7 「マイ・ボニー」
My Bonnie
My Bonnie is over the ocean
My Bonnie is over the sea
My Bonnie is over the ocean
O bring back my Bonnie to me
(私のボニーは大洋の彼方
私のボニーは海の向こう
私のボニーは大洋の彼方
おお、私のボニーを返して)
* Bring back ,bring back
Bring back my Bonnie to me,to me
Bring back,bring back,
Bring back my Bonnie to me
(返して、返して、
私のボニーを私に、私に
返して、返して、
私のボニーを返して、私に)
Last night as I lay on my pillow
Last night as I lay on my bed
Last night as I lay on my pillow
I dreamed that my Bonny is dead
(昨夜、枕に頭をもたせている時に
昨夜、ベッドで横になっている時に
昨夜、枕に頭をもたせている時に
ボニーが死んだ夢を見た)
* リフレイン
Oh,blow,ye winds over the ocean
Oh,blow,ye winds over the sea
Oh,blow,ye winds over the ocean
And bring back my Bonnie to me
(風よ、大洋の上を吹いておくれ
風よ、海の上を吹いておくれ
風よ、大洋の上を吹いておくれ
そして、私のボニーを返しておくれ)
* リフレイン
説明の必要も無い歌だが、イラク戦争などで息子を失った家族にとっては、胸に迫るものがある歌だろう。もともと反戦歌だったわけでもないだろうが、反戦歌として見ると、これ以上に効果的な歌も少ないと思う。単純な曲が、いっそう人の心を動かす。ママさんコーラスなどでぜひ取り上げて貰いたい歌である。ただし、ビートルズ調のロックで歌ったのでは、この歌詞の悲哀感が出ないので、普通のテンポで歌うのがいいだろう。
6 「雨の中の九月」
September in the rain
The leaves of brown came tumbling down,
remember
In September in the rain
(茶色い木の葉は揺れながら落ちてきた
覚えているかい
あの九月の雨の中で)
The sun went out just like a dying ember
That September in the rain
(太陽は死んでいく熾のように消えていった
あの九月の雨の中で)
To every word of love I heard
you whisper
The raindrops seemed to play a
sweet refrain
(君のささやく一つ一つの愛の言葉ごとに
雨だれが優しいリフレーンを奏でているようだったね)
Though spring is here,
to me it‘s still September
That September in the rain
(春は今ここにあるが
私にはまだ九月なのだ
あの九月、あの雨の中の……)
ガイ・ロンバードとかいう歌手の曲らしいが、ほかにも何人もの歌手が歌っている。あまり有名ではないスタンダードといったところか。しかし、誰の曲も今一つ感心できないのである。
実は、昔、ラジオから流れてくるこの曲を聞いて、そのノスタルジックな調子にすっかりいかれたのだが、その曲を歌った歌手が誰かいまだに分からないのである。ユー・チューブでこの曲を検索すると、ジェームズ・メルトンという歌手とか、アル・ヒブラーとかいう名が出てくるが、どちらも私の記憶の歌手ではない。一番近いのは、大昔のワーナーブラザースの漫画映画、メリー・メロディーズの中の同名の漫画映画の中で、黒人が歌う奴だが、その半分は語りで、古風な調子が似ているというだけだ。その漫画映画自体は、雑貨店の商品が擬人化されて歌い踊るという内容で、アステアとロジャースらしき男女なども出て面白いのだが。
ビートルズもこの曲をカバーしているということは、これが名曲であることの証明みたいなものだが、ロック調の歌では、ノスタルジーも何もあったものではない。
とにかく、ポップスにおけるノスタルジーと言えば、この曲か、あるいは、これも幻の曲だが「いつか聞いた唄」の二つが双璧である。
5 「セプテンバー・ソング」
September song
Oh it‘s a long long time
from May to December
But the days grow short
When you reach September
(ああ、それは長い、長い時間だ
五月から十二月までは
だが、九月になると、日は短くなっていく)
When the autumn weather
turn the leaves to flame
One hasn‘t got time
for the waiting game
(秋の気候が
木の葉を炎に変える頃
人には時間は残っていない
ただ待つだけのゲームに使う時間は)
Oh,the days dwindle down
to a precious few
September November
(ああ、日々は小さくなって消えていく
貴重な、わずかなものとなる
九月、そして十一月)
And these few precious days
I‘ll spend with you
These precious days
I‘ll spend with you
(その貴重なわずかな日々を
私は君と使いたい
残されたわずかな日々を
君と共にしたいのだ)
元の唄には、長い前フリがあるが、省略した。1939年のミュージカルの挿入歌らしい。「鼻のデュランテ」と言われたジミー・デュランテという役者の歌が有名らしいから、きっとその時の芝居に出て、彼が歌ったのだろう。だが、あいにくながら、彼の歌は勢いが良すぎて、この歌のしみじみとした感じが現れていない。フランク・シナトラの歌ったものが、まずまずいい感じだが、もっといい歌い方をしているバージョンがありそうな気がする。案外と、昔の歌手の中には、シナトラ以上の歌手はたくさんいるのである。ビング・クロスビーにしても、べつに彼だけが飛びぬけているわけでもない。
年寄りのための歌という趣だが、歌は若者の専売特許というわけでもないのだから、こういう歌があってもいい。しかも、これはポップスの原則通り、ラブソングなのである。年を取っても恋の唄を歌うというのが、欧米の男のエネルギッシュなところだ。人生の九月と言えば、50代くらいだろうか。年寄りと言い切るのもなんだが、もはや引退間近ではある。言い換えれば、これからは自分のために生きることを考える頃だ。そうした時に、独身だったならば、余生を共に送る伴侶を求めるのも悪くは無いだろう。そうした枯れない老人のための歌が日本にもあっていいと思うのだが。
4 「時が経っても」(「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」) ハーマン・ハプフェルド作詞作曲
As time goes by
You must remember this
A kiss is just a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamenntal things apply
As time goes by
(覚えておきなさい
キスはただのキス
溜息はただの溜息
基本的な事柄は変わらない
時が過ぎていっても)
And when two lovers woo
They still say “I love you”
Oh,that‘s you can rely
No matter what the future brings
As time goes by
(恋人たちが求婚する時、
彼らはやはり「アイ・ラブ・ユー」と言う
そのことは大丈夫、いつでも通じるさ
未来が何をもたらそうとも
時が過ぎていっても)
Moonlight and lovesongs
Never out of date
Hearts, full of passion
Jealousy and hate
Woman needs man
And man must have his mate
That no one can deny
(月の光や恋唄は
けっして流行遅れにはならないよ
情熱に満ちた心、
嫉妬に憎しみ、
女が男を必要とすること、
男には連れ合いが必要なこと、
それらは誰にも否定はできない)
It‘s still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
The world will always welcome lovers
As time goes by
(それは昔ながらのお話
恋や栄光のための戦い
やるか死ぬかの二者択一
世界はいつでも恋人たちを歓迎しているんだよ
時が過ぎていってもね)
Oh,yes,the world will always welcome lovers
As time goes by
(そうさ、世界はいつでも恋人たちを歓迎する
時が過ぎても)
案外と内容が誤解されているのではないかと思われるスタンダード曲である。その理由は、「As time goes by」の「as」の解釈を、「~のままに」として、「時の過ぎ行くままに」などというタイトルが流布しているからだろう。「時の過ぎ行くままに」では、まるで、変化を肯定する内容に見えてしまう。これは逆に、「時が過ぎても、人生のファンダメンタルは変わらない」という不変性を歌った詩なのである。おそらく、日本的無常観の伝統が、こうしたポップスの解釈まで誤らせたのだろう。もっとも、逆接の「as」なんてのは、辞書を細かく見ないと気づかないものではあるが。
歌詞そのものは、他のポップス同様、押韻の面白さを狙った言葉遊びが多く、あまり逐語訳しても意味はないが、それなりに面白い内容でもある。それに、やはり映画「カサブランカ」での効果的な使い方のために、一部の人間には忘れられない名曲となっているようである。ただし、本当は「カサブランカ」のテーマ自体とはあまり関係のない、ただの甘いラブソングなのだが。
3 虹の彼方に
Over the rainbow
(映画「オズの魔法使い」では、この歌の前に、ジュディ・ガーランド演ずるドロシーが次のセリフを言うが、それが歌のいい前フリになっているので、それも書いておく。ただし、英語部分は省略。)
「どこか、悩み事がなんにも無い土地……そんな土地がどこかにあるとお前は思わない? ねえ、トト(注:犬の名)。きっとあるはずよ。そこはきっと、ボートや汽車では行けない所だわ。どこか、とても遠く、遠く、……月の後ろか、雨の向こう側に」
Somewhere,over the rainbow,way up high,
There‘s a land that I heard of once in a
lulluaby
(虹の彼方のどこか、高く登ったところに
子守唄で聞いた土地がある)
Somewhere,over the rainbow,
skies are blue
And the dreams that you dare to dream
really do come true
(虹の向こうのどこかに、空はいつも青く
夢見た夢が現実になる、そんな土地がある)
Someday I‘ll wish upon a star
And wake up where the clouds are
far behind me
Where the troubles melt like lemon drops
Away above timny tops
That‘s where you’ll find me
(いつか私は星の上に上り
目ざめるでしょう
雲をずっと後ろに置き去りにして
悩みはレモンドロップのように消え
あなたは煙突の上の空の彼方で私を見つけるでしょう)
Somewhere over the rainbow,bluebirds fly
Birds fly over the rainbow,
Why,then,oh,why can‘t I ?
(虹の向こうのどこかへ、青い鳥は飛んで行く
鳥たちが虹を越えて飛べるなら
私にも行けるでしょう)
If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why,oh,why can‘t I ?
(幸せの青い鳥が
虹を越えていけるなら
どうして私にできないことがあるだろう)
ミュージカル「オズの魔法使い」の中の挿入歌である。この映画の中のドロシーはまだ10歳かそこらのはずだから、虹の彼方に行きたいと思うほどの悩み事もないはずだが、子供には子供なりの悩みがあり、その重みは大会社の社長が倒産するかどうかで悩むのと、重さにおいて違いは無いのである。彼女の悩みは、確か、愛犬のトトの処分を、近所の意地悪女に迫られていることだったと思う。その意地悪女が、彼女の夢の中では悪い魔法使いとなって出てくるし、彼女の農場で働く使用人たちが、勇気の無いライオンや、心の無いロボットや脳みその無い案山子となって登場する。つまり、夢は現実のアレンジであるという点では、フロイド説そのままである。ただし、この映画には性的なものは無いが。
第三連で、「あなたは私を見つけるでしょう」の「あなた」とは何者かというと、これは仮想の恋人で、ミュージカル映画の挿入歌は、映画のストーリーを離れても歌える(使える)ように、必ずラブソングにもなっているのである。まあ、「必ず」と断言はできないが。このフレーズがあるために、これは童謡に限定されない大人の歌にもなるわけだ。
なお、スタンダードソングの例に漏れず、この歌にも前説というか、長い前フリがあるが、その部分は歌の説明に堕しすぎているようなので、映画の中のセリフで代用してある。