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剣道で、野球の打撃みたいに横からフルスィングしたら強いんじゃね、という質問への答えに、竹刀を後ろに引いた瞬間(下のコメントでは、振ろうとした瞬間と言っているが、竹刀を中心線から外した瞬間なら、後ろに引いた瞬間だろう)に突きを入れられて終わりだ、という答えがあり、これは実際に剣道をしている人の回答ではないか、と思ったのでメモしておく。剣道では「中心線から竹刀を外した瞬間は打ち所」と言われているというのは、それを聞いた人である証明だろう。空想では出てこない、真実味を感じる。
だが、青眼以外の、八双の構えや下段の構えなどは最初から中心線を外しているのだが、現代剣道では青眼以外の構えは無きに等しいのだろうか。実際、私がテレビで見た(見た数は少ないが)剣道の試合では相青眼以外の立ち合いは無かったように思う。
宮本武蔵の五輪の書でも「突き」については、「相手の顔を刺すつもりで突け」くらいしか書かれておらず、さほど重視されていなかった記憶がある。実戦では、突きという戦法は道場剣法ほどは効果的ではないのかもしれない。つまり、一点を狙う、的が小さくなる戦法であるだけに、外れる可能性が高く、失敗したら逆にこちらにとって致命的な戦法なのではないか。




50: 風吹けば名無し 2018/05/06(日) 09:36:11.56 ID:CZ2y5nCQ0

>>35
ちゃうわ
お前は剣道の突き見たことないん?
避けてから突くんやなくてバットを振ろうとした瞬間に突くんやで
剣道では中心線から竹刀を外した瞬間は打ち所ってそれ、一番言われてるから


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読みかけの本の中に、ある女学校の国文学教師が、授業中に窓の外の雨を眺めて、雨を見ると万葉集のこの歌を想起する、と言って、次の歌を呟く情景がある。


うらさぶる心さまねし 久方のあめの時雨の流らふみれば



このエピソードを読んで、言葉を知り詩を知り文学を知っていることが我々の人生に与える幸福さ、あるいは価値の大きさを思ったのだが、実は私はこの歌が昔から好きだのに、その解釈は読んだことがないので、ここで自己流の解釈をしておく。(あるいは解釈を読んだこともあるのかもしれないが、記憶が漠然としている。)


「うらさぶる」は「心さびしい」の意味で、「うら」には、「心」の意味と、「何となく」の意味があるかと思う。
「さまねし」は「遍(あまね)し」で、あちこちに広がることだろう。「さ」は接頭辞で、ここでは語調を整える働きかと思う。
「ひさかたの」はもちろん「天(あめ)」に掛かる枕詞で、意味を考える必要は無いが、「ひさしい」「永遠」を連想させるとすれば、「さまねし」と、響き合っている。私がこの歌を読んで感じるのは茫漠とした時間と空間の広がりだが、その理由はこのへんにありそうだ。
「時雨」は俳句では初冬の季語だが、万葉の時代から初冬に限定されていたとは思えない。(その辺は専門家の研究を見ないと分からない。)私は、この歌ではむしろ梅雨を連想した。
「流らふ」は、もちろん「流れる」であり、ここでは「天から流れ落ちる」意味だと思うが、あるいは「地上で川となって流れている」という解釈もあるのかもしれない。しかし、「天の時雨」と、わざわざ「天の」を入れていることから、そういう解釈は難しいのではないか。
見落としがちなのが、「流らふ」の「ふ」で、これは時間の継続や経過を表わす言葉で、つまり「経(ふ)」である。この時雨は、長時間降り続けている雨なのである。

私が、この歌を実に雄大で、かつメランコリックな歌だと思うのは、「うらさぶる心さまねし」とは、「何となく寂しい私の心が世界全体に広がる」ということだと解釈するからである。そして、その世界全体に広がった心の見る風景は、どこもかしこも「雨、雨、雨」である。
世界全体が雨で灰色一色に塗りつぶされている。
そして、それは私の心がうらさびしい心だからだ。

「老水夫行」の「水、水、水」ではないが、世界は「雨、雨、雨」なのだ。








司馬遼太郎の随筆「遠藤周作氏『鉄の首枷』について」の中に、小西行長の異常な計画への言及がある。
たぶん史実だと思うのだが、秀吉の朝鮮出兵の時、この戦争の失敗を予期していたと思われる小西行長は明朝廷に家来の内藤ジョアンを送り、日本を明の属国とし、秀吉を封じて日本国王とさせようとしたというのである。もちろん、秀吉のあずかり知らぬことで、行長の独断だろうが、その「講和内容」に、さらに驚くべきことが書かれていて、秀吉に次ぐ「大都督」として五人を封じてほしいとしていると言う。その五人の筆頭が小西行長、以下、石田三成、増田長盛、大谷吉継、宇喜多秀家となっているらしい。つまり、関ヶ原の戦いの西軍の中心メンバーだ。
仮に、この申し出が明に受け入れられていた場合、大大名を含め、諸大名はこの五人の下の立場になるわけで、もしかしたらこの申し出の内容を漏れ聞いた諸大名が、小西石田以下のメンバーへの憎悪と危機感を抱いたのが、関ヶ原の戦いの真の原因だったのかもしれない。
通常言われているように、朝鮮出兵時の「後方にいて、自分たちは指図口や干渉や上から目線の戦闘評価をするだけの文官グループへの憎悪」だけでは、豊臣恩顧の諸大名がほとんど東軍に付いた理由は説明できないわけで、この「小西行長の陰謀」こそが、関ヶ原の戦いの真相だったのではないか。(司馬遼太郎もそれに近いニュアンスを述べているが、そこまで明言はしていない。)

秀吉の朝鮮征伐、さらには明の征服という誇大妄想的計画の失敗を早くから見抜いていた「官僚グループ」が、明への服属をあらかじめ申し送り、朝鮮出兵失敗後の自分たちの地位を確保しようとしたのは官僚の習性としてよく理解できる。つまり、第二次大戦後の官僚たちのアメリカへの服属と同じである。
隊長「攻撃は最大の防御である。特攻こそは攻撃の精華。生きて虜囚の辱めを受けず。見事に散れ。散華せよ。お前らにあるのは攻撃的特攻あるのみ」
特攻隊員「攻撃的特攻? 守備的特攻ってのは無いよなあ」
他の特攻隊員「ないない」
隊長「そこ、何を首を振っておる。特攻が嫌だとでも言うのか。この臆病者。お前のような恥知らずは死ね。今すぐ死ね」
特攻隊員「これから出撃してどうせ死にますが」
隊長「いや、お前らは出撃したらそのまま逃げるつもりであろう。お前らは上官であるわしの命令を無視するつもりに違いあるまい。上官の命令は、気を付け、畏れ多くも天皇陛下のご命令である。天皇陛下のご命令に背く不届きものめ、非国民め、死ね、死ね、今すぐ死ね」
特攻隊員「こりゃダメだ」
司馬遼太郎の随筆「草原としなやかさ」(「古往今来」所収)の中に、黄金を「固有満州語」で「アイシン」と言うということが書かれており、もしかして「愛新覚羅」の「愛新」は黄金の意味かと考えた。もちろん、「愛新覚羅」は満州語の発音を漢字表記したものだろうからだ。「固有満州語」とは、現代の満州語は昔とは違っているだろうから、満州の古語の意味かと思う。
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