2 「煙が目にしみる」
Smoke gets in your eyes
They asked me how I knew
my true love was true
I of course replied“ Something here inside cannot be denied”
(彼らは私に聞いた
どうしてその「本当の恋」が本当だってわかるんだい、と
私はもちろん答えた
「僕の心の奥底に、何か否定できないものがあるんだ」と)
They said“ Someday you‘ll find
all who love are blind
When your heart‘s on fire,
you must realize
smoke gets in your eyes“
(彼らは言った
「いつか君にもわかるさ
恋をすると人は盲目になることがね
心が恋の火で燃えていると、煙が目に入るのさ」)
So I chaffed them
and I gaily laughed
to think they could doubt my love
Yet today my love has flown away
I am without my love
(だから私は彼らに冗談を言い、陽気に笑った
私の恋を疑うなんて馬鹿げていると
でも今日
私の恋人は去って行き
私は一人ぼっち)
Now laughing friend deride
tears I cannot hide
So I smile and say
“When a lovely flame dies
smoke gets in your eyes“
(Smoke gets in your eyes
Smoke gets in your eyes)
Smoke gets in your eyes
(今、隠せない私の涙を見て
友人たちは笑いながら私をからかう
だから私は微笑んで言う
「恋の炎が消える時にこそ、
煙が目にしみるんだよ」と)
*リフレーン略
これもまた名詩中の名詩で、多くの人が訳しているとは思うが、他人の訳は一切見ないで、私も訳してみた。というのは、他人の詩を読むと、どうしてもその訳の先入観が生じるからである。そういう意味では、私のこの文章も、英米ポップスをこれから知りたい人に、余計な先入観を与える可能性もあるが、まあ、欧米名詩の知名度を上げるというプラス面に免じて許してほしい。
歌詞のキモは、「煙が目にしみる」を、意地の悪い友人たちは「恋は盲目」の比喩に使ったのに対し、「私」は、失恋の涙は、恋の炎が消えた、その煙が目にしみただけさ、と軽く受け流すところにある。
歌詞はオットー・ハーバック、曲はジェローム・カーンで、曲も名曲中の名曲、歌ったプラターズの歌も最高だ。ただし、もともとは、1933年のミュージカル「ロベルタ」の挿入歌らしい。
作曲のジェローム・カーンは、私がもっとも好きなアメリカの作曲家で、私が好きなアメリカンポップスは、ジェローム・カーン的なノスタルジーを持ったものが多い。
1 「酒と薔薇の日々」
Days of wine and roses
The days of wine and roses
Laugh and run away
Like a child at play
Through the meadowland
Toward the clossing dooor
A door marked“Nevermore”
That wasn‘t there before
(酒と薔薇の日々は
笑い声とともに駆け去る。
遊ぶ子供のように。
心地よい草原を抜け
閉ざされたドアに向かう。
そのドアには書かれている。
「二度と無い」と。
前には無かった文字が。)
The lonely night discloses
Just a passing breeze
Filled with memories
Of the golden smile
That introduced me to
The days of wine and roses
And you
(孤独な夜は扉を開く。
通り行くそよ風のように
思い出に満たされ。
その思い出の黄金の微笑みは
私を導く。
酒と薔薇の日々
そしてあなたへと。)
わずか2連だけの歌詞で、実際の歌では、第二連が繰り返される。
映画「酒と薔薇の日々」の主題歌で、映画の内容はアルコール中毒の悲惨を描いたシリアスなものだが、主題歌は甘美で、そのギャップがまた対位法的に面白い。
訳の上では、第二連の「Just a」の訳し方が良くわからないので、「~のように」としてみたが、自信は無い。こういう単純な言葉ほど、意外と訳しにくいものだ。
第一連の「Nevermore」は、おそらくポーの詩、「大鴉」の中の有名なリフレーンだろう。この詩を拾ったポップスサイトに載っていた原詩では「never more」と分かち書きになっていたが、鴉が一息で発声する感じの「Nevermore」に変えた。ポーの詩でもそうだった記憶がある。インターネットの歌詞サイトの歌詞は、正確なものもあるが、聞き書きもあるので、本物の英語の原詩がどうかは分からない。
第一連の駆け去る子供の比喩は、小椋佳が「シクラメンのかほり」の中で「疲れを知らない子供のように、時が二人を追い越していく」というフレーズに変えて使ったことがある。それを聞いた時に、私はすぐに、「あ、『酒と薔薇の日々』の盗作だ」と思ったものである。まあ、ポップスの世界では、詞も曲も何かの再アレンジであることが多いので、それを盗作と思ったのは私の若気の至りだが、それ以来、小椋佳にはあまりいい印象は持っていない。今更ではあるが。
詩としては、この「酒と薔薇の日々」は、ポップスの詩の歴史に残る名詩と言っていいと思う。「二度と無い」と書かれたドアは、H・G・ウェルズの「くぐり戸を抜けて」の異世界につながるドアのイメージだろう。擬人化された「酒と薔薇の日々」が笑い声を上げながら駆け去っていくというイメージも素晴らしい。
草原を抜けて、ドアに出会う。そこには、かつては無かった文字が書かれている。「二度と無い」と。これが、時というものの悲哀である。我々が経験している時間は、すべて二度とは戻らない時間なのだ。
ポップス名詩30撰
始めに
英米ポップスの名詩(詞)を30ほど選んで紹介しようという試みである。もちろん、私の好みによる撰だから、他人とは意見の分かれる選出内容になるだろうし、その訳も、一部は他人の訳を参考にはしても、基本的には私の貧弱な英語力での訳だから、誤訳・珍訳もあるだろう。だが、案外と日本人は英米ポップスの詞の内容を知らないと思うので、こうした試みも無意味ではないように思う。
すべて文化とは伝統だから、文化的連続を無視した新奇さだけでは、文化は痩せ細るはずだ。日本のポップスの詞にも、素晴らしいものが多いのだが、日本は大衆文化の中からスタンダードを残すという考えがあまり無い。その結果、若者と年寄りの間の文化が常に乖離した状態(中には、若者に媚びてすりよる老人文化人もいるが)であり、これは悲しい事だ。明治から昭和までの唱歌・童謡すら、学校教育の中から追放されてしまうような状況では、伝統を残すという思想は生まれないだろう。
歴史の新しいアメリカの方が、そういう意味では伝統を残していこうという姿勢が強く、無数に生まれて消えていく大衆文化の中でも、優れた作品は常に再演され、歌ならば歌い継がれていくのである。そのスタンダードとは、べつに鹿爪らしいものばかりとは限らない。たとえば、13番の「何で馬鹿は恋をする?」などは、それ自体本当に「お馬鹿ソング」と言いたい内容なのだが、あちらの歌謡コンテストでの定番の一つのようだ。こうした「お馬鹿ソング」がスタンダードとなるところに、私はアメリカ人のユーモアと文化の厚みを感じるのである。
ポップスの中の名詩と言えば、ビートルズとサイモン&ガーファンクルの諸作品を挙げねばならないが、彼らの作品中の名品は数がありすぎるので、ここではわざと、あまり知られていない「イン・マイ・ライフ」と「四月、彼女は」の二つだけを取り上げた。(後者は一般には「四月になれば彼女は」と訳されている。)ビートルズはここで挙げた「マイ・ボニー」や「愛無き世界」、「雨の中の九月(セプテンバー・イン・ザ・レイン)」も歌っているが、これらはカバー曲である。「マイ・ボニー」はもともとスコットランドかどこかの民謡をある歌手が歌ってヒットさせ、さらにそれをビートルズがカバーしているわけで、このカバーする行為自体、文化的伝統への敬意を表している。なお、ビートルズがカバーする曲を選ぶセンスは、素晴らしいものがあり、その選択そのものが才能である。たとえば、これもあまり知られていないカバー曲の「ティル・ゼア・ワズ・ユー」など、あまり有名でもないミュージカルの挿入曲だが、素晴らしい名曲である。
サイモン&ガーファンクルの詞の場合は、あまりに曲との一体感が強いために、曲を知らない若い人々には、その良さが理解されない可能性がある。ぜひ、CDでも買ってその世界に触れてもらいたい。「沈黙の音(サウンド・オブ・サイレンス)」などの詞は現代の社会を論じた無数の評論にも勝って、現代人の生を鋭く掘り下げている。だが、ポップスの詞としてはやはり、「愛してる」を連呼する一般の馬鹿な詞のほうが正統的ではあるだろう。なにしろ、ポップスの詞の「ラブ」という単語の頻度は半端なものではない。そこから、「たかが詞じゃないか、こんなもん」というある種の開き直りと歌詞軽視の姿勢も出てくるのだが、そういう姿勢で作られた歌謡曲が世の中で支配的になっては困るのである。
まあ、御託はこれくらいにしよう。もしも、この一文がいくらかでも関心を持たれたら、そのうち、スタンダードとなるべき日本のポップスの名曲も取り扱ってみたいと思っている。
(目次)
1 酒と薔薇の日々
2 煙が目にしみる
3 虹の彼方に
4 アズ・タイム・ゴーズ・バイ
5 セプテンバー・ソング
6 雨の中の九月
7 マイ・ボニー
8 マイ・ガール
9 愛無き世界
10 この世の終わり
11 明日も愛してくれるかしら
12 ジョニー、怒って!(「内気なジョニー」)
13 何で馬鹿は恋をする?
14 雨を見たかい
15 白昼夢を信じる奴(「デイ・ドリーム・ビリーバー」)
16 七つの水仙
17 無引く無(「ナッシング・フロム・ナッシング」)
18 二度と恋には落ちないわ(「恋にさよなら」)
19 雨のリズム(「悲しき雨音」)
20 四月、彼女は(「四月になれば彼女は」)
21 イン・マイ・ライフ
22 少しの優しさを(「トライ・ア・リトル・テンダーネス」)
23 サークル・ゲーム
24 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
25 スター・ダスト
26 道路の陽の当る側(「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」)
27 男は男
28 ケ・セラ・セラ
29 深い紫(「ディープ・パープル」)
30 グッバイ・イェロー・ブリック・ロード
正直、岡田斗司夫を私は色キチガイの印象から軽く見ていたが、作品読解にかけては素晴らしい能力の持ち主であることが分かる。
(以下引用)長いので前半と後半を略するが、全体に優れた評論である。
少女の胸の膨らみを背中に感じるからこそ出来る顔
岡田:
パズーとシータが、ドーラ一家の飛行船であるタイガーモス号に取り付けられているハンググライダーみたいな観測用の凧に二人で乗って空に上がった時、突風が吹いて、グワーンと吹き飛ばされるんですよ。
この時、怯えたシータはパズーに強く抱きついている。すると、パズーはシータを安心させるように振り返るんですけど、アニメーターから上がってきた、振り返った時の絵のパズーの表情が弱かったそうなんですね。
このインタビューによると、宮崎駿は、さっそくそのカットを担当したアニメーターを呼んで、こんな説教をしたそうです。
「お前、わかってるのかっ!? 仮に、お前の後ろから、大好きな女の子が怖がりながら小さいおっぱいをくっつけてきているとして、その膨らみを背中に感じているという時に、お前はこんな顔をするのか!? それを意識して描き直せっ!」と(笑)。
これ、どういうことかというと、男というのは、女の子に頼りにされているということを“肉体的に”感じるからこそ、頼り甲斐というものを発揮できるのであり、それを描くのがアニメなんだと言っているわけです。
つまり、宮崎作品というのはエロいんですよ。ただ、そのエロさというのは、僕らが知っているような“安直なエロさ”ではないんです。
これは、宮崎駿を語る際に、最初に言っておかなきゃいけないことなんですけども、宮崎駿というのは安直なことを何よりも嫌う人なんです。
ボツになった『ナウシカ』のラストシーン
岡田:
僕、この1週間くらい延々と宮崎駿関係の過去のインタビューを読んできた中で発見したんですけども、宮崎駿には「そんなのは手塚治虫だ!」というキメ台詞があるんですね。
これはもう、手塚治虫を仮想敵と定めていた宮崎駿だから出て来る台詞なんですけど。誰かに「そこの展開はこうしないんですか?」というふうに言われたら、すかさず「そんなのは手塚治虫が考えそうなことだからやらない!」というふうに答えるんですよ。
いや、別に、現実の手塚治虫がそんなこと考えているとは限らないんですけどね(笑)。
例えば、僕が一番好きな話に、「『風の谷のナウシカ』のラストシーンをどうするか?」という問答があるんです。
僕らが知っているラストシーンというのは、「ナウシカが立っている場所に王蟲が走ってきて、ナウシカがドーンと跳ねられて死んじゃって、『その者青き衣をまといて金色の野に降り立つ〜』って、復活する」というものですけど。宮崎駿には、これ以外にもいくつものアイデアがあったんです。
例えば「ナウシカが跳ねられて死んでしまった後、王蟲はナウシカだけを連れて腐海に帰っていく」というもの。その後、ナウシカは王蟲の力によって生き返るかもしれない。でも、もう人間の世界には帰らない。そして、王蟲達も人間を見捨てて、森の中に帰ってしまった。
つまり、「人間達は王蟲さえ来なければ希望があると思っていたんだけど、本当の希望はナウシカだった。では、その希望を失ってしまった残された人間たちは、その後どうなるんだろう?」という、苦味のあるラストシーンですね。そんな話も考えたそうなんです。
ところが、その話を聞いた高畑勲【※】が「それ、いいじゃないか」と言うと、宮崎駿は、「いや、それをすると手塚治虫みたいになってしまいます!」というふうに答えるんですよ。
僕はこのラストもわりと良いと思うんですけど、なぜか宮崎駿の中では「最初に思いついたアイデアは、手塚治虫っぽいからダメ」となるみたいなんです(笑)。
※高畑勲
1935年生まれ。日本の映画監督、演出家、プロデューサー、翻訳家。1985年に宮崎駿、鈴木敏夫とともにスタジオジブリの設立に携わった人物でもある。『ルパン三世 』、アニメ映画「パンダ・コパンダ」の2作品、『アルプスの少女ハイジ』、『母をたずねて三千里』、『赤毛のアン』、『未来少年コナン』など、数多くの名作の制作に関わってきた、日本アニメーション界の偉人のひとり。
安直なアイデアは徹底的に排除する
岡田:
ここで重要なのは、「そんなのは手塚治虫だ!」という部分ではなくて、宮崎駿は、そんじょそこらのアイデアでは納得しないというところなんですね。
本当に、自分の中でアイデアを50も60も出した上で、その99%ボツにして、これしかないというものを絞り込む。そして、その過程で「絵的にカッコいい」とか、「その方がウケる」という安直なアイデアを、徹底的に排除する人なんです。
つまり、宮崎駿というのは、安直というのを何よりも嫌う人なんですよ。
そして、安直さを嫌うからこそ、エロスというのをわかりやすいエロシーンとしては絶対に描かないんですね。だからといって、エロを描かないなんていう、くだらないこともしないんです。
つまり、この「映画の中で、ちゃんとやることはやってるんですよ」という発言は、それがエロいとわからないのは、お前らの責任であって、俺はちゃんとやっているということなんです。
「エロをエロとしてそのまんま見せるようなバカな真似を俺はしない」というのが、宮崎駿の主張なんですよ。
⑨
The clerk prepared to pay the money.
“How will you have it?” he said.
“What?”
“How will you have it?”
“Oh”—I understood his meaning and answered without even trying to think—“in fifty-dollar notes.”
He gave me a fifty-dollar note.
“And six?” he asked coldly.
“In six-dollar notes,” I said.
He gave me six dollars and I rushed out.
As the big door swung behind me I heard the sound of a roar of laughter that went up to the roof of the bank. Since then I use a bank no more. I keep my money in my pocked and my savings in silver dollars in a sock.
*これで「私の銀行口座」は終わりである。銀行のいかめしい雰囲気の中で平常心を失ってあれこれドジなことをするのは、誰でもありそうなことだが、そもそも小銭しか持たない人間が銀行に足を踏み入れてしまったのが間違いだったのだ。銀行の人間がそういう客を陰で「ゴミ」と呼んでいるのは日本だけのことではないだろう。
*あまりにも易し過ぎて、英語の勉強にはならなかったかもしれないが、逆に、「易しい英語表現」の勉強にはなったのではないだろうか。途中からは、まったく「注」も「研究」も不要だと判断したくらい、易しい英文だった。
[試訳]
事務員は金を支払う支度をした。
「どのようにお持ちしますか?」彼は言った。
「えっ?」
「どのようにお持ちしますか?」
「ああ」――私は彼の言葉を理解して、まったく考えもせずに答えた。「50ドル紙幣で」
彼は50ドル紙幣を渡した。
「で、6ドルは?」
「紙幣で」私は言った。
彼が渡した6ドルを受け取って、私は逃げるように外に出た。
大きなドアが私の後ろで閉まった瞬間、私は銀行の屋根まで立ち登る大笑いのどよめきを聞いた。それ以来私は銀行を使ったことはない。金はポケットに入れ、貯金は靴下に銀貨で入れている。
「私の銀行口座」終わり