何かと言うと、古事記や日本書紀で女性が自殺するのにしばしば「女陰(ほと)を鋭いもので突いて死ぬ」記述があることだ。これは実際に行われたことなのだろうか。自殺の仕方として異様に感じるのは私だけか。そもそも、女陰を箸で突いて、本当に死ねるのか。怪我をするだけで終わるのではないか。
私は、これは何かの比喩ではないかという気がする。つまり、「生殖器を傷つける」に似た行為をすることで、その後の生殖が不可能になり「生む性」としての人生を終わりにした、というアピールをすることであって、実際に死んだわけでも女陰を箸や何かで突いたわけでもないと思う。
少なくとも、私は世界の歴史の中でも現代の事件でも、女性が自分の女陰を突いて死んだという話は一度も読んだことがない。
(以下引用)
崇神天皇(十六)倭迹々姫命の婚姻と死・箸墓(日本書紀)
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飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂
現代語訳
「あなたさまは、常に昼は見えないので、ハッキリとその尊顔(ミカオ)を見る事ができません。お願いしますから、もう少しゆっくりしてください。明日の朝に美麗(ウルワ)しい威儀(ミスガタ)を見たいと思います」
大神は答えて言いました。
「言理(コトワリ=言ってる事は)灼然(イヤチコ=よく分かる)だ。私は明日の朝にあなたの櫛笥(クシゲ=櫛を入れる箱)に入っている。頼むから私の形(=本性)に驚くなよ」
倭迹々姫命(ヤマトトトヒメノミコト)は心の裏(ウチ)で密かに怪しんでいました。夜が明けるのを待って、櫛笥(クシゲ)を見ると、とても美麗(ウルワシ)い小蛇(コオロチ)がいました。
その長さと太さは下衣の紐のようでした。それで驚いて叫びました。それで大神は恥ずかしく重い、すぐに人の形になりました。
「お前、我慢出来ずにわたしに恥をかかせた。
わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」
それで大空を踏んで、御諸山(ミモロヤマ)に登りました。
倭迹々姫命(ヤマトトトヒメノミコト)は仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。
それで箸で陰(ホト=女性器)をついて亡くなりました。
それで大市(オオチ=大和国城上郡大市=奈良県桜井市北部)に葬りました。世の人はその墓を箸墓(ハシノハカ)と名付けました。この墓は、昼は人が作り、夜は神が作りました。大坂山(奈良県北葛城郡二上山の北側の山)の意思を運んで作りました。山から墓に至る人民が並んで列を作って手から手へと手渡しに運びました。世の人は歌を歌いました。
大坂に 継ぎ登れる 石群(イシムラ)を
手遞傳(テゴシ)に越さば
越しかてむかも
大坂山の石を麓から頂上まで、どんどんと持って行った。大量の石。手渡しにどんどん持っていったから、いつかは山をすっかり持って行けるだろう。
即位3年の春1月の5日に渟名底仲媛命(ヌナソコナカツヒメノミコト)を立てて皇后(キサキ)としました。
私が「落差が笑いを生む」というのも、正常と異常の落差と言ってもいい。あるいは予想と実際の落差のこともある。歩いている人間を見れば、誰でも次の瞬間も相手が歩いていると予想するが、それが転ぶ(こける)と驚き、その驚きは、相手が無事なら笑いとなり、大怪我をしたら恐怖になる。(今考えたが、転ぶことを喜劇創造の世界で「こける」というのは、「こけ」には愚か、白痴の意味があるからではないか。転んだ状態の人間は尊厳を失い、馬鹿やピエロ同然の「笑うべき存在」になる。)
(以下引用)
紅茶
笑いの仕組みは昔から気になってました。横から長文しつれいします。
個人的な見解ですが、多分、不条理ギャグ(一発ギャグ)って、公式がないようでいて、基本は抑えてるから面白いと思います。
うちだすみを著「基本マンガ」に「笑いのテクニック」のページがありますが、不条理ギャグについてはこう書いて有ります「ただ、面白い言葉を連ねても面白くない」と。
(例題に「アカチャカベッチャカ、スースースーダラスー」とわけのわからない言葉+突っ立ったキャラが書いてあるが全く面白くない)
確か、小林よしのり先生がおっしゃってた気がしますが(初期のゴーマニズム宣言で)、
ギャグの定義は「普通を知らないと、異常が書けない」だそうで。
「普通は読者が知ってるので(平均的共通項)、そこに異常を同時に見せることで笑いが生まれる」という方程式でした。
(例:学校ではじっと席に座って授業を受けるものだ
→ところが主人公は席に座らず、教室でターザンしている→先生が注意するのがシュール→笑いのように)
私は個人的に、現在のバラエティの笑いは、テレビの前で実際アハハと声に出して笑ったことがほとんどありません。同情の笑い、そういうこともあるよな、的笑いばかりです。家族も似たようなものです。
ネットのインディーズが書いているギャグ小説(かなりニッチな設定のジャンル)のほうがよっぽど素直に声を出して笑えたりします。
なんというか、最近のギャグは「いじめ、誰かをいじる、叩く、セリフに偏りすぎてる、誰か特定のカテゴリを貶める」ようなギャグばかりで、つまらないです。
現在のあるあるネタも、気をつけないと「そのカテゴリの人を貶める」ことになりますし。
(だから最近、「今現在の人には直接関係ない」戦国時代などの過去の偉人や、雑学をテーマにした作品が多いのかもしれません)
私は生まれつき障害者で、弱者側の人間なので、
ぶっちゃけ、ドラマやバラエティで「普通」ということになっている舞台や環境、セリフに全く共感できません。「ハリポタと同じファンタジー」だと思いながら、見ています。
「そうそう、こんな世界あって、こういうことができたら笑えるだろうな」みたいな。
「仕事先の銀行で大金を横領してキャバクラ開いた」
→仕事いくとなぜか首になるので、そこまでやったことないので想像できない
→ご飯食べられるだけで幸せなのに、なんで大金とるの?
「ふらりといった旅行先で殺人事件に巻き込まれた、大変!」
→障害上、頭の中で考えながら行動できないので、修学旅行のしおりのように「これから何が起きます」とあらかじめ分単位で予定された通りに行動しないと、外に出られませんが何か?
なんというか、私が障害もちで特殊なせいかもしれませんが、多分一般レベルでも
「普通の定義が普通じゃなくなってきている」せいもあると思います。
「普通にご飯を食べ、進学し、就職し、結婚し、普通に子供を持ち、普通に育児やって、普通に家を買って、普通に年金を受けて老後を生きる」
この普通の前提が今は全部崩壊しているので、「笑いを生むための平均的な共通項」がなくなってきてるのです。
ある意味、教育やインフラや歴史が崩壊してて、共通言語もない多民族の途上国で
「何をやったら相手(どんな背景持ってる人か全く想像できない相手)は笑ってくれるのか?」を考えるのと同じ状態です。
だから「メチャクチャ」「カオス」「おかしな動き・言葉」しか
もはや笑いを作る方法がないのかもしれません。
「普通が崩れてしまった」状態だから、「その場のおかしなセリフの繰り返し」「素っ裸」「ゾンビ(人を食う、死なない)」など、一目でわかる「異常」、「いじめたり殺してもどこからも文句がこない存在」を演出しないと笑いやネタが取れなくなったのかもしれません。
これ、冷静に書いてみると、統合失調症か、精神異常者の行動とあまり変わらないようにも見えますね。(障害者側からいうのもナンですが)
つまり、精神異常者の行動は「笑える」ってことですけど(少数派、異常なので)
それをうまく書き換えて普通に見える人が演じる・またはものすごく異常な格好した人がやることで、ギャップで笑いを作ろうとしてますけど
ネタの根底が「弱者、障害者」なので、一瞬は笑っても、ずっとヒットする・長年親しまれるような笑いに根付かないんじゃないかなーと思ってます。
笑いの根底とは「おどけて、いじられたいと思っている人が笑われる」
(個性がたまたまあるけど、いじられたいと思ってないのに、回りが勝手に「かまってあげてる」と解釈していじると、いじめになる)
「そうじゃないだろ」とツッコミ待ちのボケ
頭がいい人・権威ある人がなぜか「実は当たり前のことができない」、といった「万能の空白」
のような、オーソドックスな笑いが結局ずっと使えると思いますが…
親父ギャグ、一発ギャグ…これはちょっともう古すぎてダメなんでしょうね。
なんというか笑いを作ろうとしても、余裕がなさすぎて。
どちらかというと、笑いの代わりに「癒し」を求めてる気がします。
笑いは「希望や元気」があると欲しいものですが、今現在、世の中に希望や元気がないので
まず疲れを癒して、回復して、元気になってから、「笑えるものが欲しい」と思うかと。
安心の定義も崩れ、エネルギーがかなり低下していて、回復・治療・希望作りを
まず先にしないと、笑ったり、何か生み出す元気もない状態のような気がします。
で、実際に属国だったのか、というのは、朝鮮側の歴史書がほとんど無いらしいので日本書紀くらいしか「証拠」が無い。だから、公文書の作成保存というのは永遠に国家の名誉に関わるのである。
(以下引用)
神功皇后(三十八)七枝刀、七子鏡、および種々の重宝を献上
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現代語訳
「臣(ヤッコ=部下=自分のこと)の国の西には水(カワ)があります。源(ウナカミ=水源)は谷那(コクナ=地名だが未詳)の鉄山(カネノムレ)から出ました。その土地は遠くて七日進んでも到着しません。この水を飲み、この山の鉄を取って、永遠に聖朝(ヒジリノミカド)に奉ります」
(百済の王の近肖古王の)孫の枕流王(トムルワウ)に言いました。
「今、わたしが通うところの海の東の貴国(カシコキクニ)は天が開いた土地です。天恩(ウツクシビ)を垂れて、海の西を割いて私に与えてくれた。それで国の基礎は永遠に固い。お前は深く(倭国と)仲良くして土物(クニツモノ=百済の土地のもの)を集めて、献上することを絶えず行い、死んでもなんの恨むことがあるだろうか」
これ以降、毎年、続けて朝貢しました。
解説
百済と大和朝廷が相当に仲が良いのはわかりました。白村江の戦いで百済復興を掛けて戦争をするくらいですから、相当なもんですよね。それで日本が傾きかけたんですから。日本が「上」であったとしても、そこまで肩入れして百済を守ろうとしたことは、現在の日本人の性質に近いような。
ちなみに「朝貢」というのは、貢物を出す、というだけではなく、朝貢された側は、その数倍の返礼をするんですね。これはどういうことかというと、朝貢した側である百済は「日本の部下」という証として貢物を献上するんです。それで日本は「百済のその土地での正当性」を認め、「その土地の支配者」として認める。その言わば、支配者としての給料代わりに数倍の物品を与えるというのが普通です。そして「百済が侵略された時は日本が守る」という証なんです。
だから日本は百済を守ろうとした。
メンツもあるってことです。
それと似たような話で、朝鮮半島に豊臣秀吉が侵略したときには、中国の「明」は面倒ながらも朝鮮半島の豊臣軍を戦わなくてはいけなかった。でないと中国のメンツが立たないのです。その豊臣軍との戦いで疲弊した明はその後、滅亡。今でも中国のネットで「朝鮮はいつも中国に迷惑を掛ける」という話題になるとこの話が出るのはそういうことなんです。
七支刀
百済から送られた七支刀は現在、石上神宮にあります。
枕流王
トムルオウと読むこの枕流王は朝鮮の歴史書の三国史記によると百済15代王。そして百済13代王の近肖古王の孫にあたり、「孫枕流王」という記述は一致します。
以上を要するに、神功皇后の征韓説話は日本書紀最大の、とは言わずとも、もっともあからさまな欺瞞だろう、と私は見ている。なお、私はべつに朝鮮韓国に思い入れはなく、単に「合理的」な解釈を望んでいるだけだ。
(以下引用)
神功皇后(十三)沙麼縣主の祖先の内避高国避高松屋種に神が
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現代語訳
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)は筑紫の橿日宮(カシヒノミヤ)に居ました。ここに神が現れて、沙麼縣主(サバノアガタヌシ)の祖先の内避高国避高松屋種(ウチツヒコクニツヒコマツヤタネ)に神がかって、天皇に教えて言いました。
「御孫尊(ミマノミコト=天孫=ここでは仲哀天皇のこと)が、もし宝の国(=朝鮮半島もしくは新羅)を得たいと思うのならば、現実に授けよう」
また(神が)言いました。
「琴を持って来て、皇后に渡せ」
すぐに神の言葉に従って、皇后は琴を弾きました。すると神は皇后に神がかり、教え言いました。
「今、御孫尊の所望した国は例えば鹿の角のようなものだ。無実(ウツケ)の国だ。御孫尊が持つ船、それと穴戸直踐立(アナトノアタイノホムラタチ)が献上した水田(コナタ)…名を大田(オオタ)…を幣(マヒ=供えもの)として、よく私(=神)を祀れば、美女(オトメ)の睩(マヨビキ=眼差しとか目配せとか瞬きとか)のように黄金・銀がたくさんある、眼炎(マカカヤク)国を御孫尊に授けよう」
天皇は神に答えて言いました。
「それ神といっても、どうして欺こうとするのか? どこにそんな国があるというのか? また私が乗る船を神に奉ってしまったら、わたしはどの船に乗ればいいのか? そもそもまだどこの神ということもわからない。願わくはその名を教えて欲しいものです」
解説
神代では見られた「一書」がここで登場。ということは神功皇后の政治関与の経緯には異説があるということであり、大和朝廷としても史実ともなんとも言えない部分があるということです。
本伝は「仲哀天皇(十)眼炎の金・銀・彩色が栲衾新羅国」です。
神が降りるのは皇后ではなく松屋種
まず、本伝では皇后にいきなり神がかっていますが、ここでは内避高国避高松屋種(ウチツヒコクニツヒコマツヤタネ)がまず神がかって、そこから神功皇后にバトンタッチという形を取っています。
これは朝鮮半島進出を現在の山口県・福岡県の氏族が望んだということでしょう。沙麼縣主(サバノアガタヌシ)の「サバ」という地名は「仲哀天皇(七)筑紫の岡県主の祖先の熊鰐」に登場します。どうやら関門海峡近辺の氏族で、現在の岡山県(吉備)や大阪、そこから大和を抜けて伊勢から東国という貿易ルートで利益を得ていたのでしょう。ここに朝鮮半島から中国と中国東北の民族との貿易を始めれば更に巨万の富を得られます。これが松屋種に神が降りた「理由」でしょう。
朝鮮半島の評価
朝鮮半島は鉄鉱石の取れる土地です。そこを得ることが大和朝廷が朝鮮半島進出した理由、というのがよくある説です。しかし魏志倭人伝を見ると、半島南部は倭人が住んでおり、鉄鉱石は倭人(日本人)・韓人(朝鮮人)・漢人(中国人)がそれぞれ取っていたと書いてあるように、今更、朝鮮半島を得る理由は薄いのです。
ここで神は朝鮮半島の事を「鹿の角のようなものだ。無実(ウツケ)の国だ。」と評価しています。鹿の角は空洞になっている……つまり実態の無い、中身の無い国と言っているのです。これは「第九段本文―8吾田の長屋の笠狭の岬へ」などで「膂宍(ソシシ)の空国(ムナクニ)」と描かれているのと同じです。ソシシは背中の肉、背中の肉は食べるところが少ないので貧しいという意味で、空は当然「むなしい」という意味です。つまり朝鮮半島は空っぽだと言っています。しかし「鹿の角のようなもの」ということは角は食べられなくても、その先の本体である「鹿」にはたっぷりと食べるところがあるという意味でもあります。つまり、古代の日本にとって朝鮮は、「貧しく何も無い土地だが、中国や中国東北の異民族との貿易をするために必要だ」という認識だった、ということかもしれません。そういう意味で「朝鮮半島は金銀の宝の国」と評価されていたのかも。
しかし、朝鮮半島に進出することで得るものがあるとしても、それはこの時点では不確定なことです。仲哀天皇は当時文化の流入口だった九州南部の攻略を求めた。それに対して九州北部や山口県の関門海峡の氏族は「朝鮮半島進出」を求めた。その結果が、神功皇后の擁立だったのでしょう。