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マスコミが発信するのは、その多様な価値観の中の大多数に向けてのものであり、テレビ内容がDQN向けであるということは、日本人の大多数がDQNであることを示している。
昔からそうだったのか、あるいはどこかで変わったのか。
私の考えでは、吉本興業がマスコミで力を得始めたのが転回点だった気がする。政治的には小泉時代あたりからか。丸山真男など、戦争体験者である昭和の知識人が言論世界から消え始めたのが、日本のDQN化の始まりだったと思う。



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某社での担当編集氏から「映画って泣くために観に行くものじゃないですか」と言われた時の衝撃は、なかなかに忘れがたいものが。わかっているつもりでも、「自分とは全く異なる価値観が存在する」というのは、日常生活の中では実感を得にくいものです。(-,,,-







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SF作家山本弘のエッセイを「カクヨム」というネット雑誌から転載。原稿料は出ているのかねwww
これを転載したのは賛意を示すためではなく、批判のためである。
ちなみに、私は山本弘の作品をひとつも読んだことが無い。そもそも、初期御三家以外の日本SFはひとつも読んだことが無いのだ。新井素子はエッセイの類だけは読んだ。冲方丁は時代小説「天地明察」だけは読んだが、SF作品は読んでいない。SFが嫌いというより、ひたすら面倒くさいのである。海外SFは大好きだが、サイバーパンク以降はまったく読んでいない。まあ、好きな人にはこたえられない面白さかもしれないが、私には古き良き時代のSFだけで十分だ。
下のエッセイのどこが批判対象か、ということだが、そもそも、タイトルと中味が正反対だ。筆者山本氏は「自分の正しさ」「科学の絶対的正しさ」を確信している。つまり、「私が正しい」と信じることはヤバい、と言うのなら、山本氏はそのヤバい人物の筆頭であるわけだ。
そして、山本氏は「中国が大嫌い」というように、好悪で物事を判断し、それを言明している。私は、こういう人間を信じない。狂信者によくいるタイプである。
彼のような人間に必要なのは、「何よりもまず自分自身を疑え」ということだろう。「自分ほど信じられないものがあるか」は、「GS美神」の横島忠夫の名言である。ソクラテスも、デルフォイ神殿の「汝自身を知れ」という銘文を生涯の課題としていた。
ちなみに、科学史はそのまま「古い間違いが新しい間違いに置き換わる」ことの連続である。「天動説」など、ほんの数百年前の話だ。人類史ではほんの少し前の出来事にすぎない。政治の歴史においては、すべてが陰謀の世界である。


「私が正しい」と信じることはヤバい

 このブログではあまりみなさんのご意見に対して、反論なんかしたくないのだけ

ど、この前のジャラルさんの投稿に関しては黙っていられなくなった。

 ジャラルさん、あなたは僕が「くだらない陰謀論」が大嫌いだってことは知ってましたか?

 ええ、本当にそういうのが顔が真っ赤になるほど嫌いなんです。『ニセ科学を10倍楽しむ本』(ちくま文庫)で取り上げたアポロ陰謀説や9・11テロ陰謀説などはその典型です。他にも東日本大震災での地球深部探査船「ちきゅう」陰謀説、HAARP陰謀説、「震災後にレイプが多発した」という説なんかもその例です。詳しくはASIOS編の『検証 大震災の予言・陰謀論』(文芸社)をお読みください。

 こうしたデマがなぜ有害かというと、まともな科学を陰謀論で貶め、科学者を不当にバカにしていることと、善意の第三者を悪人であるかのように装って傷つけていることです。

 さて、僕は中国という国が大嫌いです。『去年はいい年になるだろう』で中国や北朝鮮をひどい目に合わせたぐらいです(笑)。だからあなたが「中国は嫌いだ」と個人的感想をいうのなら何も言いません。僕もたぶん同意見でしょうから。

 でも、地球環境の問題ではこういう論点をわきに置いておかなくてはいけないと思います。というのも、環境問題はすべての国、あらゆる人にとっての問題だと思うからです。特定の国の人を悪者にしたり、一部の人間だけを糾弾することで、正義だと思い込んではいけない。それは「正義」に反することです。

 さらに、無関係の人を巻き込み、彼らを陰謀に加担しているかのように語ることは、はっきり「悪」と呼ぶべきです。 

 僕は断固として悪には加担したくない。

 あなたは中国政府がグレタさんを操っている具体的な証拠をお持ちなのですか? あくまで「具体的な証拠」ですよ。「私はなんとなくそう思う」とかいうのではなく。

 ないでしょう?

 それを「陰謀論」「陰謀説」というのです。

 先日の朝日新聞によれば、グレタさんの言動は人民日報でも報じられているそうです。彼女が香港のデモを応援しているために、中国政府に「危険なPR行為だ」と攻撃されているとか。

 今やグレタさんの有名人となると、あらゆるメディアに取り上げられています。誰かが思いつきで唱えた陰謀説なんて軽く吹き飛ばしてしまえるほどに。

 人はたくさんの陰謀説に惹かれます。

 特に気をつけなくてはいけないのは、「自分が正しい」と信じさせてくれる説です。よく考えてみると、実は正しいという具体的な証拠などどこにもないのに。僕たちは知性を持ってそれに立ち向かわなくてはいけないと思います。どれほど自分の耳に心地よく響こうと。

 血液型性格判断のように。







私は、最近のガンアクションがどれもこれも両手撃ち(「ブラックラグーン」除く)なのが気に食わないのだが、その方が命中率は上がる、というのは理解はできる。しかし、0・1秒を争う闘争の場面で、両手で構えるのは、片手撃ちに比べてはるかに速さが劣る、つまり大きく不利になるに決まっている。敵のいる場所にこっそり忍び込んで先制攻撃を加える「警察式」のガンアクションを、ギャング同士の闘争場面(敵味方入り乱れての闘争シーン)にまで使うのはいかがなものか。まして、西部劇にまで両手撃ちを使うようになれば、西部劇は終わりだろう。



VRゲームやってて、拳銃は片手撃ちだと射線が安定しないことを実感した。両手で構えるとそれだけで命中率が飛躍的に上がる。









わたしがめいろまに何となく感じていた胡散臭さは、爺さんが戦後に公職追放になったような「戦前戦中の権力者」つまり、右翼の一員であるという出自から来たようだ。その考え方や言葉の端々に、「隠された権力志向」や権力者への親和性を感じていたのだと思う。



昔、娘の嫁ぎ先まで下男に命じて毎朝、樽で顔を洗うためのお湯を運ばせたお大尽がいたそうな。娘が赤切れにならないように。














まあ、馬鹿(子供知能)の書いた小説のように、主人公やそのライバルをIQ300とか書いただけで「頭のいい人物を描いた」と思い込む奴もいないではないが、基本的には登場人物の知能は作者の知能を超えることは無いと思っていいのではないか。ただし、その知能の高さを印象付ける描写ができる人間とできない人間がいると思う。森博嗣などは頭のいい人物(性格はアレだが)だと思うが、彼の作中人物はあまり頭が良さそうに見えない。コナン・ドイル自身はさほど頭がいい人物でもなかったような気がするが、作家としての能力(表現力・描写力)が高かったため、ホームズは永遠のキャラになった。(ホームズ物のトリックの大半は無理があると思う。)
作家自身の頭の良さが作品に反映されているな、と思うのは、漫画家だと「それ町」の作者、石黒正数である。実に緻密な思考力を、作品構築に使っているなあ、と思う。ただし、作品世界に手塚治虫のような「巨大感」が無いのは、逆にその「探偵脳」のためではないか。探偵脳というのは「哲学脳」とは違って、目の前の現実に対象が限定されるのである。
頭の良さには、「発想力」と、「論理構築力」あるいは「論理構築の徹底性」があると思う。(ポーが、優れた探偵には「詩人の能力」と「数学者の能力」が必要だ、と言っているのはそこである。発想は詩人的能力であり、論理は数学者的能力だ。両者を兼ねている人は少ない。)雑な論理だけで、後は感覚だけで乗り切るのが普通の人間である。また、科学者や技術者になるような人間は、案外発想力は無いと私は思っている。だから、理論(仮説)の検証や徹底よりも「偶然の結果」からの大発見が多い。つまり、その仮説(発想)は論理の徹底に堪え得ないレベルのものが大半なのだろう。




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「作者より頭のいい人物は書けないか」論議がまた出ているが、僕の感想はこれのみ、「小説(漫画)を書(描)くという行為に、これ以上呪いの言葉をかけるな」。やれ必然性だ考証の確かさだリアリティだ、ああしろこうしろ、どんなふうに書けとか空想の翼、創作の手足を縛るような差し出口が多すぎる。










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