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私はハリー・ポッターシリーズには全く興味が無く、読んだことも無いのだが、下の記事は、ハリー・ポッターシリーズに対する痛烈な皮肉ではないか。つまり、シリーズ内の「お約束」についてのデータさえ大量にインプットすれば、AIでも書ける内容だ、という皮肉である。







AIが「ハリポタ」全7巻のデータを元に新作を書き上げ話題に

2017-12-16 18:00
  • 1

ここ数年、ハリー・ポッター・ファンは魔法界から新しいコンテンツが続々と送られてきたおかげで充実していたはずだ。映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』はシリーズ2作目が控えているし、映画『ハリー・ポッターと死の秘宝』から19年後を描いた舞台劇、『ハリー・ポッターと呪いの子』が2016年にロンドンで初演され、その上、J・K・ローリングはよくツイートを投稿してくれる。ただ、ポッタリアンには残念だが、オリジナルの書籍シリーズの第8巻が出版されることはないと言われている。そこへ現れたのがAIに続編を書いてもらおうというというアイデアだ。


人々が待ち望んでいる『ハリー・ポッター』の新作を書こうと立ち上がったのはBotnik Studios。公式ウェブサイトによると「機械とコラボすることにより奇妙キテレツな新しいモノづくりをする作家、アーティスト、開発者のコミュニティー」だそうだ。今回Botnikは予測テキストを打ち出すAIを使い、ローリングのハリポタ・シリーズ全7巻の内容をデータベースにして作品を自動で作り上げたのだ。

We used predictive keyboards trained on all seven books to ghostwrite this spellbinding new Harry Potter chapter https://t.co/UaC6rMlqTypic.twitter.com/VyxZwMYVVy - Botnik Studios (@botnikstudios) 2017年12月12日

「全7巻の内容をベースに予測入力キーボードを使って魔法の魅力がいっぱいのハリー・ポッター新作をゴーストライターに書かせてみた」

想像通り、結果は相当笑えるもの(例えば、「魔法:それはハリー・ポッターが良いと思ったもの」という一文があった)が書きあがっているが、登場人物の中には再び完璧に描き出されていたキャラクターもいた。ハーマイオニーはこの"新作"でも一番頭脳明晰で、ロンの惨めさにはさらに磨きがかかった(例、「ロンのロン・シャツはロン自身のように惨めだった」)のだ。

もちろん、結末にはハリーの決め台詞が出て来る。我らがヒーローがこう言い放つのだ。「僕はハリー・ポッターだ。闇の魔術よ、覚悟しろ。なんてこった!」

ツイッターにはBotnik版のハリポタ・シリーズがあるべきだという肯定的な意見が多く寄せられており、これには筆者も賛成である。新しいハリポタのスマホゲームが発売になるまでの間、何か読むものが必要なのだ。




■参照リンク
http://www.moviefone.com/
RSSブログ情報:http://news.aol.jp/2017/12/16/harry-potter-chapter-predictive-text-bot/
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「簡単な方法さ、本当に。私が君の体の中に入るんだ。私が君の体を使って踊る。君は健康で強壮だ。ちょっとしたダンスを踊ることはできるだろう」
「僕の体調はとてもいい。誰にも負けないくらいだ」私は言った。「だが、君は本当にそんなことができるのか。僕の体の中に入って踊るなんて」
「完璧にできるよ。そして、彼女は君の物になる。そいつは保証するよ。彼女だけではない。どんな女の子でも手に入る」


ドワーフは、木の枝を使って、土の上に何本もの垂直線を描いた。それから、その垂直線の上に水平線を描いて奇妙な図表を描いた。沈黙。私は彼の手の動きを見守った。ドワーフは吸っていた紙巻き煙草の吸い残りを地面に吐き出して、それを足で踏みにじった。
「やる方法はある。もし君が本当に彼女を欲しいのなら」彼は言った。「君は彼女が欲しいんだね?」
「心から」
「彼女を手に入れる方法を聞きたいんだね?」
「お願いする。僕はそれを知りたい」


私は「キノの旅」の原作は読んだことがなく、アニメは前のバージョンを第一回だけ見ただけだが、何となく不快感の残るアニメだな、と思ってそれ以降は見ていない。なぜ不快感が残ったのか、下のコメントを見て分かった。
こういうサブテーマで書かれているなら、観て楽しいはずはない。エンタメ系娯楽の対極である。
まあ、親父を殺し、実の母とセックスし、自分は目が潰れるというドラマが傑作古典であるという例もあるが、私は演劇における「悲劇」や自然主義文学のように人間性の醜悪さをわざわざ描きたがる神経が分からない。世界の美しさ素晴らしさに目を開かせることこそがフィクションの存在意義だと思っている。(もちろん、作り手や書き手側に悪への理解があることで、その作品は深まるわけだから、悲劇や自然主義文学も文芸の世界を広げるという意義はある。だが、文芸の正道ではないと思っている。文芸は人間を「高次元の世界」に生きさせるものであり、それはつまり、紆余曲折はあっても「世界は美しい」ということを読む人観る人に伝えることだ。)





45: 名無しのアニゲーさん 2017/12/17(日) 17:18:48.920 ID:5JtUDhLyd
アニメじゃ語られてないけど
キノの旅って「世界は美しくなんかない」がサブテーマとしてあるから
悪意とか偽善とか本音とかエゴとか引っくるめて書いてるんだ
「君が僕にダンスを教えると言うのかい?」
「そうしてもいいよ」彼は言った。「だが、一日や二日の練習では何にもならない。最低でも半年くらいの練習は必要だし、それも毎日、一日中やってのことだ。それが誰かの心をダンスでつかむということさ」
私は頭を振った。「それなら、そいつは無意味だ」私は言った。「もしも僕が半年も待たねばならないとしたら、誰か他の男が確実にあの子をモノにするだろう」
「君はいつダンスに行くんだい?」
「明日の夜、土曜日だ。彼女はダンスホールに行くはずだし、僕も行く。僕は彼女に、一緒に踊ってくれと頼むつもりだ」


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