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第十三章 フロス・フェリの野望

 

グエンたちが寝ている間も酒宴は続き、その話題は当然あの虎の頭の男のことである。しかし、フロス・フェリは何か他の事を考えているらしく、他の連中の話には上の空だった。

「どうしたんだい?」

アンバーが聞いた。

「いや、何な。あの子供たちのことだ」

他の者たちには聞かれないように、低い声で答える。

「ありゃあ、おそらくサントネージュの姫君と王子様だな」

「へえ、なるほど、そう言えば、数日前にサントネージュの王宮が陥落したという噂が伝わってきたねえ。王子と姫は一緒に死んだとも、脱出したとも言われていたけど、確かに、あれほどきれいで品のいい子供たちは、貴族にも滅多にいないね。……、で、どうするつもり? まさかユラリアに売り渡すつもりじゃないだろうね?」

「べつにサントネージュに恩義は無いが、ユラリア、トゥーラン、タイラスを含めた四つの中では一番善政が敷かれていた国だ。その中で最悪のユラリアに味方しちゃあ、俺の人気に関わるな」

「どうせ山賊なんだから、人気はどうでもいいだろうけど、見るからにいい子供たちだから、敵の手には渡したくないねえ」

「まあな。それに、ここが考えどころなんだが、あいつらがここに来たのは、俺たちにとって、もしかしたら途轍もない幸運になるかもしれねえ」

「まあ、考えていることは想像つくよ。あの連中を神輿にかついで、サントネージュ再興の軍勢を作ろうとでも言うんだろう? でも、簡単なことじゃないよ。山賊仕事と戦とはまったくべつだからね」

「それは承知の上だ。だがな、もしもこれが成功したら、お前、一気に公爵伯爵さまも夢じゃないぜ」

「反対はしないよ。でも、緑の森の盗賊は今、全部で11人だけだし、これから知り合いを集めてもせいぜい20人くらいだろう? とてもじゃないけど、軍隊にはなりゃあしないよ」

「まあ、見ていろ、物事には勢いってものがある。その勢いを作れば、今は10人程度でも、それが100人1000人にふくらむさ。それに、実はとてつもない隠し玉もある」

「何だい?」

「アベンチュラの事だよ」

「ああ、あいつか。今頃どうしているかねえ」

「旅から旅の風来坊をやってるだろうよ。だが、俺の睨んだところでは、あいつはタイラスの貴族の息子だ。あいつの持っている剣は、そんじょそこらの騎士が持てるような物じゃないぜ」

「なぜタイラスだと?」

「言葉つきだな。軽いタイラス訛りがあった」

「ふうん。でも、多分貴族社会が嫌で、風来坊になった人間なんだろ? 好んで貴族のいざこざに巻き込まれることがあるかね」

「そりゃあ、話してみないと分からん。だが、面白い勝負じゃないか。運命という奴は、こういう好機をつかむか見逃すかで決まるものさ」

「占ってやろうか?」

「いや、やめとく。占いって奴は嫌いだ。俺は自分の手で運命を切り開きたいんだ。運命に操られるのは御免だ」

「それにしても、ここにはいないアベンチュラを当てにするんだから、占いよりももっと雲を掴むような話だね。まあ、夢は寝てから見るもんさ。私はおいしい酒とおいしい御馳走があれば世の中はそれで十分だと思うがねえ」

「そうでない奴もいるさ。お前の妹のモーリオンもその一人じゃねえか」

「あの子は小さい頃から私とは違っていたからね。あいつも起きていて夢を見る人間さね。ご苦労なこった」

 

 

第十四章 ランザロート

 

 グエンがフロス・フェリに「ランザロート」という町の名を言ったのは、そこがタイラスの首都で、フォックスたちはそこに向っていると聞いていたからである。「薔薇色の大地」という言葉から生まれたのが町の名前で、確かにこの町が存在する一帯は薔薇色の土からできていたが、オリーブとオレンジとブドウ以外にはあまり作物が無く、地味が肥えているとは言えなかった。地味が痩せていることはタイラスという国全体に言えることで、タイラスは周辺の国々に比べても、やや貧しい国だった。西のサントネージュは肥沃な土地に恵まれて、農業が栄えており、北のユラリアには森林資源や鉱物資源が多い。また南のトゥーランはエーデル川の下流域に当たり、ここも肥沃な平野が広がっている上に、多くの漁港にも恵まれている。

昔はタイラスを治める国王たちは自国の貧しさから脱するためにしばしば他国の富を求めて、土地を接する国々への侵略を繰り返したものだが、10年戦争と呼ばれる長い戦争の後、ユラリア・タイラス・トゥーラン・サントネージュの四カ国が和平条約を結び、この12年の間、平和が続いていたのである。それが破れたのが、ユラリアによるサントネージュ侵略だった。

和平戦略の一環として、この四カ国の間には政略結婚も幾つか行われていたので、この平和はまだしばらく続くかと思われていたのだが、縁戚関係の無いユラリアとサントネージュの縁談が不成立になり、その怒りに任せてユラリアが一気にサントネージュを攻め滅ぼしたわけだが、その直接の原因は第四王位継承者、アルト・ナルシスの陰謀にあった。王を暗殺し、ユラリアから政権を預かる形でサントネージュの王位に彼が就くというのが、あらかじめの約束であったが、もちろんユラリアはその約束など反古にするつもりだし、アルト・ナルシスもそれくらいは読んでいた。だが、平和の眠りが終われば、戦乱の中で自分が王位に就く機会はいくらでもあるというのがアルト・ナルシスの考えだった。

「たとえ、失敗に終わっても、その方が面白いじゃないか」

夜の闇の中で、ランプを灯したテーブルに頬杖をついて、彼は夢想に耽る。その瞳には他人の命を平気で賭け事のチップにできる人間の深淵がある。

フォックスたちがタイラスの首都ランザロートに行くことの予想は彼にはついていた。この国に安全な場所の無い彼らは叔母のエメラルドを頼っていくしかないはずだ。だが、タイラス国王はユラリアの縁者でもある。

早馬の密使を送り、彼らが王宮に来たらすぐに身柄を拘束するようにとナルシスは伝言してあった。ユラリア侵攻軍を指揮するセザールとグレゴリオからも同様の伝言が行っているだろうと予測はついているが、同じ内容なのだから問題は無い。

「あわれなサファイア姫、ダイヤ王子よ、お前たちは自分を待ち受ける罠の中に、自分から飛び込んでいくのだ」

ナルシスの瞳に嗜虐的な笑いの色が浮かんだ。

 

 

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第十二章 緑の森の盗賊たち

 

「地面に伏せろ!」

グエンは焚き火に革袋の水をかけて消し、消し残った数本を川に放り込むと、他の者たちに指示した。

地面に伏せると、彼らに近づく者は夜空を背景にすることになり、姿が見える。

あたりは漆黒の闇に見えたが、地面に伏せた態勢からだと、案外と背景との違いが見える。それに、目が闇に慣れ始めてきた。

 

相手の数は3名、とグエンは数えた。大人の男が3名だ。べつに忍び足ではなく、普通の足取りで近づいてくる。殺気は無いようだが、グエンは用心深く見守った。

 

「おおい、そこの方たち。俺たちは敵じゃない。まあ、まともな人間でもないが」

のんびりとした調子で、相手のうちの一人が奇妙なことを言った。

「緑の森の盗賊団というのが俺たちの名だが、貧しい者や弱い者からは奪わないのが俺たちだ」

 

「緑の森の盗賊団?」

フォックスが呟いた。

「知っているのか?」

「ええ。タイラス、トゥーラン、サントネージュの三つの国の国境近くに住んでいる盗賊団です。今言ったように、金持ちや貴族からしか金は奪わないのですが……」

「しかし、お前たちも貴族ではあるわけだな」

「はい。どうしましょう」

「まあ、あいつらの話を聞いてみるさ。こちらの正体は明かすこともあるまい」

グエンは立ち上がった。

闇の中でも相手を威圧するようなその巨体に、彼らに近づいた3人は驚いたようだ。

 

「俺たちは、国境破りをしてきた者だ。だが、お前たちも盗賊なら、俺たちの仲間のようなものだろう。俺たちをお客として扱うか? それとも獲物として扱うか?」

グエンは淡々と言った。怯えてもいないし、激してもいない、その声に、相手は予想が狂ったようである。

「ほほう、なかなかの豪傑のようだな。そういう男は大歓迎だ。我々の宿に案内しよう」

3人の中の兄貴分らしい年配の男が言った。

「俺の名は、フロス・フェリ、緑の森の盗賊団の頭だ」

「俺はグエン、後は俺の家族だ」

「サントネージュから来たようだな。とすると、亡命貴族か」

「貴族というほどではないが、ユラリアによる残党狩りから逃れてきた」

「そうか。まあ、俺たちについて来い。悪いようにはせん」

フロス・フェリと名乗った男は、くるりと後ろを向いて歩き出した。他の二人もそれに続く。

グエンは後ろの三人に頷いてみせて、フロス・フェリたちの後から歩き出した。

 

森の茂みの中を歩くのは昼間でも厄介だが、まして夜の闇の中だと、前に行く者の跡をしばしば見失いそうになる。しかし、グエンの鋭い聴覚は、前を行く者たちの居場所を常に把握していたから、足弱な子供たちが追い付くのを待ちながらでも、行く先を見失うことは無かった。

やがて森の中の空き地に出た。それは、周りを木々に囲まれた草の原であった。ここでは穏やかな初夏の夜風が草や木々の匂いを運び、上空に空いた空間には三日月と星空が見えている。そして、この空き地には天幕が10ほど張られ、その中央では焚き火が焚かれていた。焚き火を囲んで、7,8名ほどの男たちが座っている。手には土器の酒杯をそれぞれに持っているようだ。

 

「お頭が帰ってきたぜ」

「お帰り、お頭!」

口々に声が上がる。

 

「獲物は無かったが、客人を連れてきた」

フロス・フェリの言葉に、その仲間たちは彼の後ろから近づいて来るグエン一行を見る。闇の中であるから、その姿はすぐには分らない。

しかし、焚き火の明かりの中にグエンの全貌が現れた時、フロス・フェリも含めて盗賊たちから一斉にどよめきの声が上がった。

身の丈2マートルという、滅多にない身長にも驚くが、それよりも、その広い肩幅と、さらにその上にある虎の頭は、度胸のある盗賊たちにも、ある畏怖の気持ちを起こさせた。

「お、お前、何者だ」

「仮面をかぶっているんだろう?」

盗賊たちは口ぐちに言う。

「だが、すげえ体だな。酒樽モンマスよりもでけえや」

「おい、モンマス、あいつに勝てるか?」

盗賊の一人に声をかけられたのは、こちらも身の丈2マートルに近い大男だが、逆三角形の筋肉質の体をしたグエンとは違って、かなりの肥満体の男だ。だが、固肥りの体で、力強い感じである。

「虎と戦ったことは無いが、まあ、得物を持って戦うなら、勝てんことはないだろう」

モンマスは、髭面をグエンに向けて値踏みするように見て、そううそぶく。

「そう焚きつけるな。こちらはお客さんだからな。まあ、こちらへ来な」

フロス・フェリは焚き火の上座らしい席に座ると、グエンに声をかけた。

焚き火の中に浮かび上がったフロス・フェリの姿は、年齢は40前後と見えた。長身でたくましい肩をし、角張った顔形に黒く長い髪、黒い口髭を生やしている。快活そうな明るいブルーの目をしているのだが、夜の今は、その色合いまでは他人にはわからない。

かついでいた弓と、腰の剣は、今は体の傍に置いてある。

グエンはフロス・フェリが示した座席に腰を下ろし、その側にフォックスと子供たちも座った。

「これはまあ、きれいなお姉ちゃんだ。あんたの奥さんかい?」

「まあな」

グエンの返答に、フォックスは一瞬微妙な表情になったが、そう質問した盗賊に笑顔を向けて頷いた。

「まだ若いのに、大きな子供がいるんだな」

「ああ。こう見えてもこの女はもう40近いんだ」

グエンはそうとぼけたが、フォックスはむっとした。

ソフィとダンは、今の役割を必死で理解した。

「お父ちゃん、お腹空いた」

ダンが言った。

「ああ、そうか。どうかこの子たちに何かやってくれないか」

「おお、これは気が利かなくてすまなかった。おい、チャルコ、そのシチューと鹿の焼肉を子供たちに出してやれ」

「へい」

フロス・フェリの命令に、盗賊の中の下っ端らしい若者が従う。

錫で出来た皿にシチューを入れて、子供たちに与える。

「あんたたちはその辺のものを勝手に食べてくれ」

「かたじけない」

グエンは言って、腰のナイフを抜き、焚き火の側の焼き串に刺さっている、でかい鹿の焼肉を大きく切り取る。

まず、フォックスに手渡し、次に自分の分を取る。

「塩もあるぞ。それに、キノコ入りのソースもな」

「ほう、これは御馳走だ。山賊というのはいい暮らしだな」

「それなりの危険はあるがな。まあ、土地に縛られた百姓の暮らしよりはいい。どうだ、お前たちも仲間に入らんか?」

「申し出は嬉しいが、タイラスのランザロートに女房の親戚がいて、そこを訪ねる予定なのだ。まあ、行ってみて歓迎されないようなら、その時は考えてみよう」

 

「女房持ちじゃあ、この山犬たちの間で奥さんの身が危ないよ」

背後の影からそう声がかかった。

闇の中から現われたのは、年の頃は20代後半くらいの女で、浅黒い肌に放浪民特有の派手な重ね着をしている。首の周りの大きな首飾りが目立つ。

「アンバー姉さん、俺たちにだって仁義はあるぜ。仲間の女房など寝取るものか」

山賊の一人が不平そうに抗議する。

「わかったもんかね。お前はモーリオンのことであやうくジャスパーと殺し合うところだったじゃないか」

「まあ、あれは、モーリオンが俺とジャスパーに二股かけていたからだ。ジャスパーとはもう仲直りしたからいいじゃないか」

「それに、モーリオンはもうとっくにここにはいない人間だ。昔のことはいい」

フロス・フェリがとりなすように言う。

アンバーと呼ばれた女は、グエンとフロス・フェリの間に割り込むように座った。

「へえ、その頭、本物かい?」

「ああ、そのようだ。外すことはできぬ。この牙もすべて本物だ」

「珍しいねえ。名前は?」

「グエンだ」

「聞いたことが無いねえ。私は、あちこちの国に行ったことがあるけど、あんたのような虎の頭の人間の話は聞いたことが無い。もちろん、神話のミノタウロスやセイレーンなど、人と動物が合体した生き物の話はあるけど、あれはまあ、伝説だからねえ。ちょっと触っていいかい?」

許可を待たず、アンバーはグエンの顔に触れた。遠慮なくその皮膚を引っ張り、唇をめくって牙を確認する。

「本当だ。この頭は本物の虎の頭だよ。奥さん、虎とキスするのはどんな気持ちだい?」

「ま、まあ、慣れてしまったから」

「言っちゃあ悪いけど、よく結婚する気になったねえ。まあ、頼もしいと言えば、これほど頼もしい男もいないだろうけどね。私が見た感じでは、この人は、相当の勇者だね」

「ええ。この上無い勇者です」

「お話の途中だが、子供たちは疲れて眠そうだ。この子たちを寝かせる場所はあるかな?」

グエンが口を挟んだ。これ以上会話が続くと、余計な詮索をされると思ったからだ。

「アンバーの天幕を貸してやれ。アンバーは俺の天幕に来ればいい」

「ああ、いいよ。四人寝るくらいの広さはあるから」

「有難い。では、途中で退出するのは失礼だが、俺たちはもう寝かせて貰おう。俺も女房も少々疲れているのでな」

 

アンバーの天幕に入るとグエンはまずフォックスに謝った。

「先ほどは済まなかった。女房ということにしておいたほうが、山賊たちもあんたに手を出しにくいだろうと思ったのでな」

「いい考えだったわ。でも、私はまだ24ですから」

「40近いと言ったのも、あいつらのあんたへの興味を無くさせるための方便だ」

「多分そうだとは思いましたが、私、そんなにふけて見えます?」

「いや、若々しいと思う」

「なら、いいです。これからは、私は38歳で通します」

「済まんな」

グエンとフォックスの会話を興味深げに聞いていたダンが言った。

「フォックスとグエンは結婚するの?」

「いや、これはお芝居だ。我々の身を守るためのな」

「グエンとフォックスが僕たちのお父さんお母さんだなんて、何だか変な気分だな」

「ダン、これはお芝居ではなく、本当にそうなのだと思って行動するのですよ」

ソフィが姉さんらしく教える。

「はあい」

「じゃあ、もう寝ましょうか」

奥にダン、その次にソフィ、その次にフォックスが横になり、入口の側にグエンがその巨体を横たえると、天幕がほぼ一杯になった。

やがて天幕の中に寝息の音が立ち始める。グエンも眠ったが、彼は寝ていても、かすかな気配で目を覚ますことができることをすでに自覚していたので、就寝中に敵に襲われることは心配していなかった。

 

第十一章 渡河

 

目指すタイラスで先のような会話がなされているとは知らず、グエンとフォックスは、いかにして国境を突破するかの相談をしていた。

グエンは、そのまま関所を突破すればいいという意見だったが、フォックスはそれほど能天気な作戦は取りたくなかった。いくらグエンが抜群の武勇の持ち主でも、100名近くの兵士がいるという国境の砦のそばの関所を大人二人だけで突破できるとは思えない。大人二人とは言っても、実際に敵に当たれるのはグエンだけだろう。フォックスは、せいぜい子供二人を守るくらいだ。

「それでいい。お前が子供たちを守っていてくれれば、敵は俺一人で何とかする」

フォックスの言葉にグエンは笑い顔のような表情でそう言った。虎の顔そのものだのに、なぜかそれが笑い顔に見えるのは、グエンの顔を他の者たちが見慣れて、微妙な表情の区別がつくようになってきたからだろうか。

グエンの話し方も、ずいぶんまともになってきている。これまでのような、ブツブツと切るような話し方ではなくなっている。流暢でこそないが、普通に口の重い人間程度の話し方になっている。

 

フォックスの話では、ここから国境までは、おそらくあと1日の距離だろうということだ。もちろん、彼女もここに来たのは初めてであるが、少し前に通った分かれ道の道標に国境まで20ピロとあったのである。

 

風に混じる水の音をグエンの鋭い聴覚は聞きつけた。

「近くに川があるな。水の匂いもする」

グエンは空気の匂いをかいだ。

「エーデル川ですね。では、すぐに国境です」

「この道をそのまま進めば、どうしても関所を通ることになるが、俺としても無駄に人を殺したくはないから、ほかの場所から川を渡れないか、探してみよう」

グエンは口では言わなかったが、タイラス国を通過する際に、あまり人目につかないほうがいいのではないかという気もしていたのである。兵士たちと大立ち回りをして国境を突破しては、自分たちの所在を多くの人に知られてしまう。兵士の100人程度を相手にするのに不安は無いが、その全員を殺すことは困難だろう。とすると、その場を逃げ出した兵士の口からグエンたちの足跡が知られてしまう。また、タイラス国内で兵士たちに不審尋問され、思わぬ害を受けないものでもない。潜行するのがやはり最良の方法かと、グエンは考えを変えていた。

 

荷車は道から離れた茂みの中に隠し、食糧などの荷物を載せた馬を引いてグエンたちは林の中に入っていった。子供たちも当然、歩くことになる。

 

やがて断崖に出た。この場所から下を流れる川までの高さは70マートルほどだろうか。反対側の断崖の高さも同じようなものだ。しかし、じっくり見ると、400マートルほど下流では木々の緑が川から数マートル程度まで下りている。つまり、崖の高さが低くなっている。川幅もそこはやや狭いようだ。おそらく80マートル程度か。

上流の方を見ると、ここから300マートルほど離れたところに吊橋がかかっている。先ほど進んでいた道をさらに行くと、あの吊橋に出たわけだが、しかしその前にサントネージュ側の関所があり、吊橋を渡るとタイラス側の関所があるはずだ。

「あの、下流の低い部分から渡ることにしよう。ちょうど、川が曲がって上流の関所のあたりからは見えなくなっている。俺たちのいるこの崖が川の曲がり角だ」

「しかし、川をどのようにして渡るのです?」

「お前は泳ぎはできないのか?」

「私はできますが、子供たちは無理です」

「子供たちは俺が二人とも背中にかついで泳ぐ」

「そんなことができますか?」

「多分な。俺の首に両側からしがみついていればよい。どうだ?」

グエンはソフィに聞いた。

ソフィは一瞬しかためらわなかった。

「やってみます。ダン、大丈夫よね? 絶対に手を離しちゃだめよ」

「うん、大丈夫だよ」

「良い子だ」

グエンは頷いて微笑んだ。

 

さらに林の中を下流方向に向かって進み、やがて川に下りていけそうな場所に来た。かなりの急勾配だが、下りていくことはできる。馬たちとは別れるしかない。荷物を馬から下ろし、グエンが肩にかつぐ。

何度か足を滑らしながらも4人は何とか崖を下りて河原に着いた。

ほっと息をついて一休みする。時刻は午後4時ころだろうか。崖の間の河原だから、すでにあたりは暗い。

軽い食事をして、いよいよ渡河にとりかかる。

まず、グエンと子供たちを長い布で結びつける。この布はキダムの村を出る時に、グエンの意見で購入してあったものだ。山越えをする時に、ロープ状のものが必要になるという見通しによるものである。通常のロープよりも、布のほうが様々な利用価値がある。

子供たちとの間は短めに、そしてフォックスとグエンの間は4マートルほどの長さで結びつける。これはフォックスが泳ぐ邪魔にならないようにだ。

「では、いくぞ。心の準備はいいな? 絶対に俺の首から手を放すなよ」

グエンの言葉に二人の子供は頷く。

グエンが川に入るすぐ後に子供たちが続き、腰ほどの深さになった時に、グエンは身を沈めて首だけが川面に出るようにした。その意図を理解して子供たちは両側からグエンの首に抱きつく。

「苦しくないですか?」

ソフィの言葉にグエンはにやりと笑う。

「いや、少しも。もっと強くしがみついたほうがいい。俺の首の太さは子供の力で窒息などしない」

ソフィとダンはそれを聞いて、もっと強くグエンの首にしがみつく。

「それくらいでいい。ではいくぞ。顔をずっと水の外に出しているのだぞ?」

「はい!」

グエンは平泳ぎの要領で静かに泳ぎ出した。

遅れないように、フォックスもその後に続く。

泳いでいると、水面の上は案外と明るく、また真上にある空は河原にいた時よりも明るく見える。

(この人がいなかったら、私たちはどうなっていただろう。あのサルガスの野でグエンと出会ったのは、何と幸運なことだったことだろうか)

先を泳ぐグエンを見ながら、フォックスは考えていた。そのグエンは子供二人を背中に背負い、しかも腰には荷物の袋をつなぎながら、何の苦もなさそうに泳いでいく。身一つのフォックスの方が、遅れそうになるほどだ。

幸いなことに、川の流れは穏やかで、やがてグエンとフォックスの足は反対側の川床に触れた。

彼らが川岸に上がった時には、あたりは完全に夕闇に包まれていた。

 

季節は初夏だが、このあたりは高地だからやや寒い。濡れたままの体だと病気になる危険がある。砦や関所からは見えないことを期待して、グエンたちは火打石を使って火を起こした。枯れ枝を積み上げ、それに火をつける。

やがて、炎が高々と上がった。その周りに4人は集まって体を乾かす。

水に濡れた干し肉も炙り直し、そのうちの幾つかを夜食にする。

彼らのいるあたりは明るいが、少し離れた所は真っ暗である。

 

「誰だ!?」

グエンが低い誰何の声を上げた。闇の中から彼らに近づく者の気配を感じたのである。

第九章  ある会話

 

グエンたちから王女と王子を奪いそこなった黒衣の男二人は、馬も失っていたので、徒歩で国境の砦まで歩くしかなかった。首都オパールまで戻る気は毛頭なく、国境の砦で兵士を徴発して再度、グエンたちに挑むつもりであった。だが、グエンたちよりも、おそらく半日から1日程度の遅れがある。

「ランド砦まで、あとどれくらいだ」

一人が、もう一人に聞いた。

「あと30ピロほどだろう。今日の夜もこのまま歩けば、明日の朝には着けると思う」

「おそらく、あの虎頭たちは、夜は休むはずだから、その間に追いつけるかもしれんな」

「だが、追いついても、逆にこちらが危ない。追いついたら、あいつらに見つからないように、隠れながら、後を追おう」

「あの、虎頭は何者だ。サントネージュに、あのような騎士がいたという話は聞いたことがない」

「あの頭が仮面だとしても、あれほどの力量を持った騎士は誰がいる?」

「俺の知っている騎士ではウジェーヌとマリオンが一番良い腕をしているが、あいつとは強さの次元が違う」

「では、他の諸侯のところの騎士か。それでも、あれほどの腕の者がいるという話は聞いたことがない」

「サントネージュの者ではないかもしれない」

「ユラリアの兵士たちを殺害しているのだから、ユラリアの者ではないだろうな」

「では、タイラスから、王子と王女を救出するために遣わされた者か?」

「その可能性はあるが、あまりにも救出が早すぎる。それなら、まるでユラリアの侵攻をあらかじめ知っていて、王子と王女が落ち延びることも知っていたみたいだ」

「よい魔道士を抱えているのかもしれない」

「デルマーボッグ様は、遠く離れた場所で起こっていることが見えるというから、他国にもそのような魔道士がいてもおかしくはないな」

デルマーボッグとは、サントネージュ魔道士界の有名人であり、魔道士たちの畏怖の対象であった。過去や未来を見通すことや、空中浮遊などもできるという。彼が呪いをかけた人間のうち、死んだ人間が5人、彼に命乞いをして助かった人間は無数にいる。

「なんでも、デルマーボッグ様は、今回のユラリアの寇略がずっと前から分かっていたそうだ。ごく親しい者たちに見せた『未来記』には、それが書かれていたらしい」

「では、なぜそれを国王に伝えなかったのだ?」

「滅びるものは滅びるに任せるのがいいというのがあの方のお考えなのだ。俗世の戦乱など、あの方の関心には無いのだな。ある意味では、国王などの上に立つお方だから」

「すごいお方だ。我々も、修行すれば、そのような高みに行けるだろうか」

「ああ、苦しい修行に耐えればな」

「あるいは、あのお方が前前からおっしゃっていた地上の天国が、この戦乱の後に来るのかもしれない。我々の指導者であるあのお方が俗世の支配者にもなれば、地上はそのままで天国になるというあの予言が実現されるかもしれないな」

「いや、アルト・ナルシス様を国王としてもいいのではないか。ナルシス様はデルマーボック師を崇拝しておられるからこそ、我々もナルシス様に従っている。ナルシス様が俗権の支配者、デルマーボック師が精神界の支配者でいいのではないか?」

「いずれにしても、我々の活躍する時代が目の前にあるのは確かだ」

「その通りだ」

この会話はこの二人の精神を高揚させる効果があったらしく、彼らは夜を徹して歩き続け、どうやらグエンたちとの距離をかなり縮めたようであった。

 

 

第十章  タイラス宮廷

 

サントネージュ王国崩壊の知らせはサントネージュに置いてある間者(スパイ)を通じて、急報としてタイラスに届いていた。そして、王子と王女が宮廷を脱出した後、行方が知れなくなっていることも。

タイラス王妃エメラルドは、夫である国王エドモントに王子と王女の救出を頼んだが、国王は良い返事をしなかった。というのは、実はエドモントの母はユラリアの出で、ユラリア国王とは血縁関係にあったからである。サントネージュがユラリアに占領されることで、タイラスとして損になるということはない。むしろ、国王エドモントが危惧していたのは、義理の甥と姪、つまりダイヤ王子とサファイア姫がタイラス宮廷に来たらどうするかということであった。

「一番いいのは、彼らをつかまえて、ユラリアに引き渡すことでしょう」

宰相のケアンゴームが言った。年の頃は40代後半だろうか、銀髪で褐色の顔色をした体格のいい男だ。短い顎髭が堂々としていて、宰相よりは将軍のタイプだが、無表情で、物腰は穏やかである。しかし、その眼の奥には、何か得体の知れないものがある。美男と言ってもいい中年男だが、どことなくいかがわしい雰囲気を持った男だ。

「しかし、そうすると、お妃さまは王をお許しにならないでしょうから、困りましたな。どうなさいます?」

「まあ、妃がどう言おうと、国王はわしだから、わしの好きなようにやるまでだが、正直言って、妃に泣かれるのもいやだ。どうしたものか」

エドモントは色白のでっぷり肥った顔に困惑の色を浮かべる。

「宮廷に来る前に、途中で殺しますか?」

「ふむ、しかし、それも乱暴だな。まだ相手は子供だし」

「やはり、捕まえて、ユラリアに送るのが一番でしょう。処置はユラリアに任せれば、王の責任ではありませんから」

「ふむ、やはりそうするべきだろうな」

「まあ、国境地帯はユラリアの兵が固めているでしょうから、そこをわずかな人数の逃亡者が突破できるとも思えません。今の段階では、これは考える必要もないことでしょう」

「そうだな。それより、モーリオンの件はどうなった」

「はい、すべて順調です。モーリオン様はランジュ公爵の養女ということにしてあります。いつでも、そちらへいらっしゃれば、お会いになることはできます」

「ランジュ公爵があの女に手を出したりはしないだろうな?」

「それは無理でしょう。なにしろ、70歳の老人ですから」

「できれば、宮廷に入れて、毎日会えるようにしたいものだが、妃には知られたくはないのでな」

「まあ、会えない間が、また恋の薬味というもので」

「まったく、いくつになっても、新しい美しい女というものは、男をわくわくさせるものだわい」

「さようですか」

「お前も、澄ました顔はしているが、やることはやっているだろう」

「まあ、適度に」

「また、美しい女を見つけたら、知らせるのだぞ」

「はい、それはもちろんです」

 

第八章 森の中(2)

馬を走らせていたグエンは前方に黒い影を見つけて馬を止めた。その影は四体。

「お前らは、何者だ」

グエンは静かに聞いた。

「そういうお前の名を聞こう」

影のような黒衣の男たちの一人が低い声で言った。

「俺の名は、どうでも、いい。お前たちは、俺に、用が、あるのか」

「ああ、お前の連れている二人の子供を寄こしてもらおう」

「あれは、俺の、子供だ」

「嘘をつけ。あれがサントネージュの姫と王子だということは分かっている」

「馬鹿馬鹿しい。俺たちは、ただの、旅人だ」

「どこへ行く」

「お前らに、言う、必要など、ない」

「ならば、力づくであの子供たちをいただこう」

男の腕が鋭く動くと同時に、グエンの乗った馬の首に短刀が刺さった。

「くそっ」

鞍から跳躍すると、グエンは巨体を翻して地上に降り立った。馬がその背後で倒れる。

四人の男たちはそれぞれの手に鞭を持っている。その鞭の先端に小さな金属の輝きがあるのをグエンの鋭い目は見て取った。

(毒針付きの鞭か。少々厄介だ。)

グエンは腰の剣を抜いて油断無く4人に向かい合った。

その時、背後にかすかな叫び声がしたのを、グエンの常人離れした聴覚は聞きつけた。

(しまった!)

グエンは身を翻し、駈け出した。

(あの4人を相手にしている間に、他の連中がフォックスたちを襲ったのだ。うかつだった!)

 

グエンは疾走した。馬よりも速い。

あっと言う間に、背後に残してきたフォックスたちのところに着いた。フォックスは剣を抜いて、子供たちをかばいながら、敵らしい男たちに向っている。敵の身なりは通常の庶民の服装だが、それぞれに短剣を持っている。その数は5人。

「ああ、グエン、助けて!」

フォックスの言葉にうなずくと、グエンは敵に襲いかかった。

5人を倒すのに、数秒もかからない。

だが、その間に、道の前方にいた黒衣の男たちが馬を走らせてやってきた。

「下がっていろ! 危険な連中だ」

グエンはフォックスや子供たちに声をかけて、黒衣の男たちの方へ走り出した。

先頭にいた男が、馬上から鞭をふるう。その鞭を剣で切ろうとするが、鞭はただ剣に捲きつくだけだ。その間に他の男からの鞭がグエンを襲う。

「くそっ!」

グエンは身をかわしながら、その鞭を手でつかみ、相手を馬から引き落とす。

フォックスがこちらに駆けてくるのが見えた。

「来るな!」

グエンは叫んで、巨体を跳躍させ、2マートルほども飛び上がると、そのたくましい右足で馬上の敵を蹴り落とした。そして、同時にその馬に乗る。

相手と同じ高さにいれば、敵の武器の有利さもいくらかは無くなる。

残りの二人を剣で斬るのはあっという間だった。

地上には、引きずり落とされた男が立ち上がりながら呆然としている。蹴り落とされた方は、座りこんでいる。

 

「我々は、サントネージュ宮廷の者です。王女と王子をお守りするために追ってきたのです」

男は必死の表情でそう言った。

「どう、思う?」

グエンはフォックスの方を振り返って聞いた。

「嘘だと思います。先ほど、彼らは私の名を尋ねようともせず、子供たちを奪い取ろうとしました。それに、宮廷でこの者たちの顔を見たことはありません」

「い、いや、確かに我々は宮廷の者ではなく、臣下のそのまた家臣ですから、フェードラ様が我々の顔をお知りにならないのは当然です。我々は実は、アルト・ナルシス様の家臣でございます」

「アルト・ナルシス様の?」

「はい。ナルシス様は、お考えがあって、今はユラリアの二人の王子に仕えておりますが、実は、機を見てサントネージュを再興するお考えなのです。そして、もちろん、王位にはご自分がではなく、サファイア様かダイヤ様をおつけになろうとお考えなので、お二方をご自分の元で隠しながら保護なさるおつもりなのです」

フォックスは考え込んだ。

「アルト・ナルシス、は……第三、王位継承者、だったな?」

グエンが言った。

「はい」

「どう、する? お前たちが、望むなら、……俺は、ここで、別れても、いいが」

「いやだ! ぼくはグエンとタイラスに行く。アルト・ナルシスなんてウソつきだ! あいつはお父様を守りもせずに敵に降参しちゃったじゃないか」

ダンが目に涙を溜めて叫んだ。

「そうね。アルトには何かの考えがあるのかもしれないけど、敵に占領されている都に戻るのは危険すぎると私も思います」

ソフィの言葉に、フォックスもうなずく。

「いきなり子供たちを連れ去ろうとしたあなたたちのやり方を見ても、あなたたちの言葉が真実のようには思えません。しかし、それが真実ならば、あなた方を殺すわけにもいかないでしょうから、あなたたちの命は助けてあげます。アルト・ナルシス様には、サントネージュを再興してからお二方を迎えに来るようにお伝えください」

黒衣の男たちは顔を見合せて、仕方なさそうにうなずく。

「はっ。すべてを信じていただけなかったのは、私たちの手落ちです。そのうちお迎えにあがります」

 

男たちが去ると、ソフィとダンは再び馬車の上に戻った。

グエンの馬は先ほど殺されたが、黒衣の男たちの乗っていた馬がまだ近くにいたので、そのうち2頭は馬車につけ、1頭にグエンが乗る。これまで馬車を引かせてきた農耕馬は解放した。

しかし、思わぬ手間で、すぐに野宿の準備をしなければならない時間帯になっている。

少し広い場所まで進んで、一行は野宿の用意をし、夕食を食べた。あたりはすっかり闇に包まれ、森の木々の上には宝石を撒き散らしたような星空が広がっている。

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