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20年近く前、あるいはそれより前だったかもしれないが、パソコンを入手してその練習用に毎日ひとつだけ短いエッセイを書くことを習慣づけていた。パソコン操作(ワード操作)練習と文章を書く練習を兼ねていたわけだ。
その頃、娘が小学校低学年だったが、国語の宿題に「メモ日記」というのを書かされていて、要するにメモ程度の短い文章で日記を書くというものだったと思う。その題名を借りて、私の作文練習も「メモ日記」と名付けた。
案外長い間書いたが、内容はもちろん日記ではなく、エッセイである。毎日習慣的に書いたという点で「日記」と言っているだけだ。
その「メモ日記」を、これから載せていくつもりだが、特にこのブログに書きたい事柄が出てきた時はその連載を中止して書きたい内容の記事を書く予定である。
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「ワルチング・マチルダ」の歌詞にはオーストラリア英語が幾つか含まれていて、意味がつかみにくい。私はこの歌の歌詞を中学生くらいに読んで、まったく意味が分からなかった。まあ、何かの木の傍できれいな女の人(マチルダという名前)とワルツを踊るという意味だろうと想像していたが、ウィキペディアを見るとまったく違うようだ。


(以下引用)


歌の意味[編集]

貧しい放浪者が羊泥棒を働いて、追いつめられて沼に飛び込んで自殺するというストーリーの歌である。

ワルチングは「当てもなくさまよい歩く」という意味である(この曲は、ワルツの三拍子ではない)。身寄りのない一人の貧しい放浪者が唯一抱きしめられるのが毛布だけで、その毛布にマチルダと女性の名前をつけてオーストラリア大陸をさまようという設定である。

歌詞についてはいろいろバリエーションがあるが、その一つの大意は以下の通り。

ある日、陽気なスワッグマンSwagman, オーストラリア英語で放浪者の意)がビラボン(同じく三日月湖や大きな水たまり、沼の意)のそばに野宿していると、羊が水を飲みにやって来た。どこかの農場主の羊であるに違いないが、あまりにも飢えていた彼は捕まえて食べた。残りの肉はずだ袋に入れて、歌った。「Who'll come a-walzing Matilda with me?  誰か俺と一緒にマチルダワルツ(毛布ひとつで放浪)するやつはいないか。」

やがて、3人の警官がやって来た。「お前のその袋の中に、盗んだ羊があるだろう?」。捕まれば縛り首になることがわかっていた彼は「You'll never take ma alive. お前らなんかに、おめおめ生きて捕まるもんか」と言って、沼へと跳びこんだ。

今でもその沼のそばを通れば、幽霊の歌声が聞こえるらしい。「誰か俺と一緒に放浪するやつはいないか?」と。

(注)例によって章立てが滅茶苦茶で、正しくは第十一章である。そして、今回で「革命者キリスト」は全部終わりだ。


 

第四章  ローマ化したキリスト(ユダヤ)教

 

 ローマ帝国におけるキリスト教の国教化は、まず313年のミラノ勅令によるキリスト教公認から始まり、ニケーア公会議での教義の統一、そして392年のテオドシウス帝の布令で国教となるという過程を経ている。

 なぜ、キリスト教がローマ国教となったのか。推測できるのは、当然ながら宗教の政治利用である。多神教よりも一神教の方が権力の源泉として強力であることに気づいた人間が、ローマ政府内部にいて、皇帝に進言したのだろう。もちろん、弾圧しても弾圧しても抑えられないキリスト教信者の対策に費やすエネルギーが無駄であるという判断もあっただろうし、もともと、ローマ人は宗教的民族ではないから、宗教など何でもいい、と思ったのかもしれない。公認以前のキリスト教徒に対して、ローマ皇帝たちは皇帝崇拝を拒否しているという理由で弾圧を繰り返したが、ことごとく失敗した結果、弾圧は非効率的だと反省したのが、おそらく主な理由だろう。

 さて、ローマに公認されたことは、キリスト教にとって良かったかどうか。もちろん、弾圧が無くなったことは良いだろう。だが、ニケーア公会議などでの教義の統一は、つまり、信仰の自由度が減ったということだ。もともと、キリストの死後に、伝承者が自分の主観をまじえて作った「キリスト教」であり、本来はキリストの思想に対しては様々な議論や解釈が可能だったはずだが、国教化された後では、自由な解釈は不可能になったのである。ニケーア公会議では、イエスの人性を強く主張するアリウス派は異端だとされて追放されることになった。エフェソス公会議ではネストリウス派が同じ憂き目を見た。そして、聖書の中に見られるイエスの思想よりも、教会内の学者たちの解釈によって、「新キリスト教」が形成されていったのである。それは、イエスの思想よりも、むしろユダヤ教に近い思想である。つまり、イエスの強調した信仰の内面性はほとんど消え、ただ現世における善悪の結果として死後の裁きが行われ、ある者は天国に行き、ある者は煉獄や地獄に行くという、非常に分かりやすく、浅薄な宗教と化したのである。その浅薄さのカモフラージュに、三位一体説とか原罪思想などが持ち込まれ、宗教論争は無意味な空理空論と化したのである。そして、もちろん、無知な大衆を導く存在として教会が絶対的な権威となっていった。なにしろ、国家公認の国教なのだから、誰も教会には逆らえない。政権そのものが後にローマ教会にあれほど苦しめられるとは、キリスト教を国教化した時点では誰も想像できなかっただろう。なにしろ、カノッサの屈辱のような、王権が神権の前に跪くという信じがたい事態が後には生じるのだから。

 

 そして、こうして作られた「キリスト教」つまり、看板を付け替え、儀式性が簡略化されたユダヤ教は、宗教改革などでもその根本部分が変わることはなく、現在に至っている。

 

 

結語

 

以上で、この小論は終わりである。キリスト教信者やユダヤ教信者には失礼な事ばかり書いてあるが、実は私が言いたいのは、一神教的世界観から来る西欧人種的発想の危険性なのである。本論中に述べたように、神に対する倫理と人間に対する倫理のダブルスタンダードの結果、西欧人種は、世界にとって危険な存在となっている。彼らの推進する自由貿易は、必ずと言っていいほどその相手国を貧困に落としいれ、西欧国家との間で恒常的な貿易を続ける限り(、モノカルチャーのプランテーションに縛られたアフリカ諸国のように)貧困から抜け出せない。そして、彼らの最大の特徴は、自分たちのルールを相手に押し付け、都合が悪くなるとそのルールそのものを平気で変えることだ。つまり、彼らには異民族や異人種へのモラルは無いのである。彼らのモラルは、あくまでキリスト教、もしくはユダヤ教を信じる同朋に対してのみ存在し、神を知らない異民族に対してのモラルなど存在しない。だから、東洋人やアフリカ人に対する西欧人の食言は当たり前の行為である。

現在、神の存在を信じている人間は、本当は西欧人にも多くはないはずだ。社会の上位層が嘘ばかりついていて、弱者の不幸に対して無関心で、毎年のように何万人もの人間が銃で死んでも平気で、何の正当な理由も無く他国に攻め込んでそこの住民を虐殺することを延々と続ける、アメリカのような国は、果たしてキリスト教国家なのだろうか。もしも、キリスト教という宗教がそれを許容するなら、キリスト教にはまったく価値は無い。アメリカ社会の上位層の多くはユダヤ人だから、ユダヤ教も同様だ。彼らは本当に、自分の宗教を信じているのだろうか。それとも、やはり、彼らの宗教とモラルは同朋に対してのみのものなのか。神への信仰が無くなった状態の(そして一神教的独善性のみを残した)西欧人とは、より悪質な、アモラル(無道徳)な存在となるのである。

私のこの文章を、非キリスト教徒の独断と偏見だと思う人も多いだろう。だが、これは、世界中の人間がキリスト教やユダヤ教に対して抱いている疑いを、歴史的な聖書と教会(私の言う「新キリスト教」)のあり方の分裂の点から切り込み、分析して考察したものにすぎないのである。同じような事を、紳士的に書けば、たとえば次のようなものになる。これは中央公論社刊「世界の名著13『聖書』」の責任編集者で、ご自身も敬虔なキリスト教徒である前田護郎氏の、同著作の序文中の一節である。

 

「キリスト教教会の歴史には東西ローマの分裂とか、血なまぐさい十字軍とか、残酷な宗教裁判とかがつづき、教会の権威が学問を圧迫したこともあり、近代になってもキリスト教徒同士の争いは絶えない。今世紀の二度の大戦で、いわゆるキリスト教国が大量殺人をしたので、教会はかなえの軽重を問われている。アジア、アフリカの人々の多くにとって、キリスト教は植民地帝国主義者の宗教である。六日間非キリスト教徒を搾取して七日目に教会へ行く人々がキリスト教徒である、という人が彼らの中にある。キリスト教国といわれる地域の中にも、白人と黒人とが別々の教会へ行かねばならぬほど人種的偏見が強いところがある。

われわれ日本人にとっては、スペイン、ポルトガルの侵略に協力したキリシタン・バテレンの歴史も忘れがたく、現代では、原子爆弾や戦争裁判に関係した諸国のキリスト教会の態度が問題にされるという事実も否定しえない。

しかし、これらはいずれもキリスト教会あるいはキリスト教徒のことであって、彼らによって聖書の精神が無視あるいは曲解されて、一部の人々の勢力を守るために他が犠牲にされた不祥事である。聖書と宗教体制としてのキリスト教会とを混同してはならない。」

 

この言葉は、私などよりよほど過激に、キリスト教会とキリスト教徒を批判しており、私が言いたいことの要点を尽くしている。同じ文中に、「哲学者ヤスパースが聖書の宗教をキリスト教と区別して扱うのは注目すべき例である」と述べているのも、同様である。

要するに、私が述べたことを一言で言えば、「キリストは『キリスト教徒』ではない」ということだ。逆に、「『キリスト教徒』はキリストの教えが分かっていない」と言ってもいい。

西欧人種は、彼ら自身の内面、彼らの宗教の根本を考える必要がある。日本人は? 我々は、宗教に規制されなくても、社会的モラルを守るという伝統がある。(その伝統も、西欧文明化=グローバリズムや西欧的拝金主義によってあやしくなってきたが。)日本人に必要なのは、そうした西欧人種の正体を知り、西欧人の利益のための「グローバル化」と「西欧化」をこのまま進めていいのかどうか反省することだろう。特に英語の世界語化による言語的階層世界への組み入れや、あるいは無意識の西欧崇拝根性育成の意味を。

世界中で、政治的な植民地的侵略の尖兵となった「キリスト教」に侵されなかった国はおそらく日本だけである。それは、「キリスト教」の侵略者的役割を見抜いた秀吉と家康の鎖国という英断によるものだ。他のアジア・アフリカ諸国はみな、「キリスト教」の宣教をカモフラージュとした侵略に国を食い荒らされたのである。その日本が今や、グローバル化という第二の植民地化の波に飲み込まれようとしているのである。ここで、「キリスト教」と西欧人種の本質についてよく考えておく必要があるだろう。

ついでながら、西欧植民地主義はけっして過去の話ではない。西欧人は、自分の植民地が独立した後でも、現地人政治指導者を傀儡として使うなど、何らかの形で、その植民地を支配しているのである。(自分たちの気に入らない政権が出来てしまった場合は「民主的指導者」を支援してその国に「革命」を起こさせる。)それは日本に対しても同じであり、被占領国であった日本はサンフランシスコ平和条約で形式的には独立したが、それと同時に結んだ日米安保条約で国内に米軍基地を置くことを余儀なくされ、米国への反抗は半永久的に不可能になったのである。(戦後すぐに、アメリカの政治資金と工作によって出来た政党が現在のJ民党である。その日本側の中心人物が本来なら戦犯である岸信介であることからも、アメリカの政治のニヒルなほどの現実主義がわかるだろう。)日本の政治はアメリカからの年次改革要望書などの形でアメリカから常にコントロールされており、一部の人間の間ではすでに常識だが、日本は決して本当の意味での独立国家ではないのだ。

しかし、政治的な次元での支配、つまり表面化している植民地的支配は、実はそれほど危険ではない。もっとも危険なのは、精神的な支配、我々の中に内面化された、自発的な被支配根性、奴隷根性である。支配のプロであるかつてのローマ帝国が被植民地の民族に養成しようとしてきたのも、自発的に支配に従う精神であり、「キリスト教」の利用もその一つである。話はキリスト教だけのことではないのだ。あらゆる宗教は政治との持ちつ持たれつの関係によってその力を拡大するのである。その信者には本来は罪はない。だが、政治と結びついたその行動によって彼らは世界全体に大きな被害を与えるのである。

「宗教は阿片である」という言葉は、それを言った人間が〈マルキシズム〉という「宗教的政治思想」の提唱者であるだけに価値を減じているが、その言葉自体は正しい。阿片は確かに現世の苦痛から逃避させてくれるというメリットがあり、終末期医療の手段としてなら大いに結構なものだが、現実的認識と行動を不可能にさせるという極端なデメリットがある。その危険性を再認識してもらうことが、私がこの小文を書いた理由の一つである。

 

[補記] 神の存在については、中江兆民が『続一年有半』の中で完全に論破している。この書は、世界の哲学書の中でもっともすぐれたものの一つだが、その内容が西欧精神の根本を否定しているために、これまで批評の対象とならなかったものである。興味のある人は、是非、一読を願いたい。

 

                    2008年 11月24日 記

                       

                    2009年 8月24日 一部改稿   

 

                    2009年 12月8日  一部追加     
注:前回の続きだが、例によって章立てはワードが勝手に決めていて滅茶苦茶である。



 

第四章  イエスの死後の展開

 

 イエスは十字架上で死んだ。刑死である。この事の持つ心理的意味には大きく二つある。一つは、人間世界の罪は神の前での罪とは異なる次元であるということ。イエスは人間世界では罪びととして刑死した。だが、彼は神の世界では大いなる者としてその栄光を称えられる存在である。もう一つの意味は、人間の世界から神の世界に入るためには、十字架上の死に比せられる苦難を経なければならない、ということだ。これがドストエフスキーなどに見られる苦難・苦痛の称揚である。

 もう一つ加えるなら、十字架をアクセサリーとして常に身につけることは、いわゆる「メメント・モリ(死を思え)」の習慣を持つことでもある。ただし、この死とは、永遠の闇である虚無の死ではなく、キリストに導かれた来世、天国である。常に来世の存在を意識することで、この世の様々な苦痛や理不尽に耐える力を、それは与える。つまり、現世はそのままで来世とつながっているという意識だ。そして、死は、信仰者にとっては苦痛でも何でもなく、むしろ喜び迎えるべき世界なのである。(実際、人はしばしば死の前の苦痛を死の苦痛と混同するが、死とは意識の変化であって、肉体的苦痛とは無関係なのである。そして、仮に、死が虚無ならば、そこには意識も存在しないのだから、それをあらかじめ恐れるのは愚かだろう。死を恐れるほど、我々の毎日が幸福に溢れているわけでもない。)

 

 さて、イエスは死んだ後、三日後に復活したとかいう話になっている。もちろん、これはどの宗教にも共通した教祖の神格化のための伝説であって、イエスを信仰する者以外には意味のない話だ。面白いのは、復活したイエスを、彼のかつての弟子たちが認識できなかったという話である。とすれば、イエスの復活伝説を作るための何かの工作まであったという可能性もある。例の、トマスの不信の話などから見ても、迷信深い当時ですら、死者の復活を人々に信じさせることはなかなか難しかったのだろう。

 そもそも、福音書には、たとえば、ゲッセマネの園で、イエスが逮捕前に一人で神に祈る場面が書かれ、その祈りの内容まで書いてあるが、いったいなぜ、そんな事が分かるはずがあるのか。これは素人小説家がしばしばやる「視点の誤り」である。だが、その手の矛盾をいちいち指摘するのも面倒だから、話を先に進めよう。

 

 新約聖書の成立時期は、イエスの死後40年から100年後くらいだと推定されている。つまり、イエスを直接に知っている人間はほとんど死んでいて、イエスについての口承がまだいくらか残っていた時期に、その口承を集めて福音書が編纂されたのだろう。では、誰がその福音書を作ったのか。ここでユダヤ教やローマ帝国との関係が出てくる。

 

 私は歴史には詳しくないが、ローマに対するユダヤ人の武力闘争、すなわちユダヤ戦争があったのがAD66年、これによってユダヤ人約60万人が死に、AD70年にエルサレムの神殿が破壊されたという。すなわち、ユダヤ教は存亡の危機にさらされたのである。ユダヤ教では、神殿の持つ意味は大きい。神への祈りは、神殿で行うべきものだったのである。

 

「神殿は、イスラエルの神の現存する場所であり、神の住みかなのであって、主の御名を唱えることのできる唯一の場所であった。なぜなら、そこにのみ主の現存があり、そこでのみ主に祭儀を捧げることができたからである。」(アンドレイ・シュラキ『ユダヤ教の歴史』)

 

 神殿の破壊によって、ユダヤ教は変質を余儀なくされた。つまり、神殿での祈りや祭儀が不可能になったということは、その律法の厳格な維持が不可能になったということである。このことは、これ以降のユダヤ教のあり方を変えざるを得ないということだ。さらに、ローマと敵対してユダヤが敗北したということは、ユダヤ教という宗教自体がこれまで以上に、ローマから睨まれることを意味する。多神教のローマは、元来、異国の宗教に寛容であって、征服した諸民族の神々を平気で自分たちの神々に加えてきた。しかし、一神教は明らかにこれまでとは話が違うのである。一神教を受け入れるには、これまでのローマの神々を全部捨てねばならない。多神教と一神教は並存できないのである。

 おそらく、ユダヤ教への弾圧が厳しくなるという予測があったその頃、最初の福音書「マルコ福音書」が作られた。これは何を意味するか。すなわち、ユダヤ教からキリスト教への大量の宗教移動があったのではないかということだ。別の見方をすれば、ユダヤ教の一部(おそらくパリサイ派)がキリスト教の偽装を行った、つまりユダヤ教内の人物の手によって福音書が作られたとも考えられる。

 イエスの死後40年経って、ユダヤ国家が壊滅的状態になったことと、イエスの死を結びつけて考えた人々も多かっただろう。イエスこそがやはりキリストであって、そのイエスを殺したことが神の怒りを買ったのだと。そうすると、当然、キリストの教えを知りたいという需要は高まったはずだ。それが、福音書を成立させたのだろう。

 つまり、福音書は、それまでのユダヤ教への反省と、当時残存していたイエス・キリストの伝承から作られたものであり、必ずしもユダヤ教と完全に乖離したものではない、ということである。作った本人が、ユダヤ教からの転向者であった可能性も十分にある。福音書の中で批判されているのはユダヤ教そのものではなく、律法学者や祭司たちなのである。その律法学者や祭司たちの社会的立場が弱くなったことと、福音書の成立、その内容とは無関係ではないだろう。パリサイ派批判の内容にすることで、それを作った自分たちがパリサイ派ではないとするカモフラージュがあったとも考えられる。

 ただし、最初に書いたように、新約聖書の中の神は、イエス・キリストによって想像され、あるいは創造された神である。だから、旧約聖書はユダヤ教の聖書、新約聖書がキリスト教の聖書という根本は動かない。

 

 福音書の成立によって、キリスト教は確かな基盤を持つことになった。それに加えて、イエス・キリストの弟子たちの言行録である「使徒行伝」や各教会への「手紙」なども聖書としてイエスの思想の注解書的な役割をした。これで、やっとキリスト教は宗教としての体裁が整ったわけである。

 しかし、福音書の誕生以前から、キリスト教はすでに大きな広がりを持ち始めていた。ネロによるキリスト教徒迫害がAD60年ごろから(?)行われ、64年にその最大のものがあった。イエスの死がAD30~40年頃だと思われるから、その死後20年くらいでキリスト教は大きく広まっていたということである。

 

 ここで、謎の人物パウロについて述べよう。

 過激なユダヤ教徒で、キリスト教徒を弾圧していた男が、ある時からキリスト教徒に転向し、しかも一番熱心に伝道を行い、しまいにはローマ教会建立の基礎を作ったのである。ある意味では、「キリスト教」を作ったのはパウロだとも言える。

 ではその転向はどのように語られているか。そのいきさつは「使徒行伝」第九章と第二十二章に書かれているが、長いので要約すると、ダマスコにいるキリスト教徒を弾圧するために行くその道の途上で、強い光を浴びて目が見えなくなり、「サウロ(パウロのもとの名前)よ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞いたという。その後、視力を回復した後、エルサレムの神殿で祈っていると、「夢うつつの状態になって」イエスと対面する。そして回心することになるのだが、面白いのは、回心したサウロ改めパウロがキリスト教伝道の途上で危険に遭った時、自分は生まれながらのローマ市民だと言って危険を免れることである。その前の部分では、彼は自分をユダヤ人であると言っているのだから、サウロという人物の正体は、ずいぶん怪しいと言わざるを得ない。もちろん、ユダヤ人の中からローマ市民権を大金で買った人間もいるわけだが、パウロの場合には、「生まれながらのローマ市民だ」と言っているのである。ここから、実はパウロはローマのスパイではないかという説が出て来たのだろう。私もその説に賛成である。しかし、スパイとは何か。敵の中に偽装して暮らす人間のことである。いざという時に、裏切りの行為をすれば、それはスパイだとなる。では、裏切る機会が無いままで、一生の間偽装を続けたスパイはスパイなのか。一生、聖人の振りをし続けて、何一つ悪を為さなかった偽善者は偽善者か。

 パウロとは、その正体が何であれ、「キリスト教」を作った人間の一人であることに間違いはない。そういう意味では、聖人に列してもいいだろう。たとえ、その本来の意図が何であれ、彼は「キリスト教」の最大の貢献者なのである。だが、その後のローマ教会における「キリスト教」を見れば、明らかにキリストが批判したパリサイ派ユダヤ教が、表面的な儀式性だけを捨てた内容となっている。すなわち、来世での救済を餌に、現世での不平等を甘受させるだけの、権力にとって都合の良い宗教となっているのである。そして、かつての多神教から一神教になることでローマ帝国の国教として異民族を吸収するのにも都合のよいものとなった。キリスト教は、信じるだけなら、階級にも民族にも無関係に信じられる宗教であるから、入り口は広いのである。だが、皮肉にも、聖書にもあるように、「滅びに至る門は広い」のである。「キリスト教」が、その本来の性格通り、「貧者の宗教」であるなら、世の権力者たちがそれを肯定するはずはない。神の前の平等と貧者への施しを重視するイスラム教が現代の資本主義世界でどういう扱いを受けているかを見れば、それは明瞭だろう。それは昔も同じことである。

 パウロはキリスト教を変質させることでキリスト教隆盛の基盤を作ったが、それはキリストへの裏切りでもあった。パウロとは、いわば、『カラマーゾフ兄弟』の「大審問官」である。

 

小津安二郎の映画の中にある、場面と場面の切り替わりに挟まる、どうでもいいような風景を「枕詞ショット」と名付けているのがいい。そして、そのショットが映画に豊かな膨らみを与えている「ぜいたくな」ものだ、という評価もいい。
漫画でこの「枕詞ショット」を多用するのがあだち充である。アニメでは、この種のショットの無い「日常アニメ」のほうが少ないだろう。そして、効率主義者であるアメリカ人がもっとも苦手なのがこの種の「無用の用」だろう。だからアメリカのアニメには日常性の仮面をかぶった毒舌風刺アニメ以外の、情緒性豊かな日常アニメはほとんど無いのである。
下のインタビューでは、日本アニメの背景を水彩画みたいだ、と言っているのも同感である。
日本文化はまさに「モンスーン気候」という湿潤気候の生み出した、水の文化なのである。






高畑勲「火垂るの墓」のレビューでは米国人批評家ロジャー・イーバートのインタビューがなかなかいい。> 火垂るの墓 「映画批評家 ロジャー・イーバート インタビュー映像」 (1999年) ←T... さんから





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