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キューブリックの「突撃」は名作だが、あまり語られることがない作品である。ロバート・オルドリッチの(だったと記憶しているが)「攻撃」と邦題がよく似ているし、戦争における無能非道な上官を告発する映画である点も似ている。まあ、あまり記憶は確かではないが、どちらも見るべき戦争映画である。普通の戦争映画とは反対に、「爽快な戦争」を描くのではなく、どちらかと言えば戦争の不条理を告発しているが、厳しさに溢れた「男の映画」だ。






さんがリツイート

町山さんの映画その他ムダ話で紹介されてた、キューブリック監督の「突撃」を今更観ました。出世に狂った指揮官が部下の命を無駄に犠牲にしただけでも許されないのに、あまつさえその尻拭いを部下にやらせて、しかも無実の罪を着せて射殺するなんて観ながら怒りを覚えた。今の日本も同じだけどな!



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非常に単純な疑問なのだが、元プロ野球選手の書いた面白い野球小説というのがほとんど無いのはなぜなのだろうか。まあ、元警察官や元刑事の書いた面白い警察小説や推理小説もほとんど無いのだが。
単に現場の知識があるだけでは小説は書けない、というのはそうなのだろうが、彼らも小説や漫画を読まないわけでもないだろうし、フィクションに無縁の子供時代を送ったわけでもないだろう。現役時代は周囲への支障もあったかもしれないが、引退したらその懸念も無いだろうから、自分の元の仕事の知識を活かした小説を書こうと思う人がたくさんいてもおかしくはないのだが。




私の見てない作品もかなり入っているが、概して真面目な選出だと思う。上位の作品群は「日本映画の古典」とも言うべきものだが、娯楽作品系統の傑作があまり入っていない。たとえば黒澤明作品でも「用心棒」などは世界の娯楽映画に与えた影響を考えてもベスト10級だろう。つまり、選ぶ側が「映画の芸術性」にこだわりすぎているように思う。まあ、芸術映画も面白いことは面白いのだが、こうしたランキングを見てその映画を実際に見たら、「映画ってつまらない」と思う若者は多いだろう。たとえば、フランス映画だが、「去年マリエンバードで」などを面白いと思える感性を持っている人間は20人にひとりくらいだろうと思う。
しかし、「七人の侍」は娯楽作品であるのに芸術映画を押しのけてランキングナンバーワンであるというのが凄い。世界の映画学校でテキストとされているというのも頷ける。

ついでに書いておくが、「メモ日記」を転載するとパソコンの調子がおかしくなるので、しばらく載せないことにする。どうも昔のフラッシュメモリー(あるいは昔のword)とウィンドウズ10は相性が悪いようだ。




海外「日本には傑作が多すぎる!」 米サイト選出『日本映画歴代ベスト40』が話題に

今回はアメリカの映画サイトが選出した「日本映画歴代ベスト40」から。

早速ですがランキングは以下になります。

40. 『家族ゲーム』 森田芳光 1983年
39.『野獣の青春』 鈴木清順 1967年
38. 『ビルマの竪琴』 市川崑 1956年
37. 『麦秋』 小津安二郎 1951年
36.『巨人と玩具』 増村保増 1958年

35. 『上意討ち 拝領妻始末』 小林正樹 1967年
34.『鬼婆 』 新藤兼人 1964年
33. 『二十四の瞳』 木下恵介 1954年
32. 『人情紙風船』 山中貞雄 1937年
31. 『武士の一分』 山田洋次 2006年

30. 『HANA-BI』 北野武 1997年
29. 『原爆の子』 新藤兼人 1952年
28. 『トウキョウソナタ』 黒沢清 2008年
27. 『天国と地獄』 黒澤明 1963年
26. 『楢山節考』 今村昌平 1983年

25. 『御用金』 五社英雄 1969年
24. 『茶の味』 石井克人 2004年
23. 『女が階段を上る時』 成瀬巳喜男 1960年
22. 『浮雲』 成瀬巳喜男 1955年
21. 『飢餓海峡』 内田吐夢 1965年

20. 『おくりびと』 滝田洋次郎 2008年
19. 『山椒大夫』 溝口健二 1954年
18. 『赤い殺意』 今村昌平 1964年
17.『他人の顔』 勅使河原宏 1966年
16. 『たそがれ清兵衛』 山田洋次 2002年

15. 『仁義ない闘い』 深作欣二 1973年
14. 『大菩薩峠』 岡本喜八 1966年
13. 『そして父になる』 是枝裕和 2013年
12. 『野火』 市川崑 1959年
11. 『薔薇の葬列』 松本俊夫 1969年

10. 『おとし穴』 勅使河原宏1962年
9. 『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』 1985年
(日米合作。製作総指揮はコッポラ監督とジョージ・ルーカス監督)
8. 『雨月物語』 溝口健二 1953年
7. 『誰も知らない』 是枝裕和 2004年
6. 『人間の條件』 小林正樹 1959年

5. 『砂の女』 勅使河原宏 1964年
4. 『東京物語』 小津安二郎 1953年
3. 『切腹』 小林正樹 1962年
2. 『羅生門』 黒澤明 1950年
1.『七人の侍 』 黒澤明 1954年



以上です。
なお、記事の冒頭では日本映画について、
「今も世界の映画に影響を与える数少ない映画産業の1つ」と紹介されています。

ランキングには様々な意見が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。



#14   議論の作法

 

無知な人間が、知識のある人間と議論をすることは可能だろうか。正しいのはこちらだという確信を持ちながら、しかも相手を論破する知識や言葉を持たない場合、議論で勝つことはできるだろうか。実は、これがかつての学生運動の指導者たちが直面した問題だった。彼らがこのことを意識していたかどうかはわからないし、わかっていても認めないとは思うが、彼らはこの問題を無意識にでも感じていたはずである。なぜなら、彼らの多くは、多くの知識人や大人に比べれば、圧倒的に無知だったはずだから。

彼らの出した結論は、相手の言うことは一切聞き入れるな、一方的に自分の言いたいことだけを言え、というものだった。相手が何を言おうと、「ナンセーンス」の一言で葬り去れ、ということだ。なるほど、これなら議論に負けることはありえないし、自分の言いたいことを表明することだけは、少なくともできる。この方法が一般に知られると、我も我もとこの方法を使いだしたことからも、この戦法の有効さはわかる。この戦法を考えた人間は頭がいい。しかし、本質的には馬鹿である。

議論をする目的は、有益な結論を出すことであり、勝ち負けのためではない。学生運動の「ナンセーンス」戦法は、局地戦での勝利のために大局を見失い、一般大衆からあきれられてそっぽを向かれる結果を招いただけであった。要するに、自分の体面だけを考えた、このような愚かな指導者たちのために、学生運動は失敗したのである。

 

 


#12   文化と野蛮

 

文化とはためらいであり、立ち止まることである。近代文明の機能主義、効率主義は文化ではなく野蛮にすぎない。たとえば性欲と性交の間にはさまるためらいが恋愛であり、恋愛が文化なのである。文化とは人間の作り上げた様々な不要不急の装飾物であり、余剰であるが、それが人間を動物から区別しているのだ。今の世の中は、効率を追及するあまり、文化を失いつつある。「産湯を捨てようとして赤ん坊まで流してしまう」ようなものだ。

もしも物を食うことが栄養摂取の意味しかないのであれば、煮たり焼いたりする必要などない。生のままで食えばよい。煮たり焼いたり、様々に手を加えるところが人間の文化なのである。もっとも、手の加え方が異常に込み入ってきて不健康なものになってきた場合、それを退廃というのだが。

近代の産物を我々は文化的だと錯覚する傾向がある。その中には文化というよりは野蛮への退行だと思われるものもある。機能主義や効率主義は、その産物は文化的かもしれないが、主義自体は野蛮なものである。これらは結局、不要物、無駄の切り捨てであり、人間の生活をかえって非人間的なものにしていることが多い。そんなに機能や効率が大事なら、いっそ人間は全部ロボットに切り替えるか、生産的でない老人や病人は屠殺して食料にでもしてしまうのがよっぽど「効率的」だろう。まるでスウィフトみたいな発言だが、最近の生産至上主義の世の中は、いずれスウィフトのジョークを実現させるかもしれない。

 

 






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