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司馬遼太郎の随筆「遠藤周作氏『鉄の首枷』について」の中に、小西行長の異常な計画への言及がある。
たぶん史実だと思うのだが、秀吉の朝鮮出兵の時、この戦争の失敗を予期していたと思われる小西行長は明朝廷に家来の内藤ジョアンを送り、日本を明の属国とし、秀吉を封じて日本国王とさせようとしたというのである。もちろん、秀吉のあずかり知らぬことで、行長の独断だろうが、その「講和内容」に、さらに驚くべきことが書かれていて、秀吉に次ぐ「大都督」として五人を封じてほしいとしていると言う。その五人の筆頭が小西行長、以下、石田三成、増田長盛、大谷吉継、宇喜多秀家となっているらしい。つまり、関ヶ原の戦いの西軍の中心メンバーだ。
仮に、この申し出が明に受け入れられていた場合、大大名を含め、諸大名はこの五人の下の立場になるわけで、もしかしたらこの申し出の内容を漏れ聞いた諸大名が、小西石田以下のメンバーへの憎悪と危機感を抱いたのが、関ヶ原の戦いの真の原因だったのかもしれない。
通常言われているように、朝鮮出兵時の「後方にいて、自分たちは指図口や干渉や上から目線の戦闘評価をするだけの文官グループへの憎悪」だけでは、豊臣恩顧の諸大名がほとんど東軍に付いた理由は説明できないわけで、この「小西行長の陰謀」こそが、関ヶ原の戦いの真相だったのではないか。(司馬遼太郎もそれに近いニュアンスを述べているが、そこまで明言はしていない。)

秀吉の朝鮮征伐、さらには明の征服という誇大妄想的計画の失敗を早くから見抜いていた「官僚グループ」が、明への服属をあらかじめ申し送り、朝鮮出兵失敗後の自分たちの地位を確保しようとしたのは官僚の習性としてよく理解できる。つまり、第二次大戦後の官僚たちのアメリカへの服属と同じである。
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隊長「攻撃は最大の防御である。特攻こそは攻撃の精華。生きて虜囚の辱めを受けず。見事に散れ。散華せよ。お前らにあるのは攻撃的特攻あるのみ」
特攻隊員「攻撃的特攻? 守備的特攻ってのは無いよなあ」
他の特攻隊員「ないない」
隊長「そこ、何を首を振っておる。特攻が嫌だとでも言うのか。この臆病者。お前のような恥知らずは死ね。今すぐ死ね」
特攻隊員「これから出撃してどうせ死にますが」
隊長「いや、お前らは出撃したらそのまま逃げるつもりであろう。お前らは上官であるわしの命令を無視するつもりに違いあるまい。上官の命令は、気を付け、畏れ多くも天皇陛下のご命令である。天皇陛下のご命令に背く不届きものめ、非国民め、死ね、死ね、今すぐ死ね」
特攻隊員「こりゃダメだ」
司馬遼太郎の随筆「草原としなやかさ」(「古往今来」所収)の中に、黄金を「固有満州語」で「アイシン」と言うということが書かれており、もしかして「愛新覚羅」の「愛新」は黄金の意味かと考えた。もちろん、「愛新覚羅」は満州語の発音を漢字表記したものだろうからだ。「固有満州語」とは、現代の満州語は昔とは違っているだろうから、満州の古語の意味かと思う。
黄鉄鉱ではなくて黄金がこんな形で出てくれば燃えるだろうな。
ちなみに、私はなぜか方解石が好きで、宝石のように思える。あと、水晶の原石の形も好きだ。冒険物語で発見した宝箱の中には水晶の原石などが入っていてほしい。加工した水晶はあまり好きではない。ガラスと変わらない。






スペイン、ログローニョの黄鉄鉱、こんな感じで産出するらしい。これは燃える。いきたみ。 

「剣と鏡」のプロローグとして大津皇子の死の話を置くかもしれないので、メモ。



大津皇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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大津皇子(おおつのみこ、663年天智天皇2年) - 686年10月25日朱鳥元年10月3日))は、飛鳥時代皇族天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女

生涯[編集]

663年(天智天皇2年)、九州那大津で誕生。『日本書紀』によれば天武天皇の第3子とされる(『懐風藻』では長子とされる)。

『懐風藻』によると「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。これによりて人多く付託す」(体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。その人柄は、自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した。このため、大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めた)とある。『日本書紀』にもおなじ趣旨の讃辞が述べられており、抜群の人物と認められていたようである。

母の大田皇女は、天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、大津が4歳頃の時に死去し、姉の大来皇女斎女とされたため、大津には後ろ盾が乏しかった。そのため、異母兄の草壁皇子681年(天武天皇10年)に皇太子となった。

683年(天武天皇12年)2月に朝廷の政治に参加。この「始聴朝政」という大津の政治参加を示す文句については様々なとらえ方があるが、『続日本紀』に皇太子である首親王(聖武天皇)の政治参加におなじ用語を使っていることからみると、草壁と匹敵する立場に立ったと理解するのが妥当だと思われる[1]。しかし、当時まだ年少だった長皇子舎人親王などを除けば、血統的に草壁と互角だった大津の政治参加は、一応は明確になっていた草壁への皇位継承が半ば白紙化した事を意味した。

686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸にて自害した。享年24。

『日本書紀』には妃の山辺皇女が殉死したとしている。また、『万葉集』の題詞には死の直前に、姉である大来皇女が斎王を務めている伊勢神宮へ向かったとある。

謀反や死に関する論争[編集]

大津皇子の謀反にかかわる内容のうち、川島皇子の密告については都倉義孝などによる虚構を主張する論者もある。また、謀反の内実については和田萃のように、天皇の殯宮で皇太子を謗るような発言をしたのではないかとする見方があり、岡田精司のように伊勢神宮への参拝が禁忌にふれたのではないかとする理解もある。ただし、この伊勢行きに関しては、『万葉集』以外によるべき史料がなく、そもそもそれ自体虚構ではないかとする説もある。謀反の内実についても、それを伝える確かな史料はない。

『万葉集』と『懐風藻』に辞世が残っているが、上代文学にはほとんど辞世の作が残らないこと、また『懐風藻』の詩については後主の詩に類似の表現があることなどから、小島憲之中西進らによって皇子の作ではなく、彼に同情した後人の仮託の作であろうとの理解がなされており、学会レベルではこの説も支持されることが多い。

事件の背景には、鵜野讃良皇后の意向があったとする見方が有力である(直木孝次郎)。

大津皇子に関する歌[編集]

  • 万葉集巻第2 105〜106番(姉の大来皇女に会うために伊勢神宮に下向した時に大来皇女が作った歌)
    • わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
    • 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
  • 万葉集巻第2 107〜109番(石川郎女との相聞歌)
    • あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに
    • 吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを
    • 大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し
  • 万葉集巻第2 163〜164番(処刑後、大来皇女が退下・帰京途上で作った歌)
    • 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
    • 見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
  • 万葉集巻第2 165〜166番(二上山に移葬されたとき、大来皇女が作った歌)
    • うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む
    • 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに

辞世[編集]

和歌[編集]

  • ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
    ショスタコーヴィチが曲をつけていることでも知られる。また、「雲隠る」は「死ぬ」の敬避表現であり自身に用いることは奇異であるため、偽作との見方もある。

漢詩[編集]

金烏臨西舎 (金烏 西舎に臨み)
鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
此夕離家向 (この夕 誰が家にか向ふ)

没後[編集]

大阪府奈良県の境にある二上山の雄岳頂上付近に墓とされる場所がある(宮内庁名で「大津皇子二上山墓」とある)。しかし、葛城市側の麓にある鳥谷口古墳が実際の墓であるとする説もある。

奈良・薬師寺には大津皇子坐像<奈良国立博物館寄託>(重要文化財)が伝わっている。

血縁[編集]

なお、この粟津王は豊原氏の祖とされるが、系図には矛盾点が多く、信憑性は薄い。

大津皇子を題材にした作品[編集]

小説
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