第四章 ローマ化したキリスト(ユダヤ)教
ローマ帝国におけるキリスト教の国教化は、まず313年のミラノ勅令によるキリスト教公認から始まり、ニケーア公会議での教義の統一、そして392年のテオドシウス帝の布令で国教となるという過程を経ている。
なぜ、キリスト教がローマ国教となったのか。推測できるのは、当然ながら宗教の政治利用である。多神教よりも一神教の方が権力の源泉として強力であることに気づいた人間が、ローマ政府内部にいて、皇帝に進言したのだろう。もちろん、弾圧しても弾圧しても抑えられないキリスト教信者の対策に費やすエネルギーが無駄であるという判断もあっただろうし、もともと、ローマ人は宗教的民族ではないから、宗教など何でもいい、と思ったのかもしれない。公認以前のキリスト教徒に対して、ローマ皇帝たちは皇帝崇拝を拒否しているという理由で弾圧を繰り返したが、ことごとく失敗した結果、弾圧は非効率的だと反省したのが、おそらく主な理由だろう。
さて、ローマに公認されたことは、キリスト教にとって良かったかどうか。もちろん、弾圧が無くなったことは良いだろう。だが、ニケーア公会議などでの教義の統一は、つまり、信仰の自由度が減ったということだ。もともと、キリストの死後に、伝承者が自分の主観をまじえて作った「キリスト教」であり、本来はキリストの思想に対しては様々な議論や解釈が可能だったはずだが、国教化された後では、自由な解釈は不可能になったのである。ニケーア公会議では、イエスの人性を強く主張するアリウス派は異端だとされて追放されることになった。エフェソス公会議ではネストリウス派が同じ憂き目を見た。そして、聖書の中に見られるイエスの思想よりも、教会内の学者たちの解釈によって、「新キリスト教」が形成されていったのである。それは、イエスの思想よりも、むしろユダヤ教に近い思想である。つまり、イエスの強調した信仰の内面性はほとんど消え、ただ現世における善悪の結果として死後の裁きが行われ、ある者は天国に行き、ある者は煉獄や地獄に行くという、非常に分かりやすく、浅薄な宗教と化したのである。その浅薄さのカモフラージュに、三位一体説とか原罪思想などが持ち込まれ、宗教論争は無意味な空理空論と化したのである。そして、もちろん、無知な大衆を導く存在として教会が絶対的な権威となっていった。なにしろ、国家公認の国教なのだから、誰も教会には逆らえない。政権そのものが後にローマ教会にあれほど苦しめられるとは、キリスト教を国教化した時点では誰も想像できなかっただろう。なにしろ、カノッサの屈辱のような、王権が神権の前に跪くという信じがたい事態が後には生じるのだから。
そして、こうして作られた「キリスト教」つまり、看板を付け替え、儀式性が簡略化されたユダヤ教は、宗教改革などでもその根本部分が変わることはなく、現在に至っている。
結語
以上で、この小論は終わりである。キリスト教信者やユダヤ教信者には失礼な事ばかり書いてあるが、実は私が言いたいのは、一神教的世界観から来る西欧人種的発想の危険性なのである。本論中に述べたように、神に対する倫理と人間に対する倫理のダブルスタンダードの結果、西欧人種は、世界にとって危険な存在となっている。彼らの推進する自由貿易は、必ずと言っていいほどその相手国を貧困に落としいれ、西欧国家との間で恒常的な貿易を続ける限り(、モノカルチャーのプランテーションに縛られたアフリカ諸国のように)貧困から抜け出せない。そして、彼らの最大の特徴は、自分たちのルールを相手に押し付け、都合が悪くなるとそのルールそのものを平気で変えることだ。つまり、彼らには異民族や異人種へのモラルは無いのである。彼らのモラルは、あくまでキリスト教、もしくはユダヤ教を信じる同朋に対してのみ存在し、神を知らない異民族に対してのモラルなど存在しない。だから、東洋人やアフリカ人に対する西欧人の食言は当たり前の行為である。
現在、神の存在を信じている人間は、本当は西欧人にも多くはないはずだ。社会の上位層が嘘ばかりついていて、弱者の不幸に対して無関心で、毎年のように何万人もの人間が銃で死んでも平気で、何の正当な理由も無く他国に攻め込んでそこの住民を虐殺することを延々と続ける、アメリカのような国は、果たしてキリスト教国家なのだろうか。もしも、キリスト教という宗教がそれを許容するなら、キリスト教にはまったく価値は無い。アメリカ社会の上位層の多くはユダヤ人だから、ユダヤ教も同様だ。彼らは本当に、自分の宗教を信じているのだろうか。それとも、やはり、彼らの宗教とモラルは同朋に対してのみのものなのか。神への信仰が無くなった状態の(そして一神教的独善性のみを残した)西欧人とは、より悪質な、アモラル(無道徳)な存在となるのである。
私のこの文章を、非キリスト教徒の独断と偏見だと思う人も多いだろう。だが、これは、世界中の人間がキリスト教やユダヤ教に対して抱いている疑いを、歴史的な聖書と教会(私の言う「新キリスト教」)のあり方の分裂の点から切り込み、分析して考察したものにすぎないのである。同じような事を、紳士的に書けば、たとえば次のようなものになる。これは中央公論社刊「世界の名著13『聖書』」の責任編集者で、ご自身も敬虔なキリスト教徒である前田護郎氏の、同著作の序文中の一節である。
「キリスト教教会の歴史には東西ローマの分裂とか、血なまぐさい十字軍とか、残酷な宗教裁判とかがつづき、教会の権威が学問を圧迫したこともあり、近代になってもキリスト教徒同士の争いは絶えない。今世紀の二度の大戦で、いわゆるキリスト教国が大量殺人をしたので、教会はかなえの軽重を問われている。アジア、アフリカの人々の多くにとって、キリスト教は植民地帝国主義者の宗教である。六日間非キリスト教徒を搾取して七日目に教会へ行く人々がキリスト教徒である、という人が彼らの中にある。キリスト教国といわれる地域の中にも、白人と黒人とが別々の教会へ行かねばならぬほど人種的偏見が強いところがある。
われわれ日本人にとっては、スペイン、ポルトガルの侵略に協力したキリシタン・バテレンの歴史も忘れがたく、現代では、原子爆弾や戦争裁判に関係した諸国のキリスト教会の態度が問題にされるという事実も否定しえない。
しかし、これらはいずれもキリスト教会あるいはキリスト教徒のことであって、彼らによって聖書の精神が無視あるいは曲解されて、一部の人々の勢力を守るために他が犠牲にされた不祥事である。聖書と宗教体制としてのキリスト教会とを混同してはならない。」
この言葉は、私などよりよほど過激に、キリスト教会とキリスト教徒を批判しており、私が言いたいことの要点を尽くしている。同じ文中に、「哲学者ヤスパースが聖書の宗教をキリスト教と区別して扱うのは注目すべき例である」と述べているのも、同様である。
要するに、私が述べたことを一言で言えば、「キリストは『キリスト教徒』ではない」ということだ。逆に、「『キリスト教徒』はキリストの教えが分かっていない」と言ってもいい。
西欧人種は、彼ら自身の内面、彼らの宗教の根本を考える必要がある。日本人は? 我々は、宗教に規制されなくても、社会的モラルを守るという伝統がある。(その伝統も、西欧文明化=グローバリズムや西欧的拝金主義によってあやしくなってきたが。)日本人に必要なのは、そうした西欧人種の正体を知り、西欧人の利益のための「グローバル化」と「西欧化」をこのまま進めていいのかどうか反省することだろう。特に英語の世界語化による言語的階層世界への組み入れや、あるいは無意識の西欧崇拝根性育成の意味を。
世界中で、政治的な植民地的侵略の尖兵となった「キリスト教」に侵されなかった国はおそらく日本だけである。それは、「キリスト教」の侵略者的役割を見抜いた秀吉と家康の鎖国という英断によるものだ。他のアジア・アフリカ諸国はみな、「キリスト教」の宣教をカモフラージュとした侵略に国を食い荒らされたのである。その日本が今や、グローバル化という第二の植民地化の波に飲み込まれようとしているのである。ここで、「キリスト教」と西欧人種の本質についてよく考えておく必要があるだろう。
ついでながら、西欧植民地主義はけっして過去の話ではない。西欧人は、自分の植民地が独立した後でも、現地人政治指導者を傀儡として使うなど、何らかの形で、その植民地を支配しているのである。(自分たちの気に入らない政権が出来てしまった場合は「民主的指導者」を支援してその国に「革命」を起こさせる。)それは日本に対しても同じであり、被占領国であった日本はサンフランシスコ平和条約で形式的には独立したが、それと同時に結んだ日米安保条約で国内に米軍基地を置くことを余儀なくされ、米国への反抗は半永久的に不可能になったのである。(戦後すぐに、アメリカの政治資金と工作によって出来た政党が現在のJ民党である。その日本側の中心人物が本来なら戦犯である岸信介であることからも、アメリカの政治のニヒルなほどの現実主義がわかるだろう。)日本の政治はアメリカからの年次改革要望書などの形でアメリカから常にコントロールされており、一部の人間の間ではすでに常識だが、日本は決して本当の意味での独立国家ではないのだ。
しかし、政治的な次元での支配、つまり表面化している植民地的支配は、実はそれほど危険ではない。もっとも危険なのは、精神的な支配、我々の中に内面化された、自発的な被支配根性、奴隷根性である。支配のプロであるかつてのローマ帝国が被植民地の民族に養成しようとしてきたのも、自発的に支配に従う精神であり、「キリスト教」の利用もその一つである。話はキリスト教だけのことではないのだ。あらゆる宗教は政治との持ちつ持たれつの関係によってその力を拡大するのである。その信者には本来は罪はない。だが、政治と結びついたその行動によって彼らは世界全体に大きな被害を与えるのである。
「宗教は阿片である」という言葉は、それを言った人間が〈マルキシズム〉という「宗教的政治思想」の提唱者であるだけに価値を減じているが、その言葉自体は正しい。阿片は確かに現世の苦痛から逃避させてくれるというメリットがあり、終末期医療の手段としてなら大いに結構なものだが、現実的認識と行動を不可能にさせるという極端なデメリットがある。その危険性を再認識してもらうことが、私がこの小文を書いた理由の一つである。
[補記] 神の存在については、中江兆民が『続一年有半』の中で完全に論破している。この書は、世界の哲学書の中でもっともすぐれたものの一つだが、その内容が西欧精神の根本を否定しているために、これまで批評の対象とならなかったものである。興味のある人は、是非、一読を願いたい。
2008年 11月24日 記
2009年 8月24日 一部改稿
2009年 12月8日 一部追加
第四章 イエスの死後の展開
イエスは十字架上で死んだ。刑死である。この事の持つ心理的意味には大きく二つある。一つは、人間世界の罪は神の前での罪とは異なる次元であるということ。イエスは人間世界では罪びととして刑死した。だが、彼は神の世界では大いなる者としてその栄光を称えられる存在である。もう一つの意味は、人間の世界から神の世界に入るためには、十字架上の死に比せられる苦難を経なければならない、ということだ。これがドストエフスキーなどに見られる苦難・苦痛の称揚である。
もう一つ加えるなら、十字架をアクセサリーとして常に身につけることは、いわゆる「メメント・モリ(死を思え)」の習慣を持つことでもある。ただし、この死とは、永遠の闇である虚無の死ではなく、キリストに導かれた来世、天国である。常に来世の存在を意識することで、この世の様々な苦痛や理不尽に耐える力を、それは与える。つまり、現世はそのままで来世とつながっているという意識だ。そして、死は、信仰者にとっては苦痛でも何でもなく、むしろ喜び迎えるべき世界なのである。(実際、人はしばしば死の前の苦痛を死の苦痛と混同するが、死とは意識の変化であって、肉体的苦痛とは無関係なのである。そして、仮に、死が虚無ならば、そこには意識も存在しないのだから、それをあらかじめ恐れるのは愚かだろう。死を恐れるほど、我々の毎日が幸福に溢れているわけでもない。)
さて、イエスは死んだ後、三日後に復活したとかいう話になっている。もちろん、これはどの宗教にも共通した教祖の神格化のための伝説であって、イエスを信仰する者以外には意味のない話だ。面白いのは、復活したイエスを、彼のかつての弟子たちが認識できなかったという話である。とすれば、イエスの復活伝説を作るための何かの工作まであったという可能性もある。例の、トマスの不信の話などから見ても、迷信深い当時ですら、死者の復活を人々に信じさせることはなかなか難しかったのだろう。
そもそも、福音書には、たとえば、ゲッセマネの園で、イエスが逮捕前に一人で神に祈る場面が書かれ、その祈りの内容まで書いてあるが、いったいなぜ、そんな事が分かるはずがあるのか。これは素人小説家がしばしばやる「視点の誤り」である。だが、その手の矛盾をいちいち指摘するのも面倒だから、話を先に進めよう。
新約聖書の成立時期は、イエスの死後40年から100年後くらいだと推定されている。つまり、イエスを直接に知っている人間はほとんど死んでいて、イエスについての口承がまだいくらか残っていた時期に、その口承を集めて福音書が編纂されたのだろう。では、誰がその福音書を作ったのか。ここでユダヤ教やローマ帝国との関係が出てくる。
私は歴史には詳しくないが、ローマに対するユダヤ人の武力闘争、すなわちユダヤ戦争があったのがAD66年、これによってユダヤ人約60万人が死に、AD70年にエルサレムの神殿が破壊されたという。すなわち、ユダヤ教は存亡の危機にさらされたのである。ユダヤ教では、神殿の持つ意味は大きい。神への祈りは、神殿で行うべきものだったのである。
「神殿は、イスラエルの神の現存する場所であり、神の住みかなのであって、主の御名を唱えることのできる唯一の場所であった。なぜなら、そこにのみ主の現存があり、そこでのみ主に祭儀を捧げることができたからである。」(アンドレイ・シュラキ『ユダヤ教の歴史』)
神殿の破壊によって、ユダヤ教は変質を余儀なくされた。つまり、神殿での祈りや祭儀が不可能になったということは、その律法の厳格な維持が不可能になったということである。このことは、これ以降のユダヤ教のあり方を変えざるを得ないということだ。さらに、ローマと敵対してユダヤが敗北したということは、ユダヤ教という宗教自体がこれまで以上に、ローマから睨まれることを意味する。多神教のローマは、元来、異国の宗教に寛容であって、征服した諸民族の神々を平気で自分たちの神々に加えてきた。しかし、一神教は明らかにこれまでとは話が違うのである。一神教を受け入れるには、これまでのローマの神々を全部捨てねばならない。多神教と一神教は並存できないのである。
おそらく、ユダヤ教への弾圧が厳しくなるという予測があったその頃、最初の福音書「マルコ福音書」が作られた。これは何を意味するか。すなわち、ユダヤ教からキリスト教への大量の宗教移動があったのではないかということだ。別の見方をすれば、ユダヤ教の一部(おそらくパリサイ派)がキリスト教の偽装を行った、つまりユダヤ教内の人物の手によって福音書が作られたとも考えられる。
イエスの死後40年経って、ユダヤ国家が壊滅的状態になったことと、イエスの死を結びつけて考えた人々も多かっただろう。イエスこそがやはりキリストであって、そのイエスを殺したことが神の怒りを買ったのだと。そうすると、当然、キリストの教えを知りたいという需要は高まったはずだ。それが、福音書を成立させたのだろう。
つまり、福音書は、それまでのユダヤ教への反省と、当時残存していたイエス・キリストの伝承から作られたものであり、必ずしもユダヤ教と完全に乖離したものではない、ということである。作った本人が、ユダヤ教からの転向者であった可能性も十分にある。福音書の中で批判されているのはユダヤ教そのものではなく、律法学者や祭司たちなのである。その律法学者や祭司たちの社会的立場が弱くなったことと、福音書の成立、その内容とは無関係ではないだろう。パリサイ派批判の内容にすることで、それを作った自分たちがパリサイ派ではないとするカモフラージュがあったとも考えられる。
ただし、最初に書いたように、新約聖書の中の神は、イエス・キリストによって想像され、あるいは創造された神である。だから、旧約聖書はユダヤ教の聖書、新約聖書がキリスト教の聖書という根本は動かない。
福音書の成立によって、キリスト教は確かな基盤を持つことになった。それに加えて、イエス・キリストの弟子たちの言行録である「使徒行伝」や各教会への「手紙」なども聖書としてイエスの思想の注解書的な役割をした。これで、やっとキリスト教は宗教としての体裁が整ったわけである。
しかし、福音書の誕生以前から、キリスト教はすでに大きな広がりを持ち始めていた。ネロによるキリスト教徒迫害がAD60年ごろから(?)行われ、64年にその最大のものがあった。イエスの死がAD30~40年頃だと思われるから、その死後20年くらいでキリスト教は大きく広まっていたということである。
ここで、謎の人物パウロについて述べよう。
過激なユダヤ教徒で、キリスト教徒を弾圧していた男が、ある時からキリスト教徒に転向し、しかも一番熱心に伝道を行い、しまいにはローマ教会建立の基礎を作ったのである。ある意味では、「キリスト教」を作ったのはパウロだとも言える。
ではその転向はどのように語られているか。そのいきさつは「使徒行伝」第九章と第二十二章に書かれているが、長いので要約すると、ダマスコにいるキリスト教徒を弾圧するために行くその道の途上で、強い光を浴びて目が見えなくなり、「サウロ(パウロのもとの名前)よ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞いたという。その後、視力を回復した後、エルサレムの神殿で祈っていると、「夢うつつの状態になって」イエスと対面する。そして回心することになるのだが、面白いのは、回心したサウロ改めパウロがキリスト教伝道の途上で危険に遭った時、自分は生まれながらのローマ市民だと言って危険を免れることである。その前の部分では、彼は自分をユダヤ人であると言っているのだから、サウロという人物の正体は、ずいぶん怪しいと言わざるを得ない。もちろん、ユダヤ人の中からローマ市民権を大金で買った人間もいるわけだが、パウロの場合には、「生まれながらのローマ市民だ」と言っているのである。ここから、実はパウロはローマのスパイではないかという説が出て来たのだろう。私もその説に賛成である。しかし、スパイとは何か。敵の中に偽装して暮らす人間のことである。いざという時に、裏切りの行為をすれば、それはスパイだとなる。では、裏切る機会が無いままで、一生の間偽装を続けたスパイはスパイなのか。一生、聖人の振りをし続けて、何一つ悪を為さなかった偽善者は偽善者か。
パウロとは、その正体が何であれ、「キリスト教」を作った人間の一人であることに間違いはない。そういう意味では、聖人に列してもいいだろう。たとえ、その本来の意図が何であれ、彼は「キリスト教」の最大の貢献者なのである。だが、その後のローマ教会における「キリスト教」を見れば、明らかにキリストが批判したパリサイ派ユダヤ教が、表面的な儀式性だけを捨てた内容となっている。すなわち、来世での救済を餌に、現世での不平等を甘受させるだけの、権力にとって都合の良い宗教となっているのである。そして、かつての多神教から一神教になることでローマ帝国の国教として異民族を吸収するのにも都合のよいものとなった。キリスト教は、信じるだけなら、階級にも民族にも無関係に信じられる宗教であるから、入り口は広いのである。だが、皮肉にも、聖書にもあるように、「滅びに至る門は広い」のである。「キリスト教」が、その本来の性格通り、「貧者の宗教」であるなら、世の権力者たちがそれを肯定するはずはない。神の前の平等と貧者への施しを重視するイスラム教が現代の資本主義世界でどういう扱いを受けているかを見れば、それは明瞭だろう。それは昔も同じことである。
パウロはキリスト教を変質させることでキリスト教隆盛の基盤を作ったが、それはキリストへの裏切りでもあった。パウロとは、いわば、『カラマーゾフ兄弟』の「大審問官」である。
「革命者キリスト」の続きを載せるが、章立てが自動改変されて滅茶苦茶である。内容は前回からの続きである。
第四章 イエスの死とその意味
イエスがユダヤの教父たちによって死に追いやられたことは間違いの無いところだろう。そのあたりの記述はイエスの死に触れていないヨハネ福音書を除いてどの福音書もほぼ同じであるようだ。そして、ユダヤ総督ピラトは彼の死刑を宣告するが、それは裁判の場に集まったユダヤ人たちの総意を受け入れてのものであり、イエスを殺すことに彼は反対の気持ちであったことも事実だろう。では、ユダヤ人たちが(と言っても、イエスもユダヤ人なのだから、イエスを殺したという理由でユダヤ人を差別迫害するのはナンセンスなのだが)イエスの死を主張した根拠は何か。
① 群集はみな立ち上がって、イエスをピラトのところに連れて行った。そして訴え出て言った、「私たちは、この人が国民を惑わし、貢ぎをカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと言っているところを目撃しました。」(ルカ福音書)
② 「彼ら(イエスとその使徒)は、ガリラヤから始めてこの所まで、ユダヤ全国に渡って教え、民衆を煽動しているのです」(同)
これが、ピラトの前で述べられたイエス告発の言葉だが、その前に、ユダヤの教父たちが最終的にイエスを殺す決意をする場面がある。
③ 夜が明けた時、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、「あなたがキリストなら、そう言って貰いたい」。イエスは言われた、「私が言っても、あなたがたは信じないだろう。また、私が尋ねても答えないだろう。しかし、人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう」。
彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。すると彼らは言った、「これ以上何の証拠がいるか。我々は直接彼の口から聞いたのだから」。(ルカ福音書)
すなわち、イエスの罪は、ユダヤの教父たちにとっては、「神の子」を詐称したことであり、ローマに対する口実としては、ローマへの反抗、人民煽動を理由としているということである。
マタイ福音書やマルコ福音書では、イエスが「ユダヤの王」と名乗っていることを告発の理由としているが、これもローマが定めたユダヤの王を無視して勝手にユダヤの王と名乗っているという告発だろう。つまり、ローマへの反抗、独立運動の首謀者だという告発だ。
要するに、イエスは政治的にはローマに対するユダヤ民族運動の中心人物であるとされ、宗教的にはユダヤ宗教界批判のために死に追い込まれたというところだろう。
考えてみると、イエスが自分を神の子だと名乗ったからといって、これを死刑にするのは不合理な話ではある。本人が本当に神の子であるなら、自分が神の子であると認めるしかないだろう。それで殺されてはたまったものではない。だが、本物の神の子なら、超能力によって、それを証明できるはずだ。たとえば、この危地から脱出するのも容易だろう。それができないのは、偽者だからだ、という判断で、彼らはイエスを断罪したのである。
では、イエスはなぜ超能力でこの危地を脱して、自分が神の子であることを証明しなかったのか。これは「キリスト教」にとっても難問のはずだが、それには、「キリストは全人類の罪を背負って死ぬという預言が実現されるためだ」という答えが用意されている。
では、「キリストの」死がそもそも何のために必要なのか? 全人類の罪とは何か? ここで、私が昔から疑問に思っている「原罪論」という奴が出てくる。「キリスト教」の中で、私が一番嫌いで、意味不明の思想だ。
確かに、イエスの言葉の中に、それらしいものはある。
④ 「(ぶどう酒を手にして)これは罪の許しを得させるようにと、多くの人のために流す私の契約の血である」(マタイ福音書)
預言の実現のための死ということについても、次の言葉がある。
⑤ 「(イエスを捕まえに来た人々に向かって)私は毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに(その時は)私を捕まえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。(マルコ福音書)
おそらく、イエスが従容として死に就いたというのは、旧約聖書の中に、何か「キリストは人々の罪を背負って殺される」という趣旨の言葉があるのだろう。私はそれを探す根気は無い。だが、聖書にそういう記述があっても、人(あるいは神の子)が人類の罪を背負って死ぬということの意味がわからないのである。なぜ、人が他人の罪の身代わりになれるのか。そして、なぜ神は「自分の子」に対してそれを要求するのか。
ここで、ふと思いついたのが、アブラハムが神のために我が子を犠牲にしようとしたことだ。あの時は、人間が神のために我が子を犠牲にしようとした。いや、心理的にはすでに犠牲に「した」のである。だから、神はそれで良しとしたのだ。何よりも愛する我が子だからこそ、その犠牲は価値ある犠牲なのだろう。(ただし、それを要求する「神」を私は認めないが。)ならば、今度は神が人間に対して、そのお返しに我が子を犠牲にして人間全体との契約をするということなのだろうか? そう考えれば、確かにバランスは取れるが、しかし……。どうしても分からないのが、「罪の許しを得させるようにと、多くの人のために流す私の契約の血」という言葉だ。つまり、キリストが死ぬことで人間の罪が許されるということだろうが、なぜキリストが死ねば人間の罪が許されるのか。むしろ、キリストを殺したことで、人間は罪ある存在となるのではないか? その罪が「原罪」という奴ならば、その原罪とは何なのか。
原罪とは、神に作られたアダムとイブが神の言葉に背いて智恵の木の実を食べたことである、とするのが原罪の一般的理解だろう。要するに、被造物のくせに造物主に逆らったことが原罪だ。だから、そういう存在は楽園においておくことはできない、ということでアダムとイブは楽園を追放される。これが「パラダイス・ロスト」、失楽園である。(ついでながら、失楽園とは「失・楽園」であって、「失楽・園」ではない。後者だと、後楽園の親戚になってしまう。)そしてアダムとイブは生病老死のある四苦八苦の人間生活を始めるわけである。
さて、そうすると、人間が原罪を許されるとは、人間が再び楽園、つまり天国に迎え入れられることを意味することになる。つまり、イエス・キリストの死によって、天国は初めて、再び人間を迎え入れる準備ができたということか。何となくこの説明でいいように思われるが、まだ即断するのはやめよう。
まず、イエスの死は預言されたことであった。ならば、イエスを殺した人々は、その預言の実現のために動かされた道具にすぎないから、彼らに罪はない。イエスの言った罪は、もっと大きな罪である。それは、神への不信である。(私など、その最悪な例だ。)神の被造物である人間が神を信じないことが、神への最大の罪だろう。それに比べれば、たかが被造物同士の間の罪は殺人だろうが何だろうが、大したものではない。ここが実はユダヤ教及びキリスト教及び「キリスト教」の最大の問題点ではないだろうか。つまり、神への罪と人間への罪の比重の違いである。もしも、神への罪が最大の罪ならば、異教徒は最大の罪びとであり、動物以下の存在である。なぜなら、彼らもまた神の被造物でありながら、神を忘れ、神に背いているから。これはイエスの思想または神の絶対視という旧約思想を悪い方向に拡大すると出てくる思想である。
こう理解した時に、西欧人の異民族への残酷極まりない行動の意味が理解できる。彼らにとって、人間とみなせるのは、神を信じている人間だけなのである。東洋人やアフリカ人など、ただの言葉を話す動物にすぎないから、騙してもいいし、殺してもいい。これが西欧植民地主義の背景にある思想だろう。これに、西欧科学の優位性による自惚れが加われば、天下無敵である。そして、この気風は実は現代でも西欧人の背後に厳然としてあるのではないだろうか。
さて、そうすると、イエスの死の意味はこうなる。イエスが死ぬことで、神は人間と再契約をした。それは、人間が再び神のもとに戻り、楽園で暮らしてもよいという約束だ。ただし、そのためには、イエスを信じなければならない。なぜなら、彼は地上における神の代弁者であるから、彼の言葉を信じない者、彼を信じない者は神を信じていないことになるからである。つまり、イエスを人間だと思っている限りは、それは本当のキリスト者ではない、ということなのである。
こうして再び神への道が開かれた。これがイエスの死の意味である。
(追記)
以上の部分を、私は聖書の中の、自分にとって興味のある部分だけについての知識で書いた。ところが、偶然に、先ほど、何の気なしに聖書の他の部分をパラパラとめくっていると、パウロの「ローマ人への手紙」の中に、私の論を証する次のような記述があった。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては罪の自覚が生じるのみである。しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、現わされた。
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこには何の差別もない。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見逃しておられた。
それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
(「ローマ人への手紙」第三章)
すなわち、ユダヤ教が、ユダヤ人にのみ特有の煩瑣な律法によって他民族をその宗教から排除しているのに対し、キリスト教では、ただキリストへの信仰(キリストを通じた神への信仰)によって、神への回路が開かれる。これが、キリスト教が異民族に受け入れられ、世界宗教となっていった理由である。
ただし、では誰が、あるいは何がキリスト教への信仰の保証をするのか。もちろん、それは宗教的指導者たちである。ここで再びモーゼによる神の律法の創作と同様のパターンが再現される。すなわち、宗教の政治的な利用のパターンである。キリストへの信仰は、必要な際には宗教的指導者たちの指令への絶対的服従(たとえば「十字軍」、あるいは「カノッサの屈辱」)とならねばならない。
聖書の知識が教会の教父たちの独占物となっていた時代には、庶民は教父たちを通じてしかキリスト教を理解することはできなかったのである。それが、グーテンベルグによる聖書出版以前のキリスト教世界の有様だった。聖書の大量印刷によって初めて、「キリストの教え」と「教会のキリスト教」の違いに人々が気づきはじめ、宗教改革の契機が生まれたのである。
第六章 イエスという「人物」
イエスは大工ヨセフとその妻マリアの子として生まれたが、どうやらヨセフはイエスの父ではなかったらしく、おそらく他の男によって妊娠していたマリアをヨセフがそのまま妻にしたものと思われる。その結果、多分、イエスへのヨセフの対応はよそよそしいものになっていただろうし、他の兄弟との待遇も違っていたと思われる。そのことが、イエスの「自分は神の子である」という妄想を育てたと思われる。イエスが神の子などでないことは、彼の家族の誰もが(特にマリアには)わかっていたことである。後にイエスが故郷に帰った時の、家族に対するイエスのよそよそしい態度から、彼の家族関係が伺える。
イエスがまだ群集に話しておられた時、その母と兄弟たちが、イエスに話そうと思って外に立っていた。そこで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「私の母とは誰のことか。私の兄弟とは誰のことか」。そして、弟子たちの方に手をさしのべて言われた、「ごらんなさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。天にいます私の父のみこころを行う者は誰でも私の兄弟、また姉妹、また母なのである」。
また、イエスが十二歳の時に、エルサレムに両親とともに巡礼して、神殿に一人で行き、教師たちと話をしていると、両親が彼を探しに来て、どうしてこんな所にいたのだと聞くと、イエスが「どうして私を探していたのですか。私が自分の父の家にいることをご存知なかったのですか」と答えたが、両親、つまりヨセフとマリアはその意味がわからなかったと、ルカによる福音書第二章にある。これはおかしな話であり、ヨセフはともかく、マリアは懐妊したとき、自分が神の子を産むと聖霊から告げられているはずなのに、イエスのこの言葉の意味が分からなかったとは、つまり、マリアへの受胎告知は無かったというのが事実だということになる。
ともあれ、イエスは自分が神の子だという妄想を抱いて成長した。そして、この妄想は実に珍しい思想を彼の中にもたらした。それは、自分が神であるならば、人に何を望むかというテーマである。これまでの宗教は、すべて、人が神に対してどうあるべきかという観点から考えられた思想である。だが、イエスの思想は、神の子である自分は、神と人とをどう結びつけるかというテーマで考えられたのである。ここが、キリスト教のユニークさである。その答えは、なぜ自分がこの世に生まれたかという疑問の解答でもあった。
神が、人間の女を母胎としてその子供を地上に送り込むとしたら、その目的は一つしかない。それは、人間と神とを結びつけるため、つまりアブラハムと神との契約以上に重要な契約のため、すなわち、人間を天国に招くためであるに違いない。つまり、自分、イエスは明らかにキリストであり、メシアなのである。人々はこの自分を経由することによってのみ、神へ至るのである。これがイエスの思想の基本である。そして、キリスト教の土台となった思想である。なぜエホバ教ではなくてキリスト教と言うのか。それは、キリストの教えだからだ。エホバは教えを与える存在ではない。隠れた神である。その神の真実を人々に教えるために自分はこの世に生まれた、とイエスは考えたのだろう。
そのように考えた時に、彼にとってユダヤの教父たちの存在は憎むべきものとなった。彼らは、何の資格があって、人々に知ったようなことを言うのか。何の権威があって神への導きをするのか。その資格と権威があるのは、神の子である自分だけのはずだ。
神の子である彼にとって、地上の栄華や富が問題にならないのは当然である。生まれつきの貧しさは、彼に貧しさのネガを宗教的にポジに変える思想を考えさせた。それは、地上の栄華や富は天国では無意味になるという思想である。それどころか、天国に入るのに有害ですらある。なぜなら、富も栄華もその持ち主を傲慢にし、神に対する謙虚さを失わせるからである。したがって、「心の貧しきものは幸いである。天国は彼らのものである。」(マタイによる福音書第五章)となる。これは、本来は、「貧しきものは幸いである」だったらしい。また、「富める者が天国に入るのは駱駝が針の穴を通るよりも難しい」とも言っている。ある金持ちの青年には、その持っている財産の半分を貧しい人々に与えなさいとも言っている。これらは、イエスの思想がエッセネ派的な清貧を良しとし、金持ち連中を嫌悪していた事を示している。ほとんど、共産主義に近いくらいの心情である。(そのキリスト教が、なぜ資本主義国アメリカの、金持ち層である共和党の宗教になりえるのか、不思議な話だが。あるいは、彼らは自分では聖書すら読まないような連中なのかもしれない。)
このようなイエスの教えは、貧しい人々を中心に、広く信仰されるようになった。彼は徴税人とか娼婦のように他人から蔑まれている人々をも差別せず、神への真実の信仰があれば、誰でも天国に行けると教えた。また、ユダヤ教の煩瑣な戒律を否定し、戒律が有効かどうかは、それを行う時の精神の真実さにあると言った。形式的に戒律を守ることは、神の目にはまったく無意味なことなのだと教えた。
これらのすべての教えは、既成のユダヤ教(特に裕福な連中)の立場からは、まったく憎むべきものだった。そこで、ユダヤの教父たちはイエスを殺そうと考えた。それは、資本主義国の富裕層が共産主義者を目の仇にするのとまったく同一である。
イエスの言葉の中で、自分のことをしばしば「人の子」と呼んでいることに注意したい。これは言うまでもなく「ヨセフという人物の子」ではなく、「人間の子」の意味である。そして、彼は又、神が自分の父であるという意味のことをしばしば言っている。すなわち、彼は自分を「神が、マリアという人間の腹を借りて生ませた子供」であると見なしていたのである。イエス・キリストを信仰するかどうかは、彼を神の子とみなすか、それとも只の人間とみなすかどうかである。しかし、彼が神の子であるかどうかに関わらず、思想家としての彼が、孔子やソクラテスや釈迦と並ぶ人類の教師であることに疑問は無い。キリストの神格化は逆に、彼の思想の意味するものを見えなくすることにつながっている。その顕れが、キリストの思想が捻じ曲げられた、ローマンカソリックなどの「キリスト教」という奇形の思想であり、それらの「キリスト教」は西欧人種の精神をいびつなものとしてきたのである。たとえばドストエフスキーは偉大な作家だが、彼のキリスト教理解は分析によるものではなく、信仰によるものであるから、彼の作品におけるキリスト教を普通の人間が理解するのは難しい。いや、不可能だろう。つまり、理屈ぬきの事柄を理屈で理解しようとするのは不可能なのである。たとえば、信仰的人間は、彼の頭上に広がる一面の星空を見ただけで、神の存在を信じるかもしれない。だが、分析的人間にはそのような理解の仕方はできないのである。だから、私のこの論文は、単に、非信仰的人間が聖書を見れば、どのような事実があったと推定できるかという話である。それは信仰自体の価値を否定するものではない。私はむしろ、論理をこそ冷ややかに見ている人間である。論理など、論理の扱える範囲の問題しか扱えないものだと。
(パソコン不調のため、ここで中止しておく。)
第四章 ユダヤ教と旧約聖書
ユダヤ教は、言うまでもなく、ユダヤ民族の民族宗教である。従って、その神はユダヤの神であって、その事は旧約聖書の中で繰り返し明言されている。この神は当然ながら他の民族の神々をすべて拒否し、のみならず他の神々を信ずる部族を滅ぼせと命令している。もちろん、他の部族のすべてではないにせよ、敵対する部族がある場合には、その部族の全てを殲滅せよ、と命令するのである。こうした徹底性が、ユダヤ教の特質であり、このユダヤ教的性格のままでユダヤ教が世界宗教になることが不可能だったことは自明である。
ユダヤ教は、地中海東岸の地方に住む民族の中から生まれた宗教で、その思想の特徴は「神との契約」にある。つまり、ユダヤ民族は神との契約によって選民となったということだ。この契約は双務的なものであり、ユダヤ民族は、神の与えた法と、預言者を通じて任意に与えられる神の言葉に完全に従わねばならない。その代わり、神は世界をユダヤの民に支配させるというものだ。ただし、ここで言う世界は、地中海地方一帯程度のイメージだったと思われる。(世界の創造主たる神と民族の神の矛盾については後記)
旧約聖書以外にも、ユダヤ教の聖典はあるし、むしろ他の聖典(タルムード等)の方が重視されていると言う人もいるが、旧約聖書を読むだけでも、ユダヤ教の根本は分かる。
旧約聖書は創世記から始まるが、これは地中海地方の伝説の集成であり、たとえば大洪水の話などはメソポタミア地方の神話にほとんど同じものがあるそうだ。とにかく、ユダヤ教の特質は、世界が一人の神によって作られたとしたところにある。そして、そのように世界全体を作ったはずの神でありながら、その神はユダヤ民族のことしか頭の中にないこと、他の民族に対してはむしろ敵対的な神であること、ユダヤ民族の危機に際してはその神はほとんど無力であること(そうした際に預言者が言う言葉は、「民の神への不信のためにそうなったのだ」という言い訳が常である。)などの特徴がある。
例の、バベルの塔の話の前に、「世界は一つの言葉を使っていた」とあり、バベルの塔を建てて天に至ろうとする人類の野望を妨げるために、神が人々の言葉を様々な言語に変え、彼らを世界中に分散させたとあるから、神は人類全体の神であったはずだ。だが、その話の後、急に、神がアブラムという男に命じて、父祖の地(カルデアのウルという所)を去って約束の地に行け、と命じる。そこを将来のユダヤ民族のための土地にしようというわけだ。旧約聖書では、このアブラム(後にアブラハムと改名)がユダヤ民族の祖となっている。このあたりから、全世界の神がなぜかユダヤの神になってしまうわけだ。
アブラハムは、お前の息子を神への生贄にせよという神の理不尽な命令に対して従順に従ったという「信仰心」のためにユダヤの祖となったとされている。つまり、ユダヤ民族とは、我が身可愛さのため(かどうかは知らないが、そのようにしか見えない)に息子を殺そうとした男の子孫であるようだ。ついでながら、旧約聖書の基本精神の一つは、子供は父のために犠牲にしてもよいという思想(家父長思想)である。たとえばソドムとゴモラを神が破滅させた際に、神の使いを守るために、ロトが自分の二人の娘(処女の保証付き)を暴徒の手に引き渡して自由にさせる、つまり強姦させるという記述がある。これに類した話は他にも沢山あったはずだ。もちろん、これは父のためにではなく、「神のために」子を犠牲にしたということだが、ではなぜ神のために子供を犠牲にするのかと言えば、結局は自分のためである。父と神の同一視が旧約聖書の特徴だとも言える。
ユダヤ教は、神の権威をバックにして家父長の権威維持を図った思想という側面がある。実際、「父の祝福」や「父の呪い」の持つ神聖さや威力は、神のそれと相似である。それはまるで、戦前の日本の父親が、家庭の小天皇であったのとそっくりだ。旧約聖書では、父の命令だというだけで、どのような理不尽な命令も絶対的なものとされるのである。
ユダヤ教の神が、人類全体の創造者でありながら、なぜユダヤ民族だけの神になったのかという、その根拠、つまり、なぜアブラハムが選ばれたのかという理由は旧約聖書の中では述べられない。吾が子イサクを神への生贄に差し出したのは、これは最後の試験のようなものであり、アブラハムを最初に選んだ理由ではない。その前に、神はなぜかアブラハムを選んで約束の地に行かせているのである。
取りあえず、エホバは人類の神から、ユダヤの神という立場に成り下がった。だが、この神はけっしてユダヤ民族を助けたりはしない。せいぜい、ジェリコの戦いという他部族との戦いの時に、ラッパの音で城壁を破壊する「奇跡」を見せたくらいである。(もちろん、ラッパを合図に、中に潜入していたスパイが城門を開けたことの比喩に決まっているが。)他部族と戦うか戦わないかという選択の理由も神は明確には示さない。他部族との戦いを命じる時には、ただ「彼らは神の目の前に悪しかりき」というあいまいな根拠しか述べられないし、その戦いでユダヤ民族が敗れた場合は、今度はユダヤの民は「神の目の前に悪しかりき」と言われるだけだ。神への不信心のためにユダヤ民族は罰されたのだという言い訳である。神とは、まことに便利な口実だ。ここから分かるのは、ユダヤの神とは、ユダヤの指導者層が自分の部族を支配するための装置でしかなかったのだろうということだ。
つまり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのである。
だからどうだと言うことではない。ヴォルテールも言うように、神がいなければ、作る必要がある、という考え方もできる。問題は、神が善用されるか、悪用されるかということだけだ。文明の初期には神や仏への信仰は社会秩序の維持に役立ってきた。はたして現代ではどうか。キリスト教国家アメリカは果たして、世界にとって善の存在か。そして、ユダヤ教国家イスラエルはどうか。
第五章 ユダヤ教の起源
ユダヤ人、あるいはイスラエルの民、あるいはヘブライ人は紀元前2000年頃に現在のイスラエル地方、つまり聖地エルサレムのあるあたりに移住してきた民族である。
紀元前1700年ごろから1300年ごろまで、ユダヤ民族はエジプトに定住し、そこの二級市民もしくは奴隷階級となる。なぜ、わざわざ他国の奴隷になるために移住したのかは不明だが、おそらく旱魃などの大きな自然災害があったのだろう。旧約聖書の記述によれば、ユダヤ人のヨセフという男が様々な苦難の果てにエジプトの宰相となり、その縁で彼の元の家族をエジプトに呼んだということになっている。つまり、最初から奴隷であったわけでもないようだ。だが、最初は70人程度だったユダヤ人たちが、本来のエジプト人たちを圧倒するほどに数が増えたので、エジプトのファラオ(王)がそれを怖れて彼らを奴隷の境遇に落としたと書かれている。
さらに、ファラオ(またはパロ)は、ユダヤ人が出産する時には、それが男の子なら殺せと産婆に命ずるが、産婆たちの中には、それを守らない者もいた。そうして命を救われた男の子の一人がモーゼである。彼は偶然にもパロの娘に育てられることになるが、やがて自分がユダヤ人であることを知って、自分の民族をこのエジプトでの奴隷的境遇から救い出すことを決意する。これが、旧約聖書出エジプト記の大筋である。
さて、ここで面白いのは、モーゼと「十戒」の話である。
モーゼがユダヤの民を率いて、シナイ山の麓まで来た時、ユダヤの民は長旅に疲れ、不満が溜まっていた。その状況を察知したモーゼは、一人でシナイ山に登り、「十戒」とその他の神の掟を持ち帰るのである。
言うまでもなく、それらの掟はモーゼの創作である。(これは聖書研究家にとっては常識だろう。)その掟の具体性といったら、割礼から家畜の取り扱いに至る細々としたものであり、神様が、そんなに具体的に指示などするわけもない。その例は次のようなものだ。
ユダヤ教の食事のタブーは一部の人には知られているが、たとえば、兎、豚は穢れたものなので、食ってもいけないし、死骸に触ってもいけない。水に棲む動物でヒレや鱗の無いものは食っても触れてもいけない。したがって、鰻、蟹、エビ、イカ、タコの類は駄目。昆虫では蝗などは食っていいが、その他の昆虫は駄目、などなど。食物以外のその他の細かな規則は、これもモーゼがエホバから直接に聞いたという体裁で申命記に出ている。
モーゼは、神と直接に語れるということを口実としてユダヤ民族の指導者として君臨してきたのである。その率いてきた集団の秩序が崩壊しようとしたから、彼は「神の掟」を創作する必要性を感じ、シナイ山に登ったわけだ。その時、モーゼに反抗的だった連中3000人が後にモーゼによって殺されているが、その反抗グループのリーダー格であったアロンは、なぜか咎めを受けていない。このあたりには明らかに「政治的取り引き」がある。(「民数紀略」第二十章には、ずいぶん経って後にアロンがモーゼに山で殺されたのではないかと疑われる記述がある。モーゼが山に登ると、ろくなことはない。)また、「汝殺す無かれ」という戒めは、モーゼの殺人に見られる通り、「神への反抗ならたとえ同胞であっても殺してよい」という保留によって、「実用的」なものになっている。たとえば、安息日に薪1本だかを拾った男の処置をどうするか、ということで長老たちの判断がつかなかった時、モーゼは「神に問い尋ねて」、男を石で打ち殺せ、という決定を下している。石で打ち殺すとは、皆で石を投げて、殺すという処刑方法だ。これは、たとえ薪1本でも、「神の定めた掟」を破ったから、死刑相当なのである。「神の定めた掟」の持つ厳しさが分かるだろう。そして、掟を破ることが神への反抗と見なされることで、集団の秩序が維持しやすくなったのも当然である。
アロンの場合には重罪でも許し(神への反抗という点では、アロンの罪も重罪である)、政治的な重要性の無い相手の場合には死刑にする、というのは法の実施におけるダブルスタンダードだが、このことは、この宗教規則があくまでも集団の規制のための規則であり、実は神への信仰とは無関係なものであったことを示していると言えるだろう。すなわち、法や掟は、「人間が人間を支配するために」作られたものであり、宗教(神という存在)はそれに利用されたということである。
モーゼは旅の途中で死ぬが、その後のユダヤの指導者ヨシュアは、カナンの地の先住部族を次から次へと皆殺しにし、その土地を奪ってユダヤ人のものとする。これが神の「約束の地」である。約束の地なら、神が平和的にユダヤ人のために取っておけば良さそうなものだが、他部族を殲滅して奪ったものでも、神が彼らに約束したのなら、その略奪行為は許されるという理屈らしい。ついでながら、カナンの地の近くまで来た時点でのイスラエル(ユダヤ)の民はおよそ60万人である。これだけの数の人間が大移動をしたのは、それだけでも確かに奇跡的ではあるが、食料などを持ってエジプトを出たはずはないから、当然ながらその間に無数の略奪行為があったに決まっている。書かれざる歴史だ。
引用するのも面倒だが、他部族に対する戦い方、あるいは略奪の指令の一例を挙げよう。民数紀略第三十一章
「モーゼすなわち彼らに言いけるは、『汝らは婦女どもをことごとく生かしおきしや。見よ、是らの者はバラムの謀計によりイスラエルの人々をしてベオルの事においてエホバに罪を犯さしめ、遂にエホバの会衆の中に疫病おこるに至らしめたり。されば、この子等のうちの男の子をことごとく殺し、また男と寝て男知れる女をことごとく殺せ。ただし、未だ男と寝て男知れる事あらざる女の子はこれを汝らのために生かしおくべし。云々』」
ついでに、その略奪品の例
「その略取物すなわち軍人たちが奪い獲たる物の残余(神への供物の残余)は羊67万5000、牛7万2000、驢馬6万1000、人3万2000、是未だ男と寝て男知れる事あらざる女なり。」
その処分は、神への供物にそれぞれの50分の1を取った後、戦に出た者に略奪品の半分を与え、残りを戦に出なかった者で分けるというような感じである。
エリコ(ジェリコ)の戦いの前に、エホバがモーゼに言った(とされている)言葉。
「汝らヨルダンを渡りてカナンの地に入る時は、その地に住める民をことごとく汝らの前より追い払い、その石の像(すなわち、彼らの信仰する偶像)をことごとく壊し、……その地の民を追い払って其処に住むべし。……されど汝らもしその地に住める民を汝らの前より追い払わずば、汝が残し置くところの者、……汝らを悩まさん。且つまた我は彼らに為さんと思いし事を汝らに為さん。」
つまり、敵を殲滅せよ。そうしないと、神がお前たちを殲滅するぞ、ということをモーゼは彼の率いる民に神の言葉として言ったわけだ。
ユダヤ教の基本部分は、こうしてエジプト脱出とその後の40年以上もの放浪の間に作られたと推定できるが、もちろん、その大半は、ユダヤの民族宗教を元にしてモーゼが「神の掟」を追加したものだ。つまり、宗教の伝説的部分は伝承を利用し、規則部分はモーゼの創作というわけである。