不安は無いが、その全員を殺すことは困難だろう。とすると、その場を逃げ出した兵士の口からグエンたちの足跡が知られてしまう。また、タイラス国内で兵士たちに不審尋問され、思わぬ害を受けないものでもない。潜行するのがやはり最良の方法かと、グエンは考えを変えていた。
荷車は道から離れた茂みの中に隠し、食糧などの荷物を載せた馬を引いてグエンたちは林の中に入っていった。子供たちも当然、歩くことになる。
やがて断崖に出た。この場所から下を流れる川までの高さは70マートルほどだろうか。反対側の断崖の高さも同じようなものだ。しかし、じっくり見ると、400マートルほど下流では木々の緑が川から数マートル程度まで下りている。つまり、崖の高さが低くなっている。川幅もそこはやや狭いようだ。おそらく80マートル程度か。
上流の方を見ると、ここから300マートルほど離れたところに吊橋がかかっている。先ほど進んでいた道をさらに行くと、あの吊橋に出たわけだが、しかしその前にサントネージュ側の関所があり、吊橋を渡るとタイラス側の関所があるはずだ。
「あの、下流の低い部分から渡ることにしよう。ちょうど、川が曲がって上流の関所のあたりからは見えなくなっている。俺たちのいるこの崖が川の曲がり角だ」
「しかし、川をどのようにして渡るのです?」
「お前は泳ぎはできないのか?」
「私はできますが、子供たちは無理です」
「子供たちは俺が二人とも背中にかついで泳ぐ」
「そんなことができますか?」
「多分な。俺の首に両側からしがみついていればよい。どうだ?」
グエンはソフィに聞いた。
ソフィは一瞬しかためらわなかった。
「やってみます。ダン、大丈夫よね? 絶対に手を離しちゃだめよ」
「うん、大丈夫だよ」
「良い子だ」
グエンは頷いて微笑んだ。
さらに林の中を下流方向に向かって進み、やがて川に下りていけそうな場所に来た。かなりの急勾配だが、下りていくことはできる。馬たちとは別れるしかない。荷物を馬から下ろし、グエンが肩にかつぐ。
何度か足を滑らしながらも4人は何とか崖を下りて河原に着いた。
ほっと息をついて一休みする。時刻は午後4時ころだろうか。崖の間の河原だから、すでにあたりは暗い。
軽い食事をして、いよいよ渡河にとりかかる。
まず、グエンと子供たちを長い布で結びつける。この布はキダムの村を出る時に、グエンの意見で購入してあったものだ。山越えをする時に、ロープ状のものが必要になるという見通しによるものである。通常のロープよりも、布のほうが様々な利用価値がある。
子供たちとの間は短めに、そしてフォックスとグエンの間は4マートルほどの長さで結びつける。これはフォックスが泳ぐ邪魔にならないようにだ。
「では、いくぞ。心の準備はいいな? 絶対に俺の首から手を放すなよ」
グエンの言葉に二人の子供は頷く。
グエンが川に入るすぐ後に子供たちが続き、腰ほどの深さになった時に、グエンは身を沈めて首だけが川面に出るようにした。その意図を理解して子供たちは両側からグエンの首に抱きつく。
「苦しくないですか?」
ソフィの言葉にグエンはにやりと笑う。
「いや、少しも。もっと強くしがみついたほうがいい。俺の首の太さは子供の力で窒息などしない」
ソフィとダンはそれを聞いて、もっと強くグエンの首にしがみつく。
「それくらいでいい。ではいくぞ。顔をずっと水の外に出しているのだぞ?」
「はい!」
グエンは平泳ぎの要領で静かに泳ぎ出した。
遅れないように、フォックスもその後に続く。
泳いでいると、水面の上は案外と明るく、また真上にある空は河原にいた時よりも明るく見える。
(この人がいなかったら、私たちはどうなっていただろう。あのサルガスの野でグエンと出会ったのは、何と幸運なことだったことだろうか)
先を泳ぐグエンを見ながら、フォックスは考えていた。そのグエンは子供二人を背中に背負い、しかも腰には荷物の袋をつなぎながら、何の苦もなさそうに泳いでいく。身一つのフォックスの方が、遅れそうになるほどだ。
幸いなことに、川の流れは穏やかで、やがてグエンとフォックスの足は反対側の川床に触れた。
彼らが川岸に上がった時には、あたりは完全に夕闇に包まれていた。
季節は初夏だが、このあたりは高地だからやや寒い。濡れたままの体だと病気になる危険がある。砦や関所からは見えないことを期待して、グエンたちは火打石を使って火を起こした。枯れ枝を積み上げ、それに火をつける。
やがて、炎が高々と上がった。その周りに4人は集まって体を乾かす。
水に濡れた干し肉も炙り直し、そのうちの幾つかを夜食にする。
彼らのいるあたりは明るいが、少し離れた所は真っ暗である。
「誰だ!?」
グエンが低い誰何の声を上げた。闇の中から彼らに近づく者の気配を感じたのである。