14 「雨を見たかい」 クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル
Have you ever seen the rain
Someone told me long ago
There‘s calm before the storm
I know;It‘s been coming for sometime
(誰かが昔言っていた
嵐の前には静けさがあると
僕も知っている、何度か経験したんだ)
When it‘s over,so they say
It‘ll rain a sunny day
I know;shining down like water
(嵐が終わると、と彼らは言う
晴れた日でも雨が降るんだと
僕も知っている、光が水のように降り注ぐんだ)
*I want to know,
Have you ever seen the rain?
I want to know,
Have you ever seen the rain
Coming down a sunny day?
(僕は知りたい
君は雨を見たか?
僕は知りたい
君は雨を見たか
晴れた空から降り注ぐ雨を?)
Yesterday,and days before
Sun is cold,and rain is hard
I know;Been that way for all may time
Till forever,on it goes
Through the circle,fast and slow
I know;It can‘t stop,I wonder
(昨日も、その前も
太陽は寒く、雨は激しかった
知っている、僕の人生はずっとそうだった
永遠に、それは続くんだ
輪を描いて、速かったり遅かったりしながら
僕は知っている、それは止められないことを、確かじゃないが)
* リフレイン
単純で謎めいた詞である。吉田拓郎やモップスの歌った「たどりついたらいつも雨降り」というフォークソングに似た印象の内容だ。ただし、あちらはただの雨降りだが、こちらはお天気雨という違いがある。まあ、人生の厳しさを歌った詩だという点では同じだろう。人生には雨の日もあれば晴れの日もある、と言えば、ただの人生訓だが、晴れた日に落ちてくる雨とは何だろうか。まあ、書いた方は、何となく面白いというだけで書いたというのが案外正解だろうが、こじつけめいた解釈をすれば、この雨は、見える人にしか見えない雨なのである。だから、「君は雨を見たか?」と聞いているのだ。それは、相手が自分と同じ魂を持っているかどうかを確かめるための質問だ。人生の雨自体はどうということはない。ただ、できれば、その雨を共有できる相手と共に生きていきたい。そういう願いだとするのはどうだろうか。
13 「何で馬鹿は恋をする?」
Why do fools fall in love
Why do birds sing so gay
And lovers await the break of the day
Why do they fall in love
(何で小鳥たちはあんなに楽しげに歌い、恋人たちは夜明けを待つんだ? どうして連中は恋に落ちるんだ?)
Why does the rain fall from up above
Why do fools fall in love
Why do fools fall in love
(何で雨は上から落ちるんだ? 何で馬鹿は恋に落ちるんだ? 何で、何で?)
Love is a losing game
Love can be a shame
I know of a fool
For that fool is me
Tell me why tell me why
(愛は負けるはずのゲーム、愛は恥じかきのゲーム、
僕は馬鹿のことは良く知っている。なぜなら、その馬鹿は僕だから。
何で、何で、こうなっちゃったんだ、教えてくれよ!)
* 第一ヴァース繰り返し
Why does my heart skip a crazy beat
For I know it will reach defeat
Tell me why,tell me why
(何で、僕の心臓は狂ったビートを叩いている?
わかっているさ、それはこの恋が敗北へとまっしぐらだからさ。
何で、何で、こうなったんだ。誰か教えてくれよ!)
「フランキー・ライモンとティーンエイジャーズ」でヒットしたナンバー。このフランキー・ライモンは、ローティーンの天才的シンガーで、ジャクソン・ファイブにおけるマイケル・ジャクソンのような存在である。というより、ジャクソン・ファイブが、彼らの真似をしたと言うべきか。そして、そのジャクソン・ファイブの日本版がフィンガー・ファイブである。商才がある人間なら、もう一度フィンガー・ファイブ的なグループを作って、この歌を歌わせれば、ヒットは間違いなしだ。
訳は一部意訳してはあるが、大意はこんなものだろう。最初は、世間の恋人たちをクールに批評してみせながら、実は、自分自身がその馬鹿な恋人であるということを白状するという、喜劇のセオリーをうまく使った詞である。
小鳥が歌うのにも、雨が降るのにも文句をつけているところが面白い。実は、それは、自分の恋が敗北まっしぐらだから、その八つ当たりをしているというところがコミカルだ。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」の逆である。(今時、「電信柱」も「郵便ポスト」も死語か。)
なお、「鳥たち」を「小鳥たち」としたのは、当然、伝統的な恋歌の原則に従ったまでである。まさか、この「鳥たち」を鷲やコンドルと思う人はいるまい。
これと正反対の超シリアスな恋の詞が10番の「この世の終わり」(一般には「この世の果てまで」などと訳されているが、これは完全な誤訳と言っていいと思う。)、これと似た喜劇的なひねりを生かした歌が、18番の「二度と恋には落ちないわ」(一般には「恋にさよなら」だが、これも、「ネバー、アゲイン」という部分が歌詞のキモなので、タイトルにも「二度と」を入れるべきだろう。)である。この二つと比べてみるのも一興だろう。
12 「ジョニー、怒って!」(「内気なジョニー」)
Johhny,get angry
Johhny,I said we were through
Just to see what you would do
You stood there and hung your head
Made me wish that I were dead
(ジョニー、私たちもうおしまいよ!
あなたが何をしてきたかごらんなさい
あなたがしょんぼり立っているのを見ると
私死にたくなっちゃう)
* CHORUS
Oh,Johhny,get ungry
Johhny,get mad
Give me the biggest lecture
I ever had
I want a brave man
I want a cave man
Johhny,show me that you care
really care for me
(おお、ジョニー怒ってよ、怒り狂ってよ!
私にお説教をして頂戴よ!
私は勇敢な男がいい
穴居人みたいに強い男がいい
ジョニー、見せてよ
あなたが私を本当に思っていることを)
Every time you dance with me
You let Freddy cut in constantly
When he‘d ask,you’d never speak
Must you always be so meek?
(いつもダンスをするときに、
あなたはフレディに割り込ませる
あいつが図々しく申し込むと
あなたは何にも言えず黙っている
いつもそんなに弱虫でいいの?)
* CHORUS(訳は省略)
Every girl wants someone who
She can always look up to
You know I love you,of course
Let me know that you‘re the boss
(女の子なら誰でも
いつも尊敬できる人を求めている
もちろん、分かってるでしょう、私があなたを愛しているのを
あなたがボスだって教えて見せて!)
* CHORUS(訳は省略)
Johhny,get angry,Johhny
Johhny,Johhny,Johhny,Johhny……
(ジョニー、怒ってよ、ジョニー、
ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニー……)
何とも可愛らしい歌で、気の強い女の子と気の弱い男の子というこのシチュエーションで、いくらでも漫画やロマコメ映画が作れそうである。実際に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、主人公マーティの両親のなれそめはこの歌そのままで、「フレディ」役の男もいる。ビフという乱暴者である。そして、マーティの父親(当時は高校生)が「怒る」ことで、愛する女性を手に入れるわけである。
作詞はハル・デイビッド、作曲はシャーマン・エドワーズ。ハル・デイビッドは、もしも同姓同名でなければ、「恋にさよなら」の作詞家でもある。短い詩の中でドラマを作る天才ではないかと思われる。女性の可愛さを書く天才でもある。
なお、インターネットでなつめろポップスによる英語講座を開いている「四季」氏によれば、「穴居人」云々は、テレビ漫画の「フリントストーン」つまり、「原始家族」が当時流行っていたことに関係しているのではないかということである。もちろん、「ブレイブマン」と「ケイブマン」で韻を踏むのが一番の理由ではあるのだが。
11 「明日も愛してくれるかしら?」
Will you still love me tomorrow
Tonight you‘re mine completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love
is in your eyes
But will you love me tomorrow?
(今夜、あなたはカンペキに私のもの
あなたはとても優しく私を愛してくれる
今夜、あなたの目には愛の光がある
でも、明日もまだ愛してくれるかしら?)
Is this a lasting treasure?
Or just a moment‘s pleasure?
Can I believe the magic of your sighs?
Will you still love me tomorrow?
(これは永遠の宝?
それともほんのひと時のお楽しみ?
私、あなたの溜息の魔法を信じていいのかしら
あなたは明日もまだ私を愛しているかしら?)
Tonight with words unspoken
You say that I‘m the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun?
(今夜あなたは語られない言葉で
私をたった一人の恋人だと言っている
でも夜が朝日に会う時に
私の心が砕けるのじゃないかしら?)
I‘d like to know what your love
Is love I can be sure of
So tell me now,and I won‘t ask again
Will you still love me tomollow?
Will you still love me tomollow?
(私は知りたいの
あなたの愛が確かなものかどうかを
だから今話して
そうすれば二度と聞かない
明日もあなたは愛してくれるかしら?
明日もまだ私を愛してくれるかしら?)
ゲイリー・ゴフィン作詞、キャロル・キング作曲で、シレルズ(?)とかいう黒人娘のグループが1961年にヒットさせた後、1968年、1978年にも他の歌手でリバイバルヒットしているようだ。歌はそのシレルズのものが一番いい。まさしく、1960年代アメリカンポップスといった感じで、「内気なジョニー」とか、「ビー・マイ・ベイビー」などに近いイメージだ。キャロル・キング自身も歌っているが、彼女が歌うと1960年代ポップス風味がまったくなくなり、1970年代フォークソング風味になって、あまり楽しくない。
歌詞の内容は、モテ男に恋した若い娘の他愛ない思いではあるが、他愛ないからこそ、普遍性もあるのである。スタンダードナンバーの永遠性は、万人の心の奥底に流れる共通の感情に根ざしているためだろう。それには男女の区別は無い。若い娘の気持ちは、若い男の気持ちと共通だし、その記憶は年を取っても残るのである。
まあ、確かに、女からあまりしつこくこう聞かれたらうんざりする向きもあるだろうが、そこが女の可愛いところだと理解するべきだろう。それ以前に、女からこう言われる立場に、一度でも立ってみたいものである。
10 「この世の終わり」(「この世の果てまで」)
The end of the world
Why does the sun go on shining
Why does the sea rush to shore
Don‘t they know it’s the end of the world
‘Cause you don’t love me any more
(なぜ太陽は輝き続けるの? なぜ海は海岸に打ち寄せ続けるの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
なぜって、あなたははもう私を愛していないから)
Why do the birds go on singing
Why do the stars glow above
Don‘t they know it’s the end of the world
It ended when I lost your love
(なぜ鳥たちは歌い続けるの? なぜ星たちは光り続けるの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
私があなたの愛を失った時に、世界は終わったの)
I wake up in the morning and I wonder
Why everything‘s the same as it was
I can‘t understand,no,I can’t understand
How life goes on the way it does
(朝目ざめて、私は不思議に思う
なぜすべてがもとのままなのかしら
私にはわからない、いいえ、私にはわからない
どうして生活がもとのままで動いていくのかが)
Why does my heart go on beating
Why do the eyes of mine cry
Don‘t they know it’s the end of the world
It ended when you said goodby
(なぜ私の心臓は動いているの? なぜ私の目は涙を流すの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
あなたが私にさよならと言った時に、この世は終わったの)
*リフレーン
スキーター・デイビスの「ディ・エンド・オブ・ザ・ワールド」である。もっとも、スキーター・デイビスは歌手なのか作った人なのかはわからない。確か、別の歌手(ブレンダ・リーだったと思う)でヒットしたような記憶がある。
恋歌というのは概して大袈裟なものだが、ここまで行くと、大袈裟というより、失恋の悲しみがまさに「この世の終わり」であることに納得してしまう。逆に言うと、ここまでの悲しみを感じない失恋など、恋の名に値しないという気がする。
訳の上では、いわゆる無生物主語の処理が困難な詩である。つまり、太陽や海や、鳥や星を「彼ら」と言うのは、日本語としてはまだまだ不自然ではあるが、そう言わないと訳せない内容なのである。まあ、この程度の不自然さは、許してもらいたい。