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干した布団の匂い(お日様の匂い)を「ダニの死骸の匂いだ」とする説は、いつごろから広まったのだろうか。「そういうのを言うのはB型の人間だ」と「それ町」の紺先輩が言っていて、B
型への言われなき非難もそれと併行しているらしく、B型人間としては迷惑する。
下の説明は非常に合理的であり、合理性を好む(絶対視はしないが)B型の私は納得である。セルロースの分解によるかすかなアルコールやアルデヒド(アルコールの変化したもので、糖質の一種と見てよいのではないか)の匂いがあの匂いだというのは、「ダニの死骸」という、つまりタンパク質の腐敗臭という解釈より説得力がある。





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小学生の頃、「お日様の臭いはダニやダニの糞の臭い」って教えてきたあいつに柿ピーの袋の裏、何億回と読ませたい

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下の説明が正しいのかどうかは知らないが、褌の「向こう」とは、特に「越中ふんどしの前の垂れ下がった部分」というのは初めて知った。とすると、「向こうハチマキ」の「向こう」とは何か。

(以下引用)

当て事と褌は向こうから外れる

当て事と越中褌は向こうから外れる「(前にいる) 相手 (= 向こう / 先方) の都合・状態で頼み事や交渉など当てにしていることがうまくいかなくなる」こと。褌の向こうとはどこかというと、前に垂れ下がった部分。出典は不詳。越中褌のかわりに、畚褌、あるいは単にを使う例もある。のかわりにもあり、褌は先から外れるともいう。

頼み事をするときなどは、相手に内情をさらすことになる。また、褌がはずれると、相手に大事なものをさらすことになる。従ってこの諺、あいるは、ギャグは、「下手に頼み事などするものではない」という戒めにも使われたことがあるのではないと思う。
褌はへこともいい、へこたれるの語源ともいう。しかし、こちらは凹むの語幹へこたれるが付いてできたものだろう。



案外、こういう日常の物は記録が残っていないのではないか。記録されても大切に保存されない。それで、少し昔の日常生活を描く時に、ミスが出てくる。
一番最初の「シャープペンシル」など、昭和6年にはすでに日本で売られ、それもかなり安価だったのは意外だが、外国製の新製品は案外すぐに日本でも出回るのかもしれない。おそらく、ボールペンのほうが発明や発売は後だろう。たしか、私の記憶では、最初はフランス製の「ビックボールペン」がかなり出回ったと思うが、それが昭和30年代ではないか。「アンネの日記」の中にボールペンで書きこみされた部分があり、そこから、「ボールペンは当時は製造されていないから、『アンネの日記』は偽作だ」という説が広まったこともあり、いつ、どんな物があったか、という記録は大事である。
なお、シャープペンシルを使う場面を洋画では見た記憶がない。たぶん、すぐにボールペンに取って代わられたのではないか。今でも日常生活で使用しているのは日本人だけのような気もする。つまり、「書いても消せる」というのに安心感があるのだろう。ここから日本人の特色を論じることもできそうだが、それには海外でのシャープペンシルの使用状況を知る必要がある。

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  1. 昭和6年の10銭均一店。 この時代の取扱商品の味わい。 この頃うどん一杯10銭ぐらいだったらしい。
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私自身、中世騎士物語は大好きだし、それを舞台にしたような「剣と魔法の物語」やRPGも大好きで、自分でもそれらしきものを数作書いているが、「ゲームオブスローンズ」(あっさりと日本語訳して「王座のゲーム」とすればいいのに。)は第一シリーズの中盤までしか見ていない。見ていて、気が滅入り、うんざりするのである。いや、素晴らしい出来の作品なのであるが、エロとグロと暴力と陰謀と卑劣さだらけの物語を誰が好んで見るのだろう。爽快感が無いなら、それは騎士物語でも何でもない。つまり、「騎士道の無い騎士物語」とは何なのか。







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>RT
ゲームオブスローンズS8のEP3
全米の視聴者数1780万人!
さらには番組史上最高視聴率って凄い!( ゚д゚)
調べたところ、ウォーキングデッドS9EP1は610万人
比較すると、どれほど人気があるのかわかるよね!
なのに日本での知名度の低さよ…
フォロワーさんで見てる人、たった3人だし(´;ω;`)




この前から、ネットテレビで昔の海外の白黒映画を何本か見ているが、その中で気が付いたこと、というか考えたことがある。
それは、映画の導入部で観客を惹き付けるのは、サスペンスやアクションではなく、登場人物、特に脇役やモブの魅力である、ということだ。ヒッチコックやフランク・キャプラの映画ではだいたい、脇役やモブの個性を疎かにしない。他の映画との一番の違いはそこだろうし、彼ら以外でも、名作映画は脇役やモブ(セリフ付きモブに限定されるが)も、個性がある。特に、愛嬌がある。偉い人物も「どこか滑稽な人物」として描かれるわけだ。小悪党なども愛嬌があり、憎めない。別の見方をすれば、「芯からの悪人」はいない、とも言える。それぞれ立場によって犯罪的行為もするが、それはスポーツで戦うのと同じであり、勝利を目指しての行為にすぎないわけだ。だから、見ていて不快感が無い。
これは特にイギリス的な感覚かもしれない。
私は以前に「『39階段』のスポーツ感覚」という小エッセイを書いたが、イギリスがスパイ小説の本場だというのは、スパイの活動自体にスポーツ感覚があるわけだ。つまり、「知的遊戯」の面が大きい。
話を「脇役やモブにも個性を与える」というテーゼに戻せば、多くのフィクションがなぜあれほどつまらないのか、という理由が分かってくる。
たとえば、ヒッチコックの「海外特派員」と、監督名は失念したが、同じように古い白黒映画でスパイ映画の「間諜」という作品を比べると、私は前者はすぐに作品世界に引き込まれたが、後者は話が始まって10分ほどしても興味を持てなかった。同じ10分間でも、前者では人物に個性があったが、後者にはまったく個性を感じられなかったのだ。(ちなみに、ビビアン・リーがヒロインの映画で、話の最初から登場している。)「面白い人物」がいれば、それが主役だろうが脇役だろうがモブだろうが、映画は面白く、そういう人物がいなければ、どんな派手な事件が繰り広げられても少しも面白くない、ということである。つまり、「感情移入ができない映画は、観客にとってはゼロに等しい」。
これはフィクションの創作における鉄則だろう。
ある意味では、小池一夫が言う「キャラを立てろ」と同じことだが、たぶんその言葉は「中心キャラ」に限定されている。小池一夫の作品ではそうだからだ。
しかし、ヒッチコックやキャプラや昔の名作映画では、モブキャラも「生きている」のである。これは創作を志す者が注意すべきことだろう。

なお、そうした「半モブキャラ」の魅力は、たいていの場合、ユーモア、笑いにある。どこか滑稽で笑えるキャラに出逢うと、観客はその作品世界に引き込まれるのである。
これは現実社会と同じであり、笑いは人と人を結びつける。同じ冗談で笑いあうと、そこに連帯感が生まれるわけだ。漫画などでも同じであり、たとえば吉田戦車のキャラの微妙なおかしさを感じられる読者は、その世界を愛さずにはいられない。逆に、どんなに凄い内容の漫画でも、その作品世界が愛されない漫画家は無数にいる。(ここで言う笑いは、相手を愛することにつながる笑いであることに注意。相手を見下し、嘲笑する笑いではない。相手の弱点が笑いの理由だとしても、それは愛すべき弱点なのである。)




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