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17 無引く無(「ナッシング・フロム・ナッシング」)

 

 Nothing from nothing

 

Nothing from nothing leaves nothing

You gotta have something

   if you wannna be with me

Nothing from nothing leaves nothing

You gotta have something

   if you wannna be with me

(無から無を引けば無

もしも君が僕と一緒になれば

何かは得られるよ

無から無を引いても無

でも君が僕と一緒になれば

何かはきっと得られるんだ)

 

I‘m not trying to be your hero

‘Cause that zero

  is too cold for me(Brr)

I‘m not trying to be your highness

‘Cause that minus

  is too low to see(Yea)

(僕は君のヒーローにはなる気はないよ

だってゼロってのは僕には寒すぎるからね(ブルブルッ!)

僕は君の陛下(ハイネス)になる気もない

だってマイナスってのは、見るには低すぎるじゃないか(イエィ!))

 

Nothing from nothing leaves nothing

And I‘m not stuffing 

  believe you me

Don‘t you remember I told ya

I‘m a soldier

  in the war of poverty

   yeah,yes Iam

(無から無を引いても何も残らない

僕は君に自分を信じさせようとは思わないよ

君に言ったことを覚えていないかい

僕は貧困の戦いの戦士なのさ(イェイ! そうなんだぜ))

 

  第一連リフレーン

 

You gotta have something

  if you wanna be with me

You gotta bring me something girl

  if you wanna be with me

(僕と一緒になれば

君も何かを得るさ

君と一緒になれば

僕にも何かが得られるはずさ)

 

 

ほとんど無名のポップスだが、私の好みで30撰の中に入れることにした。というのは、算数的表現をそのまま歌詞にしたところが面白くて、ユニークだからである。つまり、「2引く1は1」のような英語の算数表現が「1 from 2 leaves 1」だったと記憶しているが、それを「無から無を引く」と言うと、何やら哲学風味が出るところが面白い。だが、趣旨はやはり恋愛であり、貧乏な二人でも、一緒になればきっと楽しいよ、くらいの内容である。自分の貧乏さを「僕は貧困の戦いの戦士なんだ、イェイ!」などと言うところが、何とも能天気でいい。歌も軽快なリズムで楽しいし。

 歌はビリー・プレストンという、アフロヘアで肥った黒人。○ノダ・ヒロみたいな感じのエネルギッシュで臭そうな男で、ユー・チューブで実物を見たらガッカリすることうけあいだ。

  





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16 七つの水仙

 

Seven daffodils

 

I may not have a mansion

I haven‘t any land

Not even a paper dollar

  to crincle in my hands

But I can show you morning

 on a thousand hills

And kiss you and give you

 seven daffodils

(私には豪邸もない

私には土地もない

手の中でカサカサと音を立てる1ドルのお金さえない

でも私はあなたに幾つもの丘の上の朝の姿を見せることができる

そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)

 

I do not have a fortune

to buy you pretty things

But I can weave you moonbeams

for necklaces and rings

And I can show you morning

on a thousand hills

And kiss you and give you

seven daffodils

(私には財産がない

あなたにきれいな物を買うための財産が

でも私は月の光を織ってあなたにネックレスと指輪を作ることができる

そしてあなたに幾つもの丘の上で朝を見せることができる

そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)

 

Oh seven golden daffodils

all shining in the sun

To light our way to evening

when our day is done

And I will give you music

and a crust of bread

And a pillow of

piny boughs to rest your head

And a pillow of

piny boughs to rest your head

(おお、七つの黄金の水仙よ

すべて朝日の中に輝き

一日が終わる夕暮れの時まで

私たちの道を照らしてくれる

そして一日が終わる時には

私はあなたに音楽を贈ろう

そしてわずかなパンを

そしてあなたが頭を休めるための松の葉の匂いのする枕を贈ろう

あなたが休むための松の匂いの枕を贈ろう)

 

 

 ブラザース・フォーのフォークソングである。次の17番の「無引く無」もそうだが、アメリカンポップスには貧乏ソングとでもいうべき歌があって、「ぼろは着てても心の錦」というか、「武士は食わねど高楊枝」というか、心の気高さが大事だよ、と考える伝統がある。もちろん、そういうことを言うのは、女房や恋人に高価な贈り物や贅沢な生活を与えることのできない甲斐性の無い男に決まっているのだが、それはそれで金がすべての資本主義社会の一服の清涼剤ではある。女性の側がこうした歌を鼻で笑うのは言うまでもない。

次の「無引く無」や「道路の陽の当る側」と共に読むと一層面白いだろう。








15 白昼夢を信じる奴(「ディ・ドリーム・ビリーバー」)

 

 Day dream believer

 

Oh,I could hide beneath the wings

  of the bluebirds as she sings

The six o‘clock alarm would never ring

But it rings and I rise

 wipe the sleep out of my eyes

My shaving razor‘s cold and it stings

(ああ、青い鳥が歌を歌う時に、その羽根の下に隠れられたらなあ!

六時のアラームはこれまで鳴ったことがなかったのに

そいつが鳴って、僕は起きる

眠りを目からこすり出して

僕の髭剃り用カミソリは冷たくてちくちくする)

 

  CHORUS

 

Cheer up,sleepy Jean

 oh what can it mean

To a daydream believer

 and a homecoming queen?

(元気を出せよ、眠そうな顔のジーンちゃん

 現実という奴にはいったい何の意味があるだろう

 白昼夢を信じる奴や

素に帰った女王様にとって)

 

You once thought of me

 as a white knight on a steed

Now you know how happy I can be

Oh,and our good time starts and ends

With a dollar one to spend

But how much baby do we really need?

(きみはかつて僕を白馬の王子様と思っていた

今、僕がどんなに幸福になれるか君もわかっただろう

僕たちの幸せの時は、始まり、そして終わる

たった1ドルを使うだけでね

でも実際、僕らにどれだけのお金が必要なんだろうか?)

 

  CHORUS(しつこく繰り返して終わる)

 

 

ビートルズのパチモン、モンキーズのほとんど唯一のヒットだが、強烈な魅力のある歌である。そもそも、題名が抜群にいい。白昼夢が若さの代名詞であることを、この歌は教えているのだ。現実社会の正しいパースペクティブを持たない若者に与えられた特権が白昼夢を見る能力なのであり、だからこそ若者だけが常に新しい創造をするのである。

 歌詞の中では「homecoming queen」の訳に悩んだが、これを同窓会での花形とか高校のブロムナイトの女王とする解釈は取らないことにした。というのは、次の連に、「白馬の王子様」が出てくるのだから、それとの対比を考えれば、これは本物の女王、ただし、家に帰り、普通の人間に戻った女王様だと解釈するほうがいい。

 また、「sleepy Jean」とは何者か、「Oh、what can it mean」の「it」は何かも、さっぱり分からないのだが、こういうのは謎めかした魅力を出すためにわざとしていることもあるので、無駄に頭を悩ます必要はないだろう。とりあえず、「it」は「現実」だと強引に訳したが、他の解釈があるならそれでもいい。

 面白いのは、女王や騎士(白馬の王子)を過去の夢としながら、では現実に生きるのかというと、そうではなく、今度は白昼夢に生きるのだという、この一種の開き直りである。

 確かに、このくだらない現実で夢を実現するには金もかかるし、膨大な努力も要る。だが、白昼夢を見つつ生きるならば、それには一銭の金も要らないのである。(この歌では1ドルくらいは要るとしている。まあ、たとえば映画を見るとか、漫画雑誌を買うとかくらいの金額だろう)ただし、時には「あちら側の世界」に行ってしまうこともあるが。

 







14 「雨を見たかい」 クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル

 

 Have you ever seen the rain

 

Someone told me long ago

There‘s calm before the storm

I know;It‘s been coming for sometime

(誰かが昔言っていた

嵐の前には静けさがあると

僕も知っている、何度か経験したんだ)

 

When it‘s over,so they say

It‘ll rain a sunny day

I know;shining down like water

(嵐が終わると、と彼らは言う

晴れた日でも雨が降るんだと

僕も知っている、光が水のように降り注ぐんだ)

 

*I want to know,

Have you ever seen the rain?

I want to know,

Have you ever seen the rain

Coming down a sunny day?

(僕は知りたい

君は雨を見たか?

僕は知りたい

君は雨を見たか

晴れた空から降り注ぐ雨を?)

 

Yesterday,and days before

Sun is cold,and rain is hard

I know;Been that way for all may time

Till forever,on it goes

Through the circle,fast and slow

I know;It can‘t stop,I wonder

(昨日も、その前も

太陽は寒く、雨は激しかった

知っている、僕の人生はずっとそうだった

永遠に、それは続くんだ

輪を描いて、速かったり遅かったりしながら

僕は知っている、それは止められないことを、確かじゃないが)

 

  リフレイン

 

単純で謎めいた詞である。吉田拓郎やモップスの歌った「たどりついたらいつも雨降り」というフォークソングに似た印象の内容だ。ただし、あちらはただの雨降りだが、こちらはお天気雨という違いがある。まあ、人生の厳しさを歌った詩だという点では同じだろう。人生には雨の日もあれば晴れの日もある、と言えば、ただの人生訓だが、晴れた日に落ちてくる雨とは何だろうか。まあ、書いた方は、何となく面白いというだけで書いたというのが案外正解だろうが、こじつけめいた解釈をすれば、この雨は、見える人にしか見えない雨なのである。だから、「君は雨を見たか?」と聞いているのだ。それは、相手が自分と同じ魂を持っているかどうかを確かめるための質問だ。人生の雨自体はどうということはない。ただ、できれば、その雨を共有できる相手と共に生きていきたい。そういう願いだとするのはどうだろうか。






13 「何で馬鹿は恋をする?」

 

Why do fools fall in love

 

Why do birds sing so gay

 And lovers await the break of the day

Why do they fall in love 

(何で小鳥たちはあんなに楽しげに歌い、恋人たちは夜明けを待つんだ? どうして連中は恋に落ちるんだ?)

Why does the rain fall from up above

 Why do fools fall in love

Why do fools fall in love

(何で雨は上から落ちるんだ? 何で馬鹿は恋に落ちるんだ? 何で、何で?)

 

Love is a losing game

 Love can be a shame

I know of a fool

 For that fool is me

Tell me why tell me why

(愛は負けるはずのゲーム、愛は恥じかきのゲーム、

僕は馬鹿のことは良く知っている。なぜなら、その馬鹿は僕だから。

何で、何で、こうなっちゃったんだ、教えてくれよ!)

 

  第一ヴァース繰り返し

 

Why does my heart skip a crazy beat

For I know it will reach defeat

Tell me why,tell me why

(何で、僕の心臓は狂ったビートを叩いている?

わかっているさ、それはこの恋が敗北へとまっしぐらだからさ。

何で、何で、こうなったんだ。誰か教えてくれよ!)

 

 

「フランキー・ライモンとティーンエイジャーズ」でヒットしたナンバー。このフランキー・ライモンは、ローティーンの天才的シンガーで、ジャクソン・ファイブにおけるマイケル・ジャクソンのような存在である。というより、ジャクソン・ファイブが、彼らの真似をしたと言うべきか。そして、そのジャクソン・ファイブの日本版がフィンガー・ファイブである。商才がある人間なら、もう一度フィンガー・ファイブ的なグループを作って、この歌を歌わせれば、ヒットは間違いなしだ。

 訳は一部意訳してはあるが、大意はこんなものだろう。最初は、世間の恋人たちをクールに批評してみせながら、実は、自分自身がその馬鹿な恋人であるということを白状するという、喜劇のセオリーをうまく使った詞である。

 小鳥が歌うのにも、雨が降るのにも文句をつけているところが面白い。実は、それは、自分の恋が敗北まっしぐらだから、その八つ当たりをしているというところがコミカルだ。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」の逆である。(今時、「電信柱」も「郵便ポスト」も死語か。)

 なお、「鳥たち」を「小鳥たち」としたのは、当然、伝統的な恋歌の原則に従ったまでである。まさか、この「鳥たち」を鷲やコンドルと思う人はいるまい。

 これと正反対の超シリアスな恋の詞が10番の「この世の終わり」(一般には「この世の果てまで」などと訳されているが、これは完全な誤訳と言っていいと思う。)、これと似た喜劇的なひねりを生かした歌が、18番の「二度と恋には落ちないわ」(一般には「恋にさよなら」だが、これも、「ネバー、アゲイン」という部分が歌詞のキモなので、タイトルにも「二度と」を入れるべきだろう。)である。この二つと比べてみるのも一興だろう。

 

 

 





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