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窓から流れ込む五月の風を肌に感じていると、何とも言えない幸福感に包まれる。
それは、自分が誰よりも自由で、これからおそらく60年かそれ以上の人生があると信じているからだろう。12歳の中学1年生が、それ以上何が必要だろうか。
中学生活は自由などではないって? まあ、それは考え方次第だろう。少なくとも僕は自由だと感じている。
すべて世は事もなし、という幸福感だ。たかが中学生ごときに、何の人生の難問があるだろうか。
などと言えば、いじめなどに遭っている人たちに憎まれそうだが、なあに、学校でいじめられるなら学校を換えればいい。地域でいじめられているなら引っ越せばいい。それが一番の解決法だろう。なぜ被害者の方が逃げなくてはならないのか、などと文句を言うなら戦えばいい。それができないなら、逃げるしかないではないか。親に相談してもその解決法を取らないなら、それは家庭の問題であって、親が悪い。まあ、そういう親を持った運命を恨むしかない。
などという話をする気ではなかった。筆の滑りである。
なお、この記録は大学ノートに2Bの鉛筆で書いている。私は2Bの鉛筆が好きなのである。細い筆で書くみたいな気がする。


さて、時は春、日は朝、朝は七時ではなく、もう十時過ぎだが、今日は日曜日なのでゆっくりしているのである。

自分の部屋で、窓から流れ込む五月の風を受けていると、それだけで幸福だ。

だがそればかり言っていても仕方がないので、自己紹介をしておこう。

僕の名前は高嶺昇という、少しふざけた名前だが、高嶺という姓は、この土地ではありふれた姓である。下の名を昇とした例は少ないかもしれないし、登山なら「登」にすべきだろう。まあ、高天原昇でないだけましだ。少なくとも、登れる高い嶺はたくさんある。

さて、家の二階などと言うと、豪邸を想像するかもしれないが、実は、ここは連れ込みホテルなのである。
1965年、つまり去年始まったベトナム戦争には、このO県からも米国の兵士がたくさん戦地に行き、あるいは待機しており、彼ら兵士が戦地から一時休暇で基地に戻ると、酒を飲み、女を買うのが定石である。そこで、連れ込みホテルが大繁盛というわけだ。彼らは明日をも知れない命だから、金払いがいい。どころか湯水のように散財する。そのおこぼれが、こうした連れ込みホテルにも下るわけだ。

つまり、人間、先の命は分からないのだから、些細な事でくよくよしても馬鹿馬鹿しい、というのが私の考えなのである。誰かの警句を借りれば「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように生きよ」ということである。

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