忍者ブログ
[186]  [187]  [188]  [189]  [190]  [191]  [192]  [193]  [194]  [195]  [196
おそらく、魔物との契約に我が子を差し出すというのは旧約聖書(ここでは「神との契約」)や西洋の童話・民話・伝説から発想したものだと思う。ファウスト伝説などで見られるように、そもそも契約という思想が西洋的だ。日本だと恩義と報恩という形式が多い。
それを西洋の話にせず日本の中世(戦国時代か)の話にしたのが手塚らしい捻りであり、誰もこの話の冒頭に西洋的な契約概念があるということを指摘した人はいない。さすがに近藤氏も実作者だけあって鋭いと思う。





魔物との契約、その犠牲に我が子を差し出すというのは日本の物語にないモチーフ(だと思うけど、あるかしら)だが、それで生まれたヒルコを流すのは伝統的な展開。こういうテクニックが縦横無尽に使われる。



PR
可愛い物が描ける、作れるためには、何かを可愛いと思える感性が必要なのだという当たり前のことに気づかせるツィートである。
確かに、言われてみれば可愛い。ボトルの形もロゴも色使いも。

なお、「可愛い」だけではなく、「美しい」ものの創造、も同じだろう。




つや姫玄米茶がかわいかったので買った。




私は芸術の基本を「フレーム効果」と呼んでいる。
つまり、作者が世界の一部を「切り取って提示する」ことで、観る者や読む者が、「こういうものが存在するんだ」と気づき、その美や魅力を「発見する」のを写真や絵の「フレーム(額縁)」にたとえたわけだ。
何でもない風景でも人物でも映画や絵などに描かれると、意味を持つわけである。それが単なる「クローズアップ」効果と違うのは、特に拡大しなくても、枠があるというだけで映画や絵は特別なものになるからだ。
で、枠があるということの意味は、逆方向から言えば、「枠の外のものがすべて消えている」ということでもある。枠内以外は心理的には「見えない」のだから、見る者は嫌が応でも枠内を注視することになる。
ここで、白黒映画と天然色(カラー)映画を比較したら、明らかにフレーム効果の高いのは白黒映画である。カラー映画は、枠内の情報が多すぎて、「見せたいもの」の焦点がぼやけるのである。
下のツィートの英文は私には分からないし、この映画もおそらく見たことはないと思うが、この数カットだけでも、明らかな「フレーム効果」の高さが分かるだろう。カラー映画だとこうはならないはずである。
それは水墨画の効果にも言えることである。
映画界はカラー撮影が当たり前になりすぎて、その欠点が「画面内の情報が多すぎる」ことだと誰も気づかなくなっている。だから絵画的な長所を持つ「芸術的な映画」が消えたのである。

なお、テレビ画面で観る映画は、どんなに大画面でも室内の風景の一部でしかないからフレーム効果が最低になる。つまり、映画館の暗闇の中で観る映画とは魅力が桁違いに低くなる。
テレビというのは友人や家族とお喋りをしながら、馬鹿にしたり批評したりしながら「上から目線」で見る(見られる)ものという悲劇性を生来的に持っているのである。その一方で、馬鹿にしか理解できない内容のものしか放映しないことによって人類を阿呆化する洗脳性を持っている。



In a web of open-ended dreams
Maya Deren & Alexander Hammid's experimental film:
'Meshes of the Afternoon' (1943)

コピーするとツィッター部分が一部消えるが、それ以外の部分だけ読んでも意味は通じるだろう。
以前からこのブログで紹介してきた、「天智天皇と天武天皇は兄弟ではない」説は、井沢以外にも何人かの人が出している。つまり、「王朝交代説」のひとつである。継体天皇の時、南北朝の時、そして陰謀論と見られているが「明治維新」で孝明天皇が暗殺され、明治天皇は長州の大室虎次郎とか何とかいう「力士隊」の者が本来の明治天皇とすり替えられた、という説もある。




八幡和郎の叫び

Facebook上で歴史愛好家の八幡和郎氏が、中世史家の呉座勇一氏の書評を非難し、「盗作に近い」と表現しています。

つまり、『日本国紀』が井沢説に拠っていることは自身(八幡氏)の発見であり、後から同じ指摘をした呉座氏の書評は、これを剽窃しているというのです。

本記事では、この八幡氏の指摘が妥当であるかどうかを検討していきます。

八幡説に新規性はあるのか?

まず、問題となる八幡氏の(第一発見?)記事を見てみましょう。

そんななかで目立つのは、井沢元彦氏からの強い影響である。祟りや怨霊の重視、武士の勃興についての見方、刀伊を撃退した藤原隆家の称揚、足利義満の皇位簒奪計画という見方への支持、信長や秀吉についての見方などである。古代では応神天皇についての記述とか、すでに「「日本国紀」の江戸時代観には根本的な矛盾がある」で書いた江戸時代の経済政策などの見方もそうだ。

百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?(アゴラ, 2018.11.23)

以下の六点について井沢説との類似性を指摘しています。

  1. 祟りや怨霊の重視
  2. 武士の勃興についての見方
  3. 足利義満の皇位簒奪計画
  4. 信長や秀吉についての見方
  5. 応神天皇の記述
  6. 江戸時代の経済政策

しかし『日本国紀』と井沢説との類似性を発見したのは、八幡氏が第一という認識は間違っています。

というのも『日本国紀』の前近代史が井沢元彦『逆説の日本史』をなぞっていることは、歴史好きなら誰でも気が付くことです。よって、これに言及したからといって新規性はありません。

事実、八幡氏の書評が2018年11月23日に出る前から、百田尚樹『日本国紀』の種本が井沢元彦『逆説の日本史』であると、既にツイッター上で指摘されていました。

このように、『日本国紀』と井沢説の類似性は、読んだ人ならば誰でも気が付く性格のものであって、そこに新規性を見出すことは難しいでしょう。

よって「盗作に近い」という八幡氏の発言は、想像力が逞し過ぎるでしょう。

指摘される類似が全く異なる

また、先の述べたように八幡書評は六つの類似点をあげていますが、呉座書評ではこれを踏襲していません。

八幡書評 呉座書評
①祟りや怨霊の重視 怨霊信仰の強調
②武士の勃興についての見方
③足利義満の皇位簒奪計画 足利義満暗殺説
④信長や秀吉についての見方
⑤応神天皇の記述
⑥江戸時代の経済政策
天智天皇と天武天皇は兄弟ではない
勇猛果敢な幕府と無為無策な朝廷の対比

したがって二つの書評で共通して指摘されている、「『日本国紀』と井沢説の類似点」は、①怨霊信仰と、③足利義満だけです。さすがにこれで「盗用に近い」というのは言い掛かりでしょう。

加えて、③足利義満の類似については、八幡氏の書評が出る前にツイッターで指摘されていました。

八幡氏の理論を借りるならば、八幡書評こそが、ツイッターから「盗作!とはいわないが、それに近い」ものであるとも表現できます。

もちろん、さすがに八幡氏がツイッターから剽窃したとは私は考えていませんし、誰もそうは思わないでしょう。なにせこれまで述べてきたように、歴史好きが読めば誰でも気が付くレベルの話なのですから。

メモである。
昔、ある文系の評論を読んでいた時に、説明なしで「古典古代」という言葉が出てきて、変な言葉だな、と思ったが調べられないままに時が過ぎてしまった。今はネットがあるから、いろいろな辞書の定義が分かる。
まあ、要するに、西洋かぶれの知識人が西洋の知識人の用語を直訳して使っただけのようだ。

これと似た「知識人」言葉で、「国民国家」というのも奇妙な感じで、今でもこの言葉には馴染めない。



ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

古典古代
こてんこだい
Classical Antiquity

古代ギリシア・ローマの総称ホメロスのミケーネ時代からローマ帝国の衰退までの時期をさし,地域的には地中海沿岸のギリシア,ローマ的都市領域,さらにヘレニズム世界,西ヨーロッパを含む。その時代の特質としては,奴隷の人格を認めない典型的な私的奴隷所有の発展,古代民主制,またギリシア哲学,ラテン詩文などの精神文化にみられる自由な思考,現世主義があげられる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

古典古代【こてんこだい】

ギリシア・ローマ古代を総称する呼名で,世界史上の古代社会のうち,その文化が西洋にとって古典とみなされた時代という意味をもつ。近代ヨーロッパがつくり出した概念であり,古代ゲルマン,古代オリエント,また中世ヨーロッパの文化とも区別される。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

こてんこだい【古典古代 Classical Antiquity】

一般に古代ギリシア・ローマ時代とその文化を指して使われる語。この概念は古典復興の形をとったルネサンスの革新運動の中で生まれ,新しい時代をつくり出すために,古代ギリシア・ローマの人間中心の見方・考え方を模範とし,これを〈規範とすべき第一級の傑作〉という意味で〈古典〉とよんだことからはじまった。〈古典〉を生み出した古代という意味をもつ古典古代は,それゆえ,近代ヨーロッパがつくり出した概念で,古代に生まれたキリスト教的文化とも,ギリシア以前のオリエント文明とも,またヨーロッパ中世文化とも区別された意味内容をもつ。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

こてんこだい【古典古代】

古代ギリシャ・ローマ時代の総称。近代ヨーロッパ文化の規範となり、イスラム文化にも影響を及ぼした古典文明を生んだ時代として、世界史上他の古代社会と区別して用いる。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古典古代
こてんこだい
classical antiquity英語
das klassische Altertumドイツ語
l'antiquit classiqueフランス語

古代ギリシア・ローマのことを、近代ヨーロッパが自分自身の心のふるさとと考えて名づけた概念で、ルネサンス以降のヨーロッパ近代化の過程で形成された。ルネサンス期の人々が神学的・非合理的思考を克服し、人間的・合理的なものを求めたとき、人間中心の一級の文化を生んだ古代ギリシア・ローマが模範とされ、それを「古典古代」とする考えが芽生え、それをキリスト教的古代とも区別した。18世紀以降、ヨーロッパの世界進出の過程で、その古代オリエント認識が進むなかで、それとの対比で「古典古代」の特異性がより意識され、市民共同体の都市国家としての自主独立の存在、古代民主政の展開、私的奴隷所有の発展、精神面での合理的な自由な思考の開花などがその特色とされた。ヨーロッパ中心の「古典古代」を他民族がそのまま受け取る必要はないが、他民族の古典とともに、人類共通の財産の一部であることは否めない。[土井正興]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.