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1:天智10年(671年)10月17日:天智発病
2:大海人皇子を呼んで天皇位を譲る意図を示す。大海人固辞する。帝位は皇后に譲り、大友皇子を皇太子にするべきだと言う。(大友が天皇になった場合、自分の身が危ないので、皇后が天皇にいる間に何とかしようという意図か。)
3:即日(17日)大海人出家し、私的所有の兵器を国庫に返還する。
4:19日、吉野に入る。送別の諸大臣官人、宇治で別れる。或る人、「虎に翼を付けて野に放ったようなものだ」と。大海人一行、旧蘇我馬子邸で泊まる。
5:20日、大海人、舎人たちに「私は出家するので、私に従いたいものは従え、朝廷で出世したいものは戻って朝廷に仕えよ」と言う。最初は全員留まり、再度言うと半数が近江に帰る。
6:12月、天智死去。
7:5月、大海人の舎人、近江朝廷の「大海人皇子追討」らしき動きを報告。
8:6月22日、大海人、美濃での徴兵と不破道の封鎖を指令。
9:6月24日、大海人皇子、吉野脱出。大友、追討の建議を拒否。
10:6月25日、大海人、鈴鹿山道封鎖。(以下、主語は基本的に大海人皇子)
11:6月26日、朝明川にて伊勢天照大神遥拝。
12:6月27日、高市皇子の言葉を嘉し、軍事大権を授ける。野上行宮に入る。
13:6月29日、大伴吹負ら、大和古京で蜂起、占領。
14:7月2日、大友軍の中で内紛、山部王、殺さる。蘇我果安、自殺。
15:7月4日、吹負、大友軍と戦い、敗れるが、追撃を逃れる。
16:7月5日、大友軍、河内から大和に攻め入る。大海人軍、撤退。
17:7月22日、村国男依、大友軍主力を瀬田で撃破。
18:7月23日、大友皇子、山前で自害。25歳。
19:8月25日、戦犯の処罰。27日、戦功者を褒賞。
20:673年2月27日、天武天皇即位。







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私自身の別ブログに載せてある記事だが、これも備忘のためと安全保存のためこちらにも載せておく。



「ディック」は「リチャード」の愛称だが、チ○ポ、○ン○コを意味する俗語でもある。
「11・22・63」の最初のあたりに出たリチャード・ニクソンの応援ポスターに「俺たちのディックを舐めるな」みたいな、下ネタのキャッチフレーズがあって、それで「ああ、ディックとはアレのことなんだ」と知った。というか、思い出した。以前に聞いた記憶があるのだ。
なお、「11・22・63」は、ケネディ暗殺を防いでいたらアメリカの未来は良くなったはずだ、という能天気な考えがアホくさくて、視聴するのをやめた。
それくらいなら、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺を防いでいたら第一次世界大戦は起こらず、ドイツの戦後の悲惨さから生まれたヒトラーの国粋主義思想も起こらず、その結果第二次世界大戦も起こらなかった可能性がある。
実は、そういうアイデアの小説を書きたくて、第一次大戦前の歴史本を少し読んだのだが、面倒くさくて投げだした。そこで、このアイデアは一般に開放するwww 
なお、その小説は子供向け冒険活劇として書くつもりで、主人公はシャーロック・ホームズの娘、あるいは姪(つまりマイクロフト・ホームズの娘)のシャーロット・ホームズというお転婆娘にする予定だったが、このアイデアも誰でも使用して良い。
敵側は、「大サラエボ主義」のテロリスト集団「黒手組(ブラックハンド)」という実在の集団で、皇太子暗殺は、この組織の下っ端がやったものである。この犯罪の真の首謀者とも言うべき陸軍大学教官か何かの男は、べつにこの犯罪の罪を問われていない。
*江戸川乱歩の小説「黒手組」は、実在の黒手組とは無関係の話。

さて、余談が長くなったが、要するに、「先っぽが×な○○○○」とは、「(先っぽが)ブルーなディック」ということだと解説したかっただけである。



浅利与一義遠 @hologon15 11時間前

ディック・ブルーナで、先っぽが×な〇〇〇〇を思い付いてしまって、ごめんなさい。 合掌


1:538年(一説に552年)仏教公伝。宣化天皇。百済聖明王より。
2:539年、宣化没、欽明即位。
3:552年、仏教公伝。崇仏派の蘇我稲目、廃仏派の物部尾輿の対立。*物部氏は軍事専門家
4:562年、新羅、任那(大伽耶)を滅ぼす。
5:571年、欽明没、572年敏達即位。573年、厩戸皇子生まれる?
6:581年、隋の建国。高句麗・百済、隋の冊封を受ける。
7:585年、敏達没、用明即位。仏教受容に関し、蘇我馬子、物部守屋の対立。
8:586年、穴穂部皇子、炊屋姫皇后(後の推古)をレイプ未遂。背後に物部守屋。
9:587年、用明没。穴穂部、皇位を狙うが暗殺される。蘇我馬子、泊瀬部皇子ら諸皇子と図って物部守屋を討伐。聖徳太子(厩戸皇子)も戦に参加。崇峻(泊瀬部?)即位。
10:隋による中国統一。均田制、租庸調、科挙などを実施(大化の改新のモデル)推古即位。
12:593年、聖徳太子摂政となる。
13:594年、三宝興隆の詔。
14:600年、遣隋使を送る。
15:603年、冠位十二階制定。604年、憲法十七条制定。
16:607年、小野妹子の遣隋使、608年、小野妹子・南淵請安・僧旻・高向玄理ら隋へ。
17:618年、隋から唐へ禅譲。少し後、高句麗・百済・新羅、唐の冊封を受ける。
18:622年、聖徳太子没。626年、蘇我馬子没。628年、推古没。629年舒明即位。
19:640年、南淵請安ら帰朝。641年、舒明没。642年皇極即位。
20:642年、蘇我蝦夷・入鹿の専横。入鹿、古人を推し、山背大兄王を襲い、敗死させる。
21:645年、乙巳の変。皇極退位、孝徳即位。中大兄皇子は皇太子となる。
22:646年、改新の詔。公地公民制、班田収授法など制定。難波宮へ遷都。
23:649年、右大臣蘇我倉山田石川麻呂、謀反の嫌疑で自害させられる。
24:653年、中大兄皇子、孝徳との不和により飛鳥宮へ帰る。654年、孝徳没。
25:655年、斉明(皇極)重祚。
26:658年、孝徳の子、有馬皇子、謀反の罪で処刑。
27:659年、阿倍比羅夫、蝦夷征討。 
28:660年、唐・新羅連合軍、百済を滅ぼす。鬼室福信ら挙兵。
29:661年、鬼室の請により百済王子余豊璋を百済に送る。百済救援の陣内で斉明没。
30:663年、豊璋、謀反の疑いで鬼室を処刑、白村江の戦いの敗北。
31:664年、冠位二十六階制定。国土防衛のため防人、狼煙台、水城を設置。
32:667年、近江大津宮へ遷都。
33:668年、天智即位。669年、中臣鎌足に大織冠・大臣位を授ける。藤原姓となる。
34:669年、中臣鎌足没。670年、庚午年籍を作る。新羅による半島統一。法隆寺消失。
35:671年、大友皇子、太政大臣となる。大海人皇子、出家し吉野に向かう。天智没。
36:672年、壬申の乱。大海人皇子、吉野進発。美濃から近江に向かう。
37:673年、飛鳥浄御原宮で天武天皇即位。
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天皇の名前で言えば、

30 敏達
31 用明
32 崇峻
33 推古
34 舒明
35 皇極(中大兄皇子が実質的に政治を摂る)
36 孝徳(中大兄皇子が皇位を譲った形)
37 斉明(皇極の重祚)
38 天智
39 弘文(大友皇子)
40 天武
41 持統

あたりまでで、32代崇峻から40代天武までが中心。
まだ漠然とした想念なので、これを文章化するかどうか分からないが、日本の古代史に関する小説かシナリオを構想してみようかと思っている。

内容としては、推古朝から天智天武朝までのドラマである。推古朝とは要するに聖徳太子の時代だ。もっと詳しく言えば、蘇我氏時代である。蘇我氏と物部氏の仏教受容に関する闘争(戦争)を皮切りに、蘇我氏の傀儡としての聖徳太子の姿、その息子の山背大兄王の父聖徳への反発、推古の後継者争い(田村皇子と山背大兄王の争い)、蘇我蝦夷がなぜ蘇我系統の山背大兄王ではなく田村皇子擁立に乗り気だったのか、また蘇我入鹿(と蝦夷)がなぜ山背大兄王一族を滅亡させたのか、などが前半で、この争いが中大兄皇子に与えた精神的影響を基にして大化の改新(乙巳の朝廷クーデター)が後半の前半(妙な言い方だが、後半開始早々にこの大ドラマが起こるわけだ。)で、大化の改新の影の立役者としての中臣鎌足(大久保利通タイプ)の「政治ゲーム」あるいは王座を巡るゲーム(ゲームオブスローンズ)を描いていく。
中臣氏は神祇官の家であり、仏教と共に勢力拡張をしてきた蘇我氏とは根本的な敵である。つまり、聖徳太子時代の仏教受容争いの遺恨が大化の改新の裏の原因で、表の原因としては、中大兄皇子が有力豪族(蘇我氏)の傀儡的存在でしかない皇室の在り方に疑問を持ち、唐から帰朝した南淵請安や僧旻らの「中国政治情報」を得て、皇室中心の中央集権国家を作る構想を持ったということ。特に皇室を良しとするのではなく、むしろ大化の改新(特に乙巳の乱)とは中大兄皇子による「長いナイフの夜」だった、という構想である。
タイトルとしては「剣と鏡」というのを暫定案として考えている。これは皇室の三種の神器のうちのふたつで、天下を治める者は剣と鏡の心を持たねばならない、ということ。剣は言うまでもなく他人を従わせる武器であり、鏡は自分自身を見る道具、つまり自分の内面を治める(自己コントロールをする)道具だ。
後半の後半は壬申の乱が中心、つまり大海人皇子が兄天智(中大兄皇子)の息子である大友皇子と戦って天皇の座に付き、ここにゲームオブスローンズが完結する、という構想である。

大きく4部構想としたら

第一部 仏教伝来
第二部 聖徳太子の死と山背大兄王の死
第三部 大化の改新
第四部 壬申の乱

という感じで、主人公は第一部第二部は蘇我蝦夷と聖徳太子
第三部第四部は中大兄皇子と中臣鎌足がメインだが、他の登場人物ももちろん重要である。
さらに大きく括れば、第一部第二部は蘇我氏が中心、第三部第四部は中臣氏が中心とも言える。
つまり、政治を陰で動かしてきた力を描きたいのである。壬申の乱の時に中臣鎌足が生きていたかどうか後で調べるが、鎌足がいなかったために壬申の乱が起こった、という感じで描きたい。


主要キャスト(配役は暫定)

蘇我蝦夷:草刈正雄(策士だが抜けたところもあり、魅力的な感じ)
聖徳太子:平岳大(又は、もう少し小柄で大人しい感じの俳優。)
推古天皇:鈴木京香(威厳のある年増美女)
山背大兄王:佐藤健(気が強く、思慮に欠ける若者)
田村皇子:岡田将生(意志が弱く、お人よし)
蘇我入鹿:長瀬智也(粗暴、乱暴、強引無礼)
中大兄皇子:堺雅人(温厚な顔に似合わず案外悪人。頭がいい。源頼朝のイメージ)
中臣鎌足:(陰謀家)
大海人皇子:岡田准一(若くて豪快でやや思慮に欠ける感じ)
額田王:山本美月(少しアホっぽい方が意外性があっていい)
皇極(斉明)帝:夏木マリ(もう少し若く、なるべく狂気を感じさせる女優がいい)
余豊璋:安田顕(百済からの人質の王子。斉明帝の恋人で、斉明の異常な百済救援の真の動機。ハンサムだがあまり頭は良くなく、思慮に欠ける。斉明との関係で中年の俳優がいい)

南淵請安: (大化の改新の知的指導者)





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