12 「ジョニー、怒って!」(「内気なジョニー」)
Johhny,get angry
Johhny,I said we were through
Just to see what you would do
You stood there and hung your head
Made me wish that I were dead
(ジョニー、私たちもうおしまいよ!
あなたが何をしてきたかごらんなさい
あなたがしょんぼり立っているのを見ると
私死にたくなっちゃう)
* CHORUS
Oh,Johhny,get ungry
Johhny,get mad
Give me the biggest lecture
I ever had
I want a brave man
I want a cave man
Johhny,show me that you care
really care for me
(おお、ジョニー怒ってよ、怒り狂ってよ!
私にお説教をして頂戴よ!
私は勇敢な男がいい
穴居人みたいに強い男がいい
ジョニー、見せてよ
あなたが私を本当に思っていることを)
Every time you dance with me
You let Freddy cut in constantly
When he‘d ask,you’d never speak
Must you always be so meek?
(いつもダンスをするときに、
あなたはフレディに割り込ませる
あいつが図々しく申し込むと
あなたは何にも言えず黙っている
いつもそんなに弱虫でいいの?)
* CHORUS(訳は省略)
Every girl wants someone who
She can always look up to
You know I love you,of course
Let me know that you‘re the boss
(女の子なら誰でも
いつも尊敬できる人を求めている
もちろん、分かってるでしょう、私があなたを愛しているのを
あなたがボスだって教えて見せて!)
* CHORUS(訳は省略)
Johhny,get angry,Johhny
Johhny,Johhny,Johhny,Johhny……
(ジョニー、怒ってよ、ジョニー、
ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニー……)
何とも可愛らしい歌で、気の強い女の子と気の弱い男の子というこのシチュエーションで、いくらでも漫画やロマコメ映画が作れそうである。実際に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、主人公マーティの両親のなれそめはこの歌そのままで、「フレディ」役の男もいる。ビフという乱暴者である。そして、マーティの父親(当時は高校生)が「怒る」ことで、愛する女性を手に入れるわけである。
作詞はハル・デイビッド、作曲はシャーマン・エドワーズ。ハル・デイビッドは、もしも同姓同名でなければ、「恋にさよなら」の作詞家でもある。短い詩の中でドラマを作る天才ではないかと思われる。女性の可愛さを書く天才でもある。
なお、インターネットでなつめろポップスによる英語講座を開いている「四季」氏によれば、「穴居人」云々は、テレビ漫画の「フリントストーン」つまり、「原始家族」が当時流行っていたことに関係しているのではないかということである。もちろん、「ブレイブマン」と「ケイブマン」で韻を踏むのが一番の理由ではあるのだが。
11 「明日も愛してくれるかしら?」
Will you still love me tomorrow
Tonight you‘re mine completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love
is in your eyes
But will you love me tomorrow?
(今夜、あなたはカンペキに私のもの
あなたはとても優しく私を愛してくれる
今夜、あなたの目には愛の光がある
でも、明日もまだ愛してくれるかしら?)
Is this a lasting treasure?
Or just a moment‘s pleasure?
Can I believe the magic of your sighs?
Will you still love me tomorrow?
(これは永遠の宝?
それともほんのひと時のお楽しみ?
私、あなたの溜息の魔法を信じていいのかしら
あなたは明日もまだ私を愛しているかしら?)
Tonight with words unspoken
You say that I‘m the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun?
(今夜あなたは語られない言葉で
私をたった一人の恋人だと言っている
でも夜が朝日に会う時に
私の心が砕けるのじゃないかしら?)
I‘d like to know what your love
Is love I can be sure of
So tell me now,and I won‘t ask again
Will you still love me tomollow?
Will you still love me tomollow?
(私は知りたいの
あなたの愛が確かなものかどうかを
だから今話して
そうすれば二度と聞かない
明日もあなたは愛してくれるかしら?
明日もまだ私を愛してくれるかしら?)
ゲイリー・ゴフィン作詞、キャロル・キング作曲で、シレルズ(?)とかいう黒人娘のグループが1961年にヒットさせた後、1968年、1978年にも他の歌手でリバイバルヒットしているようだ。歌はそのシレルズのものが一番いい。まさしく、1960年代アメリカンポップスといった感じで、「内気なジョニー」とか、「ビー・マイ・ベイビー」などに近いイメージだ。キャロル・キング自身も歌っているが、彼女が歌うと1960年代ポップス風味がまったくなくなり、1970年代フォークソング風味になって、あまり楽しくない。
歌詞の内容は、モテ男に恋した若い娘の他愛ない思いではあるが、他愛ないからこそ、普遍性もあるのである。スタンダードナンバーの永遠性は、万人の心の奥底に流れる共通の感情に根ざしているためだろう。それには男女の区別は無い。若い娘の気持ちは、若い男の気持ちと共通だし、その記憶は年を取っても残るのである。
まあ、確かに、女からあまりしつこくこう聞かれたらうんざりする向きもあるだろうが、そこが女の可愛いところだと理解するべきだろう。それ以前に、女からこう言われる立場に、一度でも立ってみたいものである。
10 「この世の終わり」(「この世の果てまで」)
The end of the world
Why does the sun go on shining
Why does the sea rush to shore
Don‘t they know it’s the end of the world
‘Cause you don’t love me any more
(なぜ太陽は輝き続けるの? なぜ海は海岸に打ち寄せ続けるの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
なぜって、あなたははもう私を愛していないから)
Why do the birds go on singing
Why do the stars glow above
Don‘t they know it’s the end of the world
It ended when I lost your love
(なぜ鳥たちは歌い続けるの? なぜ星たちは光り続けるの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
私があなたの愛を失った時に、世界は終わったの)
I wake up in the morning and I wonder
Why everything‘s the same as it was
I can‘t understand,no,I can’t understand
How life goes on the way it does
(朝目ざめて、私は不思議に思う
なぜすべてがもとのままなのかしら
私にはわからない、いいえ、私にはわからない
どうして生活がもとのままで動いていくのかが)
Why does my heart go on beating
Why do the eyes of mine cry
Don‘t they know it’s the end of the world
It ended when you said goodby
(なぜ私の心臓は動いているの? なぜ私の目は涙を流すの?
彼らはこの世が終わったことを知らないの?
あなたが私にさよならと言った時に、この世は終わったの)
*リフレーン
スキーター・デイビスの「ディ・エンド・オブ・ザ・ワールド」である。もっとも、スキーター・デイビスは歌手なのか作った人なのかはわからない。確か、別の歌手(ブレンダ・リーだったと思う)でヒットしたような記憶がある。
恋歌というのは概して大袈裟なものだが、ここまで行くと、大袈裟というより、失恋の悲しみがまさに「この世の終わり」であることに納得してしまう。逆に言うと、ここまでの悲しみを感じない失恋など、恋の名に値しないという気がする。
訳の上では、いわゆる無生物主語の処理が困難な詩である。つまり、太陽や海や、鳥や星を「彼ら」と言うのは、日本語としてはまだまだ不自然ではあるが、そう言わないと訳せない内容なのである。まあ、この程度の不自然さは、許してもらいたい。
9 「愛無き世界」
A world without love
Please lock me away
and don‘t allow the day
Here inside where I hide
with my lonliness
I don‘t care what they say
I won‘t stay in a world without love
(僕を閉じ込めて
あの日々を許さないで
この中に隠れて僕は孤独と共にいる
彼らが何と言おうと気にしない
愛の無い世界には僕はもういられないんだ)
Birds sing out of tune
and rainclouds hide the moon
I‘m okay,here I stay
with my loneliness
I don‘t care what they say
I won‘t stay in a world wuthout love
(鳥たちはさえずり
雲は月を隠す
僕は大丈夫
僕の孤独と共にいて
彼らが何と言っても気にしない
僕は愛の無い世界にはとどまらない)
So I wait and in a while
I will see my true love smile
She may come Iknow not when
When she does I‘ll know
So baby untill then
Lock me away
And don‘t allow the day
Here inside where I hide
With my Loneliness
I don‘nt care what they say
I won‘t stay in a world without love
I don‘t care what they say
I won‘t stay in a world without love
(だから僕は待っている
僕の本当の恋人が微笑むのを
彼女は来る
いつかはわからないけど
その時には僕にもその時が来たとわかるんだ
だからその時まで僕を閉じ込めて
あの日々を許さないで
この中で僕は孤独と共に隠れて
彼らが何と言おうと気にしない
僕は愛の無い世界にはとどまらない
彼らが何と言おうと気にしない
僕は愛の無い世界にはとどまらない)
オタクか自閉症の世界を歌ったような歌である。ある意味では、未来の社会を予見していた歌でもある。青少年の心的世界には、多かれ少なかれ、このような唯心論的ユートピアがあるものだが、通常は、それが現実世界の圧力の前に敗れ去るものである。
現実には「本当の恋人」があらわれる時などない。この本当の恋人とは、彼が幻想で生み出した恋人なのだから。だが、それならこの現実世界が幻想世界より意義があるかというと、それは断定はできない。我々の生は、我々が自分の脳に受け取ったものだとするなら、幻想は現実と等価なのである。
訳の上で困ったのは「あの日々を許さないで」というフレーズだ。これは解釈ができない。「あの日々を認めないで」としてもいいが、あの日々とは何か。解釈無しにそのまま訳しておいたが、無理に解釈すれば、「あの日々」とは「彼」が悩み苦しんだ現実の日々である。彼はその日々を認めないことで、幻想の平安の世界へと旅立ったのである。
作詞・作曲はジョン・レノンとポール・マッカートニーだが、歌ってヒットさせたのはピーターとゴードンという男性二人組のデュオである。
8 「マイ・ガール」
My girl
I‘ve got sunshine on a cloudy day
When it‘s cold outside,
I‘ve got the month of May
(曇った日にも、僕には太陽の光がある
外は寒くても、僕には五月の陽気がある)
Well,I guess you‘ll say
What can make me feel that way?
(君は言いたいんだろう
いったい何が僕をそう感じさせるのかって)
My girl,(My girl,mygirl)
Talking about my girl
(僕の女の子、僕の女の子、僕の女の子
僕の女の子の話なのさ)
I‘ve got so much honey
The bees envy me
I‘ve got sweeter song
Than the birds in the tree
(僕には沢山の蜂蜜がある
蜜蜂も僕を羨むくらい
それに甘い唄も
木の上で歌う鳥たちの歌よりも甘い奴)
Well,I guess you‘ll say
What can make me feel that way
My girl(My girl,mygirl)
Talking about mygirl
(そうさ、君は聞きたいんだろう
いったい何が僕をそう思わせるのかって
それは僕の女の子、僕の女の子、僕の女の子
僕の女の子のためなのさ)
Ooooh,Hoooo、
Hey、hey,hey
I don‘t need no money
Fortune or fame
I‘ve got all the riches,baby
One man can clame
(僕はお金なんて少しもいらない
幸運も名声もいらない
僕にはあらゆる富があるから
一人の男が求められる限りの富が)
Well、I guess you‘ll say
What can make me feel this way
My girl(My girl,my girl)
Talking about my girl
(そうさ、君は言いたいんだろう
何でそんな風に考えられるんだって
それは、僕の女の子、僕の女の子、僕の女の子
僕の女の子のせいなのさ)
I‘ve got sunshine on cloudy day
With my girl
I‘ve got even month of May
With my girl
Tlking about,talking about,my girl
(僕は太陽を手に入れた
この曇った天気の日に
僕の女の子と
僕は五月の陽気まで手に入れた
僕の女の子と
話そう、話そう、僕の女の子のことを)
能天気を絵に描いたような唄だが、アメリカンポップスの良さもそこにあるのである。同じフレーズが何度も繰り返されるので、読む方もうんざりかもしれないが、これに曲がついてテンプテーションズによって歌われると、実に気持ちがいいのである。
訳の上では、実は、「Talking about my girl」をどう訳していいのか、分からない。「僕は自分のガールフレンドのことを話しているんだよ」くらいのものかと思うのだが、なかなか訳しづらいのである。まあ、適当に変化をつけて訳すことで誤魔化したが、もっといい訳し方があるかと思う。