忍者ブログ
[227]  [228]  [229]  [230]  [231]  [232]  [233]  [234]  [235]  [236]  [237

4 「時が経っても」(「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」) ハーマン・ハプフェルド作詞作曲

 

 As time goes by

 

You must remember this

A kiss is just a kiss

A sigh is just a sigh

The fundamenntal things apply

As time goes by

(覚えておきなさい

キスはただのキス

溜息はただの溜息

基本的な事柄は変わらない

時が過ぎていっても)

 

And when two lovers woo

They still say “I love you”

Oh,that‘s you can rely

No matter what the future brings

As time goes by

(恋人たちが求婚する時、

彼らはやはり「アイ・ラブ・ユー」と言う

そのことは大丈夫、いつでも通じるさ

未来が何をもたらそうとも

時が過ぎていっても)

 

Moonlight and lovesongs

Never out of date

Hearts, full of passion

Jealousy and hate

Woman needs man

And man must have his mate

That no one can deny

(月の光や恋唄は

けっして流行遅れにはならないよ

情熱に満ちた心、

嫉妬に憎しみ、

女が男を必要とすること、

男には連れ合いが必要なこと、

それらは誰にも否定はできない)

 

It‘s still the same old story

A fight for love and glory

A case of do or die

The world will always welcome lovers

As time goes by

(それは昔ながらのお話

恋や栄光のための戦い

やるか死ぬかの二者択一

世界はいつでも恋人たちを歓迎しているんだよ

時が過ぎていってもね)

 

Oh,yes,the world will always welcome lovers

As time goes by

(そうさ、世界はいつでも恋人たちを歓迎する

時が過ぎても)

 

 

 案外と内容が誤解されているのではないかと思われるスタンダード曲である。その理由は、「As time goes by」の「as」の解釈を、「~のままに」として、「時の過ぎ行くままに」などというタイトルが流布しているからだろう。「時の過ぎ行くままに」では、まるで、変化を肯定する内容に見えてしまう。これは逆に、「時が過ぎても、人生のファンダメンタルは変わらない」という不変性を歌った詩なのである。おそらく、日本的無常観の伝統が、こうしたポップスの解釈まで誤らせたのだろう。もっとも、逆接の「as」なんてのは、辞書を細かく見ないと気づかないものではあるが。

 歌詞そのものは、他のポップス同様、押韻の面白さを狙った言葉遊びが多く、あまり逐語訳しても意味はないが、それなりに面白い内容でもある。それに、やはり映画「カサブランカ」での効果的な使い方のために、一部の人間には忘れられない名曲となっているようである。ただし、本当は「カサブランカ」のテーマ自体とはあまり関係のない、ただの甘いラブソングなのだが。

 

 









PR




3 虹の彼方に

 

 Over the rainbow

 

(映画「オズの魔法使い」では、この歌の前に、ジュディ・ガーランド演ずるドロシーが次のセリフを言うが、それが歌のいい前フリになっているので、それも書いておく。ただし、英語部分は省略。)

 

「どこか、悩み事がなんにも無い土地……そんな土地がどこかにあるとお前は思わない? ねえ、トト(注:犬の名)。きっとあるはずよ。そこはきっと、ボートや汽車では行けない所だわ。どこか、とても遠く、遠く、……月の後ろか、雨の向こう側に」

 

Somewhere,over the rainbow,way up high,

There‘s a land that I heard of once in a

 lulluaby

(虹の彼方のどこか、高く登ったところに

 子守唄で聞いた土地がある)

 

Somewhere,over the rainbow,

skies are blue

And the dreams that you dare to dream 

 really do come true

(虹の向こうのどこかに、空はいつも青く

夢見た夢が現実になる、そんな土地がある)

 

Someday I‘ll wish upon a star

And wake up where the clouds are

 far behind me

Where the troubles melt like lemon drops

Away above timny tops

That‘s where you’ll find me

(いつか私は星の上に上り

目ざめるでしょう

雲をずっと後ろに置き去りにして

悩みはレモンドロップのように消え

あなたは煙突の上の空の彼方で私を見つけるでしょう)

 

Somewhere over the rainbow,bluebirds fly

Birds fly over the rainbow,

 Why,then,oh,why can‘t I ?

(虹の向こうのどこかへ、青い鳥は飛んで行く

鳥たちが虹を越えて飛べるなら

私にも行けるでしょう)

 

If happy little bluebirds fly

 Beyond the rainbow

  Why,oh,why can‘t I ?

(幸せの青い鳥が

 虹を越えていけるなら

 どうして私にできないことがあるだろう)

 

 

ミュージカル「オズの魔法使い」の中の挿入歌である。この映画の中のドロシーはまだ10歳かそこらのはずだから、虹の彼方に行きたいと思うほどの悩み事もないはずだが、子供には子供なりの悩みがあり、その重みは大会社の社長が倒産するかどうかで悩むのと、重さにおいて違いは無いのである。彼女の悩みは、確か、愛犬のトトの処分を、近所の意地悪女に迫られていることだったと思う。その意地悪女が、彼女の夢の中では悪い魔法使いとなって出てくるし、彼女の農場で働く使用人たちが、勇気の無いライオンや、心の無いロボットや脳みその無い案山子となって登場する。つまり、夢は現実のアレンジであるという点では、フロイド説そのままである。ただし、この映画には性的なものは無いが。

 第三連で、「あなたは私を見つけるでしょう」の「あなた」とは何者かというと、これは仮想の恋人で、ミュージカル映画の挿入歌は、映画のストーリーを離れても歌える(使える)ように、必ずラブソングにもなっているのである。まあ、「必ず」と断言はできないが。このフレーズがあるために、これは童謡に限定されない大人の歌にもなるわけだ。

 なお、スタンダードソングの例に漏れず、この歌にも前説というか、長い前フリがあるが、その部分は歌の説明に堕しすぎているようなので、映画の中のセリフで代用してある。

 






2 「煙が目にしみる」

 

 Smoke gets in your eyes

 

They asked me how I knew

  my true love was true

I of course replied“ Something here inside cannot be denied”

(彼らは私に聞いた

どうしてその「本当の恋」が本当だってわかるんだい、と

私はもちろん答えた

「僕の心の奥底に、何か否定できないものがあるんだ」と)

 

They said“ Someday you‘ll find

all who love are blind

When your heart‘s on fire,

 you must realize 

smoke gets in your eyes“

(彼らは言った

「いつか君にもわかるさ

恋をすると人は盲目になることがね

心が恋の火で燃えていると、煙が目に入るのさ」)

 

So I chaffed them 

 and I gaily laughed

  to think they could doubt my love

Yet today my love has flown away

 I am without my love

(だから私は彼らに冗談を言い、陽気に笑った

私の恋を疑うなんて馬鹿げていると

でも今日

私の恋人は去って行き

私は一人ぼっち)

 

Now laughing friend deride

 tears I cannot hide

So I smile and say

“When a lovely flame dies

smoke gets in your eyes“

(Smoke gets in your eyes

Smoke gets in your eyes)

Smoke gets in your eyes

(今、隠せない私の涙を見て

友人たちは笑いながら私をからかう

だから私は微笑んで言う

「恋の炎が消える時にこそ、

煙が目にしみるんだよ」と)

*リフレーン略

 

これもまた名詩中の名詩で、多くの人が訳しているとは思うが、他人の訳は一切見ないで、私も訳してみた。というのは、他人の詩を読むと、どうしてもその訳の先入観が生じるからである。そういう意味では、私のこの文章も、英米ポップスをこれから知りたい人に、余計な先入観を与える可能性もあるが、まあ、欧米名詩の知名度を上げるというプラス面に免じて許してほしい。

歌詞のキモは、「煙が目にしみる」を、意地の悪い友人たちは「恋は盲目」の比喩に使ったのに対し、「私」は、失恋の涙は、恋の炎が消えた、その煙が目にしみただけさ、と軽く受け流すところにある。

歌詞はオットー・ハーバック、曲はジェローム・カーンで、曲も名曲中の名曲、歌ったプラターズの歌も最高だ。ただし、もともとは、1933年のミュージカル「ロベルタ」の挿入歌らしい。

作曲のジェローム・カーンは、私がもっとも好きなアメリカの作曲家で、私が好きなアメリカンポップスは、ジェローム・カーン的なノスタルジーを持ったものが多い。





 

1 「酒と薔薇の日々」

 

 Days of wine and roses

 

The days of wine and roses

Laugh and run away

Like a child at play

Through the meadowland

Toward the clossing dooor

A door marked“Nevermore”

That wasn‘t there before

(酒と薔薇の日々は

笑い声とともに駆け去る。

遊ぶ子供のように。

心地よい草原を抜け

閉ざされたドアに向かう。

そのドアには書かれている。

「二度と無い」と。

前には無かった文字が。)

 

The lonely night discloses

Just a passing breeze

Filled with memories

Of the golden smile

That introduced me to

The days of wine and roses 

And you

(孤独な夜は扉を開く。

通り行くそよ風のように

思い出に満たされ。

その思い出の黄金の微笑みは

私を導く。

酒と薔薇の日々

そしてあなたへと。)

 

 

 わずか2連だけの歌詞で、実際の歌では、第二連が繰り返される。

 映画「酒と薔薇の日々」の主題歌で、映画の内容はアルコール中毒の悲惨を描いたシリアスなものだが、主題歌は甘美で、そのギャップがまた対位法的に面白い。

 訳の上では、第二連の「Just a」の訳し方が良くわからないので、「~のように」としてみたが、自信は無い。こういう単純な言葉ほど、意外と訳しにくいものだ。

 第一連の「Nevermore」は、おそらくポーの詩、「大鴉」の中の有名なリフレーンだろう。この詩を拾ったポップスサイトに載っていた原詩では「never more」と分かち書きになっていたが、鴉が一息で発声する感じの「Nevermore」に変えた。ポーの詩でもそうだった記憶がある。インターネットの歌詞サイトの歌詞は、正確なものもあるが、聞き書きもあるので、本物の英語の原詩がどうかは分からない。

 第一連の駆け去る子供の比喩は、小椋佳が「シクラメンのかほり」の中で「疲れを知らない子供のように、時が二人を追い越していく」というフレーズに変えて使ったことがある。それを聞いた時に、私はすぐに、「あ、『酒と薔薇の日々』の盗作だ」と思ったものである。まあ、ポップスの世界では、詞も曲も何かの再アレンジであることが多いので、それを盗作と思ったのは私の若気の至りだが、それ以来、小椋佳にはあまりいい印象は持っていない。今更ではあるが。

 詩としては、この「酒と薔薇の日々」は、ポップスの詩の歴史に残る名詩と言っていいと思う。「二度と無い」と書かれたドアは、H・G・ウェルズの「くぐり戸を抜けて」の異世界につながるドアのイメージだろう。擬人化された「酒と薔薇の日々」が笑い声を上げながら駆け去っていくというイメージも素晴らしい。

 草原を抜けて、ドアに出会う。そこには、かつては無かった文字が書かれている。「二度と無い」と。これが、時というものの悲哀である。我々が経験している時間は、すべて二度とは戻らない時間なのだ。

 

別ブログに載せてあるものだが、ここにも載せておく。




ポップス名詩30撰

 

 

始めに

 

 英米ポップスの名詩(詞)を30ほど選んで紹介しようという試みである。もちろん、私の好みによる撰だから、他人とは意見の分かれる選出内容になるだろうし、その訳も、一部は他人の訳を参考にはしても、基本的には私の貧弱な英語力での訳だから、誤訳・珍訳もあるだろう。だが、案外と日本人は英米ポップスの詞の内容を知らないと思うので、こうした試みも無意味ではないように思う。

すべて文化とは伝統だから、文化的連続を無視した新奇さだけでは、文化は痩せ細るはずだ。日本のポップスの詞にも、素晴らしいものが多いのだが、日本は大衆文化の中からスタンダードを残すという考えがあまり無い。その結果、若者と年寄りの間の文化が常に乖離した状態(中には、若者に媚びてすりよる老人文化人もいるが)であり、これは悲しい事だ。明治から昭和までの唱歌・童謡すら、学校教育の中から追放されてしまうような状況では、伝統を残すという思想は生まれないだろう。

歴史の新しいアメリカの方が、そういう意味では伝統を残していこうという姿勢が強く、無数に生まれて消えていく大衆文化の中でも、優れた作品は常に再演され、歌ならば歌い継がれていくのである。そのスタンダードとは、べつに鹿爪らしいものばかりとは限らない。たとえば、13番の「何で馬鹿は恋をする?」などは、それ自体本当に「お馬鹿ソング」と言いたい内容なのだが、あちらの歌謡コンテストでの定番の一つのようだ。こうした「お馬鹿ソング」がスタンダードとなるところに、私はアメリカ人のユーモアと文化の厚みを感じるのである。

ポップスの中の名詩と言えば、ビートルズとサイモン&ガーファンクルの諸作品を挙げねばならないが、彼らの作品中の名品は数がありすぎるので、ここではわざと、あまり知られていない「イン・マイ・ライフ」と「四月、彼女は」の二つだけを取り上げた。(後者は一般には「四月になれば彼女は」と訳されている。)ビートルズはここで挙げた「マイ・ボニー」や「愛無き世界」、「雨の中の九月(セプテンバー・イン・ザ・レイン)」も歌っているが、これらはカバー曲である。「マイ・ボニー」はもともとスコットランドかどこかの民謡をある歌手が歌ってヒットさせ、さらにそれをビートルズがカバーしているわけで、このカバーする行為自体、文化的伝統への敬意を表している。なお、ビートルズがカバーする曲を選ぶセンスは、素晴らしいものがあり、その選択そのものが才能である。たとえば、これもあまり知られていないカバー曲の「ティル・ゼア・ワズ・ユー」など、あまり有名でもないミュージカルの挿入曲だが、素晴らしい名曲である。

サイモン&ガーファンクルの詞の場合は、あまりに曲との一体感が強いために、曲を知らない若い人々には、その良さが理解されない可能性がある。ぜひ、CDでも買ってその世界に触れてもらいたい。「沈黙の音(サウンド・オブ・サイレンス)」などの詞は現代の社会を論じた無数の評論にも勝って、現代人の生を鋭く掘り下げている。だが、ポップスの詞としてはやはり、「愛してる」を連呼する一般の馬鹿な詞のほうが正統的ではあるだろう。なにしろ、ポップスの詞の「ラブ」という単語の頻度は半端なものではない。そこから、「たかが詞じゃないか、こんなもん」というある種の開き直りと歌詞軽視の姿勢も出てくるのだが、そういう姿勢で作られた歌謡曲が世の中で支配的になっては困るのである。

まあ、御託はこれくらいにしよう。もしも、この一文がいくらかでも関心を持たれたら、そのうち、スタンダードとなるべき日本のポップスの名曲も取り扱ってみたいと思っている。

 

 

(目次)

 

1 酒と薔薇の日々

2 煙が目にしみる

3 虹の彼方に

4 アズ・タイム・ゴーズ・バイ

5 セプテンバー・ソング

6 雨の中の九月

7 マイ・ボニー

8 マイ・ガール

9 愛無き世界

10 この世の終わり

11 明日も愛してくれるかしら

12 ジョニー、怒って!(「内気なジョニー」)

13 何で馬鹿は恋をする?

14 雨を見たかい

15 白昼夢を信じる奴(「デイ・ドリーム・ビリーバー」)

16 七つの水仙

17 無引く無(「ナッシング・フロム・ナッシング」)

18 二度と恋には落ちないわ(「恋にさよなら」)

19 雨のリズム(「悲しき雨音」)

20 四月、彼女は(「四月になれば彼女は」)

21 イン・マイ・ライフ

22 少しの優しさを(「トライ・ア・リトル・テンダーネス」)

23 サークル・ゲーム

24 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

25 スター・ダスト

26 道路の陽の当る側(「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」)

27 男は男

28 ケ・セラ・セラ

29 深い紫(「ディープ・パープル」) 

30 グッバイ・イェロー・ブリック・ロード




<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.