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22 「少しの優しさを」(「トライ・ア・リトル・テンダーネス」)

 

Try a little tenderness

 

She may be weary

Woman do get weary

Wearing thethe same shabby dress

And when she is weary

Try a little tenderness

(彼女は疲れている

女は本当に疲れるものだ

いつも同じ着古したドレスを着て

そして彼女が疲れている時には

少し優しくしてあげなさい)

 

You know she is waiting

Just anticipating

Things she may never passes

While she‘s without them

Try a little tenderness

(彼女が待っているのは分かるだろう

期待しているんだ

それ無しではいられない物を

彼女が持たない時には

少しの優しさを見せてやりなさい)

 

It‘s not just sentimental

She has her greef and care

And a word that‘s soft and gentle

Makes it easier to bear

(それはただセンチメンタルなことじゃない

彼女には自分の苦悩や心配事がある

そして優しく親切な一つの言葉は

それらを耐え易くする)

 

You won‘t regret it

Woman don‘t forget it

Love is their whole happiness

It‘s all so easy

Try a little tenderness

(君はそれを後悔はしないさ

女は君がしてくれたことを忘れない

愛は彼女たちの幸福のすべて

それは本当に簡単なことなんだ

少しの優しさを試してごらん)

 

 

1933年のテッド・ルイスとかいう歌手のヒット曲だが、ほとんどの人は知らない歌だろう。ただし、オーティス・レディングのカバー曲で知っている人もいるかもしれない。

オーティス・レディング版では、第二連の意味不明の「thethe same」が「that same old」となっていたような気がする。辞書を引いても「thethe」なんて語は出てこないから、これはこの歌詞を拾ったインターネットサイトの誤記だろう。

ポップスの歌詞としては珍しく、男女の恋愛ではなく、一種の博愛をテーマとしている。

それも、仰々しい博愛行為ではなく、「少しの優しさを」というところがいい。我々の社会生活の軋轢のほとんどは、この「少しの優しさ」で解決できるところを、それぞれの「少しの強欲」が逆に増幅している気がする。歌に社会改革の力を求めるつもりはないが、案外と、こうした歌が心に残って、何かの影響を社会に及ぼすこともあるのではないだろうか。






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21 「僕の人生で」(「イン・マイ・ライフ」)

 

 In my life

 

There are places I‘ll remember

All my life though some have changed

Some foever not for better

Some have gone and some remain

(思い出す場所がある。

僕の人生の中で記憶した場所。

その幾らかは変わったけれど。

幾らかは永遠にあるだろうが、それがより良いわけじゃない。

幾らかは消え去ったし、幾らかは残っている。)

 

All these place have their moments

With lovers and friends

  I still can recall

Some are dead 

and some are living

In my life I‘ve loved them all

(それぞれの場所にはそれぞれの時があった。

恋人としての時、友達としての時。

 僕は今でも思い出せる。

何人かは死んだし、何人かは生きている。

僕の人生で、僕は彼らをすべて愛した。)

 

But of these friends and lovers

There is no one compares with you

And these moments lose their meaning

When I think of love as something new

(でもその友人たちや恋人たちの誰も

君には比べられない。

そして、それらの時の記憶は意味を失ってしまった。

この新しい恋を思う時。)

 

Though I know I never lose affection

For people and things that went before

I know I‘ll often stop

  and think about them

In my life I love you more

(それらの人々や物事への愛着を無くしたわけじゃない。

僕はこれからもしばしば立ち止まり、彼らのことを考えるだろう。

でも、僕の人生で、

君をもっと愛している。)

 

  最後の連を繰り返す

 

 

名詩30撰の中に入れるべきかどうか迷う詩である。というのは、この歌が名曲であるのは間違いないし、ビートルズの歌の中ではあまり知られていないので紹介する意味はあるのだが、歌詞の内容にやや問題があるのだ。確かに、新しい恋をしたら、その恋がすべてになるだろうし、過去の知人友人恋人、あるいは過去の記憶は、新しい恋人の前では意味を失うだろうが、こういうふうに比べること自体に何か人間関係の根本の誤りがあるような気がするのである。こうした考えに、ある種の不快感を感じるというか。これは、どうしても私が常に被害者や劣等者の側に身を置いて考える性質があるからかもしれない。もちろん、たとえば、恋人と友人とどちらかを救わねばならないという極限状態を前にしたとき、恋人を捨てて、友人を選ぶ人間は多くはないだろう。現代における友情はそんなものかもしれない。あるいは、いつの時代でも、友情はそんなものかもしれない。そして、過去の恋は新しい恋の前では色あせるのも当然だろう。だが、それを認めてしまうと、友情も恋すらも、意味がなくなりかねないという気がする。

 ビートルズの詩では「エリナー・リグビー」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などの方が詩としてはいいと思うが、あちらは結構知られていると思ったので、ここでは「イン・マイ・ライフ」を取り上げた。






20 「四月、彼女は来るだろう」(「四月になれば彼女は」)

 

 April,come she will

 

April,come she will

when streams are ripe

 and swelled with rain

May,she will stay

Resting in my arms again

(四月、彼女は来るだろう

 川の水が雨で増し、流れが膨らむ時に

五月、彼女はとどまるだろう

僕の腕の中でふたたび安らいで)

 

June,she‘ll change her tune

In restless walk 

 she‘ll prowl the night

JuLy,she‘ll fly

And give no warning to her fright

(六月、彼女の声音は変わるだろう

休み無く歩き回り、夜の中をさ迷うだろう

七月、彼女は飛び立つだろう

何の予告も無しに)

 

August,die she must

The autumn winds blow

 chilly and cold

September,I‘ll remember

A love once new has now grown old

(八月、彼女は死ぬだろう

秋の風が冷たく寒く吹き

九月、僕は思い出す

かつて新しかった愛が年老いたことを)

 

 

サイモン&ガーファンクルの歌で、一般的には「四月になれば彼女は」と訳されている。しかし、これは誤訳だろう。この詩は各連の第一句末尾がそれぞれの月名と韻を踏んでいるために「she will come」を「come she will」と倒置したもののはずである。つまり「四月が来る」ではなくて、「四月、彼女は……」のはずだ。だから、歌詞カードなどで「April,comes she will」と、「come」に三単現の「s」を付けているのも間違いだと思う。

韻の部分を説明すれば、

April-will

may-stay

June-tune

July-fly

August-must

September-remember

のようになっている。

訳で困ったのは、八月の韻でもある「must」である。これは「死ぬ必要がある」のか「きっと死ぬに違いない」か。同じ「must」に義務やら推量やら必要やら当然やら幾つもの訳があって、判断不能である。前の部分と統一して「彼女は死ぬだろう」と推量形の訳をしてみた。

 もちろん、この死は、彼女が僕の心の中で死ぬという意味と取るべきだろう。だから、かつて新しかった愛が年老いたと言うのである。








19 「雨のリズム」(「悲しき雨音」)

 

 Rhythm of the rain

 

Listen to the rhythm of the falling rain

Telling me just what a fool I‘ve been

I wish that it would go 

and let me crying in vain

And let me be alone again

(落ちてくる雨の

あのリズムを聴いてごらん

あれは、僕がどんなに馬鹿だったかを言っている

雨がどこかへ行ってしまって

僕をただ泣かせてほしい

僕をもう一度一人ぼっちにしてほしい)

 

  The only girl I care about

 has gone away

Looking for a brand new start

But little does she know that

 when she left that day

Along with her she took my heart

(僕の愛したたった一人の少女は去ってしまった

まったく新しい出発を求めて

でも彼女が去ったその日

彼女がほとんど知らなかったことは

彼女が僕の心を持っていってしまったことだ)

 

Rain please tell me now

 does that seem fair

For her to steal my heart away

 when she don‘t care

I can‘t love another

 when my hearts somewhere far away

(雨よ教えてくれ

それはフェアなことだと思うかい

彼女は愛してもいないのに僕の心を持ち去って

僕の心が遠くにあるために

僕はもう誰をも愛せないなんて)

 

  リフレーン

 

 

私が中学生の頃のヒット曲である。その頃は歌詞の内容は漠然としか知らなかったが、甘悲しい憂鬱のイメージは、中学生の心にはぴったりの曲だった。歌はカスケーズというグループで、作詞作曲はジョン・ガンモー(とでも読むのだろう)。

今読むと、中々面白い歌詞で、もちろん、センチメンタルそのものではあるが、ポップスとはもともとセンチメンタルを良しとするものなのだから、それで良い。特に心の防御壁の薄い通常の青少年とセンチメンタルとは切り離せないのであり、センチメンタルでない青少年はニヒルな文学青年にでもなるしかないだろう。

中学生レベルの英文でもあるのだが、案外と訳し間違えそうなのが、第三連の最初の命令形で、呼びかけの「Rain」を、中学生あたりだと主語と勘違いする生徒が出てきそうである。英語解釈のコツの一つは、「挿入句」と「倒置法」に対して意識的になることだと私は思っている。ここでも、「Rain」の後にコンマがあれば話は簡単なのだが、コンマを頻繁に使うのは嫌われるのか、そのコンマが無いので、間違いやすい。この場合は、「please」があるために命令形であることが分かるが、たとえば「God save the queen」は「神は女王を救う」という平叙文ではなく、「God,save the queen」、つまり「神よ、女王を救い給え」という命令文、より適切に言えば祈願文なのである。








 

18 二度と恋には落ちないわ(「恋にさよなら」)

 

I‘ll never fall in love again

 

What do you get when you fall in love?

A guy with a pin to burst your bubble

That what you get for all your trouble

I‘ll never fall in love again

I‘ll never fall in love again

(恋に落ちたら何を得るの? 

あなたの風船を破裂させるピンを持った男と恋をして

それがあなたのすべての骨折りの代わりに手に入れる物

私は二度と恋には落ちないわ

私は二度と恋などしない)

 

What do you get when you kiss a guy?

You get enough germs to catch pnewmonia

After you do,he‘ll never phone you

I‘ll never fall in love again

I‘ll never fall in love again

(男とキスをして何が得られるの?

肺炎になるのに十分な病原菌をたっぷり手に入れるだけ

その後では、男は電話すらかけてこないでしょう

私は二度と恋には落ちないわ

私は二度と恋などしない)

 

Don‘t tell me what it all about

Cause I‘ve been there and I’m out

Out of those chains,those chains

            that bind you

That is ,why I‘m here to remind you

(恋がどんなものかなんて教えないで

なぜって、私はずっとそこにいて、抜け出したばかりなの

自分を縛り付ける、鎖から、鎖から、鎖から!

それが、私があなたに恋のくだらなさを教える理由)

 

What do you get when you fall in love

You only get lies and pain and sorrow

So for at least untill tomorrow

I‘ll never fall in love again

No,no,I‘ll never fall in love again

(恋をしたらどうなるの?

嘘と苦痛と悲しみが得られるだけ

だから、少なくとも明日までは

私は恋には落ちないわ

いいえ、いいえ、二度と恋には落ちないわ!)

 

 

 ミュージカル「プロミセス・プロミセス」の挿入歌で、ハル・デイビッドの作詞、バート・バカラックの作曲、歌はディオンヌ・ワーウィックでヒットした。

 言うまでもなく、この歌の洒落ているところは、恋をクソミソに言いながら、「少なくとも明日までは」恋などしないと言うところである。裏返しの恋の賛歌なのだが、そのユーモアが、実に楽しい。このパターンは、前に書いた「何で馬鹿は恋をする?」に似ている。

 訳の上では、「(恋の)鎖から抜け出て」云々の部分を意訳したが、同じフレーズの繰り返しが、私は日本語の詩としては気になるので、「鎖から、鎖から、鎖から」とそっけない繰り返しにしたというわけである。繰り返しを二度でなく三度にしたのも、ただの好みにすぎない。まあ、この訳が気に入らなければ、自分で訳せばいいだけである。 

 





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