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これ(この担任の言葉)は或る意味哲学的な問題であり、最初から問答無用で大前提とするような思想だとは思わない。
殺人犯を弁護する弁護士などを見る時に感じる嫌悪感は、「殺人という、他人の人権を根底的に否定する行為を行った人間が法律で守られる」理不尽さに対するものである。つまり、他人の人権を否定する人間に人権はあるのか、ということだ。本当に「いつでも どこでも だれにでも」でいいのか。もちろん、法律が犯罪者にも人権を与えるのは、犯罪行為の立証には完全性が欠如し、常に冤罪の可能性があるということへの予防措置ではあるだろう。しかし、そのことと「いつでも どこでも だれにでも」ということの是非を哲学として論じるのは別である。


(以下引用)


TNT
@TNTO8698
高校の時の担任の授業「ヤクザに人権はあるか」私たち生徒はほぼ全員「ない、あげたくない」最後に担任はものすごく重々しく「君たち勘違いしちゃいかん。人権は いつでも どこでも だれにでも だ」と言った。今でも覚えている。補償に職業で線を引くな。
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何で日本人が馬に乗って馬上から長剣を振り下ろす「経験」が可能なのか、疑問だが、振り下ろしたら再び振り上げて戦う必要があるわけで、楽なはずはないだろう。だいたいが、長剣を振り下ろしたら、自分の乗馬に当てないために「止める」必要があるわけで、そこに非常な力を要するのも自明である。ボクシングのグローブ程度の重さでさえ、素人は三分間保持するだけで疲れると言われている。

(以下引用)


会話

Vail=Visconti
@Vail_Visconti
馬上にて片手で長剣が振れるかどうかと言う疑問に対して自分の経験と検証からすると、歩兵相手には振り下ろすだけなんで楽なだよねw
位置エネルギー大事!
鎧着込んだ騎士相手には長剣では倒せないんで無理して振り回す必要はないw
午後6:31 · 2020年4月12日Twitter for iPad








大人になっても戦争を他人事と思い、娯楽扱いの戦争フィクションを描き、戦争で金儲けをしようとする人間は、この子供の感覚を嘲笑するのだろう。馬鹿なのはもちろん、子供でも持っている、「理不尽な死」への恐怖や「生命の尊重」というまともな倫理観の欠如した戦争マニアのほうだ。
フィクションにはヒロイズムは不可欠だが、死を克服する勇気と、死をまともに見ない軽薄な態度はまったく別である。つまり、「人間は他人の死(「不幸」だったかもしれない)に平然と耐えきれるほど勇敢であるwww」(誰の言葉か忘れたし言葉も不正確だが)ということである。あくまで「他人の死」であり「他人の不幸」なのだ。
私が小説を書くのが苦手な理由のひとつは、たとえフィクションでも「他人の不幸」や「鬼畜のような人物」を描くこと自体が不愉快でたまらないからである。だが、それを避けていては小説は書けない。
唐沢よしこ
@oomeshi
去年の学芸会のとき、帰ってきた息子の元気がなかった。劇で失敗したのかな?と話を聞いてみたら、高学年の劇に戦争シーンがあって見てたらつらくなったんだそうだ。
「戦争ヤダよ。ぼく、戦争で死にたくない」
と半ベソをかいていた。ほんと、その気持ち忘れんなよ!














前の記事だとまったく不十分なので、ユダヤ教のカバラ思想についてまとめた記事を転載する。
どうも、現代の「陰謀論」で言うカバールとは何の関係もない神秘主義的思想にしか見えない。
英語のcabalに「徒党、陰謀(を企てる)、陰謀集団」の意味があり、おそらくそれがユダヤ教のcabbalaとごっちゃになったと言うか、あるいはcabbalaという言葉から派生して陰謀集団を cabalと呼ぶようになっただけだろうと思う。つまり、現実の陰謀集団とユダヤ教には関係は無かったのに、キリスト教徒たちが「ユダヤ教徒というのは陰謀集団だ」と妄想したのではないか。もちろん、それにも一定の根拠はあり、ユダヤ教の教典であるトーラー(と言ったか)には「ユダヤ人絶対主義」「他民族は家畜に等しい」「他民族を殺したり略奪したり他民族に嘘をつくことは罪ではなく、むしろ善行だ」という思想がある(これは旧約聖書にもある。)ため、他民族から見ればユダヤ教徒は「信頼に値しない、何をするか分からない」連中と見られてきたという経緯はあると思う。
まあ、ユダヤ教徒は無害だ、友人になれる、と思う人は、その「友人」に、「ところで君は『旧約聖書』を肯定するか」と聞いてみたらいいwww


(以下引用)


カバラ
(קַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、
カバラーとは、
ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、
終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。

独特の宇宙観を持っていることから、
しばしば仏教における密教との類似性を
指摘されることがある。

しかし、これはもっぱら積極的な教義開示を
行わないという類似性であって、
教義や起源等の類似性のことではない。

カバラーはヘブライ語の動詞キッベール
「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、
「受け入れ」「伝承」を意味する。

カバラーが登場する以前の
ゲオーニーム時代には、
単に口伝律法を指す言葉として用いられた。

したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す
呼称となった際にも、
個人が独自に体得した神秘思想というよりは、
神から伝授された知恵、
あるいは師が弟子に伝承した神秘という
意味で用いられることになる。

カバラーはユダヤ教の伝統に忠実な
側面を持とうとしたという点において、
他の宗教の神秘主義とは異なる。

本来のカバラーは、
ユダヤ教の律法を遵守すること、
あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。

したがって、
正統的なユダヤ教との親和性を持っていた
時期もあったため、
必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。

しかし、
キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、
ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な
神秘体験の追究の手段として用いられることになる。




私は、政治の本質は陰謀であると考えているが、世間の陰謀論者がよく言う「カバール」というのが何なのか知らないので調べてみると、ウィキペディアに次のような記述があった。
これ(十七世紀イギリスの5人の政治家)では陰謀論と何も関係がなく、単にユダヤ教の「カバラ」と言葉が一致するだけではないか、と思うが、陰謀論者の言うカバールとは「カバラ」に関係するのだろうか。まあ、現代を支配するのが古代ユダヤの末裔だ、みたいな話だと思うが、私がしばしば言う「ユダ金」は、「思想が古代ユダヤ人的な選民思想である」だけの話でユダヤ民族とは何の関係もない。(イスラエルという国とは関係がある)まして、カバラなどとは関係がない。

(以下引用)


Cabal

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Cabal(カバル)とは、かつてイングランドに存在していたグループ。イングランド・スコットランドアイルランドチャールズ2世に取り立てられた5人の政治家を指して名付けられた。

Cabal(カバル)はもともとユダヤ教のカバラを語源とする言葉で、英語では「意見を同じくする者たちの集団」、「政治的陰謀団」といった意味の言葉であるが、この5人の政治家の頭文字もちょうどCabalになることから、この5人を指して「Cabal Ministry」(カバル内閣)と呼ぶようになった。

チャールズ2世の治世初期はクラレンドン伯爵エドワード・ハイドが政権を運営していたが、1665年から1667年第二次英蘭戦争でイングランドが劣勢のまま終戦に至ると反対派の突き上げにあい失脚、フランスへ亡命した。このため、チャールズ2世は新たにトマス・クリフォード、アーリントン男爵ヘンリー・ベネットバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズアントニー・アシュリー=クーパー、ローダーデイル伯ジョン・メイトランドの5人を側近に取り立てた。政権は5人の頭文字を取ってCabalと名付けられた(クリフォード(Clliford)、アーリントン(Arlington)、バッキンガム(Buckingham)、アシュリー(Ashley)、ローダーデイル(Lauderdale))。

5人はイングランド国教会に属さない非国教徒であること、宗教に寛容であること以外に共通点は無かったが、クリフォードとアーリントンはイングランド議会で国王派を結集してクラレンドンの外交政策を攻撃、チャールズ2世に議会内部の支持者として登用された。アシュリーはクリフォードと共に大蔵委員会の委員として財政を担当、バッキンガムは枢密顧問官、ローダーデイルはスコットランドにおけるチャールズ2世の代理としてスコットランドを統治した[1]

外交では国務大臣のアーリントンが主導して親オランダを掲げ、1667年にフランス王ルイ14世スペイン領ネーデルラントを侵略すると(ネーデルラント継承戦争)、1668年ウィリアム・テンプルと組んでオランダ・スウェーデン三国同盟を締結、フランスの進軍を阻止した。しかし、親フランスのチャールズ2世は1670年に独断でルイ14世とドーヴァーの密約を結び、クリフォードとアーリントンがイングランド代表として調印したことは政府の外交政策が一貫していないことを表し、議会から不信感を抱かれた。

1672年3月にチャールズ2世が第三次英蘭戦争を始め、続いて4月にルイ14世がオランダ侵略戦争を勃発させると議会の反感を更に買う結果となった。戦争に先立ちチャールズ2世は1月にクリフォードの提案で国庫支払い停止を行い、3月に宗教の寛容を唱えた信仰自由宣言の発布にアシュリーが賛成、クリフォードは男爵に叙され大蔵卿に就任、アシュリーもシャフツベリ伯爵に叙され大法官に任命されたが、これらの政策に反発した議会は英蘭戦争の続行に難色を示した。

議会は1673年に戦費承認と引き換えに信仰自由宣言の撤回及び非国教徒とカトリックの公職排除を記した審査法の制定をチャールズ2世に求め、チャールズ2世が屈服して両方とも承諾するとCabalの影響力は弱まり、クリフォードはカトリックだったため同年に大蔵卿を辞任して急死、シャフツベリはドーヴァーの密約で親カトリックの裏条項を知るとチャールズ2世に反発、審査法に賛成したため大法官を追われて下野、翌1674年にアーリントンも議会に弾劾され国務大臣を辞任、バッキンガムとローダーデイルは残ったがCabalは実質的に崩壊した。以後、クリフォード辞任後に大蔵卿となったダンビー伯トマス・オズボーンが親オランダ政策を掲げ政権を率いていった[2]

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