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刑士郎が最初の仕事をしたのは、それから三日後である。
夜、9時頃、街の盛り場を歩いている時、すぐ傍のビルから明治会の幹部の一人が、ボディガードらしい男二人と一緒に出てきたのである。刑士郎はすぐ周りに目を走らせた。他に明治会の組員や旭組の組員らしい者はいない。
刑士郎は三人の横を通り過ぎた後、コートの中からワルサーを引き抜きながら安全装置を外し、3秒で3発撃ち、三人を倒した。致命傷かどうかは気にする必要はないが、10メートル程度の距離で射損じるわけがない。銃声を聞き、三人が転倒するのを見て、何かが起こったことに気付いた通行人の女が悲鳴を上げた。
即座にマフラーで顔の下半分を隠し、その場から逃走する。幸い、このあたりは、裏道に回ればどこへでも逃げることができる。歩道に落ちた薬莢などは、池島署長が何とか誤魔化してくれるだろう。
遠くで鳴る救急車やパトカーのサイレンを聞きながら、刑士郎は歩みをゆるめた。久しぶりの殺人に、体の奥が高ぶっている。

東城の言っていた応援の大石大悟が来たのは十二月の中旬であった。五分刈の坊主頭で、がっしりした体格の三十代後半の男である。身長は刑士郎と等しく、幅は刑士郎よりある。
二人は公園で落ち合った。
「一人ひとり殺していたんでは、埒があかんでしょう。大型火器を使いましょう」
「一人ひとり殺していると言うより、二つの組の不和の種を撒いてお互いを疑心暗鬼にさせているんだがな。まあいい。大型火器と言うと?」
「バズーカですよ。でなければ迫撃砲」
刑士郎には二つの違いは分からない。
「そんなもの、どこにある」
「私が手に入れます。ソ連解体で、闇の武器は全世界に流れています。中国が大量に入手したらしいですがね」
「どれくらいで手に入る」
「まあ、一週間あれば大丈夫でしょう」
「機関銃のほうが簡単じゃないか」
「私は大型火器専門でしてね。まあ、あなたのためにそれも手に入れましょう」

二人は攻撃拠点として、マンションを二室借りることにした。
一つは旭組の近く、もう一つは明治会の近くで、五階と六階の高層マンションの最上階だ。どちらもベランダからは、100メートルほど先の下の方に目標の建物や敷地が見える。
「どちらからやっつけましょうか」
「できれば同時がいいが、まあ、一番、人が集まっている時だったら、どちらでもいいな」
「それなら、明後日に明治会本部で総会があります」
と言ったのは、情報の報告に来ていた井上明史である。
三人が今いるのは借りたマンションの一方の部屋(明治会の傍のマンション)である。
小春日和の暖かな日差しが、レースのカーテン越しに部屋に射し込んでいる。家具は一つも無い部屋だが、カーテンだけは最初の日にセットしてある。もちろん、外部からの目隠しだ。
テーブルも何も無い部屋の床に敷いた新聞紙がテーブル代わりである。その上に、ビールとつまみが並んでいる。
「私は旭組に明治会の総会の件をリークしておきますから、うまく行けば、連中、総会の真っ最中に殴り込みに行きますよ。そうすれば一石二鳥です。まあ、私がリークしなくても、旭組もその情報は知っていると思いますがね」
「総会は何時からだ」
「午後一時からです」
「池島署長に言っておいてくれ。総会の間、何が起こっても、現場に踏み込まないように、と。その後なら、全員しょっぴいていいが」
三人はそれぞれ、別々にマンションを出た。
もうすぐだ、という思いと、小春日和の暖かな日差しと、昼間から飲んだビールが刑士郎の頭のネジを緩ませていたのは確かである。
住宅街ですれ違う人や子供たちの平和そうな姿が、彼を、自分もその世界の住人だと錯覚させたのかもしれない。






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(3)

刑士郎はカウンターで飲みながら、奥のボックス席にいる連中に時々ちらりと目を走らせていた。そこにいるのは旭組の中堅幹部二人と、店の女二人である。その手前の席に、幹部の使い走りらしいチンピラが、男二人だけ、手酌でビールを飲んでいる。
カウンターの中にいた女が前に来たので刑士郎は女に注意を向けた。わりときれいな女だ。刑士郎の手から氷だけになったグラスを取って、水割りを作る。
「お客さん、お酒強いのね」
「強いよ。あっちも強いよ。試してみるかい」
「いやあねえ、ホホ。ねえ、仕事、何してるの? ここの人じゃないよね」
「公務員」
「公務員、いいわねえ。不況知らずの仕事だもんねえ」
「まあね。親方日の丸って奴だ。でも、何をしているかは秘密だよ。国家機密」
「またまたあ。いつまでここにいるの?」
「ひと月くらいかな。ちょっとした調査でね。その間、女がいないから、もう大変。毎晩、ホテルのエロビデオ見てオナニーして寝てるの。可哀そうだろ。今晩どう?」
「また今度ね。お代わり作ろうか」
「水道水のウィスキー割か」
「いやあねえ。うちはちゃんとミネラル使ってるわよ」
「サントリー製のシーバスリーガルってのはなかなか美味いもんだな」
「馬鹿言わないでよ。本物のシーバスよ」
「そうか、飲み過ぎてこっちの舌がおかしくなっているんだ。そろそろお勘定にしようかな」
「あら、まだ宵の口じゃない」
「駄目だ。酔っぱらってあんたが美人に見えてきた。帰って寝たほうが良さそうだ」
その時、入り口のドアが開いて客が二人入ってきた。まだ二十代前にも見える若い客だ。
刑士郎から少し離れたカウンター席のストゥールに二人は腰を下ろした。
「ビール二本ね」
「はい、ビール、ツー」
注文を受けて女がバーテンに声をかける。
奥の席の女が二人、腰を上げた。
刑士郎は胃の中がむかつくような不快感に襲われていた。酒によるものではない。
「ちょっとトイレ。飲み過ぎた」
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫、おしっこするだけ」
刑士郎が立ち上がったとき、先ほど入ってきた二人の男がちょっと刑士郎の顔を見た。その目の奥の光は刑士郎には馴染みのものだった。
刑士郎がトイレに立って数十秒後、店内に銃声が鳴り響くのがトイレまで聞こえてきた。最初に4,5発。すこし間を置いて、7、8発。後の銃声は、明らかに、留めを刺したのだ。
刑士郎はトイレの窓から出られるか考え、あきらめて店内に戻った。
奥の席にいた旭組の四人はすべて射殺されていた。
カウンターでは女がバーテンに抱きついて震え、カウンターの端では女二人(おそらく、殺した側からあらかじめ言い含められていて、寸前に難を逃れたのだろう)が立ちすくんでいる。後から来た客たちの姿は無い。

警察で刑士郎は取り調べを受けたが、池島の手配で、すぐに釈放された。店の女とバーテンも刑士郎は事件と無関係だと証言していたせいもある。








電話の音で刑士郎は目を覚ました。いつの間にかソファでうたた寝をしていたのである。
「はい、竹田です」
自分の偽名を思い出しながら電話に出る。
「井上さんという方からお電話です」
フロントの声の後、電話がつながる。
「竹田さんですか。私、池島のところの者ですが、今、お会いできるでしょうか。……はい、ロビーにいます」
池島とは誰だったか、急には思い出せなかったが、それが北**署の署長の名であることを思い出し、すぐに下りて行く、と返事をした。
ロビーのソファにかけていた井上という男は、三十前後のハンサムな男だった。私服を着ていて、ぱっと見には警察官らしい雰囲気は少ないが、目つきや姿勢にやはりそれらしいところはある。
「井上です。池島さんからこれを預かってきました。それから、何かあったら竹田さんに便宜を図るようにと言われています」
そう言いながら彼が手渡したのはジュラルミン製の中型トランクである。持つとずっしりと重い。
武器だな、と刑士郎は察した。
「井上さんへの連絡は?」
「はい、こちらへお願いします」
井上は名刺を渡した。内線電話番号と、「北**署交通課 井上明史」とある。
「交通課ねえ。駐車違反をしたときはお願いします」
井上は顔を赧らめた。
「交通課勤務は私の本意ではないのですが、署長がどうしても捜査二課への配属を許さないのです」
「井上さんはご結婚は?」
「まだです」
「母一人子一人でしょう」
井上はびっくりした顔をした。
「は、その通りです。どうして分かりましたか」
「もしかしたら、あんたのお母さんと署長さんとは昔の同級生か何かでは?」
「その通りです。どうしてそんなことが分かるんですか」
「勘ですよ。母一人子一人の人間を組織暴力団相手の部署にやりたくないということです。察するに、あんたのお母さんは、今はどうかしらないが、昔はかなり美人だったに違いない。あんたを見れば、それは一目瞭然だ。池島署長の憧れの人だったんじゃないかな」
「そうだったのか。ちっとも知らなかった。あの池島署長が……」
「あくまで推測ですよ。それより、私がこれから何をするのか聞いていますか」
「この町のヤクザどもの抗争と何か関係があると聞いてますが」
井上は声を潜めて言った。
「そう。旭組と明治会と、二つともぶっ潰すんです」
井上はギョッと驚いた。
「で、池島署長や井上さんにして貰いたいことは、私に何かあった時に、私を法的に守ってくれることです。特に、警察官に邪魔をして貰いたくない。ヤクザに捕まるのは仕方がないが、警察に捕まるのは御免だ」
「それは……たぶん大丈夫です」
「どうだか。私はこれまで警察が一般市民ではなくヤクザを守る場面もずい分見てきましたからね。ここではそんな目に遭いたくない。もっとも、私も一般市民とは言えないが」
「全力で竹田さんを守ります。ご安心ください」
刑士郎はそれから井上を部屋に招いて、二時間ほど彼からこの町の状況を聞いた。それぞれの組の幹部の名、組員のたむろする場所、行きつけの酒場や麻雀屋、覚醒剤取引によく使われる場所、幹部の家、それぞれの情婦の名や勤め場所。
ジュラルミンのカバンとは別に彼が持っていた書類鞄には、顔写真の貼られた組員リストがあった。

それから一週間、刑士郎は飲み屋を歩き回り、時々出遭う組員の名と顔を一致させることに努めた。もともと人物の特徴を即座に覚えることは警察官の必須技能の一つである。一週間のうちに、両組織の構成員のおよそ八割くらいは認識できるようになった。ただ、最高幹部とは、滅多に顔を合わせることは無かった。












刑士郎は東城長官の私設オフィスに電話をした。用心のためにホテルから離れたところの電話ボックスの電話を使う。
「北**市の旭組はたしかに一心会の傘下の組だが、あんたの足がついたという話は無いな。別件だろう。旭組は今、叶組傘下の明治会と抗争中だから、その応援の者とでも間違われたのではないかな。警官とヤクザは兄弟みたいに似ているからな、ハハハ。そうだ、ついでと言っては何だが、あんたに仕事を頼もう。旭組と明治会が今、潰し合っているところだから、うまくその中に入って、双方の被害をできるだけ大きくしてくれないか。理想は、双方全員死亡だが、まあ、できるかぎりでいい。あんたの好きそうな仕事だから、楽しいだろう。支払いは、組員一人につき10万円、若頭クラスなら50万円でどうだ」
「それぞれの組の構成員の人数は」
「旭組が80人くらい、明治会が60人くらいかな。使い走りの高校生やチンピラなどは除いてだ」
「一人で140人を相手ですか。命が幾つあっても足りませんな」
「バックアップはする。北**署の池島署長は私の息のかかった人間だ。旭組と明治会には長年手を焼いている。そいつらを一掃するのは彼の悲願だ。北**市の大掃除のためならたいていのことには目をつぶるし、武器も融通してくれるだろう」
「あのねえ、黒澤の映画じゃないんだから、一人の人間がヤクザ組織をぶっ潰せるわけがないでしょう」
「そうでもないさ。現代の戦争に人数は関係ない。原爆一つで100万人が殺せるんだからな。相手が兵士でも同じさ。連中が争い合っているのがこっちにとってはもっけの幸いだ。相手以外のものに注意を向ける余裕が無いからな。それから、役に立つ人間を一人見つけた。そのうち応援に行かせる。二人でなら、仕事もしやすいだろう。名前は大石大悟。若いが使える男だ。ではな」
「ちょっと、ちょっと、こっちはまだ引き受けるとは言ってませんよ」
しかし、電話は既に切れていた。

刑士郎は北**市の市街地図を眺めながら部屋で酒を飲んでいた。ホテルは元のままだ。他のホテルに移っても同じことである。一度調べて懲りただろうから、かえって妙な連中は来なくなるかもしれない。
カウンター係は刑士郎と顔を合わせるときまり悪そうにするが、刑士郎からは、あれから特に何も言っていない。
旭組と明治会の本部所在地は昼の間に調べてある。北**市を流れるS河をはさんで2キロほど間が離れている。北**駅近くにあるのが旭組で、中心街から離れた閑静な住宅街にあるのが明治会だ。いつからそこにいるのかは知らないが、さぞ、その住宅街の地価は下落しただろう。
旭組の本部は、表向きは普通の雑居ビルだが、入り口周辺にはいつも目つきの悪い男たちが数人いる。侵入は難しそうだ。
明治会のほうは、まるで要塞である。コンクリート打ちっ放しの二階建ての無愛想な住宅ビルに、鉄格子のはまった窓が四方にある。その建物を囲んで2メートル少しの高さのコンクリート塀があり、ご丁寧にその上には鉄条網がある。まさか、電気まで流してはいないだろうが、刑務所並みのものものしさだ。門は鉄の扉で閉ざされている。
刑務所に送られる前から自分で自分を刑務所に閉じ込めていやがる、と考えて刑士郎はニヤリとした。
だが、思わずため息も出る。
「こりゃあ、戦車かミサイルでも無いと無理だな」
刑士郎は呟いた。





(2)


目を覚ました時はまだ夜明け少し前だった。口の中が昨夜の煙草と酒で不快だ。トイレで糞をして体の中の残留アルコールを外に出した後、熱い湯を溜めた風呂に体を浸け、体に血が回るのを待つ。
すっかり生き返った気分になったところで一服目の煙草をつける。肺の中に浸み込む煙を味わいながら窓のカーテンを開けると朝日が部屋の中に差し込んだ。「朝日のように爽やかに」というジャズソングのフレーズが心に浮かぶ。

softly as is the morning sunrise

「朝日がそうであるように柔らかく」とでも訳すのだろうか。何が柔らかくなのだろう。

ホテルの食堂で貧弱な朝食を食べながら新聞を読む。全国紙ではなく地方紙を選ぶ。一面の政治記事よりも第三面(というのも古い言い方で、本当は裏から二面目だが。)の犯罪記事に先に目が行くのは習性だろう。市職員の汚職疑惑、公共工事に関する土建屋の談合、チンピラの強姦事件、高校生のオートバイ事故、どこの地方都市にもつきものの事件ばかりだ。

近くの公園までの散歩から帰ってきた刑士郎は、ホテルの入り口を入ったところで足を止めた。
カウンターで二人の男がフロントマンに何かを尋ねている。明らかにヤクザ者だ。フロントの男が二人にキーを渡したのを見て刑士郎は、まずいな、と考えた。そのキーはおそらく彼の部屋のものだろう。
二人の男が二階に上がっていった後、ホールの椅子にさりげなく腰を下ろしていた刑士郎は立ち上がってカウンターに近づいて行った。
「203号室の鍵を貰えるかな」
「あ、今ちょっと清掃中なんで、少しその辺で待っててもらえますか」
「こんな朝早くに清掃かい。もしかして、その掃除のオバさんはさっきの二人かな」
刑士郎はこわばった顔のカウンター係に笑顔を見せて大股に階段へ向かった。
階段を上って203号室の前に来てノブを静かに回してみると、部屋のドアの錠は閉まっていないようだ。自動で錠のかかるドアではないのが幸いした。
そっと覗き込むと、二人の男は刑士郎のトランクをこじ開けようとしているところだった。
「泥棒っ、泥棒だーっ」
刑士郎は大声を上げた。
二人は慌ててトランクを放り出し、戸口にいる刑士郎を突き飛ばすようにして部屋を飛び出した。そのまま階段の方へ逃げ去って行く。
刑士郎はニヤニヤしながら部屋に入って行った。
トランクは幸い、まだ開けられてはいなかったが、いずれにしてもこのトランクの中には見られてヤバイものは入っていない。まあ、金がけっこう入っているのがヤバイと言えばヤバイのだが、本当に見られてヤバイものと言えば、刑士郎の背広の下のホルスターに吊った拳銃、ワルサーPPKと、背広の内ポケットの中の大型ナイフくらいのものである。刑士郎にとってはヤクザよりも警察官の不審尋問がよっぽど怖い。
それにしても、あの二人はどういう素性のヤクザなのか。ホテルのフロントマンと顔見知りのようだから、地元のヤクザだと思うが、地元のヤクザが何を嗅ぎまわっているのか。まさか、一心会の手がここまで回っているとはとても思えないのだが。
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